ルックバックのレビュー・感想・評価
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素晴らしい雰囲気映画
マンガが良いと感じたなら絶対に観るべき
タツキの描いた絵で、タツキの描いた動きがそのまま映像になっていた
映像や色使いも然る事ながら私は音の表現が特に響いた
BGMや効果音、環境音の拘りや表現が美しかった
そして場面を強調する無音
マンガで全て知っているのに音の使い方で魅入ってしまった
登場人物の声や喋り方、話すときの間の取り方までイメージの通りだった
強いて、強いていうなら雨のシーンはもっと大雨だったくらいなもので
そこはやはりタツキの原作の素晴らしさが光り過ぎていて映像化は難しかったのだろう
監督の、製作者達の愛の塊で作成された原作再現の究極とも言える作品
何回見ても良い映画
原作好きで楽しみにしてた映画なだけあって原作まんまの作画がとても良かった。
映画では漫画になかった4コマの映像化もされており、スキップシーンも主人公の感情を表現しており満足度が高い。音楽も綺麗でサウンドトラックをリピートしている。特に最後のlight songも歌詞は無いようだが歌声が透き通るようで鎮魂歌にぴったりだった。
複数回観ているが入場特典も漫画のネーム版、ブックカバーと新たに一冊の本が出来る仕様で粋。
藤本タツキを映画化すること
これだけ原作ファンに認められているのは本当にすごい。藤本タツキの世界がそのまま動き、映画になっていてとても良かった。漫画を読んでる時と同じ、なんとも言えない感情をくれる。量で殴ってくる独特の不気味な描写に音がついていたのが1番好きなシーン。
起承転結、、、?
こういった、アニメの映画を初めて観た。
アニメだから、子どもにも理解できるような優しいストーリーとなるものなのかもしれないが、
先の展開が見えて、観ながら少し退屈してしまった。
藤野と京本の繋いだ手の描写→今後離れるんだろう。
死んだ京本の部屋を開ける→サインを書いたはんてんが掛かっているんだろう。
その他諸々。藤野のイヤらしい性格も、あまり好きにはなれなかった。
後半は、京本が死んで、過去を思い出して、終わり。え、終わり?なぜ、死んだ?死ぬ必要あったのかな、でもこれもあるあるネタだよね、、。
藤野が責任を感じているのにもイマイチ感情移入できなかった。
良かった点は、絵がとても素晴らしかった。アニメって、こんなに生き生きと、表情や動き、音楽で感情を表現できるんだ、と感動した。芸術作品を見ているような感覚になった。
あと、声優さんの声が役にピッタリ当てはまっており、見入ってしまった。
これぞアニメーション
アニメの語源が無機物に命を与えることだとすれば、「ルックバック」こそが、まさにアニメーションだろう。
この作品を観た後では、現在のアニメ産業で生み出される作品群の殆どは「アニメ風作品」になってしまう。
特に京本登場から藤野スキップまでは、アニメ史に残る名シーンだと思う。
原作漫画の解釈から、動く映像作品への昇華が素晴らしい。
声優の演技も素晴らしい。
すでに四回観たが、藤野の心情に絆され、京本の仕草が愛おしく、毎回泣いてしまう。
完成度の高い、密度の高い作品だからだろう。
同じ時代を過ごし、劇場で観られて幸せだ。
焦がれること、夢見ること、勉めること、挫けること、諦めること、そして再び立ち上がって歩き始めること…
人生の哀歓に満ち満ちている。
数十年の人生で、生きていて良かったと思える作品に出会うことは稀だが、私にとってそんな大切な作品の一つとなった。
創作の原点
漫画家を目指して、描くことに没頭し青春を捧げたた少女2人の物語。
読み切りの短編漫画が原作ということで、それを忠実に再現したであろう映画であることが想像できた。生き生きとした人物描写や日本の田舎の風景の美しさが目を引くとのと同時に、驚くほどコンパクトに(余分なものを一切削いで)まとめられているのが印象に残った。
