フィリップのレビュー・感想・評価
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第二次大戦下のポーランド系ユダヤ人側から見た、世界と愛
ここ最近、オッペンハイマー、関心領域、アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家、
ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命、と戦争関連の映画を様々な視点、立場から観て来たが、
ユダヤ人側からの視点の映画は、こちらだけということで絶対に見たいと思っていた一作。
受け取った感情は、喪失と回復とまた喪失。そして自らが選び取ることが出来た
未来は……。
私の中では苦しくて、生きるということをここまであきらめずに居られたのは、
なぜなのだろうと思えるほどに、凄まじかった。
ラストの畳みかけるような展開は、彼自身の吹っ切った気持ちがよく表れており、
おそらく生きることよりも、感情を優先した部分もあったのだろうと思った。
生き抜くことは、運が良い事。と言い切れるのだろうか。
生き続けることは、こんなにも苦しさを伴う時代に、どうしてここまで生き抜くことを
決断できたのか。
私にはその問いが心の中に今も残っている。
オッペンハイマーではアメリカの科学者とアインシュタインの視点
関心領域ではナチスの高官たちとその家族の視点、
アンゼルムでは戦後に影響を受けた”ドイツ”にルーツを持ち、テーマにも関連するアーティストからの視点、
そしてONE LIFEではイギリスの一市民からの視点と
当事者の視点はほぼ見ずに来た。
むしろ当事者からの視点は描こうと思っても、生存者自体が語れる環境に精神状況にあるかどうかも
あるのだろうと思う。
そんな中で、ひとり。フランス人としてフランクフルトで働きながらも、
精神的な抵抗と復讐をしていたフィリップが、苦しみ、向き合い、友情を得て、失い、
そして愛とどのように出会って、結末を迎えるのか。
これは一人の物語でありながら、ひとりだけの感情ではなかったであろう様々なものを
垣間見ることが出来る、レオポルド・ティルマンドの自伝的小説を映像化した作品だった。
原作も読んでみたい。
復讐と生存の狭間で―1942年の激動を生き抜くフィリップの選択
ミハウ・クフィェチンスキ監督の作品は、ポーランドの風土とユダヤ人青年の生き様を鮮やかに描き出し、その新鮮さと感動は胸に迫るものがありました。監督は全てのキャストの表情を巧みに捉え、観る者にその場にいるかのようなリアリティを感じさせます。1942年の時代にタイムスリップしたかのような感覚を味わうことができました。
本作は、主人公フィリップの復讐劇にとどまらず、激動の時代を生き抜くために彼自身の信念を貫く姿を描いています。フィリップはフランス人を装い、ナチスの上流階級の女性たちと関係を持つことで復讐を誓いますが、その行動は一種の心理的な現実逃避や心の慰めであったのかもしれません。恋人や家族を失った彼の孤独さや苦しみが痛烈に伝わってきます。
リサとのラブシーンは、もし本物でなければフィリップは最低な男性と言わざるを得ません。それでも、この恋愛感情が彼にとって生きるための糧となり得る可能性が示唆されており、観客に深い思索を促します。
映画の最後、フィリップがリサを残して一人でフランス行きへ旅立つシーンでは、彼の選択とその後の運命が象徴的に描かれています。彼は計画通りにフランス行きの列車に乗り込みますが、その後彼がどのような生き方を選ぶのかは観客の想像に委ねられています。
人が時代を選べないという辛さを感じさせます。この映画は、観る者に深い余韻を残すことでしょう。
ナチスに対する復讐劇
物語はワルシャワのゲットーから始まる。
これからダンスが始まろうとした際に突如ナチスの銃撃により恋人サラ、家族、親戚を舞台上演中に殺されたユダヤ系ポーランド人の主人公フィリップ。
