ルックバックのレビュー・感想・評価
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一本の映画作品てして傑出したものに
ルックバック・・・振り返ってみる、回顧する、追憶する、後退する、うまくいかなくなる・・という意味からも藤野と京本の関係性の状態と変遷を表したタイトルですね。
たまに時間が空くと映画でも・・とジャンル問わず時折映画館に足を運ぶくらいで、今回も観に行こうと思ったキッカケは「1700円定額・58分・結構話題になっている」くらいなもので原作はおろか「チェンソーマン」も読んでいない状態での鑑賞。・・・結果、心を鷲掴みにされ・涙が溢れ・寂寥感の様な切ない気持ちになり・なかなか余韻が抜けない状態になりました(余韻の継続時間が自分基準での作品の出来を決めている様なところこがあります)。
何でこんな不意打ちを食らった様な状態になったかとルックバックすると、2人のキャラクターが魅力的で、絵が綺麗、人間が皆持ちあわせている厄介(妬み、嫉み、素直になれない)な感情の危うい取扱方、タイムリープが出来たなら京本は今でも・・という切なる空想、相当に効果的だった音楽等々色々練って作り込まれた事が相乗効果を産み、傑出した1つの映画作品となった・・と自分なりに結論付けました。
蛇足ですが、作中の京本が通う大学が映画館から車で10分くらいのところにあったので鑑賞後正門前まで行って(休みなので勿論閑散としてました)みました。原作者が在籍していた事も先程知ったばかりという感じで何の前情報も無い中での鑑賞でした。
最後にこれも蛇足で細かい事ですが、京本の東北訛りは地元民からすれば「近い所まで迫っているものの、土着のものではない綺麗になぞった訛り」という感じでしたが作品に影響をあたえるものでは勿論ありませんでした。
心から行って良かったと思えた映画でした。
原作は何度も読みましたが...
藤野が初めて京本の漫画を見た時、クラスメイトから「京本の絵と並ぶと、藤野の絵は普通だな」
と言われるシーンがありましたが、まさしく私も小学生のとき、クラスで一番絵が上手かった人と一緒に絵を描いてるときに、同じような事を友達から言われたことを思い出しました。それがキッカケの一つとなり、段々絵を描くのをやめてしまった私とは違い、反骨心を持って漫画に打ち込んだ藤野を見て、過去の自分に対する後悔と、努力を惜しまない彼女に対する尊敬の念が湧いてきて、思わず泣いてしまいました。
タイトルにもある通り、このシーン自体は漫画で何度も読んだことがありますが、映像化されたことによって、藤野の書き殴るような必死な表情や動作を見ることができ、より彼女の熱い思いが伝わってきました。
Don't look back in anger
漫画で読んで分かりにくかった部分、描かれていなかった部分も58分尺ということで映画では細めに描かれていた。
なにかにチャレンジするという意味では、私たち他の人間にも藤野と京本に共通する点があるのではないか。違う才能を持った2人(特に京本)の藤野に追いつきたい。並びたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。
いつかは超作画の漫画を藤野と一緒に連載するために大学で絵の勉強をしながらも、影ではシャークキックを応援していたところに気づく藤野のシーンには涙。
今もこれからも藤野は京本の為に漫画を描き続けるだろう。
藤本タツキ先生のバックグラウンドを知ると、より楽しめると思う。
運命の出会いと別れ
人は一人では頑張れないし、変われない。自分より絵の上手い不登校の同級生に触発され、絵に真剣に向き合うようになった主人公。一方、不登校の同級生も主人公の漫画に触発されていた。2人が出会い、化学反応が起こるも、ずっと一緒にはいられない。別れの痛み、そして…。キッズリターンズ的な展開を予想していたが、大いに裏切られた。1時間とは思えない濃密な映画だった。
「絵描きの才能」をめぐるクセの強い友情物語に、アニメーターたちがガチンコ作画で挑む!
