フィリップのレビュー・感想・評価
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ナチス支配下における愛と復讐
冒頭のショーシーンでの惨劇から、物語にグイッと引き込まれました。
そりゃフィリップのトラウマになるわ・・・と。
この時のフィリップは甘ちゃん的なビジュアルなんですよね。
彼女にキスしまくる甘ちゃんです。
その2年後、ドイツが舞台になると、フィリップの表情も根性がすわった感じになっていて
セックスシーンも事務的というか機械的というか
もう復讐にしか生きていない感じなんですよね。それが生きる意味みたいな、そういう覚悟なんだと思います。
ただ、ドイツ人女性のリザとの出会いは、フィリップが再び恋愛感情にかられ、
好きで好きでたまらなくて、一緒にフランスへ逃げたいんだけれど、
彼女を守るために別離を告げるシーンは、なかなかつらかったです。
もともとドイツ人への復讐目的でリザに近づいたはずですが、本気で好きになっちゃったんですよね。
命の守るために別れるという決断をしたフィリップは、大きく成長しているのだなと感じました。
それにしてもナチス絡みの映画は本当によくつくられますが、
どれもこれも新たな切り口となっていて新鮮です。
私としては『ジョジョ・ラビット』を超える作品に出会ってみたいと思い、観続けております。
こういう作品を多くの方が観て、戦争がなくなる世がきてほしいと心から願います。
純血主義とチンケな復讐
当時の文化や価値観に疎い自分には、いまいちピンとこなかった。
そもそも、主人公の復讐に理解が及ばない。
純血主義を汚すというのは分かるが、フィリップと関係を持つということは差別意識が薄いのでは?
(単に快楽主義の淫売なだけかもだけど)
そんな女性を嵌めることが本当に復讐ですか??
最後の無差別発砲も含め、ピントがズレて見える。
嫌いな人間(総支配人)に自分のツバを飲ませるなんてのも、個人的にはむしろ嫌だけどなぁ…
口で「復讐」と言うだけで家族や恋人を思い出すシーンもなく、これではフィリップが猿にしか見えない。
他の女性では避けていたキスをするまでのリザとの顛末にも納得感はないし。
素人のブランカに簡単にユダヤ人だとバレたのに、そっち方面のハラハラは無し。
マレーナ関連は最後までよく分からず。
ナチス非道い、ピエール良い奴ってくらいで、フィリップやリザの心象の変化も掴みきれなかった。
冗長な会話とかホールでの運動とか、カットの間延びも気になった。
ピエールが射殺されての慟哭は凄い演技だったが、いくらなんでも長い。
全部を見せずに“先”を想起させてこそ映画では。
自伝だからフィリップは死なないし、ピエールの死は粗筋に書いてある。
細部の説明がない上に、大まかには事前情報の範囲でしかないので、“発禁”というワードの割に退屈でした。
発禁?
ナチス占領下のポーランドで恋人や家族を惨殺されたユダヤ人青年が、フランス人と身分を偽ってホテルのウェイターとして働きながら、ナチス将校の妻を次々と寝取っては捨てて行く復讐譚です。原作は、作者自身の経験に基づくお話ですが、1961年の発刊時に発禁処分となった書なのだそうです。
冷静に考えれば、「それで復讐になるのか」、「復讐というより、自分のスケベさがヤケクソで暴走しているだけでは」と思えなくもありません。でも一方で、身分が露見すればその場で銃殺なのだから、当時のユダヤ人にとっては、この個人的な意趣返しが精一杯だったのかなとも思えます。どちらも正解なのかも知れません。
それより不思議なのは、このお話のどこが発禁処分の対象になったのか分からない点です。それほど強烈なスケベでもないし、ナチスを扱った物語でもっとエグいお話は幾らだって世に出ています。その辺の機微が掴めないと言う事は、当時のナチスが人々に残した傷をまだ理解出来ていないと言う事なのでしょうか。
フィリップの賢者モードに驚愕!