子ども時分の体験というのは、その後の人生に大きな影響を及ぼすことがある。自分の書いた漫画が褒められたこと、しかもそれが自分が認める相手であったことが、主人公にとっては創作の原点だった。
きっと本作の原作者にとっても似たような原点があるのだろうし、世のクリエイターと呼ばれるような創作活動をしている人にとっては(あるいはより広く何かしらの生業を持っている人でもいいかもしれない)、我が事として共感できる部分がある映画なんじゃないかなと思った。
夜が明けるまで、大都会のビルの中で黙々と漫画を描き続ける最後のシーンは、どんなに悲しく辛いことがあっても、原点を見つめ直して創作活動を続けていく覚悟みたいなものを感じました。
「かなわない」という思いと「あこがれ」と
原作の感動を豊かに膨らませた、見事なアニメ化作品。ファーストシーンから引き込まれ、58分があっという間に過ぎ去った。
視点の移り変わりや、画面内での動と静など、作画上の工夫の見事さもさることながら、音響に関しても動と静のメリハリが生きていた。加えて、藤野役の河合優実がずば抜けて素晴らしかった。漫画を読んでいた時には、頭の中でぼやけて響いていた声が、今では原作を読んでいると、河合優実の声で再生されるほどだ。
特に出色は、原作での見開きのあの田んぼ道でのシーン。あふれるうれしさが抑えきれなくなり、だんだんと感情を昂らせていく藤野の様子が、細かなディテールの積み重ねと、カメラワークとで表され、そこに乗っかる河合優実の声が、もうこれしかないというドンピシャ具合だった。
藤野は京本から、京本は藤野から「かなわない」という思いを味わされるが、それは同時に相手に「あこがれ」て、その見えない背中をみながら(ルックバック)追いかける努力の原動力にもなったのだと思う。その努力の積み重ねの地道さ、果てしなさが、原作では藤野の動かぬ背中を見せつつ(ルックバック)、周囲を変化させることでワンカットごとテンポよく切り替えていたが、今作では、季節の移り変わりなど、アニメならでは美しい表現が丁寧になされていたところがよく、また、より背景画の力をつけようと美大で励む京本の取組の姿を丁寧に描いていたところもうれしかった。
公開から2ヶ月程になり1日1回の上映だが、半分くらいは埋まっており、子どもから自分や自分より少し上かなと思う方まで幅広く訪れていたのが印象的だった。
原作者と監督の相性◎
作品内でも映画好きがよくわかり、台詞以外のコマ割や背景の動きでの説明表現が素晴らしい、言わば『映画的なマンガ』の作者と、冒頭のシーンでもわかる描くことへの情熱が半端ない監督が最高。
特に他者から初めて正しく評価された主人公の、雨のなか魅せる自己肯定感ぶちあがりスキップは語り継がれるレベル。
内容があの事件を思い出させるだけに、綺麗事で終わらせられないテーマでもあったが、安易なメッセージではなく、『描くこと』に帰結する点も好感がもてた。
正しい事をしても報われない事もあります。
私達の生活の中でもふとした時に、あの時こうしておけば良かったと思うことがあります。
不幸な結末となりましたが、藤野さんが京本さんを連れ出してあげたのは過ちではありません。
藤野さんがそのことを悔やんだ時、私は涙が溢れました。
優しい気持ちの藤野さんだから、これからも人として漫画家として成長するのだと思います。
2人でひとつ
特別上映かなにかで、割引券も使えないので観に行くか悩んでいた本作。上映時間も短いしなあ…とか思っていたけれど、結果観に行って大正解やった。
あらすじは強気な性格の藤野と引きこもりの京本が漫画を通じてお互いに心を寄せ合うが…という感じ。