惨劇から2年後、フランクフルトに移住したフィリップはホテルのウェイターとしてプールで目にしたナチス関係者の未亡人をターゲットに娼婦として関係を持つようになっていく。それがフィリップのナチスに対する恨みを晴らす瞬間だった。
リザとの出会いを機に変わる姿が印象的だった。
本物の愛に芽生え偽物だった愛情もリザと関係を持つようになると自然と本来のフィリップに戻っていた。だから嘘をついていたことをリザならカミングアウトが出来たのかもしれない。
それが変わってしまったのが同僚で親友のピエールが理不尽な理由で銃撃されたことだろう。
娼婦になることがナチスに対する復讐ではなく、形にすることだと芽生えてしまったフィリップは最終的には銃を取りホテルのナチス関係者達が集うパーティー中に建物内のバルコニーから銃で身構えると複数名を撃つという惨劇を起こした後に、パリ行きの列車に乗りフランクフルトを離れる。
惨劇を起こす前にフィリップはリザの家に訪れリザに別れを告げる。フィリップがリザと別れたい理由を告げたときは明らかに嘘だというのは明明白白だったが、今度こそは復讐するんだと決めたフィリップの意志は固く揺るぎはなかった。
歴史的傑作になりそうでなれない理由
ナチスドイツとユダヤ人を描いた数多くの作品の中でも、
歴史的傑作になり得たのに、そうなっていない、
非常にもったいない作品だ。
どういう事か。
大きな理由は、
メインプロットとサブプロットの葛藤の描き方が曖昧なことだ。
前半でドイツ人将校のコーヒーに唾を入れるシーンからラストに至るまでのフィリップの気持ちはどこにあるのか、一定程度をみせる展開は、
悪くはない。
それがクールでフラット過ぎると他のサブプロットが効いてこない。
例えば、
ポーランドに強制送還されることと、
アウシュビッツ強制収容所に強制的に送られることの違いや意味、
時期など、曖昧な点が多い。
仲間が目の前で連行され、処刑され、
自らを撃つなどの状況におけるフィリップの気持ちは基本的にフラットに描かれている。
重ねて、
フィリップがドイツ軍に捕まらない、撃たれない、処刑されない理由がドイツ軍を騙しているなどの微妙な差があるはずだが、
それもフラットに流されていく。
なぜフラットになるのか。
それは各シーンをカットを割らずに、
ステディカム(軽量のジンバルでスピーディにパンしながら)でかっこいい長回しを多用しているため、雰囲気しか伝わらない。
なので、
フィリップの無念さ、怒り、葛藤が映画的に積みあがっていかない、
もちろん歴史的に類推するととんでも無い怒りが積みあがっているはずだが、その差が、違和感が、観客をスクリーンから遠ざけていく。
一方、リザとのキスシーンなどは、
ちゃんとカットを割って気持ちの描写や葛藤を描けている。
カッコいいカメラワークの雰囲気が良いと感じる人もいるだろう。
しかし、更にもったいないシークエンスは続く、
右手を掲げてドイツ国歌を歌うシーン、
子どもの歌声も含めて、
本来なら震えるほど怖いシーンのはずなのに、
そう感じられない。
そしてラスト。
この映画のラストを描くのであれば、
フラットに10話くらいのドラマとして描く、
あるいは、
サブプロットを取捨選択し、
流れるようなかっこいいカットを減量して、
フィリップの個人の感情や周囲の仲間、
レジスタンス(幼馴染のレジスタンスも効果的に描かれていない)を細かく描けば、
歴史的傑作になっていたような気がする。
検問の軍人?に、
最後、
「oolala・・・・・・」
何て言われんだろう・・・
【蛇足】
ポーランドの国立映画大学の視察時、
学長が言っていた。
学生達は成績優秀、技術は高いのですが、
突き抜けた作品を製作する学生は少ない。
映画大学の功罪です、
心の傷みや魂の叫びを個人の頭の中で完結してしまう作品が多い、
キェシロフスキー、スコリモフスキー、
ワイダのような人材はなかなか出てこない、と。
戦争は本当に嫌だ
