ルックバックのレビュー・感想・評価
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友達は要らない。共に戦う仲間を集え。
などという受け売りを何処かで聴いたことがあります。これは極端な考えです。極端に尖った人生を送りたければ、友達は要らない。一緒に協力して目標を目指すための仲間が必要だということです。
ここでいう友達とは、一緒に遊んで共感しあい、日々の生活の楽しみや愚痴や思い出話に浸る遊び仲間のことです。学校の帰りにアイスを食べたり、家族と一緒にテレビを見たり。主人公・藤野が途中で漫画を書くのを止めて送った日々がそれです。
漫画を書く。芸術を極める。誰よりも上手くなり、自分の希少価値を高めて、収益を得られるほどの専門家となる。この映画でいう「漫画家を目指す」という道はそういうことではないかと思いました。遊びも勉強も何もかも捨てて、一心不乱に書き続ける。ただ、書き続けるバカになれ。さっさと書け、バカ。ということでしょう。
勿論、そういう人生ではなく友達と遊び、家族と共に過ごして人間関係を大切にする人生を送る方がよっぽど素晴らしいかも知れません。主人公・藤野のお姉さんが苦言した通りです。お姉さんのいうことは実に正しい。
そこに引きこもり・京本が現れた。京本は藤野を「藤野先生」と呼んでいたが、画力に関してだけは京本が圧倒的に上。その理由は劇中で描かれていた通り、ただ書くだけの生活を送っていた京本が上なのは当たりまえ。画力に限れば京本の方が「先生」と呼んだ方が良さそうだけど、書くばかりで普通の生活を知らず、漫画を書いてもオチもストーリーも皆無に近い。それと比べて、ある程度は社会に適合していた主人公・藤野の方が漫画家としての持ちネタが豊富。世間を知ることも漫画家には大事。だから、本物の漫画家が取材のため休載するのはその理由。専門家じゃないんだから料理や警察、競馬に競艇、格闘技など知識が必要。
そういえば、劇中でテレビをつけっぱなしで仕事をしていたけど、そういうのも必要なんだそうですね。無意識に知識を流し込む。日々、ネタ集めの勉強が必要で、ネタ帳片手などもそのため。お笑い芸人さんだってJR環状線回りっぱなしで人間観察するのだとか。
いろいろ長文を並べちゃいましたが、劇中の彼女達の動向がいちいち納得できるということです。この作品はアニメーター自身の自分語りに相当するお話で、自分達が送ってきた自分達の物語を描いているから、取材不要でリアリズムにあふれた作品づくりが出来たのでは無いかと思います。いや、本当のところ、作家さんの生活はそこまで詳しくないけど。
入選して貰った賞金でお祝いする二人の様子も、なんだか判る気がするなあ。10万円用意して、結局、5千円しか使えなかった点。遊びを知らない二人だから、どんなに頑張っても、それぐらいしか無駄遣いが出来ないんでしょう。いや、よく頑張ったと思います。美味しいもの食べても話が弾む二人なのかどうか。ぜったい間が持たずに「次行こう。えっと何処行こう」って迷っているはずw これから書く作品のネタとか、そういう話なら弾みそうだけど。常に遊びを知らず延々と作業に勤しむ二人だからこそ、無駄遣いの仕方も知らない。
そんな目標に進むだけの二人が唯一、過去を振り返ったシーン。それがラストの走馬灯ではなかったかと思います。IFの世界にタイムスリップした引きこもり・京本が、主人公・藤野が鍛えた空手で助けられ、そのタイムスリップならぬタイムトリップから我に返って見た走馬灯。それが唯一、藤野が京本と共に思い出話に浸った走馬灯ではなかったか。死に至り、最後だからこそ二人で振り返った走馬灯。遊びを知らず、ひたすら書き続けた二人の思い出。さぞ、「あのときはこうだったね」と語り明かしたかったことでしょう。作画の使い回しではなく、二人で過ごした日々が生き生きと描かれていたシーンが、とてつもないほど愛おしかった。
でも振り返るのは其処まで。藤野はまた、タブレットに向かって走り出す。その姿を見続けるスタッフロールで幕が閉じられましたが、何の苦も無く、夜明けまで書き続ける彼女の姿を、最後まで見届けることが出来ました。上映中の他のお客さんもそうだったのかな。今回、劇場では灯りが付くまで誰一人立ち上がる人は居ませんでした。