基本的には、王道のバディものであり、シスターフッドもの。
泣けるかといえば、ちゃんと少しだけ、ラストで涙がちょちょぎれた。
でも、結構くせのある話だよね、これ(笑)。
くせがある分、心に残る良いアニメ、ということだろうけど。
何が一番くせがあるかというと、ヒロイン・藤野の性格設定。
というか、この性格設定でヒロインに「挫折させない」のは、結構「斬新」だと思う。
いや、精確にいえば、彼女だって挫折していないわけじゃないし、相応にダメージもくらってるんだけど、物語として、こういうタイプのヒロインが「断罪されないままのさばって、そのまま終わる」話って、意外と少ないと思うんですよ。
とにかく偉そうで、高慢で、マウントを取りたがるタイプ。
お調子のりで、努力家ではあるけど、融通がきかない。
頑張った結果が伴わなければ、自尊心が折れて逃亡する。
でも、褒められたら有頂天になって、今度は大望を抱く。
相手との関係性を、「あたしについてこい」で規定して平気な人間。
相手の有り余る才能を自分の夢のために搾取して、なんとも思わない人間。
相手の善意と友情をナチュラルに「主従関係」にすり替えて、恬として恥じない人間。
こういうヒロインはいていいと思うし、
むしろ嫌いじゃない。
人間くさいし、生々しいし、意外に悪いヤツじゃない。
表面に出さないだけで猛烈に葛藤しているあたり、可愛いところもある。
でも、この手のヒロインって、たいがい物語のなかで「鼻をへし折られる」し、隷属させていた相手に反逆されたり、才能の逆転を見せつけられたり、周囲に性格の問題を指摘されたりして、「自分の分を知る」展開が待っていることがほとんどだと思う。
でも、このお話では、そういう「罰」がヒロインに与えられない。
そこは、本当に「珍しい」というか、「くせがある」と思う。
彼女は、たしかに「後悔」する。
取り返しがつかない現実が起きたあとで。
自分が京本に対して相応に遇してこなかったことを。
素直に、相手の才能への賞賛を与えてこなかったことを。
あなたが一緒にいてくれてよかったと伝えてこなかったことを。
だが、物語上の流れからいうと、
藤野はやはり、厚遇されている。間違いなく。
どんなに藤野が上から京本に当たろうと、
どんなに同い年なのにマウントをとろうと、
藤野は京本に嫌われない。
京本にとって、藤野はつねに「先生」で「ヒーロー」で「恩人」だ。
京本の藤野「愛」は猛烈で、尽きることがなく、盲目的。
京本も最後は「自分の夢」に目覚めて、共同作業者としては藤野と袂を分かつことになるけれど、別段、藤野のことが嫌いになったわけではない。藤野への悪感情はないまま、「外に連れ出してもらって、成長させてもらったおかげで生まれた自分なりの夢」の実現のために「巣だっていった」というのが、正しい認識だろう。
「私についてくればさっ、全部上手くいくんだよ?」
「まあ、この子は背景を描いてるだけなんですけど」
こういう言いぐさを平気で出来るキャラでありながら、
藤野は最後まで「罰せられる」ことがない。
彼女は、引きこもりだった絵の天才を自分の「まんが道」に巧みに取り込み、才能を搾取し、友達面でさんざんこき使ったうえ、なんと最初の持ち込みチャレンジで、佳作を勝ち取ってしまう。
そこからもとんとん拍子で、中高を通じて読み切り7本を重ね、ついには連載をゲット。
彼女は結局、漫画家としては一度も「挫折」していない。
で、京本が美大進学のために共同作業から離れたら、とたんに画力が落ちて、人気がなくなり、泥を舐めるはめになるかというと(凡百の作品だとついやりがちだよね?)、まるでそんなことにはならない(笑)。
たしかにジャンプの人気投票システムは過酷だし、順位は上がったり下がったりで大変だが、彼女は持ち前の根性とたゆまない努力で、苛烈な漫画家間の競争を勝ち抜き、連載の巻数を重ね、ついにはアニメ化にまでたどり着く。
要するに、彼女には「本当に才能があった」のだ。
小学4年生のときに京本が信じ、ほれ込んだ才能が。
