化け猫あんずちゃんのレビュー・感想・評価
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姿が猫に変わるだけで、こんなに印象がキュートでまろやかになるのものでしょうか。見た目と異なり中身はおっさんという「ギャップ萌え」も発生しているようです。
「カラオケ行こ!」「1秒先の彼」の山下敦弘監督とアニメーション作家の久野遥子監督がタッグを組み、いましろたかしの同名コミックを日仏合作で映画化し、アヌシー国際アニメーション映画祭の長編コンペティション部門に出品された長編アニメーション。
●ストーリー
ある豪雨の日、南伊豆・池照町の一角にある草成寺の住職が段ボール箱の中で鳴いている子猫を見つけます。その猫は「あんず」と名付けられて大切に育てられますが、奇妙なことに20年が過ぎても死ぬことはなく、30年経った頃には人間の言葉を話して人間のように暮らす化け猫となっていました。現在37歳のあんずちゃん(森山未來)は、飼い主であるおしょーさん(鈴木慶一)の養子となり、寺の仕事を気まぐれにこなしつつ、日常生活をおくっていたのです。たまに原付バイクに乗って移動し、マッサージ師のアルバイトもしていました。但し、ノーヘルと無免許を警察に指導された後は自転車に乗り換えています。
見た目は愛らしいのに、食事中にオナラはするわ、立ち小便もするわ。しぐさは完全なおっさん。 おしょーさんに拾われた際に、安心させるような笑い声を掛けられており、それに似た「ニャッハッハッ」という高笑いをよくします。
ある日、親子ゲンカしたまま行方がわからなくなっていた住職の息子の哲也(青木崇高)が、11歳の娘かりん(五藤希愛)を連れて寺に帰ってきます。かりんの世話を頼まれたあんずちゃんは、仕方なく面倒を見ることになります。
しかし逆に金をあんずちゃんにパチンコで使い込まれる等、迷惑を被ることに。またかりんには、亡くなった母に会いたいという願望があり、それを叶えて名誉挽回したいあんずちゃんは、彼女と一緒に上京するのです。さらにどういうわけか、地獄へと繰り出すことになります。
●解説
今作の最大の特徴は、実写映像を基にアニメーションを作る「ロトスコープ」と呼ばれる手法を採用したことにあります。山下監督が演出し、撮った映像や音声に基づき、久野監督がスタッフとアニメーシを作り上げました。
あんずを演じた。中の人”は、森山未来。ロトスコープの効果は抜群で、躍動感あふれる森山の動きと豊かな表情があんずに乗り移っています。シンプルなアニメ化ではこの味は出せなかったことでしょう。これだけで一見の価値ありです。
山下監督は過去の実写作品と特段、変わらずに演出したといいます。「全身で芝居をするタイプ」と評するあんず役の森山未来については「猫っぽい動きを注文したりはしたけれど、わざとだらしない感じでやってくれて、苦労はありませんでした」と称賛します。 一方、久野監督は「動きが出すぎてしまうか、普通のアニメの感覚で止めすぎてしまうか。うっかりすると、どちらかになってしまう」と、難しさを語る。ただ、大きな発見もあったといいます。「人間は思ってもみない動きをするので、自分も、アニメーターたちの頭も拡張されていく感覚がありました。初めて監督という立場で長編を手がけたことで、『お芝居の大切さ』が身にしみました」。
