劇場公開日 2024年11月29日

「逃走劇のその先に灯りはあるか… 崇高なまでに純粋無垢な青年の渾身の戦いを描破した、人間讃歌ファンタジー。」正体 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5逃走劇のその先に灯りはあるか… 崇高なまでに純粋無垢な青年の渾身の戦いを描破した、人間讃歌ファンタジー。

2024年12月26日
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鑑賞方法:映画館

亀梨和也が主演したWOWOWのドラマ版を以前に観た。
原作小説は、逃亡死刑囚 鏑木慶一が転々とする潜伏先ごとの章立てになっていて、それぞれの地で出会う人の視点で描かれている。この構成はどちらかと言うと連続ドラマ向きだ。

WOWOWやNHKが短期の連続ドラマ化した小説が後に映画化された例はいくつもあるが、大抵はディテールを描けている分ドラマ版の方が優勢だった気がする。
はたして、本作はどうか。

小寺和久・藤井道人による脚本は、構成の基本は小説のままでありながら、端折るべきところを端折り、括られるところを括り、独自の設定を織り込んだ、脚色の手本のようだ。
そして、それを具現化する藤井道人の卓越した映画術に私はすっかり魅了された。

まず、アバンタイトルが見事。
事情聴取の様子が断片的に映し出される。刑事と対峙したそれぞれの参考人がどういう人物であるかは説明されないが、彼らがこれから始まる物語に重要な立ち位置で関わることを予告し、対面の刑事が「気づかなかったのか、彼の正体」と詰問してタイトルが表示される。
何とも絶妙な導入だ。

また、スリラーとしての緊迫の演出が、最初に脱獄犯だと気づかれる場面でみられる。
主人公だから無実なのだろうと観客の誰もが思っているところに突きつける、この横浜流星の不気味さ。

藤井道人の代名詞的な一本道を空撮で追う俯瞰図もちゃんと見られる。

そして、最後に判決が下される場面の演出が秀逸だ。
藤井道人の類まれな映画的演出力がここに発揮されている。

本作は社会派ミステリーに分類される作品だと思うが、藤井道人監督は一貫してファンタジーの人だと思う。
リアリズムは求めつつリアリティは追求しないのだ。
例えば、こういう殴られ方をすればこんな傷を負うだろうというリアリズムは求めても、この場面で殴るかというリアリティは深追いせず、こういう物語なのだと言い切ってしまう…そんな基本姿勢だ。(例えが悪いか…)
『新聞記者』(’19)をはじめ、藤井道人監督作品は全てそのスタンスで撮られている。

この映画は、鏑木慶一の人助けの背景で見せる社会の不条理が冤罪の惨さに集約していく原作小説から、「人に信じてもらえないこと、信じてもらえること」というテーマを導き出し、横浜流星演じる鏑木慶一を天使の如き存在に位置づけることで、救いの物語に仕立て直している。

吉岡里帆が演じる安藤沙耶香が「あなたを信じる」と言い、鏑木は信じてもらえる喜びを初めて感じる。
そして「信じること」は伝播する。

野々村和也(森本慎太郎)
酒井舞(山田杏奈)
安藤の上司 後藤鉄平(宇野祥平)
安藤の父 安藤淳二(田中哲司)
被害者遺族の井尾由子(原日出子)
出会う場面は描かれていないが出会ったはずの由子の妹 笹原浩子(西田尚美)、、、

さらに、追跡者の刑事 又貫征吾(山田孝之)

組織の一員として不本意な命令に従う刑事の苦悩を寡黙の中ににじませる山田孝之が、素晴らしい。

犯罪が絡む映画だから悪党キャラクターも登場する。三人の俳優がそれぞれ短い出番ながら物語にスパイスを効かせている。
小悪党の駿河太郎
極悪党の山中崇
巨悪党の重松豊

この映画の脚色は、追跡者である刑事 又貫を描いたことと、追い詰められた鏑木の様子をSNSでライブ配信し、多くの人がそれを見ることの2点が、原作を改変した「救いのある物語」を成り立たせ、追跡者である又貫刑事の心を動かす奇跡に説得力をもたらしている。

逃亡劇を終えて、人々が順に鏑木に面会する。
その中には又貫もいた。彼が鏑木になぜ逃げたのかを訊いた、その鏑木の答えが本作のテーマだ。
鏑木に助けられた人々は新たな未来に向かって歩き始める。
もっとも救われたのは又貫だったのかもしれない。

映画独自のこの結末には、涙を禁じ得ない。
改めて、人間讃歌のファンタジーであると強く感じるエンディングだった。

蛇足…
判決が出ている事件を警察が再捜査すると決めた場合、上訴手続きは検察が行うのだろうか、被告側だろうか。
この映画の場合、上訴手続きの期限は逃亡中に切れてしまっているだろうから、刑は確定してると思われるので、再審請求しかないだろう。
検察が再審請求はできないから、被告人(受刑者)側が申請するしかない。被告人に有利な証拠を警察が証人になって提出するという複雑な関係になる。
それとは別に、脱獄は新たな罪として裁かれるのだろうか…。

kazz
トミーさんのコメント
2025年1月15日

共感ありがとうございます。
藤井監督の姿勢の分析に共感します。基本エンタメ追求なのでリアル重視の人には否なのかもしれませんね。

トミー
臥龍さんのコメント
2025年1月5日

たくさんの共感とフォローありがとうございます。

kazzさんの映画に対する造詣の深さ、洞察力、言語化能力が本当に素晴らしくて、レビューを見ていて本当に勉強になることばかりでした。これからもよろしくお願い致します。

臥龍
光陽さんのコメント
2024年12月27日

素晴らしい分析ですね!
レビューとても参考になります♪

光陽