主人公はポーランド系ユダヤ人フィリップ(エリック・クルム・Jr.)。
妻を殺された復讐のため、ホテルの給仕をしながら、ナチ将校の婦人らを次々にヤリ捨てにする、というぶっ飛んだ設定。
今作の魅力は、何といっても主演の演技力。
ゲットーでの妻との会話、ルームメイトのピエール(ビクトール・ムーテレ)との会話と、リザ(カロリーネ・ハルティヒ)との会話、賢者モードで全然違う。
(追記、後から調べたら4か国語使い分けてるとのこと。恐れ入りました!)
そしてフィリップの賢者モードの表情の切替が凄まじい。
直後に「お前の旦那は戦地で死んで戻ってこない」なんてよく言えるがな。
最後、何故リザと夜逃げしなかったのか?
1.本当にヤリ捨てだった?
2.ピエールの死でどうでもよくなってしまった?
3.(自分がユダヤ人なので)リザの身を案じた?
3なら綺麗に収まりそうだが、最後の銃乱射で女子供も殺してる。
エンドロール前、一人でパリ行きの列車に乗ったようだが、この後どうするんだろ?
以下印象に残った点)
コーヒーに唾入れるシーンとか良かった。
セリフにしなくても、外人の給仕の連帯感が分かるいいシーン。
晩餐会が近くなるほどナチの客が増えたり、戦況が悪化したり、画で演出するのが上手いなーと思った。あと晩餐会の「ハイル」のシーンね。
ミハウ・クフィェチンスキ監督、70代にして長編デヴューの快作。
血みどろの戦争映画になるわけでなく、恋愛映画としてウェットになるわけでない(そこが物足りない人がいるかもしれない)、
もっと全然若手の監督の作品だと思ったから以外すぎた。どのシーンも間延びしていないし、画も衣装もかっこよかった。
原作未読なので、邦訳出たら読みたい。
復讐と真実の愛に揺れる心。ナチスに関する映画の公開が続く。
復讐のため次々とドイツ人女性を騙すのかと思っていたが、思っていたよりは少人数の印象。
その末に待っていた真実の愛との間で揺れる心が描かれる。
しかし友の突然の理不尽な最期(しかも自分のせい)で、感情が爆発してからの行動のカタルシス。
そして、結果、逃げ切れてしまうのも逆になんともやりきれない。
兵士たちの中に姿を消す彼の姿に、余韻を残す。
「関心領域」「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」からナチスに関する映画が続く。
忘れないためにも継続が必要と感じる。
【”腐った世の中でも生きている事が重要だ。とフィリップはナチスに抵抗する女性に言った。”今作はゲットーで恋人、家族をナチスに殺された青年のドイツ人への”復讐”と、相反する”愛”を描いた作品である。】
■1941年、ポーランド・ワルシャワのゲットー内にある劇場で、ポーランド系ユダヤ人ダンサーのフィリップ(エリック・クルム・ジュニア)と恋人のサラは舞台で踊っている時に、ナチから銃撃を受け、彼はサラと見に来ていた家族を失う。
その2年後、彼は外国籍の人間の身元を変えて利を得ていた工場長のスタシェクの手引きでフランス人としてホテルのボーイとして働きながら、戦場に行った夫を待つドイツ人女性を誘惑し、関係を持った後に自身の出自を明かしてから捨てる”復讐”を行っていた。
誘惑されたドイツ人女性達は、民族の純血を汚したとして罰せられるために、泣き寝入りするしかないのである。
◆感想
・フィリップの生活は、虚構に満ちている。そして、彼は同僚の仲の良いピエールと共に、ホテルのボーイをしながらドイツ人への”復讐”を行っている。
又、彼の出自を知っている女マレーナはそんな彼の行為を冷ややかに見ながらも、告発はしないのである。
そんな彼が、自分の理性を維持しているのはピエールに呆れられているランニングなど激しい運動を欠かさない事なのである。
・そんなフィリップが、ホテルのプールで見かけた若い美貌のドイツ人女性のリザ(カロリーナ・ハイテル)に、最初はピエールと落とせるかどうか賭けをしながら近付いて行くが、彼は徐々にリザとの恋に落ちていく。憎いドイツ人の娘なのに・・。
この辺りのフィリップ自身の理念に背反した行為は、彼の人間らしさを表しているだろう。
・フィリップは、ピエールとの同室の部屋に頻繁に来るポーランド人女性のビアンカに対して冷たい。ビアンカは、フィリップと同じようにドイツ人男性を誘惑していたからである。だが、そのビアンカがゲシュタポにより囚われ、髪を切られ逃げてきた時に懸ける”腐った世の中でも生きている事が重要だ。”という言葉が印象的であり、彼はビアンカに優しく食事とホテルからくすねた高級ワインを与えるのである。
このシーンも、印象的である。
■戦況が徐々に連合軍側が優勢に立って行く中、フィリップが勤めるホテルでは、ナチスの重要人物の子供の結婚式が行われる。