喧嘩別れするところまではよくあるあるやよね〜とか思いながら観ていたけれど、その後の展開が非常に堪えた。藤野は、自分のせいでと言っていたが藤野のおかげで京本は外に出ることができたし、自分の夢を持つことができた。親友もできたわけやし。お互いが離れながらも大切に想いあってたんやなと。藤野もペンネームを藤野キョウにしてるくらいやし。やからこそあの展開は辛い。
完全に私見(原作は読んでません)やけど、京アニの事件を彷彿とさせる。作者は芸術を脅かす理不尽には屈しないという強い信念を持ってこの作品を作り上げたんかなと思った。
藤野はこれからも京本と2人で描き続けるんやろうな。
藤野を引き立てるためだけの映画
原作は配信された当初の1回か2回ほどしか読んでおらず、記憶も曖昧で、そこまで熱心なファンという訳ではないため見当違いな事を書いているかもしれません。そこはどうかご容赦ください。
作画、アニメーション表現、背景、音楽、声優は非常に素晴らしく、手放しで絶賛するべきものであった。
昨今は3DCGなどで済ませるアニメもある中、全てのシーンを手書きにこだわっているのが十分に伝わり、クリエイターの方々の覚悟と誇り、まさしく努力の賜物を突きつけられ大変満足出来た。
ただ、内容的には物足りなく感じてしまった。
というのも、この物語において重要なキャラクターであるはずの京本が大変雑な扱いをされてしまっているからである。
京本が自分で美大に行きたいという決心、恐らく東京に遊びに来た時に見た背景画の本を手に取った事がきっかけであると思うのだが、そこがあまりにもあっさりと済まされてしまう。
そして藤野との喧嘩別れからの都合よく殺されてしまう。言うなれば京本という人物には全く焦点が当たらず、物語前半は藤野において圧倒的な才能で自信をへし折る壁として、後半は物語においての盛り上げ役、藤野に対しての引き立て役としてしか機能していなかった。
個人的には、今作は藤野が京本に尊敬されている事を知り、雨の中で力強いスキップをして、帰宅直後に体も拭かずに机に突っ伏し、また描き始めるというシーンが最高潮であったし、藤野と京本が合作し始めるというシーンで完結していた様に思えた。
そこに藤野のクリエイターとしての葛藤や敵対視にも近い一方的な思いから、互いを認め尊敬し、成長する姿も映せていた。(しかしそこにあまり時間をかけなかったためか、さらっと終わってしまった印象でしっかりと描けていたかというと自分は満足するものではなかった)
だから後半は蛇足感が否めなかった。
正直、藤野は京本が生きてても亡くなってても、京本の部屋に行って自分の漫画の原点とも言えるような4コマ漫画や自分の才能を大いに評価してくれた証としてのはんてんのサインを見つけていても見つけていなくても漫画は描き続けていたと思う。
なぜなら漫画家としてはもう成功しているから。
もし漫画家を生業とするには食べていけるか、いけないかの瀬戸際であれば最後のラストシーンで、藤野がそれでも尚、観客に背中を向き、描き続けるという選択が燦然と力強く映っていたのでは無いかと思う。
でももう藤野の才能は世間で評価されているし、天職であるのは目に見えて分かる。だから感覚で言うと悲しい出来事はあったけれど普通に「仕事」に戻っただけのように感じた。
もちろん夢を叶える為に数え切れないほどの努力や葛藤、クリエイターとしての苦悩は確実にあったと思う、ただそれを物語の前半だけ少し描いてあとは全てすっ飛ばして、単に藤野が漫画家を生業とし、京本の死という、いかにもな悲劇を加えただけのように映ってしまい、軽く感じてしまった。
むしろ前半こそ、挫折であったり夢破れたりと誰しもが経験するような事だと思うし、この映画の核では無いのかと感じてしまった。
個人的には前半部分をもっともっと濃密に詳細に描いて欲しかった。
ただ本レビューのはじめに書いた通り、アニメ表現としては大変目を見張るものがあり、それだけでも十分映画館で見る価値のある素晴らしい映画であった。
以下 映画に対してと言うよりも恐らく映画配給会社についての批判を強く訴えたい!