勿論、劇中の事件は例の京アニ事件がモデルでしょう。経緯は知りませんが、あの事件のやりきれなかった悔しさをぶつけたのがこの作品だったのかも知れません。
あの犯人が何を奪ったのか。若い頃からひたすら書き続ける日々を送っていた漫画家やアニメーター、イラストレーターがどれほどの研鑽を重ねてきたのか。自分の思い込みだけで全てを台無しにしてしまったのだぞ、と。
こうした画力のみならず、音楽家・芸術家やスポーツなど、専門の技術で生きていくためには、並大抵の努力と経験では成し得ない人生を歩むほかはないのでしょう。いや、自分はそうでないけど、なんとなく判る気がします。仕事は希少価値です。例えば、絵描きになりたければ少なくとも全国で100位以内ぐらい絵が上手くなければ名は売れないでしょう。100位です。1億ウン千万人中のトップ100位です。100人以上、絵描きの名をあげれますか? 上手くなるだけでなく、売れっ子になるというのはそういうことだと私は思います。
本当に何かを目指している人。頑張って。
描く理由と喜びと、そしてレクイエム
これは、映画だ。原作を初めて読んだ時、そう思った。
藤本タツキの漫画は「ルックバック」「さよなら絵梨」の読切2作しか読んでいないので、作者について十分に語る言葉を持たないが、カット割や絵で語る表現など、そのままスクリーンに落とし込んでも違和感がないように思えた。
そんな原作のアニメ化。尺は58分と短い。余計なものが付け加えられることはなさそうだとは思ったが、想像以上に原作に忠実だった。それでいて、既に内容を知っている私にも改めて刺さるものがあり、2時間の佳作映画に引けを取らない見応えに心が震えた。
やはり、「ルックバック」の語り方は映画だった。忠実な映像化でそれが証明された気がする。
物語の主題はふたつあると私は受け止めている。
ひとつは、藤本タツキの創作衝動の原点だ。何が彼に作品を描かせるのかということを、主人公の藤野の言動に仮託して語っている。絵の上手い京本への健全なライバル心に突き動かされるところから始まり、やがては彼女と創作の喜びを分かち合い、その分かち合い自体がモチベーションになってゆく。
小学生の藤野は、ちょっと共感性羞恥を覚えるようなキャラだ。井の中の蛙であるがゆえの万能感……とはいえ、あの4コマ漫画の起承転結は、藤野の方が最初から十分上手いのだ。この才能の方が漫画家には重要だと思うが、藤野は京本の絵を見て落ち込み、やがては描くことをやめてしまう。
その後、卒業式の日に京本と出会わず、あの賞賛を受けなかった世界線では、大学生くらいの年齢になるまで漫画を描かないまま空手を嗜むなどして過ごしている。誰かから認められること、喜ばれることが、いかに人に勇気を与えるか。また、そこから得られる喜びは時に人生をも変え得る力を持つということが、2つの世界線の対比から伝わってくる。
終盤の、「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という問いへの答えとして流れる走馬灯は、原作よりも多くの場面を描き出している。だから自分は描くんだ、という藤本タツキの声が聞こえてくるようだ。彼にとっての京本は、似たような関係の身近な誰かかもしれないし、あるいは読者なのかもしれない。そしてその動機は、多くのクリエイターに共通するものでもあるだろう。
もうひとつは、京アニ事件の鎮魂だ。私個人の解釈に過ぎないことを前置きしておく。
物語終盤で京本を襲う通り魔の台詞や表現。原作が発表された当時「統合失調症を想起させる表現」「京アニ事件の遺族・関係者に対し無遠慮だ」といった声が一部であがった。また、精神科医の斉藤環氏が、藤本ファンを公言し本作を称賛しながらも「通り魔の描写だけネガティブなステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ」とツイートし、noteでもその主張を補足する記事をあげた。そういった意見を受けてか、通り魔の台詞は2回に渡り変更された。ただ、最終的に単行本に収録されたバージョンは、1回目の修正で別の言葉に変更されていた「元々俺のをパクったんだっただろ!?」が「パクってんじゃねえええええ」となって(ある程度)復活し(直前の台詞も変化しているが、長くなるので割愛)、映画でもそのまま使われている。