僕たち「外野」の人間(観客)から見ると、ヘタウマにしか見えない絵で(しかもあれだけ教本を買って練習し倒してもたいして成長しているようには見えなかった画力で)、4コマとしてもたいして面白いとはいいがたい内容だったとしても、「京本が見出した藤野の才能」は、本当の本当に、ホンモノだったのだ。
藤野は、なんにつけ偉そうだ。
藤野は、それでも断罪されない。
藤野は、成功する。
藤野は、それでも愛されキャラのままだ。
藤野は、許される。
藤野には、才能があるから。
このへんが、僕が「くせがある作品」と感じた中核だ。
「もしかして原作者の藤本タツキは、藤野と京本の関係性を、素で肯定的にとらえているんじゃないのか???」
「もしかして絵描きの世界では、本当に物語を作る才能を持った一握りの人間を支えるためなら、絵の巧いだけの有象無象はアシとして奴隷のように仕えてそれで良しという思想が当たり前だということなのか???」
こういった「違和感」を、藤本タツキは巧みな語り口と自然なキャラクター描写で、力業でねじ伏せてくる。僕たち観客にも、いつしか藤野というクセモノキャラを肯定的にとらえ、寄り添って応援し、ろくでなしだけど嫌えない友人であるかのように扱うよう強要してくる。
そこが「よくできているけど、くせがある」。
そういうことだ。
この「価値観」――端的にいえば「才能のある人間はマウントをとって良い」「主従関係で規定されてもなお女子の友情は成立する」――をふりかざして、漫画描きでもない読み手に同意を求めるというのは、結構無謀だし、あぶなっかしいやり口だと思う。
でも、藤本タツキはそれをちゃんとやり遂げた。
やり遂げているからこそ、「このマンガがすごい!」2022オトコ編で一位を獲得したわけだし、このアニメ化においても4点を超える高評価を見事に勝ち得ているわけだ。
僕も、観ながらいつしか「こういう友情もありかもなあ」と妙に「説得」されてしまった(笑)。
『チェンソーマン』のアニメ(僕は未見)を視聴したうちの妻曰く、そっちのヒロインも似たり寄ったりのキャラらしいし、主人公はそういう女にこき使われることになんの疑念も抱かないタイプらしい。そうなってくると、藤野と京本のキャラ設定は藤本タツキの作家的個性そのものと繫がっているということかもしれないが……。
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もう一点、クセがあると思ったのが、終盤の展開。
みんなは、唐突に訪れる京本のアレって、違和感なかったのかな?
申しわけないけど、僕は大ありだった。
いや、突然死んでもいいんだよ?
でも、なんでいきなり青葉ってんの??
『君の膵臓をたべたい』で似たような展開が起きたときも、さすがに怒っていいのか笑っていいのかわからないくらい呆れたけど……。
というか、観ながら思ったんだよね。
「なんで、震災で亡くなったことにしないんだろう?」って。時代設定的に。
そっちのほうが、話としてはよほど自然じゃないのかな、と。
で、帰ってからパンフを見たら、まさに東日本大震災を契機に生まれた作品だというではないか。そうだとすると、逆に藤本タツキにとっては、震災というネタは「あまりに生々しすぎて、作品に取り入れ難いファクター」だったのかもしれない……。
でも、この物語の流れのなかで、罪のない京本が、才能のないルサンチマンの犠牲となる展開は、作品のテーマとあまりうまくフィットしているようにはどうしても思えず、いやな夾雑物というか、ちょっと何かが本質からズレてしまったような、「うまくいっていない」感じがしてならなかった。
それ以外は、多少強引なヒロインの性格や物語の展開も含めて大いに説得力があっただけに、気になったってところかなあ。
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で、ここまでが未読だった「原作」由来の感想だが、アニメ化としてはもう文句なしだったのではないでしょうか。
