#つぶやき市長と議会のオキテ 劇場版のレビュー・感想・評価
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「報道のオキテ」に縛られてしまった印象が強いかなぁ…
まず、安芸高田市長という地方行政の長に対し、取材しながらも「あなたの市政を問いますよ」のは、作り手として本当に神経を使い、大変な作業だったと思います。
というのも、日本の場合は、長期で密着されたり、取材されれば、「きっと良いことを伝えてくれる」という期待が本人のみならず、周辺で高まるからです。
また、いくつかの場面で「大きな決断」を迫られたと容易に想像できます。
改めて、その勇気と、制作し映画公開にまで漕ぎ着けた、その力に深い敬意を表します。
私自身の政治への関心、地方議会への関心を深くしてくれましたし、議会運営のあり方についても、色々と考えさせられました。
ただ、映画として見る分には、矛盾するかもしれませんが、上記の「客観性」がゆえに、物足りない点もいくつかありました。
報道のルールに則った両者の意見を並べ、視聴者に判断を委ねるというやり方は映画にはそぐわないと感じました。それはゴールがないからです。
たぶん作り手の方は「石丸市政を見つめる」というゴールを設定したと想像します。
でもそれであれば、報道やテレビの特集で十分ではないでしょうか。
映画にするのであれば、より深い何かを訴えたいはず(というか、それを見る側は期待する)。
その「訴え」が「これまでの番組でカットしてしまった映像」では、あまりに弱すぎるし、実際に弱すぎました。
映画化にあたっては、やはり一歩踏み込んだ取材が必要だったと思います。
繰り返しになりますが、プロデューサーの立川さんは「今回の映画化にあたっては、上映前に泣く泣くカットしたものも多数あった。それをなんとか伝えたい」とおっしゃっていました。つまり、石丸市長に関する素材は山ほどあったのだと思います。
ただ、果たしてそれは本当にその人物を知る、検証する材料として「撮れていた」のでしょうか。残念ながらそうではないと感じました。それは、石丸市長がなぜあのような市政を行なっているのか、その根本に関する検証や取材がゼロだったからです。
議会と対立する姿勢、中国新聞を会見から締め出すやり方、こうした「仮想敵」を作るやり方は、政治に限らず、スポーツ(例.サッカーのジョゼ・モウリーニョのマネジメント)でも頻繁に登場するやり方です。こうした方法を石丸さんは意識していたのか、それとも全く違う思想があったのでしょうか?
石丸さんの思想やマネージメントの原点にもう少し「多角的」に迫る必要があったと思います。対象者に近く、なんでも撮れている(ように思えている)からこそ嵌る落とし穴ではないか、そう感じました。
報道素材に加えてもう一歩深く突っ込んでくれれば、もっともっと面白くなったのではないか、そう感じています。
もちろん、私自身に「任期を1期で終え、都知事選に出ることを明言した」というフィルターがありましたが、それを差し引いても、物足りなかったのは否めません。
とここまでネガティブな感想を書いてきましたが、「よく公開にこぎつけたなぁ」という制作陣の皆様への深い敬意は変わりません。
メディアが行政に目を光らせ、疑問をぶつけ、時に議論するという姿勢にはすごく勇気づけられました。本当に大変だったと思いますし、これからも広島ホームテレビさんの作品、岡森監督、立川プロデューサーの活躍を追っていきたいと思います。
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