ナチスドイツ絡みの作品は色々あって、それぞれ攻める側、防衛する側、反攻する側、逃げる側などなどですが、これは出自を偽ってドイツに暮らすポーランド出身のユダヤ人の物語、大戦の状況がどの時点化はよくわかりませんが、連合軍の空襲はありながらも、まだドイツ軍がブイブイ言ってる頃のようですね。
人々の行動にはまだ敗戦の影は迫っていないようで、だからこそドイツ民族以外への迫害は酷いもの、そんな中、ポーランドで恋人を殺されたフィリップはフランス人としてしたたかに暮らしていて、心の中に不安を抱えながらも強さを感じさせてくれました。
彼の本当の目的はよく伺え知れなかったし、ラストへ向けての展開も真意は何処にあったのかは明らかにならないので、これは観る人の感性に委ねるということなのかな。
戦争の作品を観れば観るほど、人の想いなんか全く無視して狂信的(妄信的?)に一つ方向に向かってしまう、恐ろしくて嫌悪する世の中になってしまう。
部隊の一部であるポーランドは今も難しい立ち位置にいて、過去からずーっとそんな嫌な遺産を抱えている国なのですね、そんな歴史を感じさせてくれる作品でした。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 人類の愚行・汚点としてナチ映画は今後も作られ続けるだろうが、本作もあの狂った時代を切り取った叙情詩としてなかなかの出来。リザとの恋愛とラストの結婚式はフィクションだろうけど。
※2024.06.30. 2回目の鑑賞。《MOVIX堺》
1回目の鑑賞の時、前半所々寝落ちしていたため今回がフルでの鑑賞。
①クライマックスの披露宴パーティーで(ドイツ人の)全員が「ハイル・ヒトラー」の姿勢でドイツ国家を斉唱するシーンはスクリーンならではの迫力と不気味さが拮抗する。
でも、日本も先の戦争ではコイツらと手を組んでいたしなぁ、と思うと複雑な気持ちになる(ユダヤ人迫害・虐殺の実態は知らなかったにせよ)。
②フィリップの様な人は沢山いたと思う。前線に出ている軍隊上層部の夫人達をSEXで骨抜きにして夫をひいてはドイツ民族を貶めるという復讐方法を取った者という意味ではなく、家族・恋人・友人を殺され復讐を誓った・願った人達という意味で。
ただ、殆どの人達は行動にうつすうつさないに関わらず収容所に送られて殺されただろうけど。
そうならなかった人達も隠れたり逃げたりした人々が殆どで、あとはレジスタンスや暗殺に荷担したか。
フィリップの様な復讐方法を取った者も中にはいたかもしれない。
でも、本当に大事なのは、そういうことをした人がいた、これは実話だ、ということではなく、人類が持つ負の部分(人類なんて元々混血で出来ているようなものなのに純血主義なんて馬鹿馬鹿しい考えに囚われることー日本人もそういうとこ有るよねー、自分の民族が他の民族より優れているという思い込みー日本人にもそういう人いるよねー、権力欲、覇権欲、驕り、不平不満を他社のせいにする、強いものには巻かれよ等々)が不幸にも積み重なればナチスドイツのような蛮行に走るということ。
それは決して過去の話ではなく未来にも起こるかもしれないし、イスラエル・パレスチナ問題もユダヤ人迫害の歴史がその要因の一つであるように未来に禍根・問題を残す。
願わくは未来に人類が愚行・蛮行を再び起こさないように、このような映画を作り続けて映画という形で語り継いでいかなくてはならない。
③ところで、リザ役の女優さん、キレイなうえにレイチェル・ワイズに似ているけれども、レイチェル・ワイズもドイツ系なのかしら。
現代のイギリス王家もドイツ系だからイギリスには結構ドイツ系の人が多いのかもね。
臨場感があってよい。
エピソードゼロ的な
復讐の為に虎視眈々と大きな事件を起こそうとドイツに潜伏してるのかと思ったら、ただドイツ女を辱めて自己満足してるだけのオニィちゃんだった。
逃亡を手助けしたくれた人の自◯(理由不明)、ホテル給仕の同僚達の姦通や窃盗での処刑、かつての知り合いのポーランド人女性がドイツ人将校を暗殺した事などを機にドイツから脱出する。
