「ヒロインの日常への再起のきっかけがあまりに呆気なさすぎる」愛に乱暴 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
ヒロインの日常への再起のきっかけがあまりに呆気なさすぎる
吉田修一の原作映画はだいたいウケ狙いが露骨で、スキャンダラスな事件を短絡的につなぎ合わせるぶっ飛んだ作品が多いのだが、本作はそれらとかなり趣の違う映画である。
恐らくは原作に書かれている細部が相当省かれているので、意味やニュアンスがいま一つ定かでないのだが、小生はヒロインの心理を次のように受け止めた。
ヒロインは表面的には何不自由ない家庭の主婦で、暇を見てはカルチャー教室で講師を務めて小遣い稼ぎできる才能もある。
ところが内実は、旦那にろくに相手にされず、姑ともごく上っ面の付き合いだけ。自分も何か気まずいことがあると、適当にウソで誤魔化す毎日。教室を運営する会社は仕事ぶりを評価してくれるが、実はこれもリップサービスに過ぎない。
こうして中身は問題山積なのに、表面は満ち足りて見える日常が淡々と過ぎていく。ところがある日突然、旦那が「彼女に会ってくれないか」と言い出したことで、すべてはひっくり返ってしまうのである。
旦那は別の女性と不倫の末に、すでに妊娠までさせている。彼女と会ったヒロインは、妊娠の事実の前に敗北を認めざるを得ない。姑は息子を責めながらも、ヒロインを変人扱いするばかり。会社は彼女の講座を打ち切ってしまうし、実家に戻れば主役は義妹の子供たちに移っている。ヒロインは突然、どこにも居場所のない非日常の世界に真っ逆さまに転落してしまった。
アイデンティティを喪失した彼女がしたことは、チェーンソーで家の床板をくり抜き、かつて自分が妊娠した際に買ったが、流産したので地中に埋めた赤ん坊用の衣類を、掘り返し、自己の妊娠能力を再確認することだった。
しかし、それも無駄な努力に終わる。必死にプライドを取り戻そうとする彼女に旦那が発した言葉は、「赤ん坊とか関係ない。お前といるとただ退屈だ。お前が面白がれば面白がるほど、俺は退屈になる」と、ほとんど存在の全否定だったのである。
もはやヒロインに日常はない。結婚生活の思い出の品々をゴミ捨て場に持って行くと、そこは放火によりメラメラ燃えている。彼女は立ち竦み、それにすっかり惹きつけられてしまう。日常のゴミを燃やし尽くす炎は、彼女の願望そのものだったからだ。
不審を抱いた警官が声をかけた時、彼女はあたかも自分が放火したかのように駆け出して、行きつけのホームセンターの倉庫に逃げ込む。そして、そこで外国人の青年店員から思わぬひと言を掛けられる。
「いつもゴミ捨て場、キレイにしてくれてアリガト」
その瞬間、ヒロインに日常とプライドが戻ってきて、彼女は泣き崩れる。
ラストは、プライドを取り戻したヒロインが、恐らくは財産分与名目で旦那と姑を自宅から追い出し、離れを取り壊して母屋で寛いでいる姿で終わる。
ひと言で言えば家庭の崩壊とそこからの再起、ということになろう。吉田作品の中ではかなりマトモな内容だし、崩壊の過程で日常を失っていくヒロインの心理が泣かせどころだろうか。ただ、そこからの再起のきっかけが、あまりに呆気なさ過ぎて、「え、これで終わり??」という感想を禁じ得なかった。