多くの人に読まれた作品だからこそ、さまざまな見方が出てくるのは仕方ない。誤った見方が広まるのではという心配も、わからなくもない。だが個人的にはあのシーンは京アニ事件に向けたもので、修正前の通り魔の台詞は、あのキャラクターから事件の犯人個人を想起させるためのものに見えた。だからあの台詞には必然性があった。心を病んだ人の単なるステレオタイプだとは思わない。
そして、あのパラレルワールドは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のオマージュだ。
(以下、「ワンス・〜」の結末を書きます)
史実では人違いでシャロン・テートを殺害したマンソン・ファミリーを、映画ではクリフとリックが完膚なきまでにボコボコにし、凶行が起こらない世界が描かれた。
現実世界の理不尽な悲劇に、フィクションの世界でだけでもささやかに、せめてもの仇討ちをする。そして、クリエイターたちの情熱はそんな理不尽になど負けないと、高らかに宣言する。本作は、そんな切実な思いのこもった物語でもあるのではないだろうか。
その物語が映像として動き出し、そういったメッセージとともにアニメーション表現の素晴らしさをも伝えてゆく。そんな熱い58分間なのだと思う。
観てよかった短編アニメ映画
先日(2024年11月9日)観ました。
アマプラ独占配信という事で、前々から少し気になりつつも、出来るだけ予備知識なしで臨もうと、関連記事などから目を逸らしていました。
今回観て知ったのは、チェンソーマンの作者の作品である点や、中学生の女の子2人の漫画に関する物語であり、最先端のデジタル技術ではなくアナログの手書きにこだわった作風などです。
基本的に学生ものの作品は食指が伸びにくい所がありますが、本作は再生から5分とかからず引き込まれました。
クラスで漫画がうまい藤野。ちょっといい気になっている所に登場する京本のずば抜けた景色たち。クラスメイトの関心は京本の画力に移り、居場所を失いそうになった藤野が一念発揮。交友関係すら断ち、絵の稽古に没頭していく…と言った展開です。
60分を切るとっかかりやすい尺と手書きならではの温かみのある絵のタッチ、ジャンル分けするのに難儀してしまう物語の変化に、気がついたら画面にかじりつかんばかりに観入っていました。
同じ場面が繰り返されるシーンがあり、どういう状況か分からなくなってしまった箇所がありましたが、エンドロールの余韻までお腹いっぱい堪能することができました。
5年前の夏に起こった凄惨な放火殺人事件を思い出すシーンがあり、当事者でなくとも胸が締め付けられました。
藤野と京本は出会えてよかったと、個人的には思っています。
この作品は家族で観てもらって、鑑賞後に家族みんなで話をしてほしいです。色んな意見が出てきそうですね☺️
Look back
藤本タツキ作品は、チェーンソーマンをはじめとして、その他短編集も読んでいる。私はファンのひとりである。
本作品は、2年ほど前、寝つきの悪い日曜日の夜に一気読みし、感動と切なさで余計に眠れなくなってしまったことを覚えている。
これは、鑑賞後にタイトルの真の意味がわかるタイプの映画である。なぜ漫画の表紙に描かれた主人公が窓際でひとりで絵を描いているところなのか。
主人公(藤野)は絵を描くのが得意で、学級新聞の四コマ漫画を担当し、絵を周りから褒めれることが大好き。あるとき、不登校の生徒(京本)が描いた四コマ漫画を見て、あまりのレベルの高さにショックを受ける。それでも藤野は、絵を勉強し、よりうまく描けるように努力を続ける。それでも差は埋まらず、一度は諦めてしまうが、たまたま会った京本に「先生」と言われ、気持ちよくなり、猛勉強を再開する。そこからは2人の漫画共作が始まっていく。
藤野が常に机に座り、その後ろで京本が低いテーブルで突っ伏しながら漫画を描くシーンがたくさん出てくる。
物語は高校生までは順調に進むが、2人の進路は漫画家と美大進学で完全に分かれてしまう。
そこで起こった事件により、京本は亡くなってしまう。
そのとき藤野は回想し、京本の人生の分岐点に、自分が大きく関与したことに気付いてしまう。そこからは藤野らしい明るく爽快な妄想と思われるシーンが繰り広げられる。そして新たな四コマ漫画を窓に貼って再び仕事に戻る。
ストーリーはほぼ原作通りで、色が入ることで、漫画を描いているときの窓の外の景色や背景の美しさが際立っていた。
