ザ・ウォッチャーズのレビュー・感想・評価
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“シャマラン”ブランドでファミリービジネス。娘の監督デビュー作は微妙な出来
イシャナ・ナイト・シャマランはM・ナイト・シャマランの3人の娘の真ん中で、父親が監督した「オールド」「ノック 終末の訪問者」で第2ユニット監督を務めるなどしてキャリアを積み、この「ザ・ウォッチャーズ」で長編劇映画監督デビューを果たした。アイルランドの作家A・M・シャインが民間の伝承や奇譚を取り入れて執筆したホラー小説を原作とし、父M・ナイトがプロデュース。新人監督としては異例の製作費3000万ドル(The Numbers調べ、現在のレートで約48億円)が集まったのも、シャマランのブランドがあってこそだろう。比較のため先述した父M・ナイトが監督した直近2作の製作費をみると、「オールド」が1800万ドル、「ノック 終末の訪問者」が2000万ドル。ハリウッドスターのダコタ・ファニングが主演とはいえ、VFXもさほどお金がかかっているようには見えず、正直どこにそんな大金が使われたのか疑問に思ってしまう。
アイルランドのゴールウェイからベルファストへ配達のため車を走らせていたミナは、山奥の森に迷い込んで動かなくなった車を見失い、森の中で出会った白髪の老女に導かれて“鳥カゴ”と呼ばれるシェルターにたどり着く。そこは周りを木々に囲まれ車道もなく、ぽつんと孤立した四角いコンクリートの建造物で中は一部屋のみ、壁の一面だけが大きなガラス張り。ミナのほかには老女マデリンと若い男女の計3人が以前から鳥カゴで共同生活をしている。電気は供給されていて、夕暮れ以降室内灯をつけるとガラスがマジックミラーのようになり、中から外は何も見えないが、外からは水槽に入れられた小動物のように丸見えだ。そして、ミナを含む4人を見るために、“ウォッチャーズ(監視者)”と呼ばれる正体不明の何者かが夜な夜な鳥カゴの外に集まってくる。マデリンから聞いた生き残るためのルールを破り、ミナは脱出を試みるのだが……。
ウォッチャーズの姿は中盤までにおぼろげながら明らかになり、後半はミナたちがどうやって閉塞状況を打開するかという方向に筋が移っていく。その過程で、鳥カゴが誰によって、なぜ、どんな方法で作られたのかも説明されるのだが、その段取りでは絶対無理、完成するはずないよねという話が語られて、正直がっかり。超自然的な要素を含む映画なのですべてが科学的物理的に厳正である必要はもちろんないが、ストーリーの根幹をなす建造物を作った方法が説得力に欠けるのはやはり問題だろう。
本作は本国アメリカをはじめ多数の国で6月7日から翌週にかけて公開、3週間が経過した現時点で米国興収1800万ドル、世界興収3000万ドルにとどまっている。興収の最低ラインは製作費の2倍という説もあるなか、イシャナのデビュー作はかなり厳しい結果に終わりそうだ。原作者A・M・シャインによる続編小説「Stay in the Light」が今年10月に刊行される予定だが、映画の続編は望み薄だろう。
我々は見られている…
M・ナイト・シャマランの娘の映画監督デビュー。弱冠24歳のイシャナ・ナイト・シャマラン。
ジャンルはやはり謎めいたホラー/ミステリー。
立派な血筋…?
