劇場公開日 2025年3月7日

「管理教育の「功」の一面も垣間見せる」35年目のラブレター talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0管理教育の「功」の一面も垣間見せる

2025年4月25日
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鑑賞方法:映画館

教育レベルの低さから字が読めない人を指す言葉に「文盲率」というのがあります。
日本でも、江戸時代などは読み書きができたのは武士や僧侶などの知識階級だけで、庶民一般は文盲だったのが普通のようですし、明治期に入っても女性には、とくに高等教育の機会が与えられなかったことから、日常の読み書きも十分にはできない人が多かったと聞き及びます。

それが、今(令和)の日本では、インターネットが爆発的に普及するなど、この文盲率の低さ(識字率の高さ)には、日本の教育制度が大きく貢献してきたことに、疑いはないこととも思います。
(ただし、無戸籍の故に就学していない人は、そもそも識字率の調査からも漏れているのではないかとも思われ、文部科学省が発表している日本国民の識字率99%(調査の結果で文盲の人が把握できなかった場合は、統計上は99%とするらしい)は、それを割り引いて考えなければならない?)

つまり、いくらIT技術・通信技術が進歩しても、ウェブサイトに書かれている文字が読めないのでは、インターネットの有用性も半減してしまうことでしょうから、インターネットの普及は、=識字率の高さ、文盲率の低さを意味していると言えることでしょう。

いわゆる「管理教育」として、日本の…とくに義務教育諸学校の教育は、文部省(文部科学省)が決めた学習指導要領にもとづいて、学習指導要領に書かれていることだけが「正解」とされる教育で、個々の子どもの個性や創造性は少しも顧みられていなかったという批判は、評論子も正当とは思うのですけれども。
(「雪が融けたらどうなるか」という教師の問いに「水になる」と答える子は優秀として評価されるが、「春になる」と答える子は、「異端児」「どうしようもない子」として、一人前の扱いを受けないことにも例えられます)

反面、別の意味ではその初期の目的どおりに、子どもたちの学力を効率的に引き上げ、現代の驚異的ともいえる(?)識字率の高さ、文盲率の低さに大きく貢献した賜物であることも、また間違いのないことだったも思います。

そして、背景には高度経済成長を控えた当時の日本で、全国的な規模の企業を経営する大企業にとっては、どこの都道府県で募集しても、ほぼ均質な労働者を採用できるようになったということでは、「管理教育」は、とてもとても便利で有益な仕組みだったことにも、疑いはないこととも思います。

一方で、別作品『スーパー30 アーナンド先生の教室』のように、子どもたちがもともと持っている内発的な知的好奇心を高めることで、その学力を伸長させることが、教育としては本筋だったのではないかと考えてしまい、どうしても割り切れないものを、そこに感じてしまう評論子ではありました。

本作の背景には、そんなこんなの事柄が見え隠れするにしても。
ともあれ、一本の映画作品としての本作には、とある夫婦愛を見事に描いたものとして、佳作だったと、評論子は思います。

(追記)
子どもの識字率を大きく引き上げたことがわが国の教育制度の大きな「賜物」であることは 前記のとおりですけれども。

そのほかにも、均質な労働者の育成という点でも、功績が大きかったのだろうと思います。

そのお陰様をもって、全国的な規模で事業を営む経営者は、どこの都道府県で募集しても、学力という点では、そんなに差異のない労働者を大量に採用することができ、そして、そういう労働力がこの国の高度経済成長を支えてきたことは、疑いようもない事実だったことでしょう。

そう考えみれば、もう、高度経済成長などは「夢のまた夢」(経済成長を二度経験した国は、いまだかつて存在しないと聞き及びます)になったこの国では、上記のような教育観はまったくナンセンスで、これからは、本当に個々の子どもたちの個性や創造性がより重視される教育に変わっていくのではないでしょうか。

そうあってほしいものですし、そうでなければならないと信じるのも、独り評論子だけではないとも、評論子は思いました。本作を観終わって。

(追記)
〈映画のことば〉
辛いことでも、ちょっとのことでも幸せになる。

もともとは、皎子が、保の書いたラブレターの誤字を指摘したセリフでしたけれども。
「言い得て妙」の一言(ひとこと)だとも思います。
世知辛いことも多い浮世ですけれども。
こんなふうに考えることが、もしできたら、ちょっとだけでも生きやすくなるのかも知れないとも思いました。

(追記)
若かりし頃の保・皎子夫妻の部屋にあったポータブルの石油ストーブは、アラジン製のもののようでした。

もともとはイギリス製のもののようでしたけれども。

燃焼時の青色の炎が象徴的で、当時は「ブルーフレイム」というような愛称で人気があったように記憶しています。

画面の中で思わぬ懐かしいものを見かけて、ちょっと嬉しい評論子でもありました。

(追記)
保から、文字で苦労をかけた妻に文字でお礼をしたいので、ラブレターを書きたいと告げられたシーンでの皎子(原田知世)の表情が、評論子には、忘れられません。

驚いた反面、すぐに嬉しさが滲み出たことがありありと伝わる、素敵な表情で、ある意味、本作の感慨のすべてを、それだけで表現していたようにも思います。

女優・原田知世としての名演技だったとも、評論子は思いました。

talkie
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