「サスペンスを超えた「成長と絆」の物語」正体 ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
サスペンスを超えた「成長と絆」の物語
「想像以上に心に残る作品」でした。事前に「冤罪をめぐる社会派サスペンス」だよとだけ聞いていたので、警察の問題や、法的な戦いが掘り下げられるのかと思っていました。ですが、実際にはその部分はあえて控えめに描かれ、物語の中心にあったのは、逃亡者としての主人公・鏑木慶一の生き様や人間関係でした。
鏑木が冤罪に陥った理由は警察の予断による操作。そして、冤罪が覆されるきっかけとなったのは、一人の刑事の勇気と、鏑木が逃亡中に出会った人々から向けられる好意でした。ただ、これらの描写はシンプルで、社会的な背景の深掘りにはあまり踏み込んでいません。「警察の怖さ」「冤罪の怖さ」を描きつつも、そこにとどめたのは意図的だったのでしょう。結果として、映画は冤罪をテーマにしながらも、人間ドラマとしての側面が強調されていました。
中でも心を揺さぶられたのが、鏑木が逃亡中に出会う3人の人々との交流です。吉岡里帆さんが演じる編集者、森本慎太郎さんが演じる日雇い労働者、山田杏奈さんが演じる介護施設の新米職員――それぞれが、鏑木に異なる形で信頼や好意を寄せていきます。孤独な逃亡者だった彼が、彼らとの関係を通じて一瞬でも仲間を得ていく様子には、胸が熱くなりました。これらの出会いが生まれたのは偶然ではなく、鏑木自身の誠実さや献身があったからこそ。彼が他者の信頼を得ていくプロセスは、スリリングな逃亡劇の中でもしっかりと描かれています。
主演の横浜流星さんの演技も素晴らしかったです。彼が見せる、普段はどこにでもいそうな男としての一面と、逃亡劇の中で垣間見せる圧倒的な能力――このギャップが本当に痛快でした。また、山田孝之さん演じる刑事の抑えた演技も印象的で、派手さはないのに感情が静かに伝わってくるんです。過剰な表現を避けたこの映画全体の演出は、大人の観客が心から楽しめるものだと思います。
『正体』は、単なるサスペンスを超えた作品でした。冤罪を背景にしつつ、主人公が人間として成長し、友情や愛の力を信じたくなるような物語が描かれています。観終わった後には、ただ「面白かった」で終わらず、心にじんわりとした余韻が残りました。
堅苦しさや説教くささは一切なく、エンタメとしても楽しめるし、感動もできる一作。この映画、ぜひ多くの人に観てほしいです。