だが、その中でピエールは隠し持っていたワインがばれてしまい、ナチスのゲイの中隊長に射殺されてしまう。
その光景を見て、フィリップは中隊長に”俺は、ユダヤ人だ!俺も殺せ!”と詰め寄るが、中隊長はフィリップの形相に怖気づいたのと、その言葉を信ぜずにその場を去る。
フィリップは独り号泣した後に、ビアンカたちがナチスの将校を誘惑した後に殺害した現場を見て、残されたピストルを持ってホテルの上階に行きダンスをしているドイツ人達を次々に撃ち殺し、パリに一緒に行こうと言っていたリザの事を想い、敢えて”君には、飽きた。”と告げ、独り未来に絶望し自死したスタシェクが作ってくれていた身分証を持ってパリへ向かうのである。
<今作は、ドイツ人への憎しみを抱えたフィリップが”復讐”を続ける中、ドイツ人の娘リザと恋に落ちるも、再び独り逃走する姿を描いた、何とも遣る瀬無い物語なのである。
ラスト、フィリップが駅からパリに向かう地下道路で、ドイツ人憲兵が人々の行き先を仕分けする様も、何とも言えない気持ちになる作品でもある。>
<2024年8月4日 刈谷日劇にて鑑賞>
ユダヤ人フィリップの物語
フィリップ
神戸市内にある映画館シネ・リーブル神戸にて鑑賞 2024年7月2日(火)
パンフレット入手
STORY
1941年ポーランド・ワルシャワのゲットーで暮らすポーランド系ユダヤ人フィリップ(エリック・クルム・ジュニア)は、恋人サラとゲットーで開催された舞台でダンスを披露する直前にナチスによる銃撃に遭い、サラと共に家族や親戚を目の前で殺されてしまう。
2年後、フィリップはドイツ・フランクフルトにある高級ホテルのレストランでウェイターとして働いていた。そこでは自身をフランス人と名乗っている。フィリップは筋肉がムキムキであること生かし、戦場に夫を送り出し孤独にしているナチス上流階級の人妻たちを次々と誘惑することでナチスへの復讐を果たしていた。
嘘で塗り固めた生活の中、プールサイドで知的な美しいドイツ人のリザ(カロリーネ・ハルティヒ)と出会い本当の愛に目覚めていく。
連合国軍による空襲が続くなか、勤務するホテルでナチス将校の結婚披露パーティーが開かれる。その日、同僚で親友のピエール(ヴィクトール・ムーテレ)が理不尽な理由で銃殺されたフィリップは悔しくて号泣する。
以下パンフレットより
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藤森晶子 歴史研究家 (抜粋)とストーリーの続き
ナチス政権下ドイツでは親密になってよい男と女関係を法令で規定した。
禁止までせざるを得なかったのは、裏を返せば、ドイツ人女性と、ドイツ国内にいたポーランド人などの外国人との親密な関係があまりにも多く生じていたからだ。ドイツ人男性が戦地に行った分外国人がドイツ国内の農場や工場で働いていた。このような外国人はは、戦争後期には760万人いたとされている。
彼らには多くの禁止が課された。滞在地を離れることの禁止、ダンスパーティへの出入り禁止に並んで「ドイツ人女性やドイツ人男性と性交した者や、みだりに接近した者は死刑が課される」とされた。ドイツ人女性も、民族の純血を汚したとされれば、厳しく罰せられた。公衆の面前で丸刈りにされるという辱しめを受けた。町中を引き回されることもあった。
ナチス政権はこの見せしめをある時期までは地元当局に推奨していた。
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STOY の続き
ドイツ人女性のブランカ(ゾーイ・シュトラウプ)は、単に「娼婦」なのではない。制裁受ける危険性を分かっていながら外国人労働者と交わることをやめないし、そのために工場でのでの勤労奉仕もまじめに組まない。髪を切られるという痛い目にあった後ですら、フィリップのもとを訪れる勇気を持っている。ブランカには反抗な意思がある。
フィリップは「君にはこの腐った世の中に迎合しては行けない。戦争が終わってもそれは大切なことだ。」と言って励ます。
裕福な家庭出身で、写真技術研究所で働くリサ(カロリーネ・ハルティヒ)も、フィリップを外国人であることを知りつつも、連れたって堂々と町を歩き、カフェのテラスでは大っぴらに過ごす。二人に関係は恋人になるまで発展していく。
ラストシーンはこう。
フィリップは拳銃を拾い、ダンス会場の天井から拳銃を乱射して、何人か殺して、パリ行の列車に乗り込んで脱出した。
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監督ミハウ・クフィェチンスキ
フィリップ エリック・クルム・Jr.
