決断 運命を変えた3.11母子避難のレビュー・感想・評価
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僕の知らない原発事故の影響が知れた
地震や原発事故が起きようが、それぞれの人の人生は続いていく。
意図せぬ逆境に直面しても、生活を続けて行くために人は悩みながら何かを選択し前に進んでいく。
放射能から逃れるために故郷を離れて暮らしている人たちのたくましさや寂しさ、国に対する怒りなどを知る事のできる映画であった。
13年前の出来事なのに、まだ瞼の裏には、津波の映像が浮かぶ。
私は、その時、ちょうど子どもたちの通う小学校の廊下に立ち、下の子の授業参観をしていた。
一瞬、生まれて初めての立ち眩みがして、体調悪いのかなといぶかしんだ。
授業参観後、子ども二人を後部座席に乗せて、ショッピングセンターに行く車中のテレビ映像で、東日本大震災の一報を知る。
襲い来る津波の映像と、悲痛な「逃げてください」と叫ぶ女性の声が、今も忘れられない。
子どもたちにトラウマになるかもと思い、その後すぐにテレビを切った。
この映画を観て、当時のことを思い出した。
放射能計測器や計画停電、大阪に住む私には無縁だったけれど、大変なことが日本で起こっていることに、心は休まらなかった。
テレビに流れるACのCMがうすら寒かった。
首都直下型地震、南海トラフ地震、富士山噴火…日本は、災害多発地帯に位置している。
原発は、日本には全くそぐわない。
暮らし方を昭和の時代に戻すのは無理かもしれないが、今が自然エネルギーで賄える社会システムを構築をするラストチャンスな気がする。
自分で料理して、掃除して、人と協力して、身体が動かなくなったら死んで。
そんな人間らしい生を全うしたいなと思った。
TVのドキュメンタリーを超える質ではないように感じました
いくつかのもやもやした感情が残りました。
1. 対象が訴訟関係者、選挙に出た方などが主で、普通の市井の方の悩みが聞きたかった。
2. 事故前の知識、感情、原発や政治に対する姿勢が描かれず、突然襲いかかってきた天災として描かれています。問題意識を持たない、事故前の無意識的加害者性も内在する生き方の問題性が描かれれば、原発の電力を享受する都市部の市民と同じ共通の土台=原子力政策を議論することができたのではないでしょうか。
3. 過疎の村に原発を押し付けられ、やむを得ず関連施設で仕事をしている住民が、避難を余儀なくされるという発言者が一人も現れません。こういう方の苦悩もぜひ聴いてほしかった。
4. 市民の科学の不在が最も印象付けられた。一家離散の原因は経済問題、知識や合理性判断、感情であろうかと思います。科学的知識やリテラシーを持つ市民科学者はどのように考え行動したのだろうか?同時に測定器具を持つ方もいたはずで、そのような方の行動や意識もぜひ伺いたかった。
知識や批判的理性の有無によって、ネットにおける謬論・非科学的言説に影響されやすさも異なってくるでしょう。
被害者だけに特権的な発言権があるわけではないので、異なる立場や意見と議論こそ建設的な展開を生み出すと思います。
こんなにも地震災害が多く、核燃料サイクルも破綻した状態で、原発再稼働をすることに目立った市民の反発がないこの国のあり様こそ、異様でグロテスクで無責任です。この状態で再び避難状況になったとき、わたしは被害者ですと言えるのだろうか?
観ておくべき証言ドキュメンタリー
佐藤栄佐久元福島県知事を描いた「知事抹殺の真実」(2016)は以前に観て、テーマの掘り下げ方だけでなく、自然や人間の描き方に感銘を受けていたので、その安孫子亘監督が七年かけて福島県から避難した人達をおいかけて作ったドキュメンタリーということで、早めにみました。
「10組の家族の苦悩と現状を描いたドキュメンタリー」との言葉から観る前に描いていたイメージとは全く違い、そこに登場する人たちは、「かわいそうな人達」ではなく、「歴史を作る真正面を歩いている ある意味輝いている人達」でした。安孫子監督のカメラの前で、語る様々な本音は、福島原発事故の問題を浮き彫りにすると同時に、時代の中で、抗って生きる人たちにとって、メッセージのような珠玉の言葉がちりばめられていました。
アフリカで野生生物をとったり、東日本大震災と福島原発事故後、福島県会津に移住するという異色の経歴をおもちの安孫子監督が、はるか遠い未来を見つめて作った映画だということも感じられました。
映画監督のカメラの前にたつということは、避難した人にとっては大変なことと思います。
10組の家族の向こうには、カメラの前にたとうとはしない何万倍かの人たちがいることと思います。
日本中どこに住んでいても、原発事故と無縁では生きられない中にいるからこそ、メデイアがとりあげることのない「避難の現実と避難者の思い」を描いた「決断」は誰もが観ておくべき映画と思いました。
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