ルックバックのレビュー・感想・評価
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レクイエム
京本の世界を開いたのは藤野だった。藤野をてっぺん大将にしてくれたのは、京本だった。掛け替えの無いふたりが、京本の藤野のいない世界で生きてみたい 美大に行ってもっと上手くなりたい
と言ったとき、じーんと胸が締め付けられた。良かったね闇を抜けたね に対し藤野の大将でいられなくなる嫉妬も痛い程伝わった。ふたりで完成品だったから。その後京本が亡くなった経緯わー経て 如何なる理由があったにせよやっぱり出会う親友だったと思わせるものと お互いに通じあうものが切なすぎて半身が失われたような痛みを覚えた。涙が止まらなく会場が明るくなるまで皆席を立てずにいた。大作と思う。
本来なら5.0です!
ドストライク過ぎて、ちょっとだけ物足りなかった。。
でもドストライクではあって、あと2回は観るつもり!!
本当に、バクマン。とか僕線とか物作りや上達を目指して頑張る系の映画やドラマが好き過ぎて。
ワンスアポンアタイムも好きでして。
その期待は充分にあり楽しんで観ましたが、
期待し過ぎたかなぁ。と思わざるを得ない。
でも友達には絶対観てって言うくらい良かったです。
藤本タツキ臭を存分に残しつつアニメに昇華させた傑作
同じく藤本タツキ原作のアニメチェンソーマンに代表される、近年のcgグラフィックを用いた作画は原作の良さを封じ込めてしまうことが往々にしてある。
しかし、この作品はアニメの良さと、原作の良さを相乗させた傑作であると確信する。
特に、cg作画最大の欠点である心理描写をあえて漫画的な作画を用いて完璧に表現したところに感動した。
そして、ストーリーの変更をほぼせず、潔く一時間以内にまとめたのも英断だった。漫画自体が読切りとして出版されたもので、その風のように読者を突き抜け過ぎ去ったが故の感動を、うまくアニメに残した。とにかくテンポが良かった。
僕は高校生で普段より高いお金を普段より短い時間にはらうことになりましたが、全然気になりませんでした。素晴らしい作品です。アニメを見て感動して泣いたのはいつぶりだろうか。
野心と純心
PVを見て、むしょうに見たくなった。吸い寄せられるような絵と声。アニメなのにカメラワークを感じるPVだった。特別なもの・フレッシュなものを感じたので映画館へ行った。
じぶんは漫画を見ない人で、何も知らないまっさらで見た。
小学校四年生の藤野は漫画がじょうずで運動能力にも優れたクラスの人気者だった。尊大な態度だが、まだかわいい範囲内である。
学園新聞に四コマ漫画を連載していたが、不登校児である京本の漫画と併載されたとき、京本の画力は彼女の自尊心を打ち砕いた。
しかし京本は自らの優れた画力に無自覚であり、藤野を「先生」と崇拝しているのだった。・・・。
序盤中盤は藤野・京本の出会いと友情が描かれるストレートな話だが、変なところもあった。京本の家には小学生の京本一人しかいなかった。ふたりが出会ったとき、背中に藤野歩とサインをするのだが、京本が着ていたのは褞袍(どてら)だった。(布地にはっきりした文字を書けることがなにげに不可解だった。)ランドセルを背負って駆けるあぜ道は天へ続いているかのように茫洋としていた。
さいしょから二人の世界は細部が欠けていた。
藤野は京本の画力と消極性を自らの立身に利用するが、不人情なわけではなかった。二人は最初から主従のポジションで交友をはじめたのであり、双方に不満はなかった。しかしやがて京本の心中に背離が芽生える。その経過が、手を引っ張る藤野と、引っ張られる京本の絵で描写された。
二人のペンネーム「藤野キョウ」は漫画家として立身し、連載を抱えて勢いに乗った藤野はぐいぐい京本を引っ張りながら突っ走る。が、京本は藤野から離れて自らの芸術的野心を極めたかった。京本は繋いでいた手を離す。