脚本開発にあたっては、制作に加わった仏のアニメスタジオ「MIYUプロダクション」の意見も多分に取り入れました。その結果、仏側の反応が良かったといいます。その結果、あんず以外の妖怪の登場シーンが増加。
あんずちゃんにしか見えない貧乏神とか妖怪とかが現れるとぼけたエピソードは脱力系のコメディーとなっています。貧乏神やカエル、たぬき姿の妖怪たち。えんま大王まで出てくる後半のドタバタ劇は笑いを誘うことでしょう。同時に、かりんの母への思いが浮かび上がり、今までの反抗期一色だったあんずが、ひとりの娘として可愛らしく思えてくるのです。頼りない父親だけど、それでも親として認めているかりんの気持に触れるとき、ちょっとグッとくるものを感じることでしょう。
●感想
姿が猫に変わるだけで、こんなに印象がキュートでまろやかになるのものでしょうか。見た目と異なり中身はおっさんという「ギャップ萌え」も発生しているようです。
人を食った話だと、あきれることなかれ!タイトルと設定と絵柄から予想される興趣のはるか上を行く佳品でした。だらしない中年オヤジのごときあんずちゃんは情に厚い人格者~トラ柄だけに寅さん的(?)で、頼りない父親を、不満だらけでも慕うかりんを見守る。その距離感が絶妙で、多感な少女のひと夏の物語としてみずみずしいなと思えました。
ただし、かりんの母親に会うためにあんずちゃんと地獄に行くという展開、特に閻魔様まで登場し、閻魔様の手下となる妖怪とあんずちゃんたちがバトルを繰り広げるところはぶっ飛びすぎて、ストーリーについて行けませんでした。その辺が同じ異界を描く新海誠監督作品との違いでしょう。
「生きてればいいことあるから」かりんのみずみずしい表情がさらに傑作へと導いている
ここのところ、不満足なアニメ映画が続いていたのですが、久しぶりに素晴らしいアニメ映画に出会えました。後半は涙目になり、それでいて懐かしさと心地良さを感じました。
化け猫のあんずちゃんは、ドラえもんをおじさんっぼくしたキャラですが、かりんを優しく見守る姿に好感です。
かりんは、舌打ちするリアルな現代っ子ですが、みずみずしい豊かな表情が印象的で、作品の質をさらに高めているように感じました。
「生きてればいいことあるから」は、劇中でかりんの母親が言ったセリフです。今、自殺を考えている人たちにぜひ届けたい言葉です。前向きに生きていける人間になりたいですね。
往年の名作を現代的にアップデートした感触があり、アカデミー賞のアニメ部門にノミネートされる可能性は高いと思います。
不思議で微妙で愛おしい
癒されないけど、憎めない。
可愛くないのだが、愛おしい。
微妙で褒めにくいのだが、嫌いになれない。
不思議な作品でした。
キャラたちが法を犯したり、過激な暴力表現があったりと、ややとっつきにくい部分もあったが、アニメーションというオブラートが上手く機能していたと思います。
実写をアニメ化する手法故か
日常にとぼけた化け猫やらやさしい妖怪やら情け無い死神やら出てきて楽しい
それにしても地獄の鬼どものヤクザと見紛う恐ろしさ
少女の成長物語なのだが、いい加減な父親半殺しは良いとしても、愛する母親は地獄でどうなってしまうのだろうか?
