「タイトルのとおり、人の本性の不可解さを描いた方が良かったのではないだろうか?」正体 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルのとおり、人の本性の不可解さを描いた方が良かったのではないだろうか?
映画のタイトルから、主人公に出逢った誰もが、彼を殺人犯とは気付かず、「人間の本性はなかなか分からない」みたいなことが描かれるのかと思っていた。
ところが、どうやら主人公は無実で、自らの潔白を証明しようとしているらしく、よくある「逃亡者」のような話であることが分かってくる。
確かに、主人公が逃亡先で出逢った人々が、主人公に感化され、彼を助けようと協力し合う姿には、胸が熱くなるものがある。
ただ、いくら警察や司法が無能だからと言っても、あれだけマスコミが大々的に取り上げている逃亡犯がうまく逃げおおせるとは思えないし、そもそも、明確な動機もなく、目撃者の証言も曖昧なのに、主人公の死刑が確定してしまうところにも大きな疑問を抱かざるを得ない。
特に、主人公が、マンションのベランダから逃走するシーンでは、階下の車の上に落下してから近所の川に飛び込むまでのワンカットの(ような)描写は見応えがあるのだが、都会の川に飛び込んでも、それで行方をくらますことは不可能だろう。
主人公の言動にしても、逃亡中の身なのに、わざわざ会社に逆らったり、ウェブ記事のライターになって(リモートでの会議ならいざ知らず)直接編集者と会って打ち合わせをしたりと、目立つようなことをしているところには違和感を覚えてしまう。
主人公と出逢った人々が、主人公を「善い人」だと思うのは良いのだが、吉岡里帆が演じる編集者が、どうして、そこまで主人公の無実を「信じる」ようになったのか、その理由もよく分からない。
確かに主人公は、ライターとして優秀なのだろうが、雨の日にネットカフェに入りあぐねていたり、居酒屋で酔いつぶれたり、料理が上手かったりするだけで、彼と同居を始めるところは「脇が甘い」としか思えないし、いくら父親が痴漢の冤罪事件に巻き込まれているからといっても、主人公まで無実であると決めつけるのは「思い込み」でしかないだろう。
この編集者のくだりは、人を「信じる」ことの尊さという、作品のテーマに直結するエピソードであっただけに、彼女が主人公を信じるようになった経緯は、もっと丁寧に描き込んでもらいたかったと思う。
主人公が脱獄した理由が、濡れ衣を晴らすためではなく、「世の中を信じてみたかったから」というところも、感動的ではあるのだが、その一方で、だったら脱獄などせず、自らの無罪を地道に訴え続けるべきだったのではないかとも思えてしまう。
何よりも、「殺人犯ではない」という主人公の「正体」を描くだけで、彼に会った人は皆、そのことに気付くという単純な話になってしまったことは、残念としか言いようがない。