二人が離れた原因は価値観の違いだった。藤野は周囲の評価・人気に価値を置いた。毀誉に一喜一憂し、熱烈なファンである京本に会ったときは、天にも昇るほどに気分が高揚して、漫画で生きるきっかけをつくった。一方京本はひたすら自己研鑽・探究に価値を置いた。ほめられなくても精進し上達することに価値を見いだした。
顧みると、二人はお互いに自分の本心を秘匿した知らない者どうしなのだった。
とはいえ、次第に離れていく藤野と京本の関係は、大人へと脱皮していく幼友達が直面する普遍的な確執でもあった。──ゆえに、その後の展開は、おもいでぽろぽろがひぐらしのなく頃にに変わってしまったかのように急峻だった。
京本が鬼籍に入る事件は唐突で細部がなかった。凶手の「パクられた」という動機には時事にあてこんだ気配もあった。
ところが。話が愁嘆場へ入ったと思いきや、京本の死に落胆した藤野の意識は、漫画をやめて空手をやっている多層宇宙(パラレル世界)へ飛び、京本につるはしを下ろそうとしていた凶手にドロップキックをくらわして、凶行を阻止したのだった。
漫画で結ばれた少女の普遍的な友情話から猟奇殺人が起こり、と思ったらそれが跳び蹴りで解決するのを予測できたか?→できなかった。
そんな奇抜な構成が58分という変則尺のなかに収まっているのが映画ルックバックだった。
原作にはさまざまな分析があがっていた。
ワンスアポンアタイムインハリウッドのようにシャロンテートが死ななかった世界へのやり直しをはかる試みは、ルックバックのパラレル世界と親近性があるとされ、さらに、
『藤野が雨に打たれながら喜んでいる場面を『雨に唄えば』や『ショーシャンクの空に』や『台風クラブ』、パラレルワールドが描写されている点を『ラ・ラ・ランド』、漫画が藤野と京本の未来に大きく影響している点を『バタフライ・エフェクト』、事件発生後の藤野と事件発生前の京本がドアの隙間をすり抜けた4コマ漫画を介して繋がっている描写を『インターステラー』との共通点として挙げている。』
ウィキペディア「ルックバック」より
そもそも凶行が阻止されたのは多層宇宙のどこかであり藤野は京本がいない世界で黙々と漫画を描き続けるのだ。
無事解決を見せてからバッドエンドに沈めるのは未来世紀ブラジルのようでもあった。あるいは藤野はサリエリだったのかもしれないが、京本は藤野を天才と仰いでいた。なんであれ既存作品との類似はルックバックの理解を助けてはくれなかった。
ルックバックは突飛な展開をもった出会いと別れの話と言える。泣かそうとしながら泣かさねえぞともしてくる意地悪設計の青春物語とも言える。野心的作風とキャラクターの純粋さが不協和音をおこしている。キラキラの蜜月から悲劇へ落とすことでジャンル区分するとしたらホラーになるのかもしれない。
京本が魅力的だった。愛すべきイモっぽさ。ざんばら髪で猫背で豊頬で口元にほくろがある。吉田美月喜のたどたどしい山形弁はやみくもに護ってあげたくなった。だいたいにおいて、PVでこの声を聞いたから矢も盾もたまらず映画館へ走ったわけである。そんな淳良な京本が異常者の犠牲になるのは理不尽だった。おそらくルックバックが言っているのは夢を抱きながら生きている者が突如として遭う惨禍のことである。交通事故か新型コロナウィルスか自然災害か痴漢かパワハラ上司かDVか病気か冤罪か、何かは解らないが、人はわりとあっさり陥穽にはまり込んで抜け出せなくなることがある。それは事件に巻き込まれるほど稀なことかというと、そうでもない。そしてそれを生き残ったのであれば哀しくても唯唯生き続ける他はない──とルックバックは言っているのではなかろうか。
映画館は子供(家族連れ)が目立ったがまったく子供向けではなかった。
正直見る前は、漫画を書くアニメだと思ってました。
めちゃくちゃ申し訳ないことに見るまで、ただ漫画を書くだけのアニメだと思ってました。
しかし、実際は、ただ漫画を書くだけではない、数えきれないほどの感動や奇跡が詰まった映画でした。
最高の映画でした!ありがとうございました!
良すぎ
これはみてほしい
漫画はアプリで読んだだけだったんだけど
そこの映像化だけでもとても良かった
んだけど、その続き?