”あんず”と”かりん”の地獄巡り
実写映像をアニメ化する「ロトスコープ」という手法を使って制作されたアニメということでしたが、私の鈍感さゆえか、正直普通のアニメとの相違が感じられませんでした。
それは脇において内容的なところでは、化け猫であるはずのあんずちゃんが、普通に人間社会に溶け込んでおり、愛らしいオッサンそのものを演ずるという世界観が心地よかったです。借金取りに追われる父親に、祖父が住職を務める伊豆のお寺に半ば置き去りにされてしまったかりんが妙に大人びていて、いかにも現代の女の子っぽかったのもキャラクター設定として良かったと思います。
終盤亡くなった母親に会うために地獄に侵入したあんずちゃんとかりんの冒険や、対峙する閻魔大王のユーモラスなヤクザ感も絶妙で、終始温かい空気に包まれたお話でした。
惜しむらくは、「ロトスコープ」の良さを実感できなかったことくらいでしょうか。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
夏休みにぴったり
あんずちゃんが人間の生活に馴染み過ぎてて面白い笑
和尚さんがあんずちゃんに向かって「大人なんだから」っていう台詞も笑
いちいち個性的なキャラも、強くないのに人情(⁉︎)はしっかりあって、笑ってしまいました。
見終わる頃にはあんずちゃんのファンになって、ついTシャツを買ってしまった。
死なないからずっと一緒にいるよ、って良いですね^ ^エンディング曲も映画の雰囲気に合ってました。
化け猫あんずちゃんのオッサン振りが(笑)
妖怪と人間が共存している南伊豆。妖怪も人間も温い感じで生きてて、地獄の鬼はヤクザ。和尚と仏陀と妖怪がいて、泣いたり笑ったりホッコリしたり。
親ってどこ行ってもアホなんよ。
若干憲法論の観点から怪しい部分はあるものの(本文参照)
今年265本目(合計1,357本目/今月(2024年7月度)28本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」→この作品「化け猫あんずちゃん」→次の作品「」(明日予定))
日仏合作という事情があるので、日本の文化もフランスの文化もあり、またこの映画の一つの論点となる「現在と過去」「この世界と来世・地獄」といった普遍的テーマも、一般的な日本の考え方とは「ちょっと」ずれたかなと思える点はありますが、それでも許容範囲かなといったところです。
ここでは辛口のコメントが多いですが、おそらく上記の事情で日本のこうした事情や、夜逃げ・借金夜逃げの事情(借金返せだの何だのの張り紙。日本と違い、フランスでは債権者代位権の行使が日本より普通なので、あのようにはならない。日本の民法はフランス民法を借りているので同じ趣旨の条文はあるが(423)、ほぼ使われていない)など、やや似ている点も違う点も明確にあります。こうした点に関しては日韓合作や日台合作などならともかくも、ほぼ地球の裏側というほどの日仏合作ならもう仕方がないのでは…といったところです。
個人的には自転車の件など日本でもフランス民法基準でもアウトだろうという部分はままあるものの、当事者は小学5年生だったか(10歳か11歳といっていたははずなので)の年齢で、そこまで突っ込んでも仕方がないので、そこは大目にみました(減点なし)。
ただ、若干この映画は憲法論に踏み込んでいる部分があり、その補足がなかったのが惜しかったところです。以下触れながら解説します。
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(減点0.3/「マッサージ」を手伝うなどの行為と、「マッサージ」かどうかの説明が不足)
序盤で主人公?のあんずちゃんが代わりに押しているシーンですね。
日本では「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」という法律があり(以下、一般的略称の「あはき法」で統一)、これらの職業は規制がかかっています。もっともこれは、制定当時も今も、視覚障害者(以下は、視覚障がい者に対して「眼が不自由ではない」という意味で「健常者」という語を用います)の職域として守るべく作られた法律で、現在令和6年においても、健常者による専門学校などは開けません(令和5年まで最高裁まで争われても敗訴しています)。