孤独なアーティストのミナはバイトするペットショップでお届けもの。鳥籠に入った鳥を指定の場所へ届ける途中で道に迷い、深い森の中へ入り込んでしまう。
スマホも通じず、車も故障。夜が近付き不穏な雰囲気漂い、森の中に“何か”の気配が。
やがて森の奥の建物に逃げ込むが、そこには見知らぬ3人の男女が。リーダー格の老女マデリンと若いキアラとダニエル。
建物の中はガラス張りの部屋。そのガラスの向こうに、毎晩のように“監視者(ウォッチャーズ)”がやって来て、彼らを“見る”という…。
地図に無い森。
ガラス張りの部屋。
見知らぬ3人の男女。
謎の監視者。
3つのルール。監視者に背を向けてはならない。決してドアを開けてはならない。常に光の中にいろ。
ミナは脱出を試みるが…。
シャマランDNAを継いでいるだけあって、謎めいた設定はさすがのもの。
24歳ながら、父の作品などで経験を積み、ホラー演出はなかなかのもの。
森の描写は日本映画(宮崎駿や新藤兼人)から影響受け、雰囲気と映像美映える恐ろしくも美しい森を創り上げた。
森の中の“何か”と言えば中田秀夫が近年稀に見る駄作を作り、パパシャマランも『ヴィレッジ』があったが、あれは雰囲気は良かったが、作品やオチは…。
娘シャマランは肩透かしにはせず、“それ”もしっかり見せ、アイルランドの民間伝承と絡めたダーク・ファンタジーにも仕上げた。
ただ、アイルランドの民間伝承や“何か”の定義も今一つ日本人にはピンと来ず…。日本で言ったら妖怪かもしれないけど、やっぱりちょっと違うような…。
雰囲気や演出、ダコタ・ファニングの演技も悪くないが、話は平凡。古株がルール厳守する中、新参者はルールを破って脱しようとし、度々恐怖が…って、何度見た事か。
監督はこのオチは誰にも予想出来ないと自信のほどを見せるが、そりゃそう。だって、どんでん返しはナシ。徐々に森の秘密、ある教授の存在、監視者と人間、何とか森脱出に成功したが、“正体”明かされる終幕…。一応それなりにはオチを用意しているが、あっと驚く衝撃さは無い。
しかし、別の見方をすれば風刺たっぷり。
“鳥籠”と呼ばれるガラス張りの部屋がモチーフ。
人がその中に入れられ、監視者が覗き込み、ガラスを叩いたり…。
我々人間が金魚やカブトムシを飼うのと同じ。
人間だけが監視者じゃない。いつ、見られる側になっても…。
優れた作品とは言い難いが、ちらほら才が見え隠れ。
イシャナが我々や父もあっと驚く大どんでん返しをいつか見せてくれるか…?
見てたら、少し設定が似ている藤子・F・不二雄のSF短編を思い出した。
ある日突然現れたエイリアンによって人類はほとんど死滅。生き残った僅かな人々はエイリアン監視下の島で暮らし…。立ち向かい、逃げようとする少年。エイリアンが人間を生かす理由は…?
他にもエイリアンが人間を監視/観察する話が幾つかあった。その内の一つが、『ロミオとジュリエット』をベースにして。
何十年も前に似たようなアイデアを創造した藤子先生ってやっぱスゲェ…。
アレ、シャマラン娘の事じゃなく、藤子先生の話になってる…?
恐ろしい
シャマランむっすめ作品って事で気になって気になって・・・
劇場観に行こう!って決めてたのに先送りにしたら終わってた作品w
で、我慢できずにアマプラでレンタルw
なかなかに面白くて。
え?もうこんなに襲われちゃうの!?
って思ったら、襲われなきゃ秘密が見つかんなくてw
脱出できたと思ってら、え~まじっずか!
って感じで・・・
でも、最後は・・・・・良かったねwってwww
テイストとしては、やっぱ親子だなぁ~って思わせる感じがして。
でも、もう少し無理くりでもどんでんが欲しかったかな・・・
って、むっすめなんだから仕方ないんですけどね。
でも、今後の作品も期待しちゃうな!
北欧の舞台を活かしていて良かった
ホラーの名手Mナイトシャラマン製作。
娘であるイシャナナイトシャラマンが監督。
父親の映画はどこか生臭さが鼻につくが、娘にはそれがなくて見やすい。
北欧の鬱蒼とした森、
出口のない恐怖、
姿も目的も謎の“ウォッチャーズ”
その部屋にいれば彼らは何もせず安全だった筈なのに、ミナの行動が彼らを窮地に陥れ入れるー。
⚠️以下、ネタバレ⚠️
設定から、映画キャビンを彷彿させる。
実際、話もすこし似ていて、
ウォッチャーズは霊でもエイリアンでもなく、人に堕とされた妖精。森を舞台に北欧の伝承をうまく取り入れている。
仲間にウォッチャーズが紛れ込み、後半も緊迫感があって良かった。
口コミの評価は高くはないが、私は結構好き。
しかし、主演があのダコタファニング とは全く気づかず。可憐な美少女が、パワフルな女性になっていたことも驚き。
予告編映像が頂点だった。
本心を言えば、予告編以上の映像やスリルはなかった。
“それ“が支配している森は、言わば魔界で、
現実とは違う時間が流れ、生死を超えた超常空間。
本来、入口を封鎖すべき森で、富士の“青木ヶ原樹海“のような場所。
行方不明者が続出してるなら、封鎖して時々は捜索すべき場所。
多分、普段は何一つ不審なところはないのかもしれない。
この映画はM・ナイト・シャラマン監督の3人の娘の2番目。
イシャナ・ナイト・シャラマンが監督・脚本を務めている。
原作はイギリスの妖精伝説を元に、父親のM・ナイト・シャラマンが
2021年に出版した本を原作としている。
古代から生息していた妖精が人間と結婚をして、ハーフリングが
生まれた。
ハーフリングはその変わった容姿から人間として認められずに、
森の地下深い世界に独自の時間軸で生息し続ける。
それにしても解けない謎が多い。
謎を放置してそのまま終わるような映画。
主人公のミナ(ダコタ・ファニング)や人間を、
ガラス張りの部屋に閉じ込めて、夜にクリーチャーが
ウォッチングする?
