ルックバックのレビュー・感想・評価
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描き続ける丸めた背中がレクイエム
人気漫画家藤本タツキの自伝的漫画をアニメ化した作品で、1時間程度の中編ながらクリエイター達の苦悩と解放を凝縮した作品でした。漫画を描くのが大好きな小学生の女の子が、抜群の画力を持つ引きこもり少女と出会い、二人して漫画家を目指すお話しです。ところが、単なる予定調和的なストーリーではなく、二人のクリエイターの喜びや苦悩,悔恨、慟哭など怒涛の展開に呆然としながらも作品世界にのめり込んでしまいました。京本の部屋の机に置いたままの少年ジャンプの今週分の人気アンケートハガキには、京本の藤野への変わらぬ想いが感じられて思わず泣けてきました。全編通じて、黙々と原稿を描き続ける主人公の背中が映し出されるのは、何があっても何が起こっても真摯に地道にひたすら描き続けるのが、クリエイターとしての真実の姿でありスタンスだからだと思います。原作を映画ならではの演出を活かして映像にした、押山清高監督のタッチも素晴らしかったと思います。役者では、河合優美、吉田美月喜ともに、感情たっぷりの吹き替えがキャラを生き生きさせていましたね。
皆んなが憧れた世界の舞台裏。
内容は、週刊少年ジャンプの人気連載作家藤本たつきの読切単行本を忠実に映画化した作品。
当時の社会的背景を漫画家世界に落とし込んだ自伝的見方のできる作品。この作品で、藤本先生が作家とはこんな一面があるんだと叙事詩的に語った物語。
印象的な台詞は、『でも!絵もっと上手くなりたい!』京本の言葉。2人の決別のシーンであると同時に、その次の言葉を聞きたくなく生唾を飲む藤野の口元が号泣を誘う。この場面、言葉と裏腹な強気な藤野の台詞も非常に泣ける。
印象的な場面は、『出てこないで!』と4コマ漫画の、一場面が時を超えて妄想として蘇った場面。
もし?!の世界を描く漫画家にとって良くある妄想が、作家本人を勇気づける場面も号泣に値する。ありえない虚実の世界に生きる楽しさと辛さと息苦しさが伝わってくる様だ。
印象的な立場は、2人の対照的な性格と色合いだ。藤野と京本の才能の違いと性格の違いは、映画アマデウスのモーツァルトとサリエリを彷彿とさせる様で非常に息苦しかった。
才能と努力の狭間で苦悩する2人の関係性は、非常に対照的で、美しく感動的な其々の心象風景が映像で伝わり良かった。
自分的に一番好きな場面は、小学校の卒業式後、京本宅を訪問する藤野を追いかける、引きこもり京本の発する言葉。
『藤野先生サイン下さい!』
ここの場面から雨が降り始め、藤野の今まで誰にも本当に!認められてなかった!思いが満たされる様に、感動の涙となって降り注ぎ、雨の中踊りながら走る藤本の場面が好きだ。
鬱屈した思いが1人のファンの言葉によって報われる『絆』が深まるシーンは一番の見どころ。
何とも言えない誰しもが抱いて挫折したであろう様々な好きなことへの贖罪と諦観が後悔を呼び、もう一つの未来を予感させ感動させる。
藤本たつきの漫画は、難解でわかりにくいとは言われる。
しかし、この『ルックバック』単体だと分かりにくくても、『さよなら絵梨』と対になっている漫画なので、楽しみたい人にはオススメしたい。二つを読むと世界観が、よりよく分かりもう一度『ルックバック』してしまいそうな素晴らしい作品です。
京アニ事件を題材ではなくテーマとして捉えなければ駄作になる気がします。
コミックス版は、京アニ事件に対するクリエータとしての気持ち、自分事というか創作に携わるものとしてあの事件の消化という意味が感じられたし、そこに共感できたので評価しました。そこが重要であってクリエータ論としてはそれほど目新しくはないと思います。漫画表現としては見るべきものはありましたけど。