まあ取り沙汰されてはいるが映画料金が一律1700円という点である。
本作は上映時間の短さからods作品(非映画デジタル作品)と分類され、厳密には映画ではなく、演劇やオペラなどと同じ区分である為、本来ある映画料金とは外れ特別料金であると説明されている。
こんな事は明らかに粗悪な詭弁である。
まず本作品は映画館で上映される事を目的として作られているし、形態も誰がどう見ても映画そのものである。
ましてやルックバックの原作は集英社から出てるジャンプ漫画であり、ジャンプの主な読者層は10代〜20代がおよそ5割を占める若年層に人気のコンテンツである。それが映画化されるのだから本作の主なターゲット層は10代〜20代である事は明白。本来なら払わなくていい料金を配給元(エイベックスピクチャーズ)が少しでも多く取ろうとする意地の汚い魂胆が見え見えである。別にこれは自分が学生割引を使えなかった事に腹を立てているのではなく、映画業界がこれまで築き上げてきた料金体制を崩し、配給元(エイベックスピクチャーズ)が儲かるような下劣な商業主義に走ったことを非難しているのだ。
また、そんな料金を高くするこじつけに近いことがまかり通ってしまうのなら、配給元が儲かるような仕組みだらけになってしまい、長期的にみて大衆娯楽や芸術性など多種多様に富んだ側面を持ち合わせている「映画」という作品を創作することにマイナスの要素にしかならないのではないかという事も強く危惧している。
また、むしろ本作品は料金を安くしてでも、夢追う人達にエールを送り、何回でも見れるようにするべき作品ではないのか?と疑問しかない。
早急にods作品の映画に対しての料金の見直しを強く求める。
追記、パンフレット代が1500円と割高だったため、原画の写しなど、少し豪華なのかなと思い買ってみると、他作品のパンフレットとなんら変わりない、むしろ1500円という値段を加味すると明らかに内容がしょぼい。これは確実に値段不相応であった。
買う事はお勧めしない。
あるがままの姿で認め合うことの素晴らしさ
静謐で、プロ顔負けの背景画を描く京本の絵と、ダイナミックだが、絵はどこか荒削りな藤本の絵。藤本は京本に強いコンプレックスを感じ、猛烈に絵の勉強を始めるのですが、京本のレベルに達することはついに一度もなく、漫画を続けることを断念し連載を中断します。そんな藤本もやがて卒業のときを迎え、先生から欠席した京本に卒業証書を届けるように言われ、イヤイヤながら初めて会うことになるわけですが・・・・
「何故連載をやめたのですか?」実は、京本は、藤野の漫画の熱烈なファンであったことがそのとき、判明するのですが、そのことを知った藤本が、心を躍らせながら、自宅に帰るまでの描写が大変素晴らしく、世界が一気にばら色に輝いてみえるような感じが良く伝わってきて、この体験が藤本にとっても全ての原点なのだろうと思いました。
「アメリカン・ドリームは、単に物質的な豊さの夢ではない。(中略)自動車を持ち、高給取りになる夢でもない。むしろすべての男女が生来備わっている能力を使ってそれぞれが持つ最も大きな可能性を実現できる夢であり、生まれや地位によらず、あるがままの姿で他人から認められる社会の状態だ」昨日の日経に掲載されたフィナンシャルタイムスの論説では、ある米歴史家の1930年代のこの言葉を引用し、崩壊している米国中道政治の再構築のためには、今は廃れてしまっているこの考え方をいかに蘇らせるかを論議することが大切だと主張していました。翻ってみるとアメリカほどではありませんが、日本も相似形になっている現実があるように思うのです。
大ヒット漫画「チェーンソーマン」の原作者の半自伝だそうですが、45分の中編ということもあり、タイパを重視する最近の若い人に受け、回転率がよいということもあって、10億円超えの大ヒットだそうで、120分もの中心の日本の映画の製作方針に変革を迫ると報道されていました。でもそうした戦略だけでなく、「ありのままの姿で認め合う」原点回帰の要請が高まっていると思われる現代日本の深層に、よく届く中身の素晴らしさもあったのだろう。そんな風に思いました。