ピエール ビクトール・ムーテレ
リザ カロリーネ・ハルティヒ
ブランカ ゾーイ・シュトラウプ
歌姫 ハンナ・スレジンスカ
イリエ ニコラス・プシュゴダ
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感想
作品内では、ナチス法に抵触し死刑および「絞首刑」となった4名の模様がリアルに表現されていた。
見ていたフィリップは思わず顔を逸らしていた。
宣伝と内容の剥離
この映画を知るきっかけになったのはエロを前面に出した復讐劇みたいな宣伝だったのですが、実際に観てみるとエロシーンは確かにあってエッッッてなるレベルではあるが本筋は女関係よりも主人公のフィリップの周りにいる男達の話がメインになってる。
主人公が壊れていく過程のトリガーも周りの人間(男)が主に起因しているのでフィリップが無駄にモテたり恋愛要素は話を進める舞台装置にしか見えなかった。
印象的だったのは取り調べをしていた親衛隊の少尉が吐露した言葉で、侵略側も戦争の無意味さに虚無を感じて疲れてるのがよく分かった。
トラウマ描写に頼らない、反戦映画の描き方の新たな一面を見られたと思う。
主役のエリック・クルム・Jrはコメディー作品に多く出ていてこの映画で初めてシリアスな主人公を演じてますが、最初の頃にはあった目の光がどんどん無くなり最後には好きだった音楽への興味すら示さなくなる変化の演技は一見の価値があります。
過去の出演作と見た目がかなり変わるレベルの役作りをしてます。
Tesciowie2あたりと顔つきが全然違うので見比べると面白いです。
全体的にはよく出来てますが、個人的に終わり方が投げっぱなしジャーマンみたいな尻切れ蜻蛉なのがあまり好きでは無いです。
意図的に投げっぱなしにして印象的な演出にしているのは理解してますが、太陽を盗んだ男とは違ってそんな作りには見えなかったので…
その点が少し惜しい作品でした。
実話らしいが、主人公の俳優はイケメン?
1941年、ワルシャワのユダヤ人居住区・ゲットーで暮らすポーランド系ユダヤ人のフィリップは劇場で公演中にナチスによる銃撃に遭い、恋人サラや家族を目の前で殺されてしまった。2年後、フィリップは自身をフランス人と偽ってドイツのフランクフルトに移り、高級ホテルのレストランで給仕係として働きながら、ナチス将校の夫を戦場に送り出した妻たちを次々と誘惑し、抱いて、捨てるという行為を続け、ナチスへの復讐を果たしていた。嘘で塗り固めた生活を送るなか、フィリップは知的な美しいドイツ人のリザと出会い、本気で恋してしまい、パリに2人で逃げようとしたが・・・さてどうなる、という話。
原作者の実体験らしいが、主人公役の俳優の様な顔がドイツではイケメンなのかな?
鼻が高くて堀が深いいし、アダム・ドライバーにも似てるとは思ったが、あんなに誰でも落とせるほどなのか?そこが1番の疑問だった。
ユダヤ人でも当時のドイツで給仕係とはいえ、そこそこの生活が出来ていた事に驚いた。高級ワインの横流し以外にフィリップに何か特技が有ったのかなぁ?