58分という短い上映時間であるが、これ以上ない濃密さでストーリーは進んでいく。
辞書では、「look back=回想する」であるが、最後のシーンや京本と漫画を描いているシーン、藤野の性格からして、タイトルがその意味を表してしていないことは明らかだろう。
よくみるお涙頂戴アニメ映画とは完全に一線を画する。
やはり藤本先生おそるべしである。
またね
初対面の二人の去り際の言葉が圧倒的期待感を持たせてくれて最高。
58分だけで映画として超傑作を作れるんだということを提示してくれる意欲作。映画内におけるダイジェストシーンって「君の名は」とかで象徴されるように演出的にも凝っていて面白いことが多いんで、「それだけで完成させればいいんじゃね」という狙いかどうかはわからないけど、メインに据えることで上手くハマって成功している。
初対面で尊敬しすぎて同級生を先生と呼んじゃう場面が序盤の名場面。後半の名場面はブラックコメディな4コマを実は相方も制作しており、それがけっこうクオリティ高いところ。オチの背中を見ろ=タイトルにもリンクするという構成が綺麗。個人的な心情だけど、あの4コマ切り取りが時空を越え、空手少女の主人公が正史になる終わりかたでも良かった気がするんだけどなー。
タツキはおそれている。
自身の出世作第二章を前に、今一度過去を振り返る様な自伝的漫画(だと勝手に思っている)。
とにかく病的に描く描く描く、その喜びと苦しみのループは、そっくりそのまま作者の頭の中なのだろう。突然挿入されるあの事件の描写は、漫画的に都合良く成敗する結末を選ばず、現実を突き付けて終わる。死んだ人は帰って来ない。
漫画から感じたそんな想いが全く表現されていない映画。
意味のある・なのか
面白かったです。
登場人物が亡くなる演出はあまり好きではなくて、なんというか、死なさずに感動させてくださいと思ってしまう。特にこの話ならその必要ある?と思ってしまうのですが。
犯人の動機がそのままあの事件と同じということは、ここにもこの映画のメッセージの一つがあるのでしょうね。ここでの死は突拍子のない出来事ではなくて、描かなくてはならないものだったということなのか。
結局、主人公は背中を見ることで前を向くことが出来た。
誰もが出来るとは限らないけど、利用出来そうなものがあればなんでも利用して、それを燃料にして進んでいけたらいいのですけどね。
とか感じました。
終盤の助けれるストーリーの方に変わったらよかったのに。
と、どんなに思っても現実は変わらない。
その厳しさも受け入れないといけないんだろうな。
振り返る
四コマ漫画を描くことが好きな子供の成長、人生を描いた青春もの
ラストシーン、窓から見える空がだんだんと夜になるまでずっと藤野が漫画を描いている姿を見ると漫画家は孤独な仕事なんだと思う一方、その窓には亡くなった京本の部屋で見つけた4コマ漫画が貼られていて決して一人ではない、京本との思い出があるからこそ頑張れるのでないかと思った
たった58分なのにボリューミー
日本語字幕を付けられるAmazonプライムビデオで視聴しました。
漫画と空手という世界に誇れる文化がキーワードになっています。
藤野(声:河合優実)の小学生時代から大人までをモンタージュを使ったりして時の経過を簡潔にし、心地の良いテンポを持続しています。
東北訛りのある京本(声:吉田美月喜)の劇中での2016年1月のエピソードは、2019年当時アニメーターを守るために業界の問題点を改善しようとしていた池田晶子さんに降りかかった不幸を思い出さずにはいられません。
後悔からの展開はイマジネーションかパラドックスか、不思議な感覚に吸い込まれます。
ディエゴ・ベラスケスの 『ラス・メニーナス』みたいな感じで始まった...
ディエゴ・ベラスケスの
『ラス・メニーナス』みたいな感じで始まった。4コマ漫画と言う事で、手塚治虫先生のある街角の物語の中のポスターの様なタッチが変化するアニメかと期待したら、別の方へ暴走したようだ。
閑話休題
『バック』をどの視点で解釈するかと言う事だが『振り返る』とか『背中を見る』とかだと思う。確かにそれも含まれていると思うが、少なくともこのアニメでは『背景』をさしていると感じた。
つまり、楽屋落ち的な内容だと思う。
背景とは非常に地味な部分で日頃日の目が当たらない。作者は『そこを見て』って言ってんじゃないかなぁ?