もしかしたら読切じゃないやつは
続きがあるのかわからないけど、
読切漫画みてから映画してほしい
良かった
ストーリーは両手あげてばんざーい
じゃないんだけどさ
良かったわぁああ
※映画館出た瞬間な感想です
背景と背中
オープニングから、勉強机に座る藤野の背中の描写だけでクリエイターの覚悟が十二分に表現されていた。背中は自分では見えないが、本人が背負っているもの、藤野が描き続けるということを象徴しているようだった。
藤野のライダーキックで京本が助かった世界線。そこに京本は生きているのだ。それは無惨な出来事で救えなかった人への鎮魂歌。
同時に私たちは自分がどの世界線で生きるかを自分で決めることができる。
京本と漫画を描いていた走馬灯のような日々を無かったことになんてできない。愛してもらった経験さえあれば、たとえ京本がいなくても前に進める。涙
アニメに詳しくない私は、作画の動きに目が行きがちで、もちろんそれも素晴らしいんだけど、本作の背景はまるで京本が描いてるみたいに思えてしみじみと感動した。
感動はする
ネタバレは無いように書こうと思ったけど無理だな。観てから読んで欲しいです。
構造は割と王道のジュブナイルな感じ。とにかく序盤から中盤の感情の作り方がすごくリアルでいい。
子どもが創作をする時の周囲との関係がとても共感性羞恥。でもちゃんと実力が伴ってきて、あんまり恥ずかしいことを言わなくなってくるのもとてもいい感じ。
ただ、起承転結の転が、今まで積んできたリアリティを崩しちゃった感じがして、個人的にはその辺りから感情移入が弱くなった。
サブヒロインが通り魔に殺されるなんて流石に流石過ぎると思う。
ここに引っかからずに抜けられた人は満足度が高い気がする。自分はここが展開として安易なように感じてしまった。
でもまあ、その後のことを考えるとまあかな。ただ、最後も前向きな雰囲気作って何も解決せずに終わったし、解決しなくても確かに感動はしたのだけれど、サブヒロインぶっ殺して全て丸く収まったことにするのはちょっと違う感じはした。
結局エンドロール観て前向きに働こうとは思うんだけどね。
中盤以降、関係が不安定になってきてからの感動要素は背景美術によるノスタルジー演出が多分にあるように思うので、この辺は新海誠作品と同じ枠だと思う。
ただ、自分は劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンがどうしても嫌いなタイプだし、昨今のやす子とフワの問題でもやす子のツイートを見てフワみたいな反応する気持ちも分からんでもないくらいひねくれている。素直に見りゃ星5つなのかもしれないね。
まあ、基本は新海誠なので映画館で観るのが良い。高くてもやってるうちに見ておくべき。
アニメの本懐
最近鑑賞した映画、アニメの中でも群を抜いている。アニメの作画・色彩・動き・表情等、郷愁感があり、これ程好みと合致するとは思わなかった。
レビューを見て何気なく選んだのに、映画館で鑑賞出来てよかったと思わせる良作。
1時間程の上映時間と短いが、雑味がない感じでスッキリ進行し主役2人に集中できた。与えられる他の情報が少ない分、色々と想像してしまう。
声優、音楽も合っていて作品全体のまとまりが有りレビューを書きたくなる映画でした。
京本にとっての漫画とは? 追記 原作本読んだよ
原作は未読で、評価の高さで鑑賞。藤野視点がメインだが、京本視点でも見たかった。なぜ不登校だったのか、家族はどのように関わっていたのか。京本にとって、藤野の存在は憧れだけだったのか。美大に行こうと思った心の動きが知りたかった。二人共に家族との関わりが見えないが、それは本作の原作者自身を投影しているのか?