なんか、「絵を描くこと」と「才能」と「共同作業」と「友情」をメインテーマとする、ある意味「まさに自分たちの物語」に、監督とアニメーターがガチのがっぷり四つで挑戦して、死に物狂いで「自分たちも巧く描ける側の人間」であることを証明しようとしているかのような、そういうリアルなバトル感があって素晴らしかった。
冒頭の、手描き作画の夜空を満月を中心にぐるりと水平回転させたあと、今度は天地をぐるりと縦に回してみせる珍しい試みからして、「俺たちは今回手描きで勝負するんだ」という意気込みがビンビンに伝わって来る(笑)。
場面変わって、藤野の部屋。動かない画面と時間に、漫画を描くことに必要な「根気」と「身体性」がにじみ出る。貧乏ゆすりと床の紙ごみにはヒロインの煩悶があらわれる。鏡の映り込みを使って、表情だけ抜いてくるやり口は実に映画的だ。
動かない画面に退屈して、つい画面のすみずみにまで目をやってしまった観客は、そこに散りばめられた様々な前提となる要素に気付くことだろう。
低山を前方に臨む田舎の風景。一戸建ての二階に住むそれなりの家庭環境。前方の赤いランドセルからわかるヒロインの年齢と時代設定。机の上の4コマ漫画のネタ帳。棚にならんだ漫画誌。あとでパンフで確認したら「りぼん」「ジャンプ」「ふれんど」とある。「Salut」は「ちゃお」のフランス読みってことでよろしいか?(笑)。良く観たら時計は5時。要するにこの子は締め切りに間に合わなくて、「朝まで四コマ漫画を推敲しつづけていた」のだ。
アニメーターとしての押山清高監督の「勝利」を確信したのは、京本に認められた喜びを爆発させながら、雨のなかで藤野が奇怪なステップを踏みながら帰っていく描写を観たときだった。あれはマジで、アニメ史に残るくらいの名シーンではないだろうか。
あそこに、作り手は「セリフとしては語られない」藤野のさまざまな思いをすべてぶちこまねばならなかった。そして、それをガチで成功させた。
たかが引きこもりの京本に画力で負けたという挫折感。
いくら努力しても追いつけない、埋められない能力差。
命を懸けていた漫画から、距離を置くくらいの絶望感。
そんな凄い相手に自分が認められていたという望外の喜び。
自分には「本物のファン一号がいた」という矜持と自信。
やっぱり自分は漫画を描いていいんだ、という解放感。
そういったルサンチマンの解放が、雨のなか有頂天になって踊り歩く少女の「アニメーション/アクション」という形で、見事に結実している。
この「ロケットスタート」が、そのまま彼女を天下のジャンプ連載漫画家にまで導く原動力にもなっているわけで、そんな物語上の「重み」に負けないだけの「凄い作画&動画」に仕上がっている。これを観られただけでも、映画館に足を運んだ甲斐はあったと思う。
あと、持込漫画がいかにも手塚賞応募作っぽい外観をしていたり、そのあと徐々に画力があがるなかで、星野之宣や楳図かずおの初期作みたいな作風を示してたり、いろいろ細かいネタを投下してあって楽しい。ときどき挿入される湖上に遊び空を駆ける白鳥も、現地感と季節感を出している。
一番びっくりしたのが、京本が別れを切り出す場面。
後ろを向いた藤野の顔に、初めて「漫符」としての「汗」が描き込まれるのにも、どきっとさせられるのだが、そのあと一瞬、藤野がとにかくまあ凄い顔をするんだよね。
衝撃と反撥と危機感と焦りと怒りと悲しみと懇願がひしめき合っているような。
描き手が心から観客に自慢したくなるような、神作画。
でも、監督はそれを1秒で、さくっと流してしまう。
敢えて、強調しない。止めて、誇らない。
それは、藤野が誰にも見られたくない表情だから。
この辺に、監督の度量というか、本気度が伝わって来て本当に良かった。
あとは、IF分岐とも藤野の妄想ともいえそうな終盤の展開の解釈とか、河合優実の話とかをぜひしたかったのだが、残念、紙幅が尽きました(笑)。
まずは、ほんとに良いアニメでした!