60年代に発禁になったご本人の自伝小説なので実際の話としてはここまでなんだろうが、フィクションだとしたら本作がエピソードゼロで、この後からナチスを翻弄するスパイとして活躍とかになったらいいのにとかw。
主演のエリック・クルム・ジュニアはノペッとした顔で決してハンサムではないが、スタイルが良く結構なマッチョなので制服やジャケットがよく似合うが、何と言ってもパン1姿が映画史上最高にヤラシ過ぎ。
相手のドイツのお嬢様役の女優さんはウィノナ・ライダーのドイツ版みたいに清楚な感じだがお尻が綺麗で非常に魅力的だった。
あの時代のドイツの純血主義ってあそこまできっちりしていたとは知らなかったが、やたらチェーンスモーカーの多いこともビックリだった。
マルチリンガルだと可能性も広がる
フィリップの同僚達の出身国チェコ、オランダ、イタリア、そしてフランス、ポーランドと言えば現在真っ最中のサッカーユーロ2024出場国。試合を見ていて選手の顔だけではどの国かわからんなーと思っていたところだった。
フィリップはポーランド出身のユダヤ人であることを隠しているけれど見破る人や昔の知人など事実を知っている人がパラパラと存在していて、嘘をついているからといって即通報ということはないのだった。
ナチにフィアンセを目の前で、また家族も殺されて、フランクフルトに行きフランス人の一流ホテルの給仕としてドイツ人女性を弄んでは捨てることで復讐をしているフィリップだが、プールサイドで親友と賭けをしてナンパしたドイツ人女性リザ(可愛い)には本気になり、一緒に夜行電車でパリに脱出して新しい生活を送ろうと頼む。しかし当日空襲があって実行出来ず、翌日、親友と一緒に職場からくすねたワインボトルを見つかって親友が銃殺されてしまう。そこで耐えきれず、上司に向かって「俺はポーランド出身のユダヤ人だ、殺せ!」と繰り返し叫ぶ。本気にされず疑われさえしなかったが、フィリップの中で何かが変わってしまい、リザにパリに一緒に来るな、別れよう、遊びだ、と告げに行く。職場のホテルに戻ると同郷の女性がパートナーと共にドイツの上官?を殺害した現場を見る。そこで銃を拾い、結婚披露宴パーティーで浮かれ踊る金持ちドイツ人達を陰から数人百発百中で銃殺し、一人パリ行きの電車に乗りに行く。
ナチを描いた映画は多いが、その中でも変わった趣の作品。
フィリップ役がもう少し好みの顔だったらな〜…。
己の特性を生かした個人でできる抵抗運動
些細な諍いからのドイツ人の銃乱射で、妻も家族も友達も失ったユダヤ系ポーランド人フィリップの復讐が、ドイツの出征兵士の妻と寝てめろめろにしたところで捨てること。
チャラいオトコが己の特性を活かした復讐を思いついたもんだとちょっと感心したが、ユダヤ人は割礼するので寝たら一目瞭然。相手の女が密告したらそれまで。大変危ない綱渡りだ。命がけの復讐ではないか。
もっとも、女には外国人と通じたら、刑罰があったかどうかはわからないが、夫に大変な不名誉をもたらす上に自らも少なくとも社会的に死ぬので漏れないように口をつぐむ確信はあって、そこにつけ込み「俺はユダヤ人だがなにか」とS的に開き直ってドイツ女を言葉でいたぶってつれなくする。自分の魅力にも確信があるプロのジゴロみたいで、はあ、確かに復讐っぽい。社会に直接インパクトはもたらさないかもだが、個人でできる抵抗運動を地道に続けているのだ。
女を罵倒しながらフィリップは、自身の脳内の恨みつらみをそこに込めていたように思う。
フィリップは夜中にホテルのボールルームで激しく運動して内面のもやもやを発散していたが、これは肉体を維持するのにも役立っただろう、「レッド・ロケット」の自身の仕事に誇りを持っているAV男優が、魅力的な肉体を維持するのが肝要と言ってエクササイズを怠らなかったのを思い出した。
フィリップを支援していたポーランド人工場主とはどういう関係だったのか
冷たいニンゲンに見えたフィリップが、親友を殺されたことに静かに激昂し、祝宴で大騒ぎするドイツ人を、喧騒に紛れてひとりづつ撃ち殺していくところに、彼の憎しみ恨みが込められているのを感じた。