なんのために?
殺すわけでもなく、食べるわけでも、交配して種の存続を
図る訳でもない。
全て映画のために、伏線をばら撒き、未知の存在を想像させて、
不可解なホラー空間を創り、解けもしない謎に監督自ら、
的確な答えも見つけられない。
そんな雰囲気だけの作品でした。
家業が世襲な訳ではないのだから、ホラー以外の映画で
勝負すべきだと思います。
お父さんの新作「トラップ」では姉のサレカ・シャマランが、
アリーナツアーをする歌姫役で出演している。
娘売り出しのプロジェクトはパパを熱中させている。
なに!お父ちゃんの方じゃなかったか!
どおりでちょっといつもとテイストが違うなーって思ったわ。
アーティスト志望のミナはペットショップでアルバイトをして生計を立てている。ある日オウムを届けるため、クルマで山道を抜けようとするが途中で故障し深い森の中で立ち往生する。
全く動く気配のないクルマに見切りをつけ、オウムの入った鳥籠を持って森の中を歩き始める。
すると目の前に不気味な看板、看板にはNo way to return 戻る道はないという文言と番号が、気味が悪くなったミナはクルマに戻ろうと振り返ると、そこにあったはずのクルマが無くなっている。
パニックになりながら森の中を歩あていると、遠くから初老の女性がこちらに来いと呼びかけてくる。
ミナは呼ばれるままにある建物に入ると、そこは住居ではなくて初老の女性マデリンによると鳥籠と呼ばれている場所。そこにはマデリンの他にミナと同じぐらいの世代の女性シアラ、19歳の男性ダニエルの3人が奇妙な共同生活をしていた。
部屋は大きなリビング一つのみ、一面が全面ガラス張りになっている。
そこでは普通の暮らしではなく、夜になるとウオッチャーズと呼ばれる存在が彼らの暮らしぶりを観察に来るらしい。一体何のため?
このウオッチャーズの存在がもちろん映画の最大のキーになってくる。シャマラン印ならではのいつもの定番テーマ、自然の大いなる力だったり、家族の愛だったり、そんなテーマをホラータッチで見せていくんだけど、いつもよりも少しだけ分かりやすいように感じた。ん、なんかある程度どこかに着地させようとする意図を感じて、おや?と思ったら映画の解説を見て初めて監督が娘シャマランだと知った。
まあ飛行機の中鑑賞だったのであまり情報を事前確認してなかったのが幸いしたのか、先入観なしで鑑賞できてちょっと親父シャマランとのタッチの違いを感じることができたのは良かったかも。
それにしても、制作に親父シャマランが入ってるとはいえ、監督と脚本は娘シャマラン、全くもって血は争えんと言うか、その謎めいた舞台を徐々に明らかにしていくアプローチはお父さんの影響バリバリ。
息子クローネンバーグはまだもう一皮二皮剥けてもらわんとなーと思ったけど娘シャマランはもうかなり仕上がってます。
まあもちろんツッコミどころも沢山あるけど、世界観やストーリー展開含めて今後が楽しみな監督さんやなぁと期待したくなった。
シャマランと言うプレイ
娘が監督していますが、関係ない!
