正体のレビュー・感想・評価
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生きねば。
冤罪。通りがかった高校生の第1発見者がかくも簡単に殺人犯に仕立て上げられるとは。この映画はまさに今年作られるべくして作られた作品だと思う。
生まれて初めて友達ができて、ビールを飲んで、人を好きになって、生きてて良かった。もっと生きたいと思った。
この映画の主人公・鏑木慶一のひととなりが良いからに違いないが、その信じる力が関わった人たち、自らを追い詰める刑事にさえ、影響を与えてていく。
実際はこんな風にはいかないかもしれない。
それでも、それだからこそ、信じる心、生きることを肯定するこの映画に私たちは感動する。
これが一昔前だったら、主人公が撃たれて終わり。警察組織・公権力の前に真実は埋もれてしまい、虚しい希望のない結末。
それがカッコいいと思っていた時代があった。作り手たちがいた。
今、藤井監督は観る者に希望を与えてくれる。(八犬伝を書いた馬琴のように)
映画っていいな。
亀梨バージョン
映画的な表現に溢れた傑作
冒頭から引き込まれるグロ、アクションシーン、
同じ横顔のクローズアップの構図で、
異なる相手に対して皆の短い言葉が連続的に繋がれて
最初と最後でコントラストをなす対話シーン、
先を暗示するような洗面器の排水の渦、
ワンカット長回しの逃走シーン、
映像だけで語るラストシーン、
など、とにかく映画的な魅力的な表現に溢れていると感じました。
また、登場人物は説明せず、短い会話や微妙な表情だけの画面も多いので、
その心中に対して常に想像力をかきたてられ、
集中力の途切れることなく見続けることができ、とくに最後の対話シーンは感動的でした。
とくに横浜さんは、逃走犯という設定上、
マスクをしたり、言葉も極力話せない、という制約の中で、
時々発する言葉が大仰にならず、呟くような、それでいて実感のこもった感じが本当に引き込まれました。
リアリティという点ではどうだろうと思う部分も正直ありますが、
おそらくこの映画の主題ではないでしょうし、
その映像表現、演技に圧倒されっぱなしで、まったく気になりませんでした。
そして観終わった後、”あなたは目の前の人に偏見なく、誠実に向き合えているのか”、そう問いかけられたような気がしました。
己の力で冤罪に立ち向かう男の執念の逃走劇
冤罪をテーマにした作品である。エンタメ側に振ったフィクションとは分かっていても、どうしても袴田事件の再審無罪確定という数か月前の出来事が頭から離れなかった。捜査当局の証拠捏造という画期的な判決であり、事件が発生した旧清水(現静岡県静岡市)市民としては衝撃的だった。
凶悪殺人事件の犯人として死刑が確定した死刑囚・鏑木慶一(横浜流星)は、急病を装って救急搬送中に脱走する。彼は変装し職業を転々とする。そして担当刑事・又貫(山田孝之)の追跡を必死でかわしながら無実の証に迫っていく・・・。
作品としては素晴らしい。間違いなく日本アカデミー賞に絡んでくるだろう。横浜流星が従来のイケメン俳優というイメージを捨て去って五変化に挑戦している。どの人物も違和感なく成り切っている。逃走中に出会った人達との交流を通した様々な経験で人間として成長していく姿を自然体の演技で熟している。演技者としての可能性を感じさせる。
彼は適当に職業を選んでいるわけではなく、目的があることが徐々に明らかになってくる。物語は熱を帯び徐々に核心に迫っていく。面白さを増していく。シリアス作品として観れば、ご都合主義的、予定調和的な展開もある。しかし、登場人物を演じる俳優陣に個性、存在感がある。華(吉岡里帆、山田杏奈など)もある。鏑木との絡みも巧く構成されているので、エンタメ作品として観れば上々の出来栄えである。