とりあえずパリ行きの列車に乗れたようで良かった
リザを本気で愛しているほど、一緒に逃げる選択肢はなくなると思う。
何度も逃避行の決行が阻止されたのは、きっと天の思し召しだ。
彼は要領の良い人で生きる能力が高い。度胸があり頭が良いのだと思う、イケメンだし。
その才能があってこそ、最大限活用して戦後発禁本を出版するくらい生き延びたんだと思う。
ホテルというのは人間模様の交差点のようなところで、当時のフランクフルトの社会の縮図が見られたようで面白かった。
外国人従業員の間にも国籍、人種により微妙に差別意識があるよう。
フランクフルトは土地柄中央から離れていて色々緩いのかもしれないが、ナチス高官なら法で禁じられている同性愛もOK、ナチスは軽い気まぐれや思いつきで外国人に発泡、殺人に至るが切り捨て御免、簡単に処刑して理由はこじつけ上等、やりたい放題。そしてドイツ人は当時の特徴的な高慢な選民意識で足の先から頭の天辺まで満たされているようだ。
人が集まれば挨拶は右手を掲げて「ハイル・ヒットラー」
華やかな祝宴の席ともなれば国歌の演奏に合唱し統一感が盛り上がり高揚感が一気に高まる、まるでカルト教団。
下層の外国人従業員の眼の前でこれをすることは、彼らにとってみせつけであり自分たちの特権階級ぶりと優越性を再確認することであるのだろう。
そもそもナチス・ドイツ自体、ヒトラーを教祖と仰ぐカルト教団と言って良いのではと思う。
出版した当時は発禁になるくらいなので相当センセーショナルだったのは分かるが、今の時代に映画化されてもあまり響いてこない気がする
ホテルの内部やフランクフルトの町並み、人間模様などはなかなか楽しめましたが、ステレオタイプのホロコーストものではない、変化球的な興味だけでみるにはちょっと長尺かなと思いました。
駅で、パリに行く人(生きる人)と前線に行く人(死地に行く人)があんたはこっち、あんたはそっち、と事務的に二手に分けられるシーンが延々と続くところ、生死が無造作に分かたれているようで儚さというか切なさというか、やるせないものを感じました。
雄蕊と雌蕊
恋人を殺されたユダヤ人が、ドイツ人(主に女性)に復讐していく物語…と言えば聞こえはいいんですが、その復讐は大体ヤリ逃げで、自伝的作品というのもあって、こういう事が実際にあったんだなぁくらいにしか思えずで作品は全体的にのめり込めませんでした。
何人かは簡単にヤリ逃げで過ごしたのに、リザという女性はめっちゃ惚れてきて、フィリップも惚れちゃって関係性を続けてしまうのに、終盤での同胞の死によって、それすらも投げ出して、見事なのか適当なのか分からない発報をして何人か撃ち殺しての脱出という幕切れもなんだか1本の映画を通しての面白さが感じられずに残念でした。
性行為をするシーンだけは謎にダイナミックに撮られていて、ここ拘ったんだなぁとニヤリとしてしまいました。
キスをしない心情で聖行為を続けていくという拘りもとても良く、それを破ってしまうくらいリザにはハマっていたのだなと物悲しくもなってしまうシーンも見どころでした。
エリック・クルム・ジュニアの演技はとても良く、決まっているところはどれもキリッとしていましたし、サラッと突き放すシーンとかの残酷さも良かったですし、友を亡くした時の絶叫はそのまま爆発しちゃうんじゃ?ってくらいの怒りと悲しみに満ちていて最高でした。
復讐劇としてはスケールが大きくなく、淡々としていて見応えは薄いですし、正直思っていたよりかは過激でもなかったのでちょい残念でした。
こういう作品に触れられるのは良い事なんですが、もう少し教養があればなんて考えたりもする昨今です。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 13:40〜15:50
座席 A-3
ジゴロ映画
1960年に出版直後に過激な性描写のためかドイツ人女性を侮蔑する内容のためかよくわからないが、発禁処分となった小説を60年経って映画化。
女性向けのR15映画?