背景がすさまじく上手いという絵の才能と、漫画の内容・アイデアが面白いという才能がお互い認め合った。ちょっとしたハプニングが原因であきらめていた漫画の道に戻った。そのときクリエータの道に相手も引っ張り込んだ。それがかなり間接的な要因だけれど一人の命を奪った。それでも創作は続けざるを得ない。なぜなら創作者だから…ですね。
そこまでならいいですけど、明確な京アニ事件を題材とした出来事が含まれます。これが単なる創作論なら論外です。交通事故でも火事でも他の事故ならなんでもいいですけど、京アニ事件を取り上げるのは他の何かを描くためだとしたら内容的にはアウトだと思います。
藤野と京本ですからね。2人合わせて「藤本」の他に「京」の文字が入っています。つまり、そこにテーマがあるのは意図的なんだと読んでいました。
京アニの犠牲者を自分事として捉えた漫画家が自分の気持ちを消化しつつ、犠牲者を鎮魂する。そういう意味においてのみ許される描写かなと思いました。それ以外の意味性をこの映画に見るにはまだまだ時間の経過が足りないし、単なる才能やその道を進まざるを得ない的な創作論だけではあの事件を取り上げる必然性が弱すぎる気がしました。
その点でいえば2019年の事件に対して2021年の1巻で完結する漫画版だからこそ、その意味を感じられましたが、2024年の映画は演出過多だし尺として水膨れだし、意味として京アニ事件の消化のマインドが見当たらなくなっており、かなり意味も品も落ちたかなという気がします。
結論としてはコミックスとほぼ同じ内容ですが、その時期や商業的製作意図として映画は駄作と言える気がします。原作既読だから感じたことかもしれませんが、映画は京アニ事件に対する気持ちが漫画版に比べてかなり薄くなっている気がしたので、あまり評価できませんでした。
意味のある・なのか
面白かったです。
登場人物が亡くなる演出はあまり好きではなくて、なんというか、死なさずに感動させてくださいと思ってしまう。特にこの話ならその必要ある?と思ってしまうのですが。
犯人の動機がそのままあの事件と同じということは、ここにもこの映画のメッセージの一つがあるのでしょうね。ここでの死は突拍子のない出来事ではなくて、描かなくてはならないものだったということなのか。
結局、主人公は背中を見ることで前を向くことが出来た。
誰もが出来るとは限らないけど、利用出来そうなものがあればなんでも利用して、それを燃料にして進んでいけたらいいのですけどね。
とか感じました。
終盤の助けれるストーリーの方に変わったらよかったのに。
と、どんなに思っても現実は変わらない。
その厳しさも受け入れないといけないんだろうな。
Primeですが。
漫画家を目指す者たちに捧げた作品
漫画家を目指す少女たちの世界
アニメーション
でも彼女らの表情にはリアルさがある。
タイトルのルックバック
直訳すれば背中を見ろだが、意訳して背後に気を付けろとでも言いたいのだろうかと思いながら見ていたが、それは4コマ漫画のオチにもなっていた。
集英社の企画だろうか?
漫画家を目指す人は年々多くなっているのだろうか?
漫画家を目指す姿勢
苦悩と苦労とその生活スタイル
これらを教えたかったのか?
学校もろくに行かずに漫画と格闘している。
やがて起きること
それはどんなジャンルの仲間たちにも起こること
別の道
しばらく前から感じていた違和感
それが何なのかがわかったとき、自分が進むべき道を選択するとき。
さて、
順調に連載を続けた藤野
美大へ進学した京本
その美大で事件は起きた。
京アニ事件と同じ構造
藤野は漫画の道に京本を巻き込んだことを激しく後悔する。
彼女の家 あの日と同じスケッチブックが廊下にまで積み重ねられている。
その上に置かれた少年ジャンプ 藤野の連載 そしてあの日京本に書いた4コマ漫画
それこそが、すべてのきっかけだったことに、藤野は激しく動揺し、それを破り捨てた。
その時、あの日と同じようにその一辺がドアの向こう側へと吸い込まれていった。
さて、
京本は、彼女の意思はどこにあったのだろう?