シャマランの映画です。
シックスセンスで驚き、あの驚きをもう一度体感したくて
シャマランを追っている方、大勢いますよね。
かく言う私もその一人。
シックスセンスもファンタジーではありますが
意外性と納得のできるオチが気持ちよかった。
この家族、もうそんな映画撮るつもりないですよ。
殆どがやりっぱなしで、観客が気になっている
軸になる謎は「不思議な話でしたね」でやり逃げします。
誰もが納得のいくネタばらしができないなら
ストーリーの軸を大きな謎にしなければいいのに。
一度、ハリウッドのスタジオにも愛想つかされてますから。
それでも「ヴィジット」や「オールド」は
まだ、落ちがやや成立してました。
そんなのを観ると
「シャマラン、まだやれんのか?」〜「またダメか」
って思ってしまいまた観てしまう。
そんなループというかプレイですね。
相方にどんなにDV受けても
「昔は優しかったから忘れられないの」
もう、そう言うプレイです。
理にかなっていない、ただの不思議映画を観たい方は
おすすめの映画ですが
シックスセンスが好きな方は
今後もシャマランファミリーにご注意を。
私はシャマランファミリーの
周辺パトロールを続けます。
幻想的な
世界のどこかにあるかもしれない場所。
誰しもが知る幻想的な生物の存在に焦点にあて、物語を作り上げてる点は面白く感じた。
ホラーとしての縛りもしっかりしてて良かったと思うのだが、そこへ迷い込むまでの導入部の弱さを感じた。
そのため逃げたときの解放感がもやもやしたものとなった。
シナリオは破綻していたが、 設定の一部は楽しめた。
シナリオは破綻していたが、
設定の一部は楽しめた。
博士の仮説、新説、研究していた事、
の設定への評価が作品自体の評価に影響する。
どういう事か。
博士の仮説を内容に触れないように言い換えると下記のような事。
人工知能のような物は、
アクティブなディープラーニングを繰り返し、
人知を超越した【全能の存在】に到達する。
その存在はいずれ実体を求める。
全能の存在はいとも簡単に方法を実践する。
シンプルな細胞に、
自らを解体して、
コアな中枢部分のみ、
有機物のようなものに侵入する。
植物、単細胞生物に拡散、
さまざまな、
擬態を繰り返し、
シャドウイングを継続する、
進化なんていきあたりばったりの、
無邪気な状況ではない(劇中のオウムの名はダーウィン)。
目的がある。
【全能の存在】は神を目指している。
過去にも同じような事は、
起きていた。
その存在を、ジャンボタニシなどと呼び、
◯◯や◻︎◻︎として封印して、6頭ジョーズとは袂を分かつ、
という事にしていた。
曲解して意訳すると、
教授の仮説はこんなところだ。
タニシもサメも言ってません。
そう解釈すると、
なかなか設定は楽しめた。
父シャマランも参加していたようなので、
自分としては期待薄、
無理矢理楽しもうとした結果かもしれない。
こんな壮大な設定を、
エンタメ的にストーリーに着地させるにはハードランディング過ぎるのは予想できた事と推察する。
それでもやってしまう姿勢は、
一発屋父シャマランの、
カエルの子はカエルなのか、
おたまじゃくしなのか、
はたまた変態するのか、
今後しばらくは注目かもしれない。
いい意味で裏切られた
シャマランの娘=宇宙人、超自然なB級と思い鑑賞〜
開始30分でやはり宇宙人()…駄目かもと思ってみてたらストーリーにのめり込み
実に良かった〜
デル・トロ監督のおどろおどろしいクリーチャーデザイン&雰囲気を感じる伝記モノ
やはり原作(脚本)が大事なんだとつくづく
オヤジが相変わらず風呂敷畳まない+トンデモ展開なのでハードル下がりまくっていたとこに正統派!
脱出後の尺で、もしやと思わせ一波乱…
次回作にも期待!
…オヤジは娘の作品みて学んでくれホント
親子鷹で同系ジャンル映画に挑戦! 及第点のアイルランド版「八幡の藪知らず」スリラー。
マジか。これ、ヒロイン、ダコタ・ファニングだったのか!