ストーリーについて
原作は未読でしたがレビューの高さに惹かれて鑑賞しました。
前半宮本が外に出られるようになって一緒に制作活動をする楽しさも描かれていてよかったのですが、後半唐突に京アニ事件を想起させる事件が起こります。
まさかそのようなことが起こるとは思っていなかったので、その後のストーリーも当時のことが甦ってしまい、引きずられるようにストーリーもあまり頭に入らず話が終わってしまいました。
制作活動にひたむきな青春物語なのかなと思って見に行ったので、できれば事件を連想させる描写があることをポスターやホームページに記載してほしかったのと、正直この事件を元に描かれる必要が本当にあったのか初見だと謎に感じ、見る側としてはただただ当時の感情を思い出して重たい気持ちになりました。それがゆえにこの事件を取り入れた理由も明確に知りたいと感じましたし、軽く扱われてしまっていると捉えられても仕方がないと思います。
この映画が流行っていることは個人的に複雑で、言葉を選ばなければ残念に思います。
短いながらも秀作
丁寧に作られたアニメでした。コンビ解消してもペンネームを藤野キョウから変えなかったのは、いつかまた二人で漫画を描く日がくるのを信じていたんだろうな。編集者との電話での受け答えに主人公の成長を感じました。
原作の漫画は京都アニメーションの放火事件を思わせる描写があるということでネットで炎上したそうですが、俺のネタをパクっただろ!と事件を起こした犯人のアイデアをパクるというメタな「パクり」はむしろ犯人に対する皮肉が効いてると感じました。炎上して内容を修正したそうですが、修正後のものしか知らないわたしには修正するような内容だったのかはよくわかりません。
季節の移り変わりが、淡々と窓の外の景色の変化で表現されていたり、小津安二郎作品を思わせる低ーいアングルからの固定ショットがそこここに出てくるのもわたし好みでした。
映画館は高校生〜大学生ぐらいのお客さんが多かったです。上映時間58分は昭和生まれのわたしは短いかなと思うけど、YouTube世代の彼らにはちょうどいい長さなのかもしれない。
マンガを描く少女の成長譚
自分より上手い絵を見て受ける衝撃、その相手に認められた喜び、描く辛さ、描きあげる喜び、受賞の喜び、パートナーとのすれ違いと別れ、絶望からの再生…色んな感情をマンガの線の質感を忠実に再現しつつ美しい映像として昇華されている。
が、そこまで心に刺さる感動にはならなかった。レビューには泣けた話がたくさんあるが、クリエイティブに対する経験不足なのか感性の問題なのかいまいち感情移入しきれず。
この空気感を味わうのにこのストーリーでよかったのか
主人公2人が手を引き、引かれながら街中を駆け抜けるシーンを予告編で見て魅力的に思い、普段アニメを見ないのだが本編を鑑賞。
藤野は漫画に執着しているくせに努力を人に見せず、片手間で書けるように振る舞う。そこに強力なライバルの京本が現れ、必死に漫画に打ち込んだり、逆に筆を折ったりと漫画家生命を脅かされる。ある偶然が作用して、その京本とタッグを組むことになる。世知に長け虚勢を張る藤野とは対照的に、京本は純粋に藤野の才能を信奉する。
対人緊張で常に前髪で顔を隠している京本、普段はクールだが京本に褒められた嬉しさを一人になると爆発させる藤野。タイプの違う2人が出会い、広い世界に向けて自分を解放していくストーリーはちょうど「ソウルメイト」のようだ。
そうした2人の関係性が生き生きと伝わってくる映画なのだが、その空気感を味わううえで肝心のストーリーにひっかかってしまった。京本が事件に巻き込まれたあと、藤野は京本を漫画の世界に引き込んだこと自体を後悔する。それでも漫画を愛する気持ちは藤野も同じだったことを確認し、書き続けることを選ぶ。そのような結論だったように見えた。
しかしこのストーリーは、藤野と京本のすれ違いや別れのドラマを逆に薄めてしまったのではないか。あまりの大事件を持ち込むことで、それらの人間関係の機微が吹き飛んでしまったように思う。かつて藤野は京本に、「京本は背景を書いているだけ」と言い放った。人物を得意とする藤野と背景を描く京本、たとえばそのコラボレーションと葛藤などが深められるのかと思ったのだが(もしかすると「ルックバック」というタイトルに「背景」の含みがあるのだろうか)。
事件のあと回想シーンとして描かれる、2人が漫画に打ち込む長い時間。これも理不尽な事件のあとだからどうしても類型的な感動シーンのように見えるが、もう少し日常の姿として丁寧に描かれていたら本当に切ない場面になったのではと思う。
人間味溢れる主人公と純粋な相棒
視聴者に何を見せて、何を見せないかが巧みに選別されている。見せていない部分は表情や直後の展開でわかるようになっている。
本作のタイトルにもなっている「背中」
というテーマが、作中で別の表現で何度も登場する。いずれも展開を壊すことなくさりげなく組み込まれている。
上映時間が1時間とは思えないほど内容が濃く、もっと観ていたいと感じる不思議な魅力がある映画だった。
1時間程度の映画だけど胸を打つものがあった。 藤野は何をやっても成...