そして、連合国側からの空襲、ドイツが攻撃されるシーンはあまり観た事が無かったから新鮮だった。
リザを本当に愛していたから彼女を捨てた、という解釈で良いのかな?1人パリに逃れたフィリップはその後どうしたのか、戦後ナチスが負けたあとはどうなったのか、そこも知りたかった。
誰も幸せにならない復讐。
復讐譚という事だと思う。
ホテルの下働きは色んな思想、人種の吹き溜まり、隠れ場所になってたようだ。身バレしなければ比較的安定した職場だった模様。
レジスタンスとかではなく個人でできる復讐、破壊行為としては効果大である。しかしまあ男女の話なんで割り切れない部分も出てくるから話は面白いのよ。
思ったほどピンと来ず
予告を見ると面白そうだったのですが、思ったほどピンと来ず。
かといって全然つまらないわけでもなく、なんとも不思議な鑑賞後感でした。
周囲の愛する人達をドイツ軍に殺されて2年、ドイツ人女性を誘惑し、捨てていくという復讐を続けるフィリップですが、そこにそもそも若干の違和感がありました。
・言うほど次から次へと手にかけているわけでもない。
・お互いに楽しんでいるだけにも見え、復讐になっているのかどうか微妙。
・フィリップ本人がけっこう怖い雰囲気で、はたして女性にモテるのか疑問。
・ただの憂さ晴らし、女好き、遊びの延長に見える。
まぁそれを復讐ととらえましょう。一旦飲み込みます。
ミイラ取りがミイラになる、を体現し、リザと恋仲になったフィリップ。
はじめ頑なだったリザが急に軟化して恋人になり、え?いつのまに?何きっかけ?と思いましたが、リザ役の女優さん(カロリーネ・ハルティヒ)がとても美しくて、良かったです。
誰かに似ているとずっと思っていたのですが、今分かりました。ロシアのフィギュアスケーター、エフゲニア・メドベージェワと似ているような気がします。
二人で逃げようとした時に、親友の理不尽な死というものに対峙します。
フィリップの中で再び復讐心が燃え上がり、でもリザとはただ別れ、じゃあ次はどうするか! となった時に、陰から数人撃ち殺すに留まったのが、少し物足りなかったです。
失いかけていた復讐心が再燃して、リザを殺しても良かったかもしれないんですよね。
ダンス会場には立派なシャンデリアがあり、あれを落とすんだね!と期待したのですが、スルーしたのもちょっと期待外れでした。
何か全てがショボいというか、小物感がただよっています。
いちユダヤ人のささやかな抵抗、という感じでした。
ただ、ブランカとの別れのシーンは印象的で良かったです。
奔放なブランカとの遊びのような関係から、奇妙な友情が生まれ、彼女を励まして去っていくフィリップは、本来の性格を取り戻したように見えました。
「恋人がいるのね」というブランカは、実はフィリップのことを愛していたのかもしれません。
フィリップって、なんか雰囲気が怖いし、表情が固くて、一緒にいて楽しくもなさそうだし、そんなにジゴロ的魅力はなさそうな男性なので、少し不思議でした。
ラストはうまく逃げて生き延びたフィリップ。
だからこそ実体験を元にした小説が書かれたのでしょうが、もっとドラマチックにできたような、少し残念な気もする映画でした。
いろいろと考えてみて、全体的にスケールが小さい、というのが敗因だったのかもしれません。
映画化する意味があるのか?
第2次大戦下、ポーランド系ユダヤ人のフィリップは、フランス人と偽ってフランクフルトの高級ホテルでウェイターとしては働きつつ、ドイツ人女性と次々関係を持っていくというお話。
まず、爬虫類顔のフィリップが、どうしてそんなにモテるのか、ピンとこない。ポーランド人作家の実体験に基づく小説の映画化とのことだが、そもそもこの話、映画化するほどのものなのだろうか?
緊迫感が伝わってこなかった
「ONE LIFE 」に続いて鑑賞。
同じ時代背景なのにこちらはあまり緊迫感が伝わってこなかった。
ラストの軍靴鳴り響く中の駅でパリ行き列車と戦地行きとに振り分けられるシーン。ダンスしてる最中にフィリップに撃たれてひとり、またひとりと倒れるシーン。ドイツの国歌を歌うシーン。空襲のシーン。など、絵的には良いシーンがあったけれどあまり心に響かなかった。
フィリップがひとり半裸で身体を動かすところや慟哭するところも響かなかった。
なぜだろう。演出のせいだろうか。音楽のせいだろうか。
きれいすぎるセットのせいだろうか。
もっとヒリヒリするものが伝わってくれば面白くなったろうに。
戦前の日本を舞台にして韓国か日本でリメイクできそう。
R18で。
発禁とは?