観てるあいだ、一切気づかなかったよ(笑)。
いつものように予備知識ほぼゼロで観に行ったので(「シャマランの娘が撮った」ということだけは知っていた)、エンド・クレジットでダコタちゃんの名前が出て来て、マジでびっくりした。なんなら、この映画で一番びっくりした(笑)。
いやあ、こんな顔に育ってたのか。
ふつうにくせのない別嬪さんに育ってるやん。
そういや、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にもマンソンズ・ファミリー役で出てたんだっけ。観たのにまるきり忘れてました……。
あと、ふつうに「原作があった」ことにも、結構びっくりした。
父親のシャマランが意地みたいにオリジナル脚本のどんでん映画ばかりで勝負し続けている監督なので、娘もその系譜を受け継いでいると勝手に思い込んでいたのだ。
これもある種の先入観を利用した「どんでん返し」のようなものか。
まあ、本編のほうはそこまでびっくりするような映画ではなかったし、父親が『シックス・センス』で一時代を画したような衝撃性は感じられなかったが、この手のゴチック・スリラーとしてはずいぶんと良く出来ていたほうではないだろうか。
みんな、期待しすぎだったのか、
二世監督なので評価が辛いのか、
ちょっと手厳しい感じがするけれど……(笑)。
このお話の場合、設定がどうとかクリーチャーがどうとかは二の次で、まずは「一度入ったら二度と抜けられない森」を舞台とした「森ホラー」なのだ、というのが重要だ。
要するに、童話でいえば『ヘンゼルとグレーテル』。
ホラーでいえば『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』あるいは『クライモリ』。
日本でいえば『青木ヶ原樹海伝説』あるいは『八幡の藪知らず』。
「何度も同じ場所に戻る」
「背後の車が突然消える」
「どこまで行っても出られない」
これらの現象は、実は「何が棲みついているか」とか、「森がどういう構造か」とはあまり「関係がない」。この魔法がかかったような鬱蒼たる森に、もともと付随するタイプの怪奇現象であり、超常現象である。
その意味で本作は、「森で迷う」という狩猟採集民にとっての原初的恐怖、DNAに刷り込まれた惧れに根差したスリラーだと言って良い。
そして、この「迷いの森」という王道の恐怖を、「アイルランド」という土地性と結び付けたことこそが、この作品本来の意義なのだと僕は思う。
米メリーランド州の魔女伝説と結びつく『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。
米ウェストバージニア州の南北戦争落ち武者伝説と結びつく『クライモリ』。
南米アマゾンの秘境性と結びつく『人喰族』『グリーン・インフェルノ』。
中米のバルベルデが舞台の『プレデター』。
ドイツの黒森が主な舞台となるグリム童話の恐怖譚。
羆嵐の伝承をベースに旭川の森を舞台に展開する知念実希人の『ヨモツイクサ』……。
「森」の恐怖には、つねに地域性があり、それぞれの風土性がある。
『ザ・ウォッチャーズ』の主役は、ダコタ・ファニングでも、他の三人でもない。
真の主役は、アイルランドの森なのだ。
アイルランドは、幻想と魔法の国。
森のたたえる雰囲気や空気感にも独特なものがある。
そして、何よりも、アイルランドは「妖精の国」。
だからこそ、本作には、謎の「妖精」が出て来る。そういうことだ。
― ― ―
「アイルランド」「森」「妖精」の三題噺から、本作は二つの方向性を引き出した。
ひとつは「何かに観られている」という根底を成す設定。
もうひとつは「なぜ観られているか」に関する理由付け。
前者は、「窃視」「監視」「舞台」「監禁」といったテーマと結びつく。
後者は、「観察」「模倣」「複製」「チェンジリング」といったテーマと結びつく。
これらをうまく、ちりばめられた小道具と結び付けているのも面白い。
前者は「リアリティ・ショーのビデオ」「ガラス張りの部屋」「鳥かご」「監視カメラ」
後者は「オウム」「鏡」「双子の姉妹」「死んでいるはずの来訪者」などと呼応する。
これらが、巧みに「オーバーラップ」しているのも、作り手の頭脳的なところで、僕はけっこう感心してしまった。