主人公の膝の上のヒロインのお尻のくぼみは確かに美しくエロかったけど。
ハンブルクの高級ホテルのレストランで働く外国人のフロア係は夜中にひとり宴会場でストイックに肉体を鍛えるギャルソン。昼間は戦時下とは思えないリゾート感に溢れるプールサイドで友達とチャラいナンパに明け暮れて、次々と多数の女性と速攻でいたすシーンが続く。女性たちの区別がとてもつきづらい。
本命のドイツ人女性は写真技術研究所に勤めるお嬢様だけれども、南米やスペインの血が濃いようなサルマ・ハエックを清楚にしたような女優さん。
最後の方は彼の身元を知っているポーランド人女性やナチス将軍の娘の婚礼パーティー中にホテルの部屋を用意してくれと言ってくる女性がドイツ将校の公妾なのかスパイなのかもよくわからない。
最後ブロンドヘアを切られてしまうピエールとも仲の良かったドイツ人女性は性格も良いイイ女だった。彼女がいちばん可哀想だったな。1939年ものの高級ワインの名前はなんだったけ?
ワルシャワのゲットーでナチス統治下で歌や踊りの集会を開いていて、些細なインネン銃乱射により殺戮される冒頭シーンも、だったらおとなしくしてればいいのにねと思ってしまう。
その後、主人公がドイツのハンブルグに偽フランス人として渡り、職を得るのだが、裏で画策してくれる大物人物(強制労働の工場主)が銃で自殺した動機も他殺なのかもよくわからない。ただ彼が用意してくれた偽造パスポートがパリヘの逃亡に役に立ったのはわかる。
自国のポーランド語のみならず、ドイツ語、フランス語に堪能な男のバックボーンはイケメンの芸能人だということは確か。ドイツ語よりフランス語のほうが多かったのも違和感。親友のピエールや絞首刑になるイタリア人のスケコマシ給仕男フランチェスカ(女の名前?)も彼を恨んで死んだような感じ。
女をメロメロにさせることを娼婦にするという字幕も違和感。
復讐というよりもドイツ人女性を騙してヤりまくるエセフランス人ジゴロ。運良く生き延びたヤリチンの話になってしまっていた。ちょっと残念。
ワルシャワで殺されてしまう恋人役の女優さんはとてもキュートでカワイイ系だった。
いやいやなんとも…
60年前発禁処分となった衝撃の書物が原作という触れ込みの映画。
60年前なら当然発禁処分当然だよね。AV男優まがいの絶倫ユダヤ男の武勇伝だかれね。
ナチスに妻をはじめ、家族と親戚を虐殺されたユダヤ系ポーランド男の復讐の話。
ナチス支配下の恐怖と緊迫の世情の中でも、いっさい縮こまることない、勇敢なる睾丸と女を虜にする巨大な棹を武器にし、貞淑なる?ドイツ女を娼婦に落としめ、捨てるというのがその復讐方法。(パンフレットには魂の解放と書かれてあった)
はぁ…いやはやはなんとも、ご苦労様。気の毒とは思うけど、全く感情移入はできなかった。
最後に、親友が殺されて、ブチギレたわりには、冷静にこっそりと銃を乱射して、男だけでなく、女子供を含む数名を殺害するのだけど、とってつけた感が否めない。本当に乱射したのかね。
その後、するするとフランスに逃げ落ちるところで映画は終わるんだけど、フランスで終戦を迎えて戦後生き延びるのだろう。
ナチスに家族を殺された人は、何万人もいたと思うけど、その一人である、主人公が、よくもこの本を書こうと思ったことがそもそも理解できない。
心のジャイロスコープが欲しくなる
眼の前で恋人や家族を一瞬の内に殺戮された者のその行状とその後のPTSD(別名: 心的外傷後ストレス障害)はいかなるものか?