しかし、反面、日本のアニメの素晴らしさは背景にあると思う。それは世界的にも群を抜いて凄いものがあると僕は思っている。
つまり、このアニメはその自己主張とあの事件で命を落とした人達への鎮魂と思われる。
次回作に期待したい。
LGBTな解釈はどうしても男目線な所がある。全体的にも男目線だ。小学校六年から中学校の第二成長期が女性にとってどんな時期かを全く無視している。物理的に男には絶対に分からない神秘的な時期なんだと思う。
とにかく、次回作に期待する。
もはや文学。1週間経っても余韻が覚めない。気付けば考えてる
昔は自分にもこういう純粋でひたむきな気持ちがあったなって、観てて思い出した。
でも大人になるってちょっとずつ諦めていくことだから。忘れてた感情を色々思い出した。
60分ほぼ泣きながら観てた。めっちゃいい映画だった。
劇中の藤野のセリフ。「漫画書くのは好きじゃない。楽しくないしめんどくさいし地味だし漫画は読むだけでいい」藤野は虚勢はって本音を隠すキャラ。
「じゃあなんで描いてるの?」と京本が問う。
いつも藤野が描いたネームを最初に読むのが京本。処女作のメタルパレードの時は弾ける笑顔を見せ、その後もある時は泣き、ある時は笑い転げ、藤野にとって京本は最も身近にいる最高の読者で最高のファン。
つまり自分の漫画で京本を楽しませる。それが藤野の原動力だった。最もリスペクトしてるライバルが自分の漫画を楽しみにしてくれている。これほど嬉しい事はないはずだから。
だから京本が美大に行きたいから連載手伝えないって言った時、「美大なんか行っても就職出来ない、私に付いてくれば全部上手くいく、一人でやっていけるわけない」って、感情的になって京本をディスって引き留めようとした。
裏を返せば、京本が居なくなったら楽しくないってこと。ずっと一緒にやってこうよって、泣いて縋ってでも引き止めるべきだったと思うけど、強がりの藤野にはそれが言えない。
だから京本の意志が固いのを見て、ただ黙って絶望して諦めた。
悲惨な事件で京本を失って
「私のせいで京本が死んだ」「漫画描いても何の役にも立たなかった」って自分を責める藤野。
2人が出会わなかった別の世界線は藤野の後悔が生み出した世界。
でもその世界でも結局2人は出会う。漫画を描かなくても結局出会う。京本は藤野の漫画をずっと覚えていて、藤野の方も覚えていてくれてた事が嬉しくて、つい虚勢はってまた描き始めたって嘘をつく。何で嘘かって、だって漫画忘れるために空手続けてたんだろうから。
藤野は京本に出会ったら嫌でも漫画を描く運命なんだと思う。
なぜなら学校の友達も家族も漫画描くことを理解してくれない中で、唯一京本だけが藤野の漫画を理解して肯定してくれる存在だったから。
京本はずっと藤野の漫画のファン。別の世界線でもそれは変わらない。現実の京本の部屋も藤野の単行本がずらりと並ぶ。
物語前半、藤野が賞に出す漫画を描くって言った時、「見たい見たい見たい!」って興奮して食いついてきた京本の顔がものすごく象徴的でこれが全ての始まり。
京本の思いはその時からずっと変わっていない。そんな京本との思い出が藤野の背中を押してくれる。
藤野がいたから外に出れた京本。京本がいたから死ぬほど練習した藤野。お互いに刺激しあって高めあってプロになれた。
目の前の現実から京本はいなくなっても、振り返ればそこには京本との思い出が変わらずにある。
だからタイトルがルックバック。
60分の短編だけど、緻密に作り込まれた完璧なストーリーだった。子供の頃は自由に夢想してただ楽しいだけでやっていけた。でも大人になったら楽しいだけではやっていけない。
どんなに深い傷を負っても、漫画家だからやっぱり漫画を描かないといけない。そんな内面的な葛藤をきっちりストーリーに落とし込んだ傑作。
悲惨な事件を経験して自分を責めるのではなく、幸せな思い出に支えられて描き続けてほしい。京アニ事件で生き残ったアニメーターたちに対するエールのようにも感じられた。
※追記(11/14)
別の世界線で藤野が犯人に飛び蹴りしたシーン。足を骨折したって事はしばらく入院生活で運動は出来ない。⋯って事はやること無くて暇だからもう漫画描くしかない。
犯人に思いっきりグーパンチしたのに右手は無事だったわけだし。藤野はどの世界線でも京本に出会ったが最後、漫画を描く運命なんだと思うw
この映画って主人公の主観描写中心でほとんど説明がないけど、ストーリーの背景とか設定はしっかり作り込まれてる。原作の藤本タツキは間違いなく天才だと思う。
奴らは何も奪えない。何も変えられない。Don't Look Back !!