●たとえば「物まね(ザ・ウォッチャーズの目的)」を象徴するオウムは、同時に、森に出入りできる水先案内人としての「鳥」の機能と、「鳥かご」に閉じ込められている4人を象徴する機能と、まっさきに地下室に持っておろされるような「炭鉱のカナリア」としての機能を併せ持つ。
●彼らが閉じ込められている「鳥かご」は、牢獄であると同時に、この森で唯一の避難所(レフュージ)でもあり、いつか脱出すべき場所であると同時に、敵から身を守ってくれる憩いの場所でもある。
●覗き見のために部屋に用意された巨大な「ガラス板」は、外部からは観察用の「窓」として穿たれているが、内部からは4人を映し出す「鏡」として機能し、常に4人の姿を「コピー」して、ダブルイメージを形成している。彼らは、つねに「複製される恐怖」に映像のなかで潜在的にさらされつづけているわけだ。
さらには、本作の設定やビジュアルイメージには、さまざまな既存のイメージや過去作品のニュアンスが巧みに取り入れられている。
●明かりのなかで、4人が並んで立たされる設定には、マジックミラー越しに目撃者が容疑者の顔認証をする『ユージュアル・サスペクツ』のような取り調べのイメージが援用されている。同時に、この「4人横並び」は、芸能界におけるオーディションをも連想させる。
●室内が明るく、前面が総ガラス張りで、外から異形が様子をうかがっている設定というのは、『ミスト』(2007)におけるスーパーマーケットの舞台装置と酷似している。あのスーパーマーケットは、「籠城するための避難所か、それとも脱出するべき牢獄か」の判断で内部紛争が生じたという意味でも、本作の鳥かごと類似した装置である。
森を抜けたら現れる、小集団が運営するステージというイメージは、『ボーはおそれている』でも観ることが出来た。
●パンフレットでは、『パンズ・ラビリンス』『ウィッチ』『アンチクライスト』の名前が影響を受けた作品として筆頭に挙げられていて、当然それはさもありなんといった感じだが、「監視映画」としては、『裏窓』『コレクター』『硝子の塔』『トゥルーマン・ショー』といった既存の前例ないしは近年のリアリティー・ショー・ブームが念頭に置かれているだろうし、そこに『SF/ボディ・スナッチャー』や『ローズマリーの赤ちゃん』『ゼイリブ』『ステップフォード・ワイフ』『寄生獣』といった「異形が人間にすり替わって紛れ込んでいる」擬態系の恐怖、あるいは失われた愛する物を異形の力を借りて復活させようというフランケンシュタイン幻想がかけあわされている。終盤に判明する、とあるキャラクターの正体に関しては、『スピーシーズ 種の起源』や『スプライス』あたりを想起させるところもある。
●地下のダンジョンを支配している異形のクリーチャーという設定は、『ディセント』や『トレマーズ』を容易に想起させる。同時に、害意をもった「集団」が「出られない森」に巣食って、人間たちが罠にかかるのを待ち受けているというのは、まさに『グリーン・インフェルノ』や『クライモリ』と同種の設定である。一方で、「逃げようとしない限り、単に観察してくるだけで危害を加えてこない」という設定は、『未知との遭遇』や『コクーン』のような、フラットな姿勢で人間に接してくる異星人映画をも想起させる。
●なにより、森から出られない設定や、異形の怪物が外でうろついている設定、外界から孤絶させられた小さな集団内で、厳格な「ルール」が設定され、共同体のメンバーがそれに諾々と従っているというのは、なんのことはない、父親であるM・ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』(04)の焼き直しのようなものである(笑)。
望まずして4人の集団が強制的に結成させられて、傍がきいたら鼻で笑うような謎ルールでがんじがらめにされたうえ、それに逆らったら死の報復が待っている、というのも、父親の前作『ノック 終末の訪問者』(23)と、とてもよく似ている気がするし。
要するに、原作探しや演出において、イシャナは結局、父の幻影を追い求めている部分があるということだ。
― ― ―
演出面でも、全体のイメージの統一の面でも、イシャナ・M・シャマランは、新人監督らしからぬ手腕を発揮しており、僕は素直に感心した。
