蛇の道のレビュー・感想・評価
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異様な存在感、少し物足りない感じも
感情を示さない淡々とした佇まいの主人公・小夜子は、柴咲コウの目力も手伝って、やはり異様な存在感があり良かったです。
ふと感情を垣間見せる瞬間はゾクリとさせられました。
最近観た「ミッシング」にも出演していた青木崇高も印象的で、こちらではこういう表情をみせるのかと。
不穏な不気味な空気感、居心地の悪さ、妙な緊迫感などを感じさせる、映像やカメラワークも面白かったです。
何だかシュールでちょっと笑ってしまう場面も。
1998年の「蛇の道」は観ており、大まかなストーリーの流れは知っていたため、つい比較しながら観てしまいました。
個人的には前作の方が、暗く異様な得体の知れないホラー感があり好きですが。
なので、今作は少し物足りない感じもしました。
時代も国も映像技術も違いますし、昔のような陰惨さ暗さにするのは難しいのかなと。
この設定だとちょっと無理があるような…、と思ってしまう部分もありました。
とは言え、今作は今作で小夜子の物語として良かったと思います。
前作とは異なるラストも、そう来るか…と。
人間運びはヘビスタイル
黒沢清監督の映画は「クリーピー」「スパイの妻」しか見てないけど、どっちもかなり苦手だったので今回も正直期待はしていなかったが、その予想は大的中で、やはりこの監督の独特な雰囲気には乗れなかった。
まあ、サスペンスならではの空気作りは上手かったし、何より柴咲コウのフランス語がカッコよすぎてかなり魅せられはした。でも、同じことの繰り返しであるために、中盤以降は常に睡魔に襲われてしまった。淡々としているというか、浮き沈みがないというか。事件自体は結構なものなのに、重みが伝わってこないため、なんかこう面白みに欠けていた。
湿っぽい感じはすごく良かったんだけど、テーマが曖昧なのかなんか定まらない感じがしてもどかしかったし、とても綺麗な脚本とはいえなかった。そもそも、なんでフランスだったんだろう。リメイクする必要あったのかな??元となった1998年版は、本作よりも面白いという噂を聞いたのであえて未鑑賞のままだが、おそらく相当違う作品な気がする。
ラストはいいんだけど、西島秀俊とか青木崇高とか、ただいるだけでなにも生かされていなし、だんだんと緊張感が薄れボーッとした作りであったがために、なんかイマイチハマれなかった。でも、柴咲コウは最高。めっちゃ好きになった。
母親としての思い
セルフリメイクの復讐サスペンス
ルンバすら不穏なムードを掻き散らす
セルフリメイクの元となったVシネマでは、幼い娘の復讐にとり憑かれた男(香川照之)と彼を手助けする謎の塾講師(哀川翔)の、男ふたりがW主人公だった。リメイク作では、この哀川翔の役どころがフランス在住の心療内科医(柴咲コウ)へと置き換えられ、彼女が実質的な主人公役を担う。
その点で本作は、蓮實重彦氏が黒沢監督の前作『スパイの妻』評で「…『贖罪』(12年)シリーズ以降、監督の描くものは、予測不能な女たちの変貌ぶりの描写へと推移している。」と書いた、まさにその系譜に連なる一作となっている。今作のキモも、柴咲コウによる「予測不能な女」の「変貌ぶりの描写」にあるといえよう。
野ジカのような柴咲コウの身のこなしと比べて、ガタイの大きな共演者たちは総じて緩んでみえる。柴咲は、そんな彼らの肉体を生死にかかわらずモノ扱いする。ずらりと日仏の実力派俳優を並べてみせながら、彼女の「身体性」その一点突破に賭けた本作の「思い切りよう」に正直、驚いた。
復讐に手を染める女でも『マッドマックス:フュリオサ』のアニャ・テイラー=ジョイのようなストレートさや涙はここにはない。虚無の淵から時おり憎悪を覗かせる柴咲コウにとにかく目を見張らされる。