理不尽な暴力は何も奪えない
愛も情熱も絆も何もなくならない
なくなってたまるか。
苛烈な悲劇を通して、愛の実在を問いかける作品は幾多もある。
「ルックバック」はこう答える。
証明しないことが証明だ。
なぜなら、それがそこにあることは当たり前のことだからだ。
物語は二人の少女の小学生時代から始まる。
絵が大好きな藤野(河合優実)と京本(吉田美月喜)の二人は学級新聞の4コマ漫画を通じて知り合い、友達になる。
二人は協力して漫画を描くようになり、高校3年で連載デビューが決まる。
だが、京本は絵の上達のために大学進学を選び、藤野ひとりがプロ作家として上京を果たす。
数年後、藤野は京本の訃報を受け取る。
大学に現れた殺人鬼にツルハシで殺されたというのだ。
数年ぶりに訪れた京本の部屋の前で、藤野は立ち尽くす。
自分が京本を絵の道に誘ったりしなければ、京本は死なずに済んだんじゃないかと苦しみ悶える。
そもそも漫画を描くことだって一度は諦めていた。
何の気無しに再開して、京本を巻き込んで、京本の数年間を漫画に費やさせて、あげく喧嘩別れのようになって、絵の道に進んだ京本は死んでしまった。
「描いても何の役にも立たないのに」
藤野はかつて自分が描いた4コマを破り捨てる。
それは引きこもりの京本を部屋の外に出した4コマだ。
自分が4コマを描いたりしなければ、京本は死なずに済んだ。
この4コマさえなければ……、
その4コマの切れ端が、時間を超えて、引きこもりだった頃の京本に届く。
仕掛けの説明はない。
ただの奇跡だ。
こちらの世界を世界bとする。
世界bの京本は部屋の外に出ることはなく、藤野に出会うこともなく、大人になる。
だが、絵の道には進む。
藤野と出会おうと出会うまいと絵の道に進む。
いっぽう京本と出会わなかったことで、漫画を諦めたままになった藤野も大学へ進む。
そこで京本が殺されそうな現場に出会し、殺人鬼を撃退する。
なぜ藤野は美術大学に進学していたのか?
結局、漫画への夢を諦めきれず、また、描き始めたからだ。
二人は一緒に漫画を描く約束をした。
時間はズレたが、二人は出会える。
時間はズレたが、同じ夢を追えるようになる。
それはもうただの夢想でしかないではないか。
4コマ漫画が時間を超えて届くなんてあり得ない。
心を慰めるための癒しに過ぎないじゃないかと。
違う、と本作は言っている。
奇跡の部分は「殺人という理不尽な暴力」に対するカウンターであって「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の火炎放射器のようなものだ。理不尽と同じぐらいの乱数をぶつけ返しているだけだ。
京本は藤野と出会わなくても、絵の道に進んだ。
藤野は京本と出会わなくても、漫画への情熱を取り戻した。
説明はない。
なぜ? どうして? の説明をしない。
説明がないのが説明だ。
理不尽な暴力は何も変えられない。
二人は出会っても出会わなくても、自分の夢を失わない。
多少の回り道をしても、進むべき道を選ぶ。
4コマが時間を超えようと超えまいと、二人は出会う。二人は漫画を描く。二人の絆は変わらない。
理不尽な暴力は何も変えられない。
奴らが何をしようと、心にあるものまでは奪うことはできない。
できないんだ!!!
という断固たるメッセージだ。
今度は世界bの京本が描いた4コマが、世界aの藤野に届く。
ただの奇跡だ。
しかも今度は時間を超えるだけでなく、別の世界に届いている。
奇跡だから説明をしない。
4コマのタイトルは「背中を見て(Look back)」
京本が最後のコマの藤野の背中にはツルハシが刺さっている。
それは漫画のオチでもあり、
別の世界で救われた京本がいるという夢を藤野に与える仕掛けでもあり、
自分がそばにいなくても藤野に漫画を描き続けて欲しい京本の願いそのものだ。
藤野は、京本との会話を思い出す。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」
藤野の答えは説明されない。
きっとトボけた答えをしたに違いない。
映像はただただ京本と一緒に過ごした日々を、京本と一緒に漫画に打ち込んだ情景を、淡々と淡々と積み重ねていき、最後に完成した漫画を読んだ京本の笑顔で終わる。
その笑顔の、なんと嬉しそうなことか。
藤野の目には、京本の笑顔が、そんなふうに映っていたのだ。
小学生のとき、漫画を諦めた。
漫画をまた描こうと思ったのは、京本が喜んでくれたからだ。
自分の描いた漫画で、喜んでくれる人がいる。
京本がそれを教えてくれた。
京本がいたから自分を信じることができた。
自分ですら信じることができないでいた自分に水を注いでくれた、光を与えてくれた。
京本の出会えた世界の藤野は、京本がくれた愛情を背中に受けて、漫画を描く。
京本と出会わなかった世界の藤野も、別のかたちで夢を取り戻し、漫画を描く。
何も変えられやしないんだ、この野郎!!!