しかし、同あはき法は「マッサージ」などの厳密な定義をおかなかったために、「リフレッシュマッサージ」や「整体」「カイロプラクティック」といった「法の想定していない施術」がどんどん増えていくことになります。これも最高裁判例まで争われ、「…それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであつて」(最裁昭和35.1.27)と「実際に健康被害等が生じないものまで罰することはできない」という結論になった事情があり、これを契機に整体・カイロ等が現在においても存在します。これらは最高裁の判例の建前では「怪我をさせない範囲で」というものですが、実際にこれにより怪我をしたといった事例が消費者庁や国民生活センター等に紹介されていることもご存じの通りです(よって、整形外科医とこれらとは険悪どころの騒ぎではなく、患者に対しても「整体・カイロ等を受診した方は当院での治療はお断りします」などというありさまです)。
ですが、令和6年度の現在においても、視覚障がい者の社会進出の一つの類型に、いわゆる法で定められるあはき法による「正規の施術」があるのに対し、健常者のそれ「もどき」はどうしても料金設定や予約の取り方などで有利であり(あはき法のこれらの施術は医療に類するものですから、値段設定まで法で縛られます)、こうした「整体・カイロ等」の存在によって、視覚障害者の方の職域が奪われているのは現在においても程度の差は縮まっても変わってはいません(現在は読み上げソフト等の普及でIT職に就く方もいます)。
そうであれば、映画の描写で明確にわかるのは「無資格マッサージである」という点だけであり(30分追加でいくら、というような取り方は「正規の施術者は」できません)、この点については日本の福祉事情にかんがみて適切な描写が欲しかったです(もっとも、本映画はこうした論点が結果的に抜け落ちたものであり、積極的悪害があるものではないと思います。フランスに「あはき法」によるような視覚障がい者を一定程度守る職域があるかは不明)。
猫好きのオイラはウズウズ💦
あんずちゃん大好き❤タミャラーン😹
まったくもって個人的嗜好の話で
聞くに耐えないほどの恐縮さだが、
自分の子供の頃からの夢は、巨大な猫を仔猫からじっくり大きく人間サイズに育てて、やがて跨って乗り回したり、夜は抱きついて眠ることだった
大人になってもその夢は続き、巨大化する猫種のメインクーンと共に肉球按摩術を開発し、マッサージ指圧師資格を取り、地元に"仔猫治療院"を開業する計画も密かに立てたりしていたのだ
だから映画が始まってすぐに
あんずちゃんと友達になりた〜いとウズウズし始めて止まらず
終盤までカリンちゃんとあんずちゃんの物理的距離がなかなか縮まらず
私はスクリーンに巨大なモフモフをチラつかされ、だんだんとモヤモヤしてきて
「早よ抱きつかんかい!ほれ今じゃ、行かんか〜い」と焦らされまくりで、最後の最後にモフッた時にはジーンと感動🥹する始末の変態猫惚けジジイ丸出しでありました
それはさておき この映画、エンタメとしても実によく出来てた
人物描写のディテールが繊細なのは大ファンの天才漫画家いましろたかし先生の原作のテイストもありますが、曲者いまおかしんじさんのこなれた脚本と山下監督の安定感ある演出、何より久野遥子監督の猫へのビッグラブのお陰だと思う
オレほどの猫ボケじゃなくとも素直に物語を楽しんで最後にはとても良い気分になれるはず
「ルックバック」に続き、個人的にはまたもアニメ映画で大当たり🎯
日本のアニメもまだまだ世界のトップクラスにいるんだと感じられて、なんかそこも微妙な多幸感味わえました🫶
慶一御大が音楽🎵と和尚さんの声役で大活躍なのも嬉しいかったニャ😹
ドラ、トトロ、ゲゲゲ、クレしん。
お盆映画の律儀な更新だが、
ちゃんと泣かす「ももへの手紙」に軍配。
山下敦弘の映画をアニメに落とし込む、
とはこういうことか、とは思えた。
ドラ、トトロ、ゲゲゲ、クレしんを混ぜる
果敢な企みは買うが、
照れ隠しか?直球の引用過多がノイズにも。
ギリ私的テン入りか。
ほのぼのとして癒される映画だった!
思ってたよりも化け猫であるあんずちゃんが町に馴染んでいたのが少しツボだったw
物語は主人公であるカリンのバックグラウンドにフォーカスされて、徐々にあんずちゃんとの関係性が親子みたいなものに変わって行く過程はいいものだった😊
五藤 希愛
ちゃんのかりんちゃんが、本当に駄目な女の子でよろしい。あんたのお陰でママはどうなっちゃうんだろう?まったく!
