毒親 ドクチンのレビュー・感想・評価
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物語り、構成、演出、テーマ・・・全て完璧である。
世界共通のテーマでありながら、最もこの現象が表出しやすい、韓国の映画作品として取り上げられた意義は大きい。「愛」の本質が興味なのか、関与なのか、はたまた執着なのか・・。一方で無関心で無い関心とは?愛する主体への自己愛と錯覚されがちの愛をどう解放するのか?自己犠牲が本質なのか?それとも同化なのか?保護関与なのか?人類が永遠に希求してきた愛の本質を、最も関係の濃い親子の間で取り違えられがちな愛の形が虐待と変容しないその境界点とは・・・。古くからある永遠の連鎖を伴うこの重い問いに出した答えはこの作品の中にあるのか?見た人だけが自らの人生と照らし合わせて回答を見つけるしか方法がないだけに、この作品の答え無き結末の表現形式は極めて優れていると感じずにはおれなかった。傑作である。
【修正評】
サスペンスの体をなしながら、世界共通のテーマ「愛」についてこれほどまでに不覚考えさせられた映画はチョッと他にない。オープニングからエンディング迄サスペンス的な要素で引っ張られながら、その同時進行で「愛」とは何かをずっと考えさせられるように仕掛けがなされている。この仕掛けはネタではないので鑑賞には全く影響せず、ココでは明確にお伝えておきたいのだが、この考えさせられる仕掛けよりも、その仕掛けによってどこに鑑賞者が向かうのかはこの作品と向き合った鑑賞者だけが知る問題となっている点がポイント。ただこの解は物語の進捗とは全く関連付けられてないので、純粋に物語のスリリングは楽しめる構造になっている。
とにかくお薦め。この物語のネタのもたらす恐怖とあなただけのあなたの人生の中での解をこの結末と是非照らし合わせてみて貰いたい作品である。
「毒親」の対義語は「賢母」なのか。。。悩む
2023年公開、韓国映画。
香港や日本を凌駕するクオリティを持つに至った韓国映画。
本作は、韓国映画が得意とするアクションやカメラワークが活きるテリトリーではなく、親子、という
重たいテーマだ。
毒親、とは?
相手を愛してさえいれば、
なんでも許容されると思っている親?
対義語は、賢母?
哲学的な作品でもあった。
私自身、母子家庭で育ち、
思春期には、
母に対する愛憎(アンビバレント)に苦しんだ。
いなくなれば良い、と願う一方、
殺したい、と考えたことはなかった。
もしかしたら、
子供だった私は、場合によっては
ユリ(カン・アンナ)と同じことをしていたかもしれない。。。。
そんなことを、ボンヤリ考えながら見ていた。
テーマとしては、
最大級の普遍性を持ちつつも、
おそらく、
百の親子に、百の態様があるため、
映画として、大多数の共感を得るのは困難だろう。
ただ、製作陣が表現したかったことは、
理解できるし、
商業的な野望がどれほどだったかは分からないが、
チャレンジ精神には敬意を表したい。
母親役(チャン・ソヒ)は、
オカルト色を滲ませながらの熱演、素晴らしい演技だった。
良い作品だが、
個人的には重すぎて、もう一度観る気になれないので、
☆4.0
見て良かった
こんな親はイヤだ…
極めて誠実な「母という呪い」に対する処方箋
ここ2年ほどの間に観た韓国映画のなかで、もっとも優れた作品だと思う。
本作も、《すべての家族は呪いであり、呪われていない家族などないのだ》という普遍的な主題、その各論のなかでも深刻な事態と言うべき「毒親」、さらにその多数を占める「害毒となった母親」を扱った映画である。
本作は、女子高生死亡事件の謎を追うミステリーとして始まりながら、やがて主題の深刻さを浮き彫りにし、その解決策をも示唆する。
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【以下ネタバレ注意⚠️】
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「毒親」という言葉は、韓国では、まだあまり知られていないと脚本も書いたキム・イスン監督は述べているが、日本では、「毒親」をタイトルに含む書籍やコミックはかなり出ている。
また、タイトルになくとも押見修造の『血の轍』、戸田彬弘が戯曲として書き自ら映画化した『市子』も「毒親」を扱った作品として周知されている。
Wikipedia に書かれている通り、学術用語ではなく、俗的概念だとしても、日本ではある程度普及している言葉であることは間違いない。