1時間程度の映画だけど胸を打つものがあった。
藤野は何をやっても成立しそうだが、引きこもりだった京本は絵を描くこと以外では生きていけなさそうだ。だから、京本が家から出られるようになって、大学進学したのは喜ばしい。しかし、その後に事件に巻き込まれてしまうのはとても悲しかった。
藤野が京本が被害にあったことを自分のせいだと捉えていたが、それは共感出来なかった。
ルックバックって…
ルックバックっていうタイトルの意味がわかりました。劇中の「私の背中を見ろ」という意味と、過去を振り返るという意味も込めてたのですね。原作に忠実ですし、作品の世界観に広がりを与える声優さんも完璧でした。
ルックバック
京本が亡くなった後、藤野はルックバック(回想)して、自分がなぜ漫画を書いているかを思い出さされた。
思い出さされた、というのは、偶然?に京本の部屋から、背中を見て(ルックバック?)と書かれた四コマが舞ってきたから…
この話の繋がりが見事でした。
京本の部屋で回想のあと、背後に机がある状態で、あえて京本がまだいるかも?と思わせながら、振り返らず(ルックバックしないで)部屋を出たのが印象的でした。
4コマを仕事机の正面に貼ったのは、漫画を描く原点を振り返られるようにかな。
でも、もともとは京本が喜ぶから書いていたんだけど…
最後、エンディングの曲は京本の冥福を祈るような、そんな曲でした。
頑張れ、藤野!
安らかに、京本…
感情がぐぢゃぐぢゃになる
初めて原作を読んだときの衝撃が、原作者藤本タツキ先生の絵のまま動くキャラクターと感情を揺さぶる音楽によって苦しいくらいに蘇り、映画館で嗚咽を堪えるのに必死でした。
2回目を、少し落ち着いて観れました。
主演の河合さん吉田さんの演技がとても自然体で、原作を読んだときの2人のイメージにピッタリなことに改めて感嘆しました。
音楽が、マンガでは感じることのできない映画という媒体ならではの演出で世界観に寄り添い、盛り上げ、観客の心を揺さぶってきます。本当に素晴らしい映画でした。
優れた凝縮された詩的な傑作でした‥気になっている方は是非
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
噂に違わず、凝縮された詩的な優れた傑作だったと思われました。
この映画『ルックバック』は、小学生の時から絵が上手くさらにストーリー構成が面白い主人公・藤野(声:河合優実さん)と、藤野よりもさらに絵が図抜けて上手くしかしストーリー構成は背景のみで淡々としているひきこもりだった京本(声:吉田美月喜さん)との、小学生の学級新聞の互いの4コマ漫画で出会った2人の物語だったと思われます。
その凝縮された詩的なストーリーは表現されている美しいアニメーションも含めて、私のような者が言語化するよりも映画館で体感して欲しいいとは思われています。
映画の最後の4コマ漫画への解釈については、
・さかのぼった並行世界があるならば、次こそは藤野が京本を助けるのだという決意
・ただ並行世界とは言え、殺人犯は襲って来たり、そこまで現実は変わらない
・京本が部屋から出て来て京本と出会ったからこそ藤野が漫画家として今存在している
・藤野は京本の才能を足場にして自身の作品を形成していた
・しかし京本も藤野の作品に救われていた
・最後の4コマ漫画は、京本もついに藤野との関係によってストーリー構成がしっかりした4コマ漫画を描いたことを表現していた
・藤野がなぜ漫画を描き続けたのか、それは初めは京本の画力に追いつくため、京本が部屋から出てからは最初の読者である京本の笑顔をみる為だった
・最期の4コマ漫画の、京本を助けた藤野の背中に刺さったつるはしは、そんな京本との喜びと傷を象徴し、その(想像の?)京本の4コマ漫画を仕事場に貼って、藤野が背中の喜びと傷を今後は忘れることなく前を向くラストに