森山未來さんは予告編では本人だったけど、作中ではあんずちゃんそのもので違和感無かったです。
猫バスならぬバイクに鬼バス
田舎のヤンキーみたいな、ゆる~いキャラに起きていることを全て何の疑いもなく受け入れる人達+妖怪 不思議な方達でしたが、絵柄が可愛くてとても癒されました あんずちゃんのかつてフツーに猫だった頃キュートだし、オッサン妖怪になっても憎めないキャラ 和尚さんの円らな瞳もかわいらしい なんとなく線が粗いので海外のアニメだなとは思ったよ
めんどくさ〜なかりんちゃんにはちとイラッとしてしまいましたが、夏休み、そろそろお盆のお墓参りにピッタリなストーリー
貧乏神は貧乏神なだけに忘れ去られてる?
地獄は六道らしいですがオカンはあれは何道だったんだろう?
ありがとまんにゃ
基本的には良心的な作品だと思う。
ロトスコ手法のリアルさと、ポップな絵柄とをうまく調和させた新しい手法。
話はそんなに面白くなかったけど、とにかく画面が素晴らしい。色、構図、演技、絵のやわらかさが日本の劇場アニメの中でもトップレベルだと思う。
ただこれ、まずプロの俳優で実写パートを撮影し、それをあくまで下書きとして上からリライトしてるわけだから、めちゃくちゃ贅沢な作り方ではある。時間もコストもかかるはず。
そうまでする必要があったのかどうか…? 正直微妙だと思った。
たとえば技術的に未熟なスタッフでもかなりリアルなキャラ&芝居が描ける、とかいうメリットは、ことこの作品に関しては無縁じゃなかろうか。このスタッフで普通に一から作ってもかなりレベルの高いアニメになってそうな予感。
よりネガティブに捉えると、本来プロのアニメーターが想像力を凝らす部分を実写監督とプロ俳優の演技によって手を抜くことが可能になったと(宮崎駿の罵声とともに)言うこともできる。
しかも実際には、本作の手法自体が高度な技術で、上手い人が処理しただろう部分とそうでもない部分との差を感じるなど、現実には未熟なスタッフでも人海戦術でどうにかなるものではなかった気がする。
ただひとつ、キャラクターごとに担当者が決まっていることで芝居のトーンを統一できる、キャラクターの一貫性を保てる、というメリットはあるのかも知れない。
声もほとんどは本人がやってるので、演技がズレたりすることはない。
ただ労力(持続可能性)を考えると、そこまで将来有望なテクニックではないような。
あと録音が微妙。セリフの声がこもって聴こえた部分と、あんずちゃんの足音が靴を履いてるように聞こえたのがマイナスかな。
ゆる〜い気持ちで。
常にゆるい気持ちになる。
シリアスなところもどこか面白おかしく見れるような映画。
実写監督との共同ということだったがそれとらしいところはあまり感じられず、画面全体のテクスチャ感で作品の特徴を出している方が印象的なだった。
ただ、いい話なんだろうがもっとギャグ日常に振ってた方が面白かったかも。
ロトスコープによる奇妙な世界観
ロトスコープを使った作品。「白雪姫」の時代からロトスコープは実写映像をアニメに置き換えることによってリアリティのズレというか揺らぎというか奇妙な効果を生み出してきた。
本作では、人間(かりん、哲也、住職、井上、林など)はそのままダイレクトのアニメで表現し、キャラクターはロトスコープで再現しているようだ。ただし、すべてのキャラクターにロトスコープを使ったのではなく雑魚キャラ(カエルくん一味や鬼ども)はダイレクトアニメなのだろう。ロトスコープで表現されたキャラクターはあんずちゃん、カエルくん、貧乏神そして閻魔大王あたりか。いずれも面白い出来上がりだが、なかでも閻魔大王はパイロットフィルムで演じたのは宇野祥平であり特に存在感が強かった。