韓国系アメリカ人であるセリーヌ・ソンの初監督作品『パスト ライブス』に登場した「イニョン/因縁」というキーワードでもそうだったが、日韓で同じ言葉を使っている場合でも、微妙なニュアンスレベルでの差異があることは充分承知しておく必要があるだろう。
さて、ストーリーは公式サイトなどに委ねたいが、本作は序盤で、女子高生ユリ(カン・アンナ)が年上の男女数人と屋外パーティーで談笑したあと、彼らと自動車のなかで失神したまま息絶える姿を見せている。
だから観衆には、ユリは最初から(理由は不明ながら)集団自殺に及んだことが分かっている。
ところが、発見した警察は、自殺・他殺両方の可能性について捜査を進める。
また、ユリの母親ヘヨン(チャン・ソヒ)は、最初から「娘が自殺するわけがない」と決めつけ、捜査官が自殺の可能性もあることを示唆しただけで烈火の如く非難し始める。
結論的には本作は超名作だとの確信を得たが、何故か、撮影のルックは低予算感が見え見えだ。
俳優陣も、他の韓国ドラマ・映画で観たような顔も脇役にいないことはないものの、それも少なめ。
捜査を担当するオ刑事(オ・テギョン)もカッコいいイケメンなどではなく、どう見ても庶民的な普通のおじさんだ。
だが、捜査が進むにつれて明らかになる母親としてのヘヨンの異常性に気づいたときのオ刑事がヘヨンに言う言葉が良かった。
「お母さん、しっかりしてください。
残された息子さんのためにも、お母さんが娘さんを追い詰めてしまったようなことを繰り返さないように、しっかりしなければならないでしょう」
ちょっと記憶が曖昧になって、かなり違うかも知れない。
だが、オ刑事が、ヘヨン本人は罪には問われないものの、ユリの死の原因となったことをハッキリと本人に告げ、残されたユリの弟のために、それを繰り返してはならないと述べたことは確かだったと思う。
本作の優れている点は、「毒親による娘の自死」という深刻な問題について、ミステリー仕立てで真相に迫る手法を用いながら、それを決してエンタメとして消費するだけに終わらせず、その原因と解決策を示しているところにある。
ところが、映画は、幼いユリの弟に、ヘヨンが一方的に厳しく躾けようとし、耐えられなくなった弟が、
「お姉ちゃんを返して!
お母さんは、お姉ちゃんがいなくなったから、今度は僕をいじめるのだから」
と奇声をあげながら叫ぶシーンで終わる。
もちろん、これは「毒親」という病が、一朝一夕には治せないほど根深く深刻なものであることを示す意図で提示されたシーンだ。
実際には、ヘヨンに、二度と子どもに対して偏った押しつけをしないような児童保護の専門家によるケアや指導が行われるはずである。
ラストシーンの弟の「叫び」は、本作が明らかにした問題点が「未解決」あるいは「解決不能」だということを示したかったのではなく、逆に、ヘヨンに対してはそういう専門的なケアが「必要」であることを明確に伝えるために置かれたと考えたい。
その他にも、ユリが親友となったイェナ(チェ・ソユン)との仲をヘヨンに割かれて、「お母さんはお前を愛しているから、こうしているのよ」と言ったのに対して、ユリが応えた
「愛は、傲慢と偏見を産むこともあるのよ」
という言葉も含蓄がある。
いずれにせよ、充分エンタメとして面白く、「毒親」という誰もが無縁ではあり得ない家族の問題を明らかにし、解決策まで提示した優れた作品である。
弱者を殺人者に仕立ててエンタメとして消費しただけの悪趣味極まりない『ビニールハウス』の非倫理性の対極にある倫理的で誠実な映画だ。
儒教国家と女性が強い国 そして学歴社会
世界中の永遠の問題
国民病
湖畔の社中で死んだ高校生の娘の死を巡りファビョる母親の話。
10歳以上歳上の男女2人と共に死んだ娘の死が担任教師による殺人であると騒ぎたてる母親と、訴えられた教師、捜査にあたる刑事が聴き込む体で過去に遡ってみせていくストーリー。
三現主義を無視して捜査する警察とか、何を持ってして告訴出来ているのかもわからない母親とか、ミスリードにもならないミスリードだけれど、事件性を匂わせるからまどろっこしい。
そして母親があまりにも見え見え過ぎてなんだかね…娘にしたって、そこまでの態度を示すなら、薬の理由はお前だって言えば良いのに…。
日本人からしたら強烈な火病だけど、隣国民からしたらそれ程強烈でもないのかな?
話し自体は面白かったけれど、解が出てからも長ったらしく説明的だし、もうちょっとスッキリならなかったかな。
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