彼女には偏屈さのかけらもない。
優しさが満ち溢れている。
背景画
物語のない佇まい
そこに感じる京本だけのシーンがあるのかもしれない。
物語のない風景
その角度や天気やモノだけで、京本の想像が大きく膨らむのだろう。
漫画とは少し違う世界
ちょっとそこに立ち寄ってみたくなっただけなのかもしれない。
ちぎられた一片の漫画を見た「あの日」の京本は、その続きを描いてみた。
そこには藤野の知る世界がコメディタッチで描いてあった。
それを見た藤野は思わず部屋のドアを開ける。
誰もいない京本の部屋
ドアにかけられていたあの日のどてら
その背中には、あの日彼女が書いたサイン 藤野歩
「背中を見ろ」
おそらくそれは、天国の京本が私の背中を見ろと言っているのと同時に、その背中に書いてある自分自身を見ろと言うことなのだろう。
つまり、自分自身を信じて、これからも漫画を描けと言うことだろう。
そして連載の「シャークキック」
藤野の漫画の内容はわからないが、足のないサメのキックというのがポイントなのだろう。
空手のキック
もしもの世界
この藤野自身が作った漫画が、もしリアルであったなら、きっと京本を襲ったあのサイコをやっつけてくれたかもしれない。
その物語を、京本が描いて見せた。
ぐるぐると回る思考のように、現在と過去とがつながった感覚
その不思議さとリアルさに、藤野の心が揺れている。
少し考えさせられて、少しじわっと来る作品だった。
作り手も読者も尊敬し合う世界
振り返る
四コマ漫画を描くことが好きな子供の成長、人生を描いた青春もの
ラストシーン、窓から見える空がだんだんと夜になるまでずっと藤野が漫画を描いている姿を見ると漫画家は孤独な仕事なんだと思う一方、その窓には亡くなった京本の部屋で見つけた4コマ漫画が貼られていて決して一人ではない、京本との思い出があるからこそ頑張れるのでないかと思った
たった58分なのにボリューミー
日本語字幕を付けられるAmazonプライムビデオで視聴しました。
漫画と空手という世界に誇れる文化がキーワードになっています。
藤野(声:河合優実)の小学生時代から大人までをモンタージュを使ったりして時の経過を簡潔にし、心地の良いテンポを持続しています。
東北訛りのある京本(声:吉田美月喜)の劇中での2016年1月のエピソードは、2019年当時アニメーターを守るために業界の問題点を改善しようとしていた池田晶子さんに降りかかった不幸を思い出さずにはいられません。
後悔からの展開はイマジネーションかパラドックスか、不思議な感覚に吸い込まれます。
何度見ても新しい発見が有りますね
公開直後に観に行ってから上手く言語化出来ず(数ヶ月経った今でも)何度も何度も劇場に行っても感想等を書く事は無かったのですが
Amazonプライムで公開された物を観て思った事を書いておこうと思いました。
スクリーンで見ていた時は物語に没入していて気付かなかったのですが、家で物語を見てみると押山監督や神アニメーターと言われ宮崎作品等でその高い技術を発揮されて居る井上俊之さんの原画の線がはっきりと分かりますね
見る人によっては線が雑、と感じる人も居るかな?
敢えて原画を清書して絵に起こす作業をせず、手で描かれた作品で有る事を観てもらうと言う監督の意図がよく分かりました
それにしても輪郭線や耳の線、絵を描いて居る手の爪の色を線では無く色分けで表現するって言うのは作画の方は大変だったでしょうね。
タイトルなし(ネタバレ)
ディエゴ・ベラスケスの
『ラス・メニーナス』みたいな感じで始まった。4コマ漫画と言う事で、手塚治虫先生のある街角の物語の中のポスターの様なタッチが変化するアニメかと期待したら、別の方へ暴走したようだ。
閑話休題
『バック』をどの視点で解釈するかと言う事だが『振り返る』とか『背中を見る』とかだと思う。確かにそれも含まれていると思うが、少なくともこのアニメでは『背景』をさしていると感じた。
つまり、楽屋落ち的な内容だと思う。
背景とは非常に地味な部分で日頃日の目が当たらない。作者は『そこを見て』って言ってんじゃないかなぁ?