事件後、復讐鬼と化したフィリップが敵地に、フランス人と称して高級ホテルウエイターとして働きながら報復するターゲットは、出征兵士の妻!
ユダヤ人として反ナチ活動としての報復ではなく、恋人を亡くした怨念よる個人的な欲求不満解消のようなニヒルな反抗。
フランスに近いフランクフルトでの緩いナチス度の統一感や高揚感が、国歌演奏に合唱で一気に盛り上がる様は異様でまるでカルト集団を彷彿させた。
身辺にも戦場と化し、身近な知人や友人がナチに処刑され反ナチ活動に自然と巻き込まれ個人的な復讐ではなく、ナチス将校を狙撃して、フランスへ旅立つ。
心の変遷と鬱屈は、肉体と精神に宿り、その異様な緊張感と萎縮感が息苦しい。
その発散がパーティー会場でのランニングと大祝賀会で爆発した。
なかなかいい作品だった。
細やかな抵抗、歪な闘いだが、一寸の虫にも魂はある。
あの長々のノーカットの慟哭は凄かったなぁ
狂乱の世界の中で、どれだけ自分を保てたろうか?
60年も発禁処分されたのだから相当過激行動があったと思われる。
なにしろホロコースト、ゲットーの実話なのだから。
そう言えば、日本の銃後の夫人などに近い話も散見する。
(^o^)
フィリップ
劇場公開日:2024年6月21日 124分
ポーランド人作家レオポルド・ティルマンドが自らの実体験を基に1961年に発表し、
その内容の過激さから発禁処分となった小説「Filip」を映画化。
ナチス支配下のポーランドとドイツを舞台に、自身がユダヤ人であることを隠して生きる青年の愛と復讐の行方を描く。
1941年、ワルシャワのゲットーで暮らすポーランド系ユダヤ人のフィリップはナチスによる銃撃に遭い、恋人サラや家族を目の前で殺されてしまう。
2年後、フィリップは自身をフランス人と偽ってドイツ・フランクフルトの高級ホテルのレストランでウェイターとして働きながら、
ナチス将校の夫を戦場に送り出した孤独な妻たちを次々と誘惑することでナチスへの復讐を果たしていた。
嘘で塗り固めた生活を送るなか、フィリップは知的な美しいドイツ人リザと出会い恋に落ちるが……。
監督は1990年代よりテレビプロデューサー・演出家として活動し、アンジェイ・ワイダ監督作のプロデューサーとしても知られるミハウ・クフィェチンスキ。
フィリップ
劇場公開日:2024年6月21日 124分
身を隠した男の全裸の人生
もちろん、
見つかればユダヤ人として、また同僚は同性愛者としてガス室なのだが、
ひっそりと身を隠して生き延びた幾多のユダヤ人とは異なり
敢えて禁断の域に踏み込んだ男の、危い行為を見せてもらった。
「ユダヤ人云々」と一括りにはすまいとする意図が、この映画のプロデュースには反逆的に描かれていたのだ。
ステレオタイプのユダヤ人でない存在を通してだ。
パルチザンの組織的抵抗活動ではなく、フィリップは個人的に、パーソナルに、彼の怨嗟を生きる。
全裸になれば、彼は割礼を晒すことになる。
「密告」は女次第だ。
ガス室選別の、運任せの尾根をフィリップは歩いてみせたのだ。
600万人のホロコーストの死があったと同時に、600万の独自で異なる生が存在していた筈だ。
当たり前のことだが、そこに焦点を当てている。
そして、自暴自棄と、異常な行動にも踏み出させる「戦争の狂気」を、僕に考えさせる。
恐怖と緊張に耐えられずに自殺した工場長と、エンディングの光景 ―
フランクフルトの深夜の駅では、「パリへ逃げる市民たち」と「前線に向かうユーゲントたち」と・・
街で、ホテルで、鉄道の駅で、
あらゆる場所での《死の選別》の光景に、言葉を失う。
純愛も、戦時には死の選別を受ける。
全50件中、21~40件目を表示