終盤。物語は核心である冤罪に突入する。冤罪の証、捜査当局の対応、再審要求活動、再審開始までの時間など、袴田事件の時と比べると突っ込み処は多々ある。しかし、観終わって己を信じて行動すれば道は必ず開かれるというメッセージが伝わってくる。胸を打つ。
映画は時代を映す鏡である以上、作品にとって公開時期も作品評価の一つになる。冤罪をテーマにしたエンタメ寄りの作品を公開するならば、現実社会で結実した袴田事件再審無罪確定という時期との時間差を十分に考慮すべきだろう。
信じる
感動した。涙があふれた。
目力
横浜流星の目力に引き込まれる。
目的を達成するために姿や佇まいを変化させながら目立たないように生活しているのだが、相手に気付かれそうになった瞬間の「目」にドキッとさせられる。
行く先々で懸命に生き、人のために働きかける主人公をみていると犯人ではない、ではなぜ逃げるのかと考えながらみた。
人に対して真摯に接すると自分もまた信頼される存在となる。それが、ラストに繋がっていく。
それにしても、冤罪によってしなくてもいい苦しみを味わうことになった主人公が哀れでならない。現代は大分工夫され、そのようなことはなくなったと思いたいがどうなのだろう。
原作のラストとは違うらしい。是非読んで確かめたい。
流星侮りがたし!彼の魅力でムリ目のストーリーを全て呑み込んだ🎶
きれいな顔と清純な心と過酷な運命・・の、男子
冤罪で死刑囚になった青年(横浜流星)が脱獄し、名前を変え顔を変え職業を変えながら各地を転々とする間に色々な人々と出会い・・という話だが、正直「別人」になっているとは言い難い。髭面の時以外は、顔はほとんど変わっていない。まずはその点からはじまって、ありえないと思う点が多いし、なぜ逃げた?という問いにも驚くような答えがあるわけではない。
というわけで、主人公が逃げ切れるかどうかのサスペンスを描いた映画ではない。優しい心と優秀な頭脳と美しい顔を持ちながら、考えられぬような不運に巻き込まれた青年の、文字通り生き延びるための逃走の日々。そして彼に出会い、一人の人間としての彼に好意をもち、彼の「正体」をほぼ分かっていながらその無実を信じようとし、(結果的にそうなっただけの場合もあるが)彼を応援しようとする人々の物語。
主人公は別に人を洗脳するような特殊な能力を持っているわけではなく、もともとはおとなしくて、ちょっと危ないほど他人に対して優しいというだけの普通の青年だ。しかしその美しさも含めた人間的魅力によって、出会う人々に予想外の行動をとらせ、彼ら自身の生き方にも多大な影響をもたらす。彼を追う刑事(山田孝之)も、生き方にまで影響を受ける周囲の人間の一人だ。
主人公を演じた横浜流星は、「人々がその「正体」に気づいてもなお、彼の主張を信じて彼を応援してやろうと思うほどに魅力的な人物」をつくりあげるのにギリギリ成功したと思う。それも、隠しきれない圧倒的な光り輝く魅力をもつ人、というのではなく、おとなしく控えめながら、実は顔も心も驚くほど純粋で美しい、といった人物像だ。
大人しくて顔がきれいで心が清純、でも過酷な運命に翻弄されている、・・って、古典的ドラマの悲劇のヒロインそのものである。男性(ゲイではない)がその役どころを担っているのが、2024年の映画らしい。
横浜流星はただのイケメンではないと思ってたけど、やっぱりそうだった!
映画観てからしばらく経ってからのレビューです。
どんな言葉を書いても自分の感じたことをそのまま表現できない気がするので、なかなか書けずにいました。
七変化しながら逃げていた彼を、関わった人が守ろうとしたことの意味
信じたかった彼を守りたかったのかなと…時間がかかったけれど、そう思いました。
最後の面会のシーン、涙腺崩壊です。
思った以上にいい映画です。
もう一度観たい!
実写化不可能な作品はない。藤井道人監督が伝えたい正体は何か?
