「美しい師弟関係の裏にある危うさ」ぼくのお日さま かみさんの映画レビュー(感想・評価)
美しい師弟関係の裏にある危うさ
優雅にスケートを滑る女の子(さくら)に憧れる、不器用な男の子(タクヤ)。タクヤにスケートを教えることに生きがいを感じるコーチ。そしてさくらはそのコーチにひそかに憧れる。3者が出会い、スケートに打ち込んだある冬のストーリー。
凍った湖で3人が練習するシーンが前半のクライマックスだ。3人の距離が縮まり、美しいシーンになればなるほど、何か不吉な予感が漂う。さくらが目撃したコーチのある行動に幻滅し、ついに3人は離れ離れになってしまう。
さくらがコーチに突きつける言葉(「お気に入りの男の子を踊らせていただけなのか。気持ち悪い」という主旨)には、コーチの恋人への嫉妬、タクヤとペアを組むことへの疑念など、色々な感情が入り混じっている。そこにはさくらのコーチへの(無自覚な)独占欲もうかがえる。そもそもコーチがタクヤとさくらにペアを組ませたことは、お気に入りの2人と一緒にいるためのエゴのようにも見える。
つまり師弟関係というものは美しければ美しいほど、そこには互いへの独占欲がある。これぞと思った子に熱を入れるからこそ互いの成長もあるのだが、危ういバランスのうえに成り立つ、いずれ終わりを迎える関係なのかもしれない。
可愛そうなのは、唯一独占欲や嫉妬と無縁なタクヤである。そのタクヤが最後にさくらに再会し、成長した姿で互いに向き合う(何か、背の高さも対等になっていた気がした)。師は去っていく運命にあるが、残された子どもは成長するという結末のように見えた。
弱い人がつながりあう一瞬の美しさとはかなさを描く作品だと思うが、さくらの背景や成長がもう少し示唆されていればもっと満足感が高かったかもしれない。
コメントをありがとうございました。
特にさくらの視点から見ると、多様なとらえ方ができそうです。それがこの映画の可能性にも、物足りなさにつながるかもしれません。
さくらはどのぐらいタクヤとのペアに乗り気だったのか。そこにコーチへの独占欲や、異性としての憧れはあったのか。
逆にコーチは、さくらに対して生徒の一人という以上の期待や思い入れがあったのだろうか。タクヤを成長させるためにさくらを利用してしまったのではないか。
見た人と話し合ってみたくなる映画だと思います。
>つまり師弟関係というものは美しければ美しいほど、そこには互いへの独占欲がある。これぞと思った子に熱を入れるからこそ互いの成長もあるのだが、危ういバランスのうえに成り立つ、いずれ終わりを迎える関係なのかもしれない。
ハッとしました。実際のフィギュアスケートの選手とコーチの関係も確かに終わりを迎えたり、いろいろあったりするのが多いですね。
師弟関係の視点で書かれたかみさんのレビュー、いろいろな気付きをいただきました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
私の感想に納得、共感していただき、とても嬉しいです。
二人の車のシーンでサクラが不満を表すところを、「サクラの嫉妬」と受け取る人が多いのではと思います。監督も「嫉妬」を意図していたのかもしれません。
サクラを悪者にするような流れがちょっと許せませんでした。
>さくら一人が悪者ではないという点が観客に分かるようになっていれ>ば、名作になりえたのではないでしょうか。
私もそう思います。
そうであれば、監督が多層的な視点を持っていること、思考の深みを感じさせる映画ということで、星4つ以上付けたと思います。