「ルックバック」は、運命に対する人の無敵さを証明する。
証明しないことで証明する。
プラスしか受け取らない。絆の力、思い出の力、愛情の力しか受け取らない。
マイナスは断固として拒否し、プラスがなくても、己自身の力で人生を進む。
勝利宣言の物語なのだ。
*
漫画を描くのは大変だ。
「メンドくさいだけだし、超地味だし、一日中ずーっと絵を描いていても全然完成しないんだよ? 読むだけにしといたほうがいいよね。描くもんじゃないよ」
それはアニメも同じだ。
「じゃあ、なんで描いてるの?」
京本の言葉に藤野が思い浮かべたもの。
それは監督脚本絵コンテキャラクターデザイン作画監督を務めた押山清高をはじめとするアニメスタッフの答えと同じものだろう。
説明なんていらない。
この作品に込められた愛情が何よりの証明だ。
少なくとも原作未読には響かない
凄い盛り上がってるから見てみれば、平凡な映画。
あれが、全てアナログ絵での作製とかなら凄いってなるかもだけど…
京アニ事件を彷彿させると言われてるけど、動機が同じなだけで、手口や状況は全く違うから…私はそうは思わなかったな。
恐らく面白いのは、原作である漫画の方で長編読み切りなのにあの内容は濃くて、作者の絵が凄いって話なのだろう。
普通に二人の少女が漫画家を目指す物語かと思いきや、、、後半からは泣...
普通に二人の少女が漫画家を目指す物語かと思いきや、、、後半からは泣けてくるシーンもあったりで、なかなか良かった。
あのドアを挟んだ、やりとりをどう解釈すればいいのかわからなかったけど、別の世界線からやってきた四コマをガラス窓に貼り付けて頑張ろうとしてたから、あの世にも不思議な物語は事実として起きた事であって並行宇宙って事なのかな?
続編があるのかも知らないんですが、あのドア挟んで、また不思議なやり取りが続いて二人が交わる世界線を見てみたいな
ドント・ルック・バック
この作品を見終わると、無性にボストンの「ドント・ルック・バック」が聴きたくなった。最近、音楽というものに夢中になってきたので映画鑑賞欲が遠のいてしまった私をお許しください。ということで、久しぶりに映画(アマプラだけど)を観たので投稿します。
あー、なるほど。タイトルの「ルックバック」には過去を振り返ることと、単純に背中を見ろというダブルミーニングが隠されていたのですね。裏を返せば、実は過去を振り返るなという前向きなことを訴えているようでもあり、奥が深いです。
今の時代にしては手描き風の要素もあり、時代の流れとともにパソコンを使った漫画制作の現場がよく伝わってきます。冒頭のヘタウマアニメなんかもセンスあるし、デッサン画の勉強シーンからはアニメーションの動きに目を奪われてしまいました。
とにかくストーリーが秀逸!京アニの事件をも想起させる事件によって藤野と京本の人生が大きく変わる瞬間に感情を揺さぶられ、その後のパラレルワールド展開を想像させておきながら現実の厳しさを訴えてくるのですよ。もう涙が止まらんやん・・・人生振り返りっぱなしのおっさんにはきつい。単に短めだから鑑賞リハビリにはもってこいだと短絡的に考えてたので、後頭部にガツンとキックを食らった感じ・・・てな感じで、ぼちぼち映画を観ていきます。
モチベーションとか影響
まず藤野が描いた漫画に影響を受けて自分も発表しようと思ったっぽい京本。
その京本が描いた漫画に影響を受けてさらに上手くなろうと頑張る藤野。
さらにその京本が描いた漫画におそらくマイナスの影響を受けて漫画を描くのをやめる藤野。
その京本に直接めっちゃ褒められたことでおそらくプラスの影響を受けて、一緒に45ページの短編漫画を描く藤野と京本。
賞貰ったり一緒に遊んだりしながらもお互いにおそらくいい影響を与え受け合って漫画を描いてく藤野と京本。
お互いが影響する中で連載デビューと大学進学を決めた藤野と京本。
おそらく藤野の漫画を読んで影響を受け続けながら、自宅や大学で絵を描いていく京本。
そこにおそらく誰かの絵からマイナスの影響を受けた男がやってくる。
もし自分が誘ってなかったら、京本は事件に巻き込まれずにすんだと思う藤野。
もしも京本に出会ってなかったら、の世界で京本を助ける藤野。
それでも小学生のときに描いてた漫画が、京本に影響を与えていた藤野。
一緒に漫画を描いていた中で、京本がモチベーションになっていたかもしれないと思う藤野。