もちろん、手長足長みたいなクリーチャーの造形をダサいと思う人もいるだろうし、「何かに監視されている、何かに監視されている」とさんざん強調しておいて、実はどんでん返しでもあるのかと思ったら、「マジで何かに監視されてるだけ」でがっかり、という人もいるだろう(この展開自体、父親の『サイン』(02)を彷彿させる)。
でも、細部に関しては意外にちゃんと考えてある部分もあって、たとえば、なんでここまで明確な「ルール」が設定されていて、かつきちんと継承されるようなことが可能なんだろう?って不思議に思うようなところも、真相をきくと、なるほどコイツが元凶だったから可能だったのか、といちおうは理解できる仕掛けとなっている。
全体の展開としては、そこそこうまくバランスがとられているし、先に述べたように「要素をより合わせる」手癖が上手い。
まあ、要所要所で製作に控えるお父さんが助け舟をだしているのかもしれないが……。
マイナス点で一番気になる点をいえば、やはり「食」の要素がどうやって成立しているのか、観ている範囲ではよくわからないところだろう。
あんな原始的な罠で毎日何羽もカラスが捕まるとはとても思えないし、一日4羽獲れたとしても、それと山菜だけで4人の飢えが満たせるとは到底信じがたい。何より、炭水化物はどうやって手に入れているのだろう?? 1週間くらいなら鳥肉だけでもなんとかなるかもしれないが、何か月、何年という話になってくると、正直絶対に飢え死にすると思う。
夜じゅうは姿をウォッチャーズに見せているとして、どういうサイクルで寝て、狩猟・採集に費やして、蓄音機とビデオの他にどんな娯楽があるのかなど、総じて「生活面」の要素がまるできちんと練られていないというか、敢えて観客が意識しないように気配を消させて、「そこはあんまり考えないでね!❤」みたいな作りになっているのは、さすがにどうかと思う。
とくに「排尿・排便」と「身体の清拭・衣服の洗濯」「水の管理」といった部分に関して、ほとんど言及されないあたりに、作品が概念的でリアリティーを欠く大きな要因があるように思う。
あと、冒頭の配送ミッションが、森で起きた事件と何か関連があるのかと思ったら、何にも言及されないまま終わったのには、ちょっとびっくりした。特段、道に迷ったような描写や、交通標識が誤解を生む表記だといった描写もなかったし、あれって言われたとおりに行ったら、あの森に迷い込んだってことだよね? ペットショップの店長がザ・ウォッチャーズの回し者みたいな話になるのかと思っていたのだが、的外れな推測でした。
その他にも、終盤の(森を脱出したあとの)蛇足感とか、シェルター建設に関する適当きわまる説明とか、教授の資料に関する雑な扱いとか、不穏な気配を漂わせながら結局なんにも起きない乗り合いバスとか、双子設定が活かしきれていないところとか、婆さんの正体について説明不足に感じる点とか、なんでクリーチャーは森から出られないかの謎設定(いきなり「封印だわ!」ってどういうことだよww)とか、ひっかかる点もそれなりにあるのだが、まだ24歳の新人監督の仕事にめくじらをたてるのも大人げないでしょう(笑)。
全体としては「僕好み」の謎解き風味のきいた良質のサスペンス・スリラーでした!
そういや、僕らの世代で『ウォッチャーズ』といえば、なんといってもD.R.クーンツの『ウォッチャーズ』(究極のワンちゃん大活躍ホラー小説)なんだけど、あれも真相の面ではなんとなく近しい部分もないではなかったな。
全米4位
M・ナイト・シャマラン製作のもと、娘のイシャナ・ナイト・シャマランが長編監督デビューを果たしたホラー「ザ・ウォッチャーズ」(ワーナー)は、4位に初登場。ダコタ・ファニング(「イコライザー THE FINAL」)は、28歳の孤独なアーティスト・ミナを演じました。彼女は、地図にない不気味な森に迷い込み、こつ然と現れたガラス張りの部屋に避難。そこにいた人々は“何か”に監視されており、破ると殺される3つのルールを課せられていました。ジョージナ・キャンベル(「クリプトン」)が共演
シャラマン節
ナイトシャラマンの娘、イシャナの
長編監督デビューを果たした「ホラー映画」
え、ホラー映画だっけ?!