他方、オリジナル版で香川照之が演じた役のダミアン・ボナールは、どこか自らの体躯を持て余し気味にみえる。夜道で少女を凝視し続けていた香川照之の“闇の顔”はここでは影を潜める。ボナールが路駐現場から小走りで逃げ去ろうとする姿など、まるでMr.ビーンみたいだ。
元警備員役のスリマヌ・タジは007シリーズのリチャード・キールのようにいかつく、あの小柄なマチュー・アマルリックでさえ肉厚感が漂う(余談だが、マチューやグレゴワール・コランらが嬉々として演じていた「横並びの死体」には思わず吹き出してしまった)。
そのほか、ヴィマラ・ポンス、青木崇高、西島秀俊らは、ぜいたくな配役というか無駄遣い感がハンパない。
大まかなストーリーはオリジナル版に準じており、Vシネマにあった数々の印象的なシーン——例えば、人質が詰まった寝袋を引きずりながら野原を駆けてゆく遠景、壁に寄りかけられた3つの死体、不意に再生が始まる複数のビデオモニター、殺害映像を凝視する男の顔のアップなども本作で“再現”されている。
しかし、両作の「空気感」はまるで違う。
Vシネマの方は、一見いかにもチープな人物・場所設定のなかで時系列の再構成や反復を巧みに織り交ぜた脚本の妙(初期のクリストファー・ノーランみたい)が見事で、加えて哀川翔が乗り回すママチャリ、路上に書かれた謎の数式、仄暗い室内や夜道、ザラザラした質感のビデオ画面…などのディテールが、白昼夢のようないかがわしさとホラー・テイストを強めている。
一方、リメイク版を支配するのは、漠とした虚無感が支配する不穏なムードだ。そこへパリの石畳とアンゲロプロス監督作のような曇天が、本作に硬質な品格をもたらしている。
自分にとって、素直にB級映画的な愉しみに浸れたのが1998年公開の前作だとしたら、逃げ場のない虚しさが覆いつくす世界を垣間見てしまったのが本作だった、といえるかもしれない。
3体並ぶ姿はさながらテディベアのよう。
サヨコ
何なのこれ?
西島秀俊の出番って?
柴咲コウの演技は、良かったですが、フランス語は余りうまくないと思いました。特訓は、したと思うけど、彼女の設定役柄は、精神科医で、フランスで勤務しているわけだから、もっと上手く話さないとダメだと思う。なんかカタカナで書かれたフランス語のセリフを暗記して読んでいるような感じがしました。西島秀俊の出番の意味不明。
観客は蛇じゃない
オリジナル未観賞。
8歳の娘を惨殺され復習を望む父親と彼に協力する心療内科医が、とある財団の関係者を拉致して尋問して行く話。
なぜ心療内科医が協力しているかはわからない序盤、尋問はわかるけれどなんか父親楽しんじゃってる様にみえるんだが…。
話しがなかなか進まない上にテキトーな証言でふりだしに戻ってません?と思ったら正解ですか?もしかして、タイトルで補完してます?w
そして一応裏が取れたってだけで最初から、目的の人物判っていたってことですか?
更には、いつの間にそれ流す準備した?からのこっちの女は何言ってんだ?
それに父親も何で心療内科医がそこまで協力してくれるか疑問にすら思ってなかった?
真相のエグさはとても良かったけれど、それが明かされて行く過程部分の脚本がめちゃくちゃ過ぎません?
気にならない人もいるのかもしれないけれど、自分は気になり過ぎて没入出来ず、というよりなんだそれ?と感じてしまった。
哀川翔版を見直さないほうがよかったかな。別物として観ようしてもつい...
デオドラントされてなかった。
本作はデオドラントされていなかった。
どういうことか?
楽しみにしていたのは、リメイクといっても、
旧作のような、
作品全体の血、汗、肉の匂いを脱臭したような、
無機質な芝居で展開されるデオドラントワールド、
どう脱臭(デオドラント)して黒沢ワールドを表現するのだろう、
だった。
どういう意味か?