しかし、反面、日本のアニメの素晴らしさは背景にあると思う。それは世界的にも群を抜いて凄いものがあると僕は思っている。
つまり、このアニメはその自己主張とあの事件で命を落とした人達への鎮魂と思われる。
次回作に期待したい。
LGBTな解釈はどうしても男目線な所がある。全体的にも男目線だ。小学校六年から中学校の第二成長期が女性にとってどんな時期かを全く無視している。物理的に男には絶対に分からない神秘的な時期なんだと思う。
とにかく、次回作に期待する。
噂には聞いてたけど
いやー、ここまで良いとは。
わずか1時間余りのアニメなのに
女の子二人がマンガ家を志し、
さてどうなるか、という話なのに
画面にくぎ付けになった。
’
中学1年のときに書いた作文を
国語の先生に褒められて、クラスの友達も
何人か、「よくあんなこと書けるな」と
言ってくれて、それが嬉しくて
僕はいつしか、プロのライターになった。
あれから、53年(笑)。
有難いことにずっと仕事が続いている。
あってもなくてもいいよな
あぶくのような職業だけど、なんで
これまでやってこれたのか。
’
その答えを本作は教えてくれる。
唸り、だよなと何度も頷き、あの人に
喜んで欲しいからなんだよね、とひとり
泣いて、笑って、泣いた。
いやー、いい映画でした。
’
もはや文学。1週間経っても余韻が覚めない。気付けば考えてる
昔は自分にもこういう純粋でひたむきな気持ちがあったなって、観てて思い出した。
でも大人になるってちょっとずつ諦めていくことだから。忘れてた感情を色々思い出した。
60分ほぼ泣きながら観てた。めっちゃいい映画だった。
劇中の藤野のセリフ。「漫画書くのは好きじゃない。楽しくないしめんどくさいし地味だし漫画は読むだけでいい」藤野は虚勢はって本音を隠すキャラ。
「じゃあなんで描いてるの?」と京本が問う。
いつも藤野が描いたネームを最初に読むのが京本。処女作のメタルパレードの時は弾ける笑顔を見せ、その後もある時は泣き、ある時は笑い転げ、藤野にとって京本は最も身近にいる最高の読者で最高のファン。
つまり自分の漫画で京本を楽しませる。それが藤野の原動力だった。最もリスペクトしてるライバルが自分の漫画を楽しみにしてくれている。これほど嬉しい事はないはずだから。
だから京本が美大に行きたいから連載手伝えないって言った時、「美大なんか行っても就職出来ない、私に付いてくれば全部上手くいく、一人でやっていけるわけない」って、感情的になって京本をディスって引き留めようとした。
裏を返せば、京本が居なくなったら楽しくないってこと。ずっと一緒にやってこうよって、泣いて縋ってでも引き止めるべきだったと思うけど、強がりの藤野にはそれが言えない。
だから京本の意志が固いのを見て、ただ黙って絶望して諦めた。
悲惨な事件で京本を失って
「私のせいで京本が死んだ」「漫画描いても何の役にも立たなかった」って自分を責める藤野。
2人が出会わなかった別の世界線は藤野の後悔が生み出した世界。
でもその世界でも結局2人は出会う。漫画を描かなくても結局出会う。京本は藤野の漫画をずっと覚えていて、藤野の方も覚えていてくれてた事が嬉しくて、つい虚勢はってまた描き始めたって嘘をつく。何で嘘かって、だって漫画忘れるために空手続けてたんだろうから。
藤野は京本に出会ったら嫌でも漫画を描く運命なんだと思う。
なぜなら学校の友達も家族も漫画描くことを理解してくれない中で、唯一京本だけが藤野の漫画を理解して肯定してくれる存在だったから。
京本はずっと藤野の漫画のファン。別の世界線でもそれは変わらない。現実の京本の部屋も藤野の単行本がずらりと並ぶ。