色々思い出してそれがまた影響を与えて漫画を描き始める藤野。
どうやっても漫画を描いて発表した瞬間から影響を与えちゃってるのがおもしろかった。
漫画に限らず、創作でもなんでも、影響って勝手に与えるし受けるもんだと再認識してなんか感動した。
この映画を作った人も作ってない人もありがとう
相互触発…背中を押す
Amazon Prime Videoで鑑賞。
原作マンガは未読。
マンガへの熱い想いが引き寄せたふたりが実は互いに触発し合っていたことが分かる序盤で、「これはすごく面白い青春物語が始まるぞ!」と云う予感に胸が高鳴ってしまった。
褒められるとすぐ調子に乗る藤野と、引きこもりの京本のキャラの書き分けが明確でしかも強烈なので、基本このふたりだけの画面だが、凄まじい牽引力で物語を引っ張っていく。
ふたりが交流を深めていく様子を、ただ映像のみで見せていく手法も良かった。セリフは無いが、表情などからどんどん仲良くなっていくのが分かるし、季節の流れも情緒があった。
ここまで仲良くなると、青春モノあるあるとして別離があって、紆余曲折を経てまた一緒にマンガを描く流れを予想したがその斜め上と云うか、かなり悲劇的な出来事が起きて呆然。
京本の悲劇は、事件の内容と京本と云う名前から「京アニ放火殺人事件」を想起させ、心が苦しくなった。才能あるクリエイターの命が失われると云うのはこう云うことなのか、と…
それからの展開が劇的。藤野のif妄想と京本の想いが藤野の背中を押す流れは冒頭の伏線が効いていて涙腺が緩んだ。仕事部屋に帰って早早、マンガを描く藤野の背中は、クリエイターの業や「それでも描くことをやめない」情熱など、いろいろなものを背負っているように見え、複雑な余韻だった。
[余談]
藤野の声を担当する河合優実氏だが、本当に作品に恵まれた俳優さんだなと思う。と言うか、河合優実氏よ。声の演技まで抜群に上手いだなんて、あなたに弱点はないのか!?
この映画に出会えて良かった
藤野と京本、二人のキャラクターが本当に素晴らしい。
藤野はプライドが高く、負けず嫌いで、画力を上げるための努力を惜しまない姿がとても魅力的だ。一方で京本は、藤野に対する純粋な憧れを抱きながらも、藤野に見合うアシスタントになるために、敢えて彼女から離れる強さと美しさを感じさせる。
京本の人生が不条理に絶たれるやるせなさと苦しさ。二人が夢中で漫画を描いていたシーンが何度も頭をよぎる。引きこもりだった京本が、憧れの藤野を前に顔を真っ赤にしてサインを求めたり、藤野のお気に入りの話を熱心に解説したり、新作を見たいと何度もねだったりするシーンがとても愛おしい。
物語が「if」の世界に移行し、京本と藤野に新たな接点が生まれたときには、どうかこれが現実であってほしいと祈りながら観ていた。そして、描く目的を見失っていた藤野に、自分の夢が詰まった部屋を見せ、再び描く喜びを思い出させた京本。その藤野への深い愛情に、涙が止まらなかった。
きっと藤野は、京本との思い出や友情を抱きしめながら、これからも2人で漫画を描き続けていき、そして更に面白い作品を生み出すんだろうと思うと苦しい中にも小さな嬉しさを感じた。
もっと早く観ておけば
アマプラ配信されたので早速。映画館で観れば良かったな。。原作読んだから良いかと思って舐めてた。
藤野が漫画を描き続けるのも立ち止まるのも京本がいるからで、京本が部屋を出て美大へ行くのは藤野がいたからで、画力は京本に勝てないけど学校や友達との何気ない生活という経験から漫画を描ける藤野と学校に行かないからこそひたすら風景画を描き続けて時間と画力はあるけどストーリーは描けない京本。どちらもお互いが必要で、時に足枷になるなんてこんなに苦しくて尊い関係があるのかと前半は思った。
後半は京アニ事件を思い出した。実際の京アニ事件だってあそこにいたのは努力をし続けて夢を叶えている人達だったんだろう。理不尽だ。藤野が京本を助けるあのifシーンは時間は掛かってもそれでも2人が出会って漫画を描く未来なのかな。
外が暗くなってもひたすら藤野が漫画を描き続けるエンディングロールは観ているコチラ側へのルックバックだったように思う。
映像の美しさと細かく設計された背景、セリフよりも画でわからせる映画だった。
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