📚️あらすじ
凶悪な殺人事件で服役中の鏑木。彼は日本中を逃亡しながら、新しい自分を作り上げる。正体不明であ
る。工事現場の不法就労者、フリーのコピーライター、魚工場、そして介護士。それぞれに正体に目的があり、共通していることは関わった人が鏑木という人格を好きになる。彼はなぜ刑務所から脱走をしたのか。
📚️考察
・キャスティングが完璧ですね。
・自分がやってないという強い信念が勝利に導いている、冒頭の脱走の為の行動はなかなかできない。
・日本の警察は現場に駆けつけるのが早いのは、交番という機能であり、検挙率が高いのはクロージングを早く求められている。日本の司法は凶悪な事件ほど冤罪が起きやすい仕組みになっている。
・控訴は一人の力ではそう簡単にできない。駆け出して味方を作らないとできることがない。
・信じることで自分も変わるきっかけとなる、信念とは何か。諦めた時はもう一度信じて見ると違う景色がある。
📚️学び
・人が人を裁きからこそ過ちがあり、過ちは正さないと行けない。
・自分の行動が一人でも多くの人を動かせたら世界を信じてよかったと思っていい。
今に実写化不可能な作品はない。作品をどう世の中に伝えるかで成功か失敗かが現れる。
藤井道人監督が正体で伝えたいこと
・日本の司法
・生きる権利と場所は一人一人にある
・人を信じること
・裁きにどう向き合うか
信用する大切さを感じました。
タイトルなし(ネタバレ)
記憶に新しい袴田事件や、一家殺人では免田事件などを連想します。が、自白強要と警察側の決めつけで事が運ばれた時代とは異なり、あまたある防犯カメラや検証技術の発達した現代(多少は過去の話ですが)で設定しているこの物語において、ちゃんと検証すれば鏑木(演:横浜流星)が有罪になる可能性は低く、逆に最初の逃走時から最後まで、度重なる警察側との乱闘で、当事件は無罪となっても新たに公務執行妨害、監禁、殺人未遂が適用されるのではないかと思いました(冤罪となると全て免除でしょうか?)。法律意識もある人物設定ゆえに、この辺の行動に矛盾が見られ、米国なら射殺されて終わりでしょう。そうならなかったのは又貫(演:山田孝之)の悔恨と鏑木の戦闘力(笑)に他ならないと思いますが。
袴田事件で数十年の間、袴田氏を信じ続け、検察と闘ってきたご家族のパワーは測り知れないものですが、この物語で、鏑木と半年も関わっていない他人が鏑木を支えたパワーは何か。紗耶香(吉岡里穂)の鏑木への恋愛感情と、父を有罪とした法廷への復讐心、舞(山田杏奈)と野々村(森本慎太郎)は友情・尊敬と、鏑木を追い詰めさせた後悔の念? だとしても弱すぎて闘いきれないでしょう。ですが、この軽さ弱さを助けるように真犯人が現れ、更に事件目撃者が正気を取り戻しだし「冤罪確定」へと傾き始めます。そして終盤、観る側誰もが無罪と信じて進む判決シーンは無音の演出。
(まさか…)
そう思いました。ここでまさかの再審棄却の判決であれば、この世の矛盾や不条理、警察の闇を訴えるメッセージ力ある最高の演出だったのですが、そうならずにハッピーエンド。結局この物語はなんだったのだろうか。
とはいえ、後味悪くないのは、横浜流星さんは優しくカッコ良く、吉岡里帆さんは優しく美しく、山田孝之さんは先週観た「十一人の賊軍」とは一転したダンディな面が観られたから?
いろいろ突っ込みましたけど、それを覆す三人の要所要所の演技は素晴らしいものでした。
冤罪事件で感動ポルノ
冒頭は良かったと思う。
映画が始まって最初に観せられるものは、インパクト抜群なスプラッター映像。
観客に「こいつ何してんだ」と興味を惹かせつつ、そこから「刑務所からの脱走」という現実には不可能そうに見える展開に対し、圧倒的演技とリアルな映像によって「これなら本当に脱走できてしまうかも」と納得せざるを得ない作り。
その後、警察が死刑囚を脱走させてしまったことに関しての記者会見を開く場面になるが、ここで刑事の主観視点になるのが新鮮。
スクリーンの端から端まで大量のマスコミが映し出され、あちらこちらから質問攻め。
警察が世間からとてつもない重圧を受けていることがよく伝わる演出だったと思う。
ここまで観た時は映画への期待感が非常に高まったんだけど…
映画後半になると劇場からすすり泣く声があちこちから聞こえてきたので、きっと感動していた人が多かったのだろうと推測。
ドラマパートでの役者の演技は素晴らしく、感動する人がいるのは理解できる。
ただ、映画が進むにつれて個人的に疑問に感じることが増え始め、後半は一人でずっと腕組みしながらしかめっ面で画面を凝視していた気がする。
まずずっと気になってしまったのは「街中の監視カメラ、どうなってるの?」ということ。
今どき、警察が総出で街中に張り巡らされた監視カメラをチェックすれば、逃げた犯人の逃走経路なんて簡単に掴めそうな気がするんだけど、違うのかな?