物語前半、藤野が賞に出す漫画を描くって言った時、「見たい見たい見たい!」って興奮して食いついてきた京本の顔がものすごく象徴的でこれが全ての始まり。
京本の思いはその時からずっと変わっていない。そんな京本との思い出が藤野の背中を押してくれる。
藤野がいたから外に出れた京本。京本がいたから死ぬほど練習した藤野。お互いに刺激しあって高めあってプロになれた。
目の前の現実から京本はいなくなっても、振り返ればそこには京本との思い出が変わらずにある。
だからタイトルがルックバック。
60分の短編だけど、緻密に作り込まれた完璧なストーリーだった。子供の頃は自由に夢想してただ楽しいだけでやっていけた。でも大人になったら楽しいだけではやっていけない。
どんなに深い傷を負っても、漫画家だからやっぱり漫画を描かないといけない。そんな内面的な葛藤をきっちりストーリーに落とし込んだ傑作。
悲惨な事件を経験して自分を責めるのではなく、幸せな思い出に支えられて描き続けてほしい。京アニ事件で生き残ったアニメーターたちに対するエールのようにも感じられた。
※追記(11/14)
別の世界線で藤野が犯人に飛び蹴りしたシーン。足を骨折したって事はしばらく入院生活で運動は出来ない。⋯って事はやること無くて暇だからもう漫画描くしかない。
犯人に思いっきりグーパンチしたのに右手は無事だったわけだし。藤野はどの世界線でも京本に出会ったが最後、漫画を描く運命なんだと思うw
この映画って主人公の主観描写中心でほとんど説明がないけど、ストーリーの背景とか設定はしっかり作り込まれてる。原作の藤本タツキは間違いなく天才だと思う。
奴らは何も奪えない。何も変えられない。Don't Look Back !!
理不尽な暴力は何も奪えない
愛も情熱も絆も何もなくならない
なくなってたまるか。
苛烈な悲劇を通して、愛の実在を問いかける作品は幾多もある。
「ルックバック」はこう答える。
証明しないことが証明だ。
なぜなら、それがそこにあることは当たり前のことだからだ。
物語は二人の少女の小学生時代から始まる。
絵が大好きな藤野(河合優実)と京本(吉田美月喜)の二人は学級新聞の4コマ漫画を通じて知り合い、友達になる。
二人は協力して漫画を描くようになり、高校3年で連載デビューが決まる。
だが、京本は絵の上達のために大学進学を選び、藤野ひとりがプロ作家として上京を果たす。
数年後、藤野は京本の訃報を受け取る。
大学に現れた殺人鬼にツルハシで殺されたというのだ。
数年ぶりに訪れた京本の部屋の前で、藤野は立ち尽くす。
自分が京本を絵の道に誘ったりしなければ、京本は死なずに済んだんじゃないかと苦しみ悶える。
そもそも漫画を描くことだって一度は諦めていた。
何の気無しに再開して、京本を巻き込んで、京本の数年間を漫画に費やさせて、あげく喧嘩別れのようになって、絵の道に進んだ京本は死んでしまった。
「描いても何の役にも立たないのに」
藤野はかつて自分が描いた4コマを破り捨てる。
それは引きこもりの京本を部屋の外に出した4コマだ。
自分が4コマを描いたりしなければ、京本は死なずに済んだ。
この4コマさえなければ……、
その4コマの切れ端が、時間を超えて、引きこもりだった頃の京本に届く。
仕掛けの説明はない。
ただの奇跡だ。
こちらの世界を世界bとする。
世界bの京本は部屋の外に出ることはなく、藤野に出会うこともなく、大人になる。
だが、絵の道には進む。
藤野と出会おうと出会うまいと絵の道に進む。
いっぽう京本と出会わなかったことで、漫画を諦めたままになった藤野も大学へ進む。
そこで京本が殺されそうな現場に出会し、殺人鬼を撃退する。
なぜ藤野は美術大学に進学していたのか?
