「正しき行動」正体 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
正しき行動
見応えあった。
18歳の少年が冤罪により死刑判決を受ける。
その根拠が、精神錯乱状態の目撃者の証言と警察上層部の思惑だ。
松重さんがめちゃくちゃいい仕事してくれてた。
おそらくならば年に数万件起こる事件の1つで、組織としてはどの案件に対しても時間を割きたくないってのは本音なのだろう。
ただ、僕らは数万分の1の人生など歩んではいないし、人生を謳歌してもいない少年が国家によって殺される謂れはないと思われる。
この、ある瞬間から世間と隔離された少年を横浜氏は熱演してた。
純真で臆病で孤独で、何も戦う術を知らない心優しき少年だったと思う。
彼は脱獄し逃亡した理由を「正しき世界だと信じたかったから」と言った。
ファンタジーだとは思う。
正しき世界は推奨はされるものの容認はされないものだと思われる。作中同様、正しき事より都合が優先される。ただ…足掻く事は出来るんじゃないかと思う。
正しくない世界で正しく生きようとする為に。
今作においても発端は「発言」だ。
状況や立場は異なるも、それが何に由来してるかで未来は変わる。鏑木がそうであるように、彼は僕ら自身が置かれている境遇の極端な一例である。
風評や噂、思い込みで真実は変わるし揺らぐ。
作中、マスコミの報道が度々流れる。それを視聴する市民の反応は御多分に洩れず一律だ。
当然だと思う。
アカの他人だ。
いい人だろうと悪い人だろうと関わりがない。
報道の真偽に関しての興味など湧く訳がなく、公の機関が貼り付けたレッテルに疑問を抱く事もない。
たぶんコレは日常的に起こりうる。
その本質よりも発信した誰かとの信頼度に委ねられる。非対面故に起こりうる事だ。
今作は「対面」による交流を色濃く描く。
見も知らない誰かを知る事の大切さ、でもある。
その本質は偏見や先入観に左右される事なく、ある程度は肌で感じないと分からないのだ。
SNSとかで声高にに主張する個人の主観に踊らされる程愚かな事はない。
本作のメッセージはまさにソコにあるのではないかと思われる。誰かの価値観に追随する事の愚かさを描いているように思う。
流布された印象を疑わない大衆と、目の当たりにした人達の印象の差。
その差は人1人の命をも左右する。
そんな時代にもう突入している自覚を持たねばと思う。
だけど、自分も含め人は嘘をつく。そして騙された経験がない人は皆無だろうと思う。
偏見や先入観をもつ事はある種の防衛本能でもある。その人の本質よりも自分達の方が大事なのは自明の理であるが、その天秤が常に付き纏う事も忘れてはならないのだと思う。
本作ではそういう現代が陥っている脅威と共に、人間の内面的な普遍性のあるテーマが上手く融合していると思われる。
アクションの面においても、ベランダから飛び降りた鏑木が、川にダイブするまでを1カット風に描く事に見事に成功している。
アクセントとして申し分ないし、自分を封じ込めようとする社会を振り切って必死に逃亡する主人公の心理を見事に表していたと思える。
惜しむらくは、痴漢の冤罪から立ち直ったであろう父親のエピソードが足りなかった事と、裁判で孤児院の院長のカットがなかった事だ。
鏑木にとっては母親同然なんじゃなかろうかと思う。あの編集だと鏑木はその存在に目もくれてないように思えてしまう…鏑木的に重要な人なのに、作品的には重要ではないのだろうな。介護施設の同僚よりは遥かに深い繋がりのはずなのに…残念だ。
疑問なのは、刑事と鏑木の面会がどのタイミングだったのだろうかと、ふと思う。
おそらくは会見の前で、鏑木との面会を通して、上層部の意向を無視し再捜査を発表したのだと思うのだけれど、そうであるなら鏑木の態度が不可解に思う。
なぜあんなに晴れやかで、刑事に対し感情が180度変わったのだろう?
「何を話しても信じてくれないだろう」
包丁を突きつけた時の感情は、再逮捕された時も変わってないんじゃいかと思う。
彼と刑事がなんらかの邂逅があったシーンもなかった。編集上は鏑木との面会は分断されていたので流れを損なう事はなかったのだけれど、少し気にかかる。
後は…その後の又貫の行動が気になる。
彼は冤罪が確定した後、真実を彼に話すのであろうか?
実質的に彼を犯罪者に仕立てあげたのは又貫だ。
上層部の意向に逆らわず、錯乱する被害者から言質をとった。その内情を全て知る又貫は、彼に何を語るのだろうか?
それともやはり語れはしないんだろうか。
方向転換したとはいえ、鏑木を処刑台に送る先鋒を務めていたのは間違いない。
彼をすんでのとこで正しき行動に導いた彼の良心はどんな決断を下すのだろう。
…そう、組織に良心などはない。
あるのは滞りなく業務を遂行する為のシステムだ。個人の良心はこのシステムに踏み躙られる。
また良心の呵責があったとしても、それを英断にすり替える文法や理念も装備し、同僚や上司という共犯者にも事欠かない。一連托生な構造。
又貫はその良心を潰させなかった。
つまりは、この正しくない世界は個人の良心によって是正する事もできる。
でも、その良心を屈服させるシガラミや都合は魑魅魍魎の如く溢れているのが現状だ。
ただ1つ。
人の命を左右する局面においては、正しき行動がとれる勇気を持っていたいと思う。
SNSで誹謗中傷を繰り返す輩に言ってる。
肩書きに乗せられて賛同する輩に言ってる。
長い物に巻かれ過ぎて麻痺している輩に言ってる。
鏑木になってから気づいても遅いし、鏑木を作る側に立っているのは間違いだと思う。
自分の目で見て感じたものを、まずは吟味するべきだと思われる。
終盤、沙耶香が彼の名を呼ぶ。
「鏑木慶一くん」
その一言に涙する。