私は黒沢監督と2作品でご一緒した。
その経験から言えるのは、
黒沢監督のアイデアが変わっていて面白いという事だ。
何が変わっていて、面白いのか。
シナリオ、演出、撮影、ロケーション、
美術、小道具、衣装、劇用車(劇中に出てくる登場人物が乗車している車)といったあらゆる要素を駆使して、
観客の予測を裏切り、ロジックを脱臼させる。
骨折ではなく、破壊でもなく、脱臼だ。
観客はその変化に気づかないようだが、
身体は認識する、あれ?変だなこの人・・・
この空間・・・いずれ脳も認知する・・・だから脱臼・・・
結果として、怖さは脳ではなく、身体全体から感じ取られる。
すぐに席を立ちたくなる・・・。
変わっているのは、
非論理的(illogical)でも論理外(nonlogical)でもない。
「論」(シナリオ、演出、撮影等)を駆使して、
理(道理、真理、ことわり、常識、あたりまえ)を微妙にずらす。
観客は普通に観ているつもりが、
あり得ない病院、
あり得ない家、
いつの間にかあり得ない空間に引き込まれ、
脳がそれに気づいた瞬間に恐怖を感じる。
ロケハンも楽しかった。
あり得ない場所での撮影、
あり得ない芝居の動きや、
フォーカス、構図が美しくカメラに収められていく。
特に延々の長回しは、
やっぱり美しい。
ところが今作は、
あり得る自宅、
あり得る病院、
あり得る芝居、
血が通っている、
デオドラントされていない。
驚いた。
汗、血、涙の匂いが漂い、脱臼の心配不要のサスペンス作品だった。
【蛇足】
なぜデオドラントしなかったか?を推測。
〇キャストの芝居の力。
キャストのシークエンスを魅せ切る演技力はあるが、
黒沢ワールドに合っているかどうかは好みが分かれるだろう。
〇「大きい方なんだよー」
怖いけど微妙に滑稽・・・
ブラックリアリズム、
このニュアンス、日本人でも感じ取り方は、
人それぞれ違うだろう。
〇コンセプトを取り巻く、時代と国民性の背景。
当時の日本を舞台に、
この題材で、
恐怖と少しの滑稽さをを絶妙に調律していた、
それこそが黒沢ワールド。
しかし、
今作ではフランスを舞台に、
この題材の調律を考えると、
正面から問題と向き合う感も出さざるをえなかった・・・
◯今や、世界的スター、
丹治匠を旧作同様キャスティングしてほしいかった。
以上。
しらんけどでしたー
意外な猟奇展開が個人的に嵌らず・・・
黒沢清監督が1998年に制作した同名映画を、舞台をフランスに移してセルフリメイクした作品でした。主演は柴咲コウとダミアン・ボナール。ボナールは、先日リバイバル上映で観た「レ・ミゼラブル」で、信念のある主演の警官役を務めたのが印象的でしたが、本作では対照的に柴咲コウ演ずる新島小夜子を盲信し、操られる役柄で、中々興味深かったです。
お話としては、娘を謎の財団に殺されたボナール演ずるバシュレが、小夜子の助けを得て次々と財団の関係者を拉致しては復讐していくというものでした。はじめは実行犯を突き止めるというサスペンスかと思って観ていましたが、パリで精神科医をしながらバシュレの復讐を助ける小夜子のキャラクター設定が非常に不気味で、拉致監禁から殺害に至る復讐の方法も実に猟奇的。どちらかというとホラーチックな作品になって行くという意外な展開でした。
次々と拉致した財団関係者の証言を聞いていくうちに、事件の真相が徐々に明かされて行き、最終的に小夜子がバシュレを助けた動機や、別居している夫(青木崇高)との関係も判明するに至り、なるほどと思ったところでエンディングを迎えました。まあ最終的に謎は解けた訳ですが、実に後味の悪い物語であり、あまり好みの作品ではありませんでした。
ただ俳優陣は中々素晴らしく、特に柴咲コウの俳優魂は大したもので、パリ在住の日本人の患者である吉村(西島秀俊)や、夫との会話以外は全編フランス語で演技しており、(フランス語が全く分からないので、そのレベルがどの程度かは定かではないものの)この作品のために相当な努力をされたことは間違いなく、その点は大いに評価したいと思います。また、ダミアン・ボナールの何か裏がありそうな雰囲気を表現しつつ、徐々に小夜子に操られて狂って行く感じの演技も見物でした。
一方で、在パリの日本人患者を演じた西島秀俊は、もっと重要な役どころなのかと思いきや、全然そんなことがなく、何となくもったいないような気がしました。小夜子の夫を演じた青木崇高は、テレビ電話越しの登場シーンしかなく、ある意味贅沢な配役でしたが、彼に与えられたセリフが余りに軽率で、もう少し何とかならなかったのかなと思ったところでした。あの最終盤のセリフは、役者が生きて来ないように思いました。
そんな訳で、本作の評価は★3とします。
柴咲コウの目力
とりあえず旧作を観ていても、観ていなくても楽しめるはず、とまずは書いておこう。
哀川翔と香川照之の演じた旧作(1998)における、哀川翔の立場なのが、柴咲コウらしい。
ほぼ、柴咲コウ映画。
彼女の目力を見るための作品。
犯行・計画の稚拙さとか、拉致した連中があっさり白状するご都合さとか、いろいろ問題はありますが、その辺がどうでもよくなる柴咲コウ。
フランス(というか海外)にした理由は、最後の最後でわかりました。
西島秀俊が演じる吉村は、なんのために出てきたキャラかわかりにくかったです。
おそらく「自分の手で始末する」意味を見せるものであり、柴咲コウ演じる小夜子がすべてを成し遂げた後の姿を暗示するんでしょうね、と推測。
旧作の続編『蜘蛛の瞳』相当の先取りというか。
あ〜それでか
全111件中、41~60件目を表示