発禁から60年?ナチス関係はポーランドでそこまで厳しかったのかな。イヤラシさもそれほどではないし、大げさに感じてしまう。ストーリーとは関係ないがナチス少年兵の歌は狂気を感じ、若干怖い気がする。衝撃はないかな。
第二次大戦下のポーランド系ユダヤ人側から見た、世界と愛
ここ最近、オッペンハイマー、関心領域、アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家、
ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命、と戦争関連の映画を様々な視点、立場から観て来たが、
ユダヤ人側からの視点の映画は、こちらだけということで絶対に見たいと思っていた一作。
受け取った感情は、喪失と回復とまた喪失。そして自らが選び取ることが出来た
未来は……。
私の中では苦しくて、生きるということをここまであきらめずに居られたのは、
なぜなのだろうと思えるほどに、凄まじかった。
ラストの畳みかけるような展開は、彼自身の吹っ切った気持ちがよく表れており、
おそらく生きることよりも、感情を優先した部分もあったのだろうと思った。
生き抜くことは、運が良い事。と言い切れるのだろうか。
生き続けることは、こんなにも苦しさを伴う時代に、どうしてここまで生き抜くことを
決断できたのか。
私にはその問いが心の中に今も残っている。
オッペンハイマーではアメリカの科学者とアインシュタインの視点
関心領域ではナチスの高官たちとその家族の視点、
アンゼルムでは戦後に影響を受けた”ドイツ”にルーツを持ち、テーマにも関連するアーティストからの視点、
そしてONE LIFEではイギリスの一市民からの視点と
当事者の視点はほぼ見ずに来た。
むしろ当事者からの視点は描こうと思っても、生存者自体が語れる環境に精神状況にあるかどうかも
あるのだろうと思う。
そんな中で、ひとり。フランス人としてフランクフルトで働きながらも、
精神的な抵抗と復讐をしていたフィリップが、苦しみ、向き合い、友情を得て、失い、
そして愛とどのように出会って、結末を迎えるのか。
これは一人の物語でありながら、ひとりだけの感情ではなかったであろう様々なものを
垣間見ることが出来る、レオポルド・ティルマンドの自伝的小説を映像化した作品だった。
原作も読んでみたい。
復讐と生存の狭間で―1942年の激動を生き抜くフィリップの選択
ミハウ・クフィェチンスキ監督の作品は、ポーランドの風土とユダヤ人青年の生き様を鮮やかに描き出し、その新鮮さと感動は胸に迫るものがありました。監督は全てのキャストの表情を巧みに捉え、観る者にその場にいるかのようなリアリティを感じさせます。1942年の時代にタイムスリップしたかのような感覚を味わうことができました。
本作は、主人公フィリップの復讐劇にとどまらず、激動の時代を生き抜くために彼自身の信念を貫く姿を描いています。フィリップはフランス人を装い、ナチスの上流階級の女性たちと関係を持つことで復讐を誓いますが、その行動は一種の心理的な現実逃避や心の慰めであったのかもしれません。恋人や家族を失った彼の孤独さや苦しみが痛烈に伝わってきます。
リサとのラブシーンは、もし本物でなければフィリップは最低な男性と言わざるを得ません。それでも、この恋愛感情が彼にとって生きるための糧となり得る可能性が示唆されており、観客に深い思索を促します。
映画の最後、フィリップがリサを残して一人でフランス行きへ旅立つシーンでは、彼の選択とその後の運命が象徴的に描かれています。彼は計画通りにフランス行きの列車に乗り込みますが、その後彼がどのような生き方を選ぶのかは観客の想像に委ねられています。
人が時代を選べないという辛さを感じさせます。この映画は、観る者に深い余韻を残すことでしょう。
ナチスに対する復讐劇
物語はワルシャワのゲットーから始まる。
これからダンスが始まろうとした際に突如ナチスの銃撃により恋人サラ、家族、親戚を舞台上演中に殺されたユダヤ系ポーランド人の主人公フィリップ。