結局、漫画への夢を諦めきれず、また、描き始めたからだ。
二人は一緒に漫画を描く約束をした。
時間はズレたが、二人は出会える。
時間はズレたが、同じ夢を追えるようになる。
それはもうただの夢想でしかないではないか。
4コマ漫画が時間を超えて届くなんてあり得ない。
心を慰めるための癒しに過ぎないじゃないかと。
違う、と本作は言っている。
奇跡の部分は「殺人という理不尽な暴力」に対するカウンターであって「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の火炎放射器のようなものだ。理不尽と同じぐらいの乱数をぶつけ返しているだけだ。
京本は藤野と出会わなくても、絵の道に進んだ。
藤野は京本と出会わなくても、漫画への情熱を取り戻した。
説明はない。
なぜ? どうして? の説明をしない。
説明がないのが説明だ。
理不尽な暴力は何も変えられない。
二人は出会っても出会わなくても、自分の夢を失わない。
多少の回り道をしても、進むべき道を選ぶ。
4コマが時間を超えようと超えまいと、二人は出会う。二人は漫画を描く。二人の絆は変わらない。
理不尽な暴力は何も変えられない。
奴らが何をしようと、心にあるものまでは奪うことはできない。
できないんだ!!!
という断固たるメッセージだ。
今度は世界bの京本が描いた4コマが、世界aの藤野に届く。
ただの奇跡だ。
しかも今度は時間を超えるだけでなく、別の世界に届いている。
奇跡だから説明をしない。
4コマのタイトルは「背中を見て(Look back)」
京本が最後のコマの藤野の背中にはツルハシが刺さっている。
それは漫画のオチでもあり、
別の世界で救われた京本がいるという夢を藤野に与える仕掛けでもあり、
自分がそばにいなくても藤野に漫画を描き続けて欲しい京本の願いそのものだ。
藤野は、京本との会話を思い出す。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」
藤野の答えは説明されない。
きっとトボけた答えをしたに違いない。
映像はただただ京本と一緒に過ごした日々を、京本と一緒に漫画に打ち込んだ情景を、淡々と淡々と積み重ねていき、最後に完成した漫画を読んだ京本の笑顔で終わる。
その笑顔の、なんと嬉しそうなことか。
藤野の目には、京本の笑顔が、そんなふうに映っていたのだ。
小学生のとき、漫画を諦めた。
漫画をまた描こうと思ったのは、京本が喜んでくれたからだ。
自分の描いた漫画で、喜んでくれる人がいる。
京本がそれを教えてくれた。
京本がいたから自分を信じることができた。
自分ですら信じることができないでいた自分に水を注いでくれた、光を与えてくれた。
京本の出会えた世界の藤野は、京本がくれた愛情を背中に受けて、漫画を描く。
京本と出会わなかった世界の藤野も、別のかたちで夢を取り戻し、漫画を描く。
何も変えられやしないんだ、この野郎!!!
「ルックバック」は、運命に対する人の無敵さを証明する。
証明しないことで証明する。
プラスしか受け取らない。絆の力、思い出の力、愛情の力しか受け取らない。
マイナスは断固として拒否し、プラスがなくても、己自身の力で人生を進む。
勝利宣言の物語なのだ。
*
漫画を描くのは大変だ。
「メンドくさいだけだし、超地味だし、一日中ずーっと絵を描いていても全然完成しないんだよ? 読むだけにしといたほうがいいよね。描くもんじゃないよ」
それはアニメも同じだ。
「じゃあ、なんで描いてるの?」
京本の言葉に藤野が思い浮かべたもの。
それは監督脚本絵コンテキャラクターデザイン作画監督を務めた押山清高をはじめとするアニメスタッフの答えと同じものだろう。
説明なんていらない。
この作品に込められた愛情が何よりの証明だ。
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