はい、ホラー映画という体なのですが
良くも悪くもナイトシャラマン節と言うか…
まぁ原作がホラー小説じゃなくて
寓話、おとぎ話なのだとすれば納得。
そもそも全然怖くないのは想定内🫠(笑)
ウォッチャーズに監視されているのは不気味
でも快適空間でもないそんな所に軟禁状態で
食事もままならず、お風呂やトイレ問題
とにかく人間関係トラぶりそうなのに
そこは比較的緩く進む。
緊迫感がありそうでなくて、
物語も新鮮味はないから退屈かな。
シャマランの一族
シャマランの一族だから解釈は観客に任せます的な難解な作品なのかと思ったら
割と理路整然とした作品で
オチもスッキリ終わって面白かった
所々あるジャンプスケアは要らないと思う
他の人の感想みたらファンタジーって言ってる人が結構居て
へぇってなった
個人的にはクトゥルフ神話的な話ではあるなぁとは思った
まぁクトゥルフ神話がファンタジーであるというのならファンタジーかもね
ネタバレ禁止映画として衝撃度は低、丁寧さは高
深い森の中に迷い込み、小さな小屋にたどり着いた主人公が、夜な夜なやってくるウォッチャーズにおびえながら、すでにそこにいた3人とともに脱出できるかというお話。
シャマラン監督の娘ということだが、父親と同じ路線を期待通りに歩んだいわゆるネタバレ禁止のサスペンス映画。
・ザ・ウォッチャーズって、何者なのか
・どうやって脱出するか
・すでにいた3人は(もしくは主人公も含め)、ただの被害者か、それともいわくがあるのか、というかいわくアリにしか思えない
というような謎をきれいに回収していく。
伏線も含めて、曖昧さや「判断は観客にお任せ」的な逃げ方はやめて、丁寧に説明していく。
やや説明的なセリフはあるにせよ、その点では好印象。
家族のドラマも多少絡めているが、自分としてはそこは薄味。
もはや妖精でも、怪物でも、宇宙人でも対して変わりはないウォッチャーズの正体は
大した問題ではない。
脱出に関しては、さんざん苦労した迷いの森をあっさり抜けられたのは
マデリンのおかげと一応、理解。
リアリティ番組のビデオはミスリードだったのか、カップルになれば出られるというオチは無かった。
っていうかペットショップのくだりもミスリードで、人間は飼われているのではなく、小屋に逃げ込んだだけ。
さいご、脱出時に森を抜けられて、太陽の下で生きられているため、さいごの3人に「いわく付き」は無いと思わせておいて、人間とのハーフであれば、大丈夫かもねという後付け説明はちょいと反則。
全体としては謎の衝撃度は低め、正攻法で謎を説明する丁寧さは高めでした。
森に潜む不穏な陰
M・ナイト・シャマラン監督がプロデュースし、その娘イシャナ・ナイト・シャマランが、初監督作品としてメガホンを撮ったサスペンス・ホラー。冒頭、不穏な森から必死に逃れようとする一人の男とその男を得体の『知れない何か』が追い詰めるシーンから映し出される。のっけから、ハラハラ、ゾワゾワさせる緊迫感と悲壮感を植え付けてくる、シャマラン・ワールドに引きずり込まれた。
『得体の知れない何か』は父のシャマラン監督も得意とするところ。そのDNAをしっかりと娘も引き継ぎ、その『得体の知れない何か』を『森の監視者』として描いた作品。ある意味、最近の父の作品より、個人的には、ストーリーの展開を楽しめた。但し、やっぱりラストがどうもご都合主義で、しっくりこないでエンドロールを迎えるのも、父のプロデュースの影響なのか…とも勘ぐってしまう。(笑)
15年前の交通事故で母を亡くしたミナは、そのトラウマからなかなか抜け出せないでいた。ある日ミナは、鳥籠の一羽の鳥をある場所に届けに行く仕事の途中、森の中で迷い、車も故障してしまう。助けを求めて森を彷徨っていると、車が消えてしまい、何かが追ってくる気配を感じる。そんな時突然、ガラスに囲まれた鳥籠と呼ばれている小屋が現れ、その中にミナは避難した。
そこには、老婆のマデリンと若い女性シアラと10代のダニエルが居た。彼らは、毎夜訪れる『得体の知れない何か』に監視され、怯えながら何か月も鳥籠で暮らしていた。そして、そこには破ると、『得体の知れない何か』に殺されてしまうルールがあった。何とか脱出を図ろうとするミナだったが、次第にその鳥籠が作った人物や作られた目的、経緯が明らかになる中で『得体の知れない何か』の、驚愕な正体も見えてくるのだが…。
主役には、どこかで観た覚えがあると感じていたら、なんと『宇宙戦争』でトム・クルーズの子供役や『トワイライト』シリーズでも出演していてた、ダコタ・ファニングが演じていて、随分、成長した姿に驚かされた。
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