一度だけならまだしも、何度も逃げられるなんてあり得るのだろうか?
そもそも、発端となった冤罪事件だって、事件現場周辺の監視カメラの映像をチェックすれば、簡単に真相が掴めそうな気がするが…
現代が舞台の犯罪をテーマにしたドラマを作るなら、そこへの配慮は必要不可欠だと思う。
次に気になったのは、主人公がイケメンで無いと今回の話は成立しなそうということ。
出会った女性たちが、たいして話をしたことの無い主人公・鏑木に積極的に力を貸してくれた理由、それは「鏑木を演じていたのが横浜流星だから」であるようにしか見えず、もし見た目がイマイチな青年だった場合、女性が一人暮らしの部屋に住まわせてくれたり、休日を潰してわざわざ地元を案内してくれただろうか?
女性たちが、鏑木が世間を賑わしている「脱走した死刑囚」と知った後も鏑木のことを信じ続けていたが、そうした理由も「イケメンが悪いことをするはずが無い!」と思っているからにしか見えず。
「イケメンだと人生有利!」ということを描きたい話では無いと思うので、イケメンなことがむしろノイズに感じた。
ついでに言っておくと、女性編集者・安藤が仕事上弱い立場である鏑木を飲みに誘い、鏑木が酒に耐性が無さそうなことを認識しながら無理矢理飲ませ、酔いつぶれた鏑木を安藤は一人暮らしの部屋に運んでいたが、吉岡里帆と横浜流星が演じていたから問題なさそうに感じるが、もし男女入れ替えて同じようなことが起きたとしたら大問題なのでは?とは思った。
個人的にこの映画で一番問題に感じたのは「冤罪事件」の扱い方。
後半に「足利」という登場人物が出てくるあたり、有名な冤罪事件の一つ「足利事件」を意識しているのは間違いないと思う。
警察が事件を捜査する中で「こいつが犯人に違いない」と断定した後だと、冤罪の可能性なんてものは無視するようになり、何が何でも有罪に持っていこうとする。
この動きは実際の警察でも起きていることで、その通りだと思った。
だけど、実際には冤罪事件を引き起こすような警察や検察はもっと極悪。
拷問に近い取り調べによる自白強要、証拠捏造、文書改ざんなどなど。
現実の冤罪事件を匂わせるなら、そこまで描いてほしかった。
あと、冤罪事件には必ず別に真犯人がいるわけだが、そいつは死刑になってもおかしく無いようなことをしておきながら、運が良いことに他人が罪を被ってくれたおかげで自分は無罪。
大人しくしておけば無罪のまま人生を送ることができるはずなのに、再度同じような事件を引き起こす可能性ってあるのだろうか?
頭悪すぎでしょ。
何が言いたいのかといえば、この映画の後半のような展開は、現実ではまず起こらないということ。
後半の展開はご都合主義に感じた。
「凶悪犯罪における冤罪」と「痴漢冤罪」を同一視するような描き方も疑問を感じた。
この二つは似て非なるものというか、それぞれ問題点が別だと思うので。
藤井道人監督の今までの作風を考えると、監督は現実に起きている冤罪事件の問題点を描きたかったのではないかと勝手に推測するが、それにしては本作はフィクション度が高すぎるように感じた。
この作りだと、冤罪事件における問題点はそっちのけで、冤罪事件はあくまでドラマを盛り上げるための道具に過ぎず、観客の涙腺を刺激するため、濡れ衣を着せられた人間を悲劇的に描いているだけの感動ポルノといった印象。
感動してる人はこれで良いのかもしれないが、個人的には本気で期待していただけに非常に残念。
意外にストレートな物語
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