藤野は自分が漫画を描いたために京本が死んだと思う場面があったが、そこからまた漫画を描き始める。それは表現者の性(さが)であるともに、自分の漫画で、人に生きる希望や勇気を与えることもできるという決意の現れであるとも思う。
京アニのことを想起する場面は見るのが辛かったが、漫画を描く人もアニメを作る人も、それを乗り越えて前に進んでいると思う。これからもさらに多くの人の心に残る作品やアニメ映画が作られることを願う。
(追記)原作本読みました。ストーリーは原作通りですが、映像になって、藤野の話し方(河合優実が上手い)とか雨の中を走る場面が凄く良くなっています。特別料金じゃなかったら、何度も見たい映画なのに、それだけが失敗です。スラ厶ダンクのように、少ししたら再上映にして、その時は通常料金、レイトショーや曜日割り引き、学生割、シニア割等にしたら、今回の興行収入を大きく越えるでしょうね。
主観的で情緒的
複数の知り合いがこの作品を評価していたので、シニア割引がなく、短編にもかかわらず、気になって観てみた。確かに観応えはあった。
相方の京本の家族がどう思っているかは全く描かれないのも不自然かと思うが、何か関係が描かれたとしても、影響力は小さかったのだろう。ネット評では、京都アニメーション事件被害者への鎮魂というものがあったけれども、社会性よりむしろ個人的な哀惜を強く感じた。小学校の学校新聞で挫折感を覚えた京本の作品よりも、藤野の自作品への注視の方が強調されているように感じた。総じて、客観性より主観的で情緒性が強く感じられた。
嫉妬と絶望を作品に落とし込む藤野、同じ感情を刃に込める男の違いとは何か
2024.8.19 イオンシネマ久御山
2024年の日本映画(58分、G)
原作は藤本タツキ『ルックバック(集英社)』
絵の上手い小学生が漫画家として成功する過程を描いた青春映画
監督&脚本は押山清高
物語の舞台は、北九州付近のどこかの町
小学4年生の藤野歩(河合優実)は、漫画が上手いことを自慢にして、学校新聞で4コマ漫画を連載していた
クラスメイトの反応に天狗になる藤野だったが、担任(斉藤陽一郎)から提案されたあることにて、彼女の日常は激変してしまった
それは、隣のクラスの不登校生徒・京本(吉田美月喜)のために連載枠を空けると言うものだった
これによって、藤野と京本の漫画が並んで掲載されることになるのだが、京本の漫画は風景画でセリフがない中でも物語を感じさせるものだった
京本の漫画が評価され、画力も明らかに劣っていたことで劣等感を感じる藤本は、努力を重ねて画力をアップさせようと奮闘し始めた
だが、その差は埋まることはなかった
6年になっても漫画を描き続け、とうとう卒業までその生活を貫き通した
だが、卒業式の日、藤野は担任から「京本の家に卒業証書を届けてほしい」と頼まれてしまう
渋々承諾した藤野は彼女の自宅に赴くものの、呼びかけても反応はない
ドアが開いていたために中に入ってみると、そこにはおびただしい数のスケッチブックが積み上がっていて、彼女の努力は藤野の数十倍にも及ぶものだった
藤野はそこで4コマ漫画の原稿用紙を見つけ、「漫画を描くの、やめた」と呟いて、京本への嫌がらせを書き殴った
だが、その4コマは風の悪戯で飛んでいき、京本の部屋へと吸い込まれてしまった
藤野は慌てて逃げ出すものの、京本がそれを読んで追いかけてくる
そこから奇妙な関係が始まり、二人は「藤野キョウ」として、漫画賞に向けての長編漫画を描き始めることになったのである
映画と言うカテゴリーに入るのかはわからないが、映画館では特別上映の作品で、各種サービスが適用されない作品になっていた
58分で1700円と言う値段で、少々割高に感じるのだが、口コミで高評価が広まり、拡大上映が続いている
当初は近隣の映画館での上映がなく、遠方に行く必要があって躊躇していたのだが、近くで上映されることもあって鑑賞に至った
『チェーンソーマン』などで人気を博する作家だが、基本的に映画しか観ないのでほぼ知らないまま鑑賞したが、漫画家を含む創作者のモチベーション維持のストーリーだったので、すっと入ってくる内容だった
藤野の承認欲求拗らせみたいなところがベースにあり、反骨心が彼女を奮い立たせるのだが、その持続と停止の切り替えがリアルに感じる
また、現実に起こった事件をモチーフにして、「もしもの世界を夢想する」という現実逃避の末に現実を受け入れると言う過程も秀逸であると思う
加害者は創作者の端くれだが、二人の間にあった違いとは何だったのか
他人の創作に気を取られ、そこに嫉妬心を抱いたりするところまでは同じなのに、その後の行動がまるで違う
その違いを生んだのは、切磋琢磨できる存在であり、孤独ではなかったと言うことになるのだが、藤野自身もプロになってからはどことなく孤独を感じている
その孤独を生み出したものが自分の行動だと責め立てても、それを否定する京本が心の中にいて、それゆえに藤野は救われているのかな、と感じた
いずれにせよ、58分と言う短い作品だが、ものすごく濃密な時間になっていたと思う
現実がモチーフになっていて、そこに至らなかった理由というのが明確に描かれているので清々しいと思う
創作者の苦悩は誰にでもあるものだが、嫉妬を作品に変えた藤野と、ペンを刃に落ち変えた男との差は埋まらない
現実では悲劇を救うヒーローは現れないのだが、せめてもの抵抗というものがそこにあって、それはとても切ないものであるように感じた
鑑賞後も続く思い
賞賛の言葉は山ほどあるが、それはさておき
この作品ほど、観賞後の観客の心に余韻を残す映画、というのもなかなか無いのでは。
58分間。
観客は藤野と京本の物語に瞬く間に引き込まれ、
大いに共感し、喜び、いきなりの急展開にとてつもないショックを受け、どん底に突き落とされる。
パラレルワールドはあるらしい。しかし元の世界の現実は変えられない。
気持ちはかき乱され、一種の放心状態である。
それでも日々は続く。また机に向かっていく藤野の背中を見つめる。
美しい音楽がレクイエムの如く藤野と観客を包みこむ。
下から上に向かうエンドロールにさえ、なにか天に昇っていくような感覚を覚える。
観終わった後も、映画の余韻からなかなか抜けられない。
誰かとずっと語りあいたい。
そんな映画だった。
全てのクリエイターの皆様に感謝。
漫画を読んでから見に行きました。原作もそこそこ面白かったのですが、...