普通のアニメキャラクターにロトスコープのキャラクターが混ざると、言ってみれば満員電車の中にゆるキャラが居るような感じになる。通常の生活空間を描いた映画であってもこれは面白いと思うけど、この映画の設定はお盆あたり(かりんの母親の命日ではあるが)での地獄巡り。いわば彼岸と此岸が交錯する物語なのである。それだけにロトスコープのもたらす奇妙な感じが効果を出している。
話は変わるが、森山未來っていう役者さんは、先日は「大いなる不在」をみたばかりなのだけど、製作者の意図を理解して協力してくれる実にありがたい存在なんでしょうね。
キャラデザは最高
2024年劇場鑑賞185本目。
あんずちゃんいいですね、かわいさでこびたりしてなく、かといってムカついたり不快なビジュアルでもなく、丁度いいマヌケヅラに森山未來の毒っけのある声が最高です。かりんちゃんはめっちゃかわいいんだけど性格ちょっとキツめかな・・・。本編後もうちょっと柔らかくなって子供本来の素直さが出たらいいですね。
林くんだったかな?ちょっと顔面バグってる子がなんともいい味出してました。
イロイロ引く程の生々しさ
本作はマンガ原作で、掲載はガンダムなどロボ作品でアレな『コミックボンボン』の末期作品。ウィキナントカによると当時は青年マンガ家を多数起用してて、当原作者はその1人。ですが実際、児童マンガ誌として青年マンガ家の作品がウケたのかは不明です(直後に廃刊)。
本作は特筆点が2つ、1つは『ロトスコープ』制作。見ていて全くその気配がなく、普通にアニメに仕上がっています。そこに、細かい人間的描写に拘ったんだなぁ感が出ていて、この辺りは非常に興味深いものがあり、見どころと言えばこの点です。
もう1つは、フランスの制作会社との合作。コチラは非常に謎で、この作品のどこにもフランス感がありません。ホントに制作だけに関わっただけの様です。ただその甲斐あってか、アヌシー映画祭出品となっています。
ところで、良かった作品は『良かった』『面白かった』で充分伝わるので、自分のインプレはマイナス点が中心ですが、本作は★2.5と言う辛辣さ。つまり上記の特徴は作品の良し悪しとは一切関係ありません。
大きなマイナス点は、表現が生々しい事。色々デフォルメした表現手法としてのアニメであるという持論(記号)から、本作は見た目意外のキャラや話の根本がかなりリアル寄りです。
まず、あんずちゃんが下賎で可愛くない、同じく可愛くないかりんちゃん(舌打ち連発)、ソレこそ生々しくて微妙な可愛くない周辺の小学生たち、悪い意味で田舎モン風情の大人たち。ロトスコで幾ら表現をリアルにしても、リアルの意図を履き違えた感すら滲んでいます。
また、地獄の鬼たちとの逃走劇とそのオチが???な事。あの一連のシーンは意味不明で一体何だったのかがサッパリです。
マイナス点2つ目は、ノリと趣味が『昭和のセンス』であり、今現在のアニメ作品を好む人にソレがウケるかどうかは疑問です。冒頭の親子(家族)の掛け合いがワリと胸糞で、しかも『中の人』の真骨頂とも言えるリアルさが災いし、ココで「シマッタ‥‥」と思いました。それに道路交通法違反やパチンコの件など、食事中の●とか最悪。集団で一方的にボコボコ暴行するなど、正直アニメの見せ方ではないかと。てか整体師の仕事は冒頭だけ?
極めつけは、全体的に音声・会話劇が淀んでいて、ボサーーーッとしててメリハリがなく、そのクセかりんちゃんのキレシーンだけは突然に空気をエグるので、むしろ不快が増してしまいます。その諸悪の根源は『制作首脳陣が理解してくれない』事、まァいつもの事です‥‥
文句ばかりと思われそうなので、チョッと面白かった部分は、村の妖怪たちの暮らしぶりでしょうか。何だか『水木しげる』をイメージさせられますが、微妙に『夏目』な隠し味も。でもソコにも昭和感の搭載。ソレさえなければ‥‥
と言う訳で、原作を知らなかったせいもありますが、本作は期待を真っ向から裏切られた感が強い後味でした。
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