と何重にも重ねられた表現になっていたと私には思われました。
この作品は1時間に満たない作品で、その点で凝縮さにおいて他の映画よりも有利さはあったと思われこの点数になりました。
しかしながら、その中では最高点に到達する、詩的で凝縮された美しくも苦みある普遍性ある作品になっていると、個人的にも僭越ながら思われました。
素直に見て良かったと思える作品
原作未読
ネットの評価が高く、気になって見てみました
最初は60分って短いのでは?と思っていましたが、
終わってみたら、それは何よりも充実していて……
最後は藤野が、また絵を書いて前進して幕引きなのですが
物語としてはあり得ないと分かっていても
あの藤野に手を引かれて笑っている京本を思い出すと
どうしても、また二人で漫画を描いて欲しいなぁ……
何日も経った後でも未だそう思ってしまうぐらいに充実した60分でした
漫画ひとつにしても役割がある
オールマイティーに作画できる人もいれば、役割分担してひとつの作品を作り上げる人もいる。
小学校の学級新聞でそんな点について誰も教えられないですよね。
漫画を描く人の喜びと苦悩がビシビシ伝わってきました。小さい頃に初めて見たジ〇リ作品のような懐かしさを作画に感じました。なんというキラキラな青春なのか。「見て良かった」という感想が多いのに納得。
一律料金が微妙な点だけです。もっと宣伝して広めて欲しいです。
ツルハシを持った人のセリフ、あれはどうやったらあんな演技ができるんでしょう。方言もそうですが、登場人物全員のセリフの言い方にもこだわりを感じました。
才能を見抜いたのもすごい事
原作未読です
気になっていたので視聴。
時間が短いのはある意味拘束時間も短いのでトイレ行きたい問題とか考えると安心して視聴できて個人的には悪くないと思います。まあ、没入しすぎて買ったドリンク全然飲みきれませんでしたが…( ˊᵕˋ ;)
また特別料金に気圧されつつ…水曜のサービス料金や会員ポイントの無料視聴は使えなさそうでした。
京本さんの写実的な絵の4コマと藤野先生のギャグ漫画となら、小学生には後者の方が需要はありそうな気はしたのですが…絵の上手さにだけ注目されてしまったのは、ちょっと天狗になってた藤野先生に対する当てつけだったのでしょうか。
小学生から絵を描く事に心配されdisられるのも肝が冷えました。周りが陽キャばかりだとそんな感じなのかな、と思うと同時に京本さんが引きこもりになった理由がこの環境なら当然の流れだったのかもと思えます…
仲良くなった2人が順風満帆なまま終わるわけないよなと思っていたら1番最悪なパターンで展開されたのは辛かったです
京アニの事件を思い出させられるような痛ましさと、犯人とまるで会話が噛み合わないまま命を害される恐怖…
そのtake2?の展開が救いでありつつも、現実は甘くないままエンディングへ…
短編として良い作品だと思いました。スタッフロールが黒1色じゃないのもありがたい。
諸々の心情やシチュエーションにあまりピンと来ない人には評価は低めかも知れませんが、観やすい長さでまとまっているので良いと思います。
前評判で泣く人が多く騒がしいと聞きましたが、自分の回では特にそういう事はありませんでした。自分も普通に泣きはしましたが…
あと、藤野先生のペンネームのキョウは京本さんの京から来ているといいななどと思いつつ…
1700円の価値はある
大きな誇張はなく、漫画に色と動きがついた作品。
特に音楽が素敵です。そして声がとても合っており、2人の空気感や会話に終始にやけてしまう。
最後は人とゆうのは本当にあっけない終わりなんだと感じたのと、アニメ、漫画だからこそ世界線を変えて回収できる思いがあるのだと思いました。
本当に素敵な作品で2回観に行きました。あっとゆうまの1時間です。是非映画館で。
全198件中、101~120件目を表示