漫画を読んでから見に行きました。原作もそこそこ面白かったのですが、予告が良かったですね。音楽とか動きが素敵だった。期待大で見に行きました。感想としては、良くも悪くも短編読み切り漫画に集約されていて、アニメにすると粗が目立つという所です。スケッチブックじゃなくてクロッキー帳に描けばそんなにかさばらないよとか、ツルハシで13人殺せないだろとかいう細かいツッコミはどうでも良いですが、最初の2人の出会いが物語のクライマックスで、終盤の事件は取ってつけた様な展開なのが気になりました。小学生から大人になるまで描いているのに小学生の出会いや嫉妬や努力が物語の中心になっているあたりがちょっとバランスが悪いというか。人生のクライマックス小学生で終わってるんかいとツッコミたくなります。売れっ子作家になった藤本と美大に行った京本のその後の物語も見てみたい。
美しい…。
めちゃくちゃ久しぶりに映画館に行きました!下調べなく何を観ようかと思ってみたらルックバックがやってるじゃないか!と興奮気味にチケットを購入!上映時間が1時間っていうのが少し気になりましたが、原作好きだったのでどうなるか楽しみでした!
結果で言うと全てが美しかったです!音響も映画館で観てよかったです!1時間の中で微妙な間の使い方も良かったし、映像、音楽は完璧!ストーリーは文句のつけようがない形でした。
久々に大満足の映画でしたが、時間が短くポップコーンを食べきれなかったのが唯一の残念点笑
家の近場の映画館では上映しておらず、サブスク待ちかと思っていたと...
家の近場の映画館では上映しておらず、サブスク待ちかと思っていたところで上映館追加のお知らせ。人気上昇の証でしょうか。原作知らず、映画となった経緯も知らずの状態でようやく行ってきました。
冒頭、二人が出会う小学生時代、自分より画力があると思っていた京本が、自分のファンであることを知る場面、また、その帰り道の喜んでいるシーンは、今も心に残る素晴らしい演出。中学時代からはお互いの才能を認めあい、身を寄せ合って漫画に一途に取り組み、大舞台への足掛かりを掴む姿には「やったね」と心の中で一緒に喜びました。ただ、このままでは終わらない空気は満ち満ちて、繋いだ手が徐々に離れ、互いの道を歩み始めた「別れ」の時が来たかと思ったら、誰もが知る”あの事件”を連想させる話へと向かっていきます。
鑑賞直後、京本は、”あの事件”で犠牲になったどなたかがモチーフになっているのではと思いました。が、そうではなく、京本は事件で亡くなった「全ての人々」であり、藤野もまた「京本」の才能を信じ、関わってきた「全ての人々」であったと。
誤解を恐れずに言えば、そうした「藤野たち」が、「京本たち」それぞれにそれまでの人生があって、夢があって、未来があったことを具象化させ、我々に改めて伝える(加えて鎮魂歌(映画)であることも)作品にしたかったのだと。
劇中の京本の嬉しそうな顔、恥ずかしそうな顔、頑張っている顔を振り返れば、亡くなった方、残された方の無念を改めて感じ、後からしみじみと泣けてきた。そんな映画でした。
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