惨劇から2年後、フランクフルトに移住したフィリップはホテルのウェイターとしてプールで目にしたナチス関係者の未亡人をターゲットに娼婦として関係を持つようになっていく。それがフィリップのナチスに対する恨みを晴らす瞬間だった。
リザとの出会いを機に変わる姿が印象的だった。
本物の愛に芽生え偽物だった愛情もリザと関係を持つようになると自然と本来のフィリップに戻っていた。だから嘘をついていたことをリザならカミングアウトが出来たのかもしれない。
それが変わってしまったのが同僚で親友のピエールが理不尽な理由で銃撃されたことだろう。
娼婦になることがナチスに対する復讐ではなく、形にすることだと芽生えてしまったフィリップは最終的には銃を取りホテルのナチス関係者達が集うパーティー中に建物内のバルコニーから銃で身構えると複数名を撃つという惨劇を起こした後に、パリ行きの列車に乗りフランクフルトを離れる。
惨劇を起こす前にフィリップはリザの家に訪れリザに別れを告げる。フィリップがリザと別れたい理由を告げたときは明らかに嘘だというのは明明白白だったが、今度こそは復讐するんだと決めたフィリップの意志は固く揺るぎはなかった。
歴史的傑作になりそうでなれない理由
ナチスドイツとユダヤ人を描いた数多くの作品の中でも、
歴史的傑作になり得たのに、そうなっていない、
非常にもったいない作品だ。
どういう事か。
大きな理由は、
メインプロットとサブプロットの葛藤の描き方が曖昧なことだ。
前半でドイツ人将校のコーヒーに唾を入れるシーンからラストに至るまでのフィリップの気持ちはどこにあるのか、一定程度をみせる展開は、
悪くはない。
それがクールでフラット過ぎると他のサブプロットが効いてこない。
例えば、
ポーランドに強制送還されることと、
アウシュビッツ強制収容所に強制的に送られることの違いや意味、
時期など、曖昧な点が多い。
仲間が目の前で連行され、処刑され、
自らを撃つなどの状況におけるフィリップの気持ちは基本的にフラットに描かれている。
重ねて、
フィリップがドイツ軍に捕まらない、撃たれない、処刑されない理由がドイツ軍を騙しているなどの微妙な差があるはずだが、
それもフラットに流されていく。
なぜフラットになるのか。
それは各シーンをカットを割らずに、
ステディカム(軽量のジンバルでスピーディにパンしながら)でかっこいい長回しを多用しているため、雰囲気しか伝わらない。
なので、
フィリップの無念さ、怒り、葛藤が映画的に積みあがっていかない、
もちろん歴史的に類推するととんでも無い怒りが積みあがっているはずだが、その差が、違和感が、観客をスクリーンから遠ざけていく。
一方、リザとのキスシーンなどは、
ちゃんとカットを割って気持ちの描写や葛藤を描けている。
カッコいいカメラワークの雰囲気が良いと感じる人もいるだろう。
しかし、更にもったいないシークエンスは続く、
右手を掲げてドイツ国歌を歌うシーン、
子どもの歌声も含めて、
本来なら震えるほど怖いシーンのはずなのに、
そう感じられない。
そしてラスト。
この映画のラストを描くのであれば、
フラットに10話くらいのドラマとして描く、
あるいは、
サブプロットを取捨選択し、
流れるようなかっこいいカットを減量して、
フィリップの個人の感情や周囲の仲間、
レジスタンス(幼馴染のレジスタンスも効果的に描かれていない)を細かく描けば、
歴史的傑作になっていたような気がする。
検問の軍人?に、
最後、
「oolala・・・・・・」
何て言われんだろう・・・
【蛇足】
ポーランドの国立映画大学の視察時、
学長が言っていた。
学生達は成績優秀、技術は高いのですが、
突き抜けた作品を製作する学生は少ない。
映画大学の功罪です、
心の傷みや魂の叫びを個人の頭の中で完結してしまう作品が多い、
キェシロフスキー、スコリモフスキー、
ワイダのような人材はなかなか出てこない、と。
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