メタ構造を超してキュビスム
作品全体が、
メタ構造を通り越して、
もはやキュビスム。
説明しよう。
絵の中の必要な物、
ちょっと必要な物、
不要だけど無いと成立しない物、
の濃淡、太細が鮮やかだ。
解体して構築でもなく、
現実世界をそのまま写し取っているのでもなく、
作中人物の頭の中にある抽象的なイメージを視覚化している。
抽象アニメの傑作
「かぐや姫の物語」
先日公開されたフランスの
「リンダはチキンが食べたい!」
は、
あくまでもレイアウトや構成が抽象的なアニメーション作品。
本作は、
抽象画、日本画でいうと、
東山魁夷の作品を観てるようでもあるが、
抽象的レイアウトと、
ビビットではない配色、彩色との、
アンビバレントなあり得ない構造、
薄紫と薄緑、
緑とオレンジ、
濃紺と水色、
まさに色々だが、
配色は的確。
背景の、
森の木々が、
紫で、その影がまたパープル、
あり得ない、
いや、
美しすぎた。
藤野にも京本にも負けられない、
スタッフや原作者の意地だろう。
配色は配置レイアウトにも影響し、
その配置は演出や、
ストーリーとも共犯というか、
相互関係でもある。
その大胆過ぎる構成の取捨選択は、
ストーリーの構造にも影響されていて、
時間軸にも違和感がないというか素晴らしい展開だ。
そして脳内の記憶ファイルの一枚だけ一行だけ上書きキック・・・
(参考作品、タランティーノがジェシカ・テートにやってたやつ)
上書きできる・・・上書きできない・・・消去・・・できない・・
できた・・・できない・・・できた・・・
藤野自身は上書きしない、
別名保存で再起動、
そして時々ルックバック。
キュビスムの十分条件を満たしていると言えないだろうか。
以上、
誇張しすぎているのか、
そうでないかは、
今後の作品や若い人たちが証明するだろう。
紫と緑が、
バズ・ライトイヤーを思い出した。
無限の彼方へさあいくぞ。
原作未読者ですが
年齢も性別も関係なく
眩しくてたまらない背中ってありますよね。
振り返れば目を輝かせながら追いかけてきてくれる、
その存在が支えになってる人がいる。
離れていても、姿はなくても。
今日も前に進んでいこう。
物語も良いんですが、
音の使い方が上手いなぁと思いながら見てました。
抑揚で、自分の脈拍が操られてるような感覚に。
感情むき出しの走り方最高!
いい映画だ!
タイトルの通りで、背中を見て
天狗になっている主人公が、素晴らしい才能を見せつけられて努力する、それが1年以上、全てを投げ出してる事もよくわかる。
それでも、超えられない壁でプツリと糸が切れて挫折する。
しかし、才能者が自分を認めてくれている事をしり、また漫画を描き始める。
順調に進むキャリアをテンポよく端折るのも良かった。読み切り漫画。
手をつなぐを象徴的に使えている、背中を追いかけている。その手が離れるときが、二人の決別。
決別で背中を向けて泣いているが強がる事で観客が主人公を嫌いにならない。目を見せずに頬をつたう涙で表現しているのが素晴らしい。
読者投票と単行本が増えて行くことで、努力や人気になった事もよく端折る事が出来ているのが素晴らしい。
アシスタントの催促の電話も作画を続けながらで、多忙感とどこかで離れてしまった相方(京本)と比べてしまっているのがよくわかり、台詞が上手い。
部屋前の4コマ漫画からの妄想で、主人公を救うのも素晴らしい。
第三者を介入させずに、主人公藤野がまた漫画を続けられるようにできている。
サインと4コマ漫画は、キーアイテムが2つになってしまっているが、ショートの端折り方として悪くないなぁと思う。
漫画の映画で、エンドロールが作画からスタートするのも粋だな。
良作。
原作を
読んでてもなお心揺さぶられる作品。
「あの時こうしていれば」、「これをしていなければ」結果から逆算する時、誰しも必ず思う瞬間があるはず。
人はそれを後悔と呼ぶのかも?
藤野によって動き出す京本の人生。
さあ!順風満帆な成功物語の始まりか!と思わせて物語は意外な展開へ…
京本の人生が動き出す藤野の4コマ漫画の躍動感と最後に京本が藤野に宛てて描いた4コマ漫画の切なさにめちゃくちゃ感情が持っていかれるとっても、とっても良い作品でした。
ルックバック感想
嵐みたいな映画だった。
嵐すぎて、シナリオを追ってどうこう感想を書くような気持ちじゃないので、嵐のような熱量で私も感想を書きたいのと、主人公の藤野が良すぎたので藤野に焦点を当てて書きたいことを書いてみる。脱線しつつほぼ書き殴り。
藤野、人間すぎる。
小学生の頃の漫画、絵の稚拙さはあるけどもとの漫画力はかなりある。くだらないが普通におもろいし。これは多分藤野の天性の人間力によるもので、で、天性のものって、磨くことは出来るけど、全くない素質はなかなか育てようがないわけで、
京本はそれを自然とわかっていたから藤野に憧れたと想像。
(理由として、小学生の頃の4コマで、藤野は自分のイメージ、架空のものを描いていて、(この頃から超漫画家。)不登校の京本は過去に観たであろう風景を描いている。ただまぁ京本ももう何年も見ていないであろう景色を何かの資料があったにしてもあそこまで描けるのはすごい。4コマならではのメッセージもあるし。)
藤野の京本への劣等感が出会いの最初にあるから藤野の実力はそこまでな描かれ方をされているけど、前提として二人とも分野が違う最強系主人公の物語だと私は思った。
藤野、自分でも自分の実力と魅力に気づいていて、でも気付ききれていなくて(だから一度絵を辞めたと推測)、そんな自信あるのに無いような藤野が魅力的すぎた。
藤野が京本に初めて会った土砂降りの帰り道のシーンが一番好きで、正直あれで大号泣した。感情移入したのもあるし、あの藤野が可愛すぎて。あの時の嬉しいんだけどむず痒くてもどかしい、くすぐったくて舞い上がって涙が出るような、多分喜怒哀楽のどれにもはまらないもっと本能的な「興奮」。涙出るほど良い。あの瞬間、“生きてる”なんだよな。
結果二人とも成功したのに、あれだけ小学校時代のことが劇中で描かれているにも関わらず、小学校の先生や同級生の、シャークキックに対するコメントシーンがない描かれ方が良かった。創作に対して世の中の見方ってあの描かれ方と近いものあると思うし、それでも、創作や表現にどっぷりではなくても、関わる人生は良い。
なんでかって、
純粋さで繋がった縁は多分そう簡単に切れないし何かを生む。もっとみんな純粋でいい。創作はそういう世界だと言ってくれてるような気がして、しんどいけど、京本は藤野に描いてくださいって言うと思うし藤野は描くしかないし、そうなんだよ、やるしかないんだよ。
見終わったあとにキャッチコピー調べたら、「描き続ける」で、さらにずーん。良すぎたな。
やはりアニメはいいですね
アニメは最高なんだけど切ない物語でした。
藤野と京本の出逢いと別れ、そして永遠の別れ
しかし出逢った事はお互いに最高の幸せだったと思う。
前にあった京アニの事件を思わせる話ですが、通り魔の台詞が原作では色々変更されてるようですね。
この作品を観る前の日に実写邦画を観ましたが、アニメや漫画ならこれでいいけど役者さんに演技させると残念な事になるような演出がチラホラありました。
やはり日本のアニメーションは最高ですね。
追記
公開劇場が追加され私の街の劇場でも公開されましたので再度鑑賞しました。
藤本タツキさんの作品、チェンソーマンは知っていましたがコミックもアニメも観ていませんでしたので、コミックを購入して読みました。最高にハマってます。
アニメも配信で拝見しましたがコミックほどイマイチ魅力を感じません。
しかしこのルックバックはコミックもアニメも魅力的です。
アニメのチェンソーマンに足りなかったもの、この劇場版アニメにあったものは藤本先生の絵がそのまま動くアニメーションになってることですね。
監督の押山清高さんが藤本タツキ先生の絵の魅力をアニメーションに昇華されています。
チェンソーマンの劇場版が製作されるそうですが、ジャンプに連載されてる藤本先生の絵が動く作品にして欲しいと感じました。
制作はMAPPAらしいですのでそのあたり期待したいですね。
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