ルックバックのレビュー・感想・評価
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原作盛り盛り
単行本一冊分、しかも薄めのページ数を映画化すれば、そりゃ上映時間短くなるし、原作にない演出を入れまくるよね。
まさか劇中の四コマ漫画を映像化するとは思わなかった。たった四コマから今の映像作ったのかと驚くし、声優はそこが1番豪華ですらある。
とまあ若干ネガティブ目に書いたが、総合的な満足度は非常に高い!
映画となると書き込みも半端じゃないし、音楽と映像が加わるとこんなにも感動的になるんだな。
見ながら飲んでたお酒の手が完全に止まった。
ストーリーは朧げながら覚えていたので、例のドアの隙間に滑り込むシーンの衝撃は、初見のそれとは大きな差があった。
それでもやっぱりすごく良かった。
背中
何かに打ち込む背中は美しい
藤野の虚栄心が結果的に自分の原動力になる感じは昔の自分を投影してしまった。
恥ずべきことなのかもしれないけど、社会ってそんなものの積み重ねなのかもしれない。
京本が報われて欲しいと思うけど、理不尽なことがあるのも人生だし、残った人間は残った人なりに生きていくしかない。できれば去った人の何かを引き継いで生きていく、去った人はきっと頑張っている人の背中を見ている
作品を作ることへの熱意や愛情、漫画家の苦悩に溢れた作品
なにかしらの作品すら創作したことのない私が述べられる感想などないと思うのですが、本当に胸に刺さる良い映画でした。
なにかを作る、漫画を描くということへの熱意、愛情、苦悩がダイレクトに刺さりました。
不幸な事件で友人が亡くなった場面で主人公がとった行動は消えかけていたい漫画への熱意を再び燃やし、描き続けることでした。
本作品では、小学生の主人公が描いた漫画が不登校引きこもりの京本を外の世界に引きずり出し、一緒に漫画を描き、最後、京本は芸大で無差別殺人の犠牲になる。
自分の作品が誰かに影響を与えるということを知った藤野は、もし漫画を描かない人生だったら、というifの世界を思う。
でも後ろを振り返っても何も変わらないから、前を向いて、ひたすら漫画を描くんだ、というエンドロールの藤野の背中に魅せられました。
日本って不思議の国だわー。
追いかけるのか追いかけられるのか
運命的に、田舎で出会って戦友となった二人。
他愛もない言い争いで分かれたものの、道は別々になっても、どこかで元気にやってる、続けている、と信じていた存在、いわば魂の片割れのような人。
突然理不尽に奪われてしまって己の支えはどうなるのかと心配になってしまう。しかし、これまで歩んできた道が続けて先を照らすのには参った。
誰かの背中を追いかけてきたと思ったら、今度は自分が追いかけられる存在になっていた。じんさいではどちらかが歩みをやめてしまったり、なんならどちらも止まってしまうことの方が多い。この作品は理想的な関係の二人だった。だからこそ悲しい。
京アニ事件をどうしても思い出す。前を向いて奮闘していた人たちが理不尽に奪われてしまった。辛いし、悔しい。
過去と共に前へ進め
とても良い映画だった。
原作が発表された時、
見始めたら止まらずあっという間に読めたので
30ページぐらいの短編だったと思ったら
コミックス1巻分あって驚いた。
漫画からのアニメになった意味のある映画だった。
躍動感のある絵、美しい美術、そして声
原作をさらにドラマチックにしていたし、
見始めたらワンカットも見逃せない素晴らしい出来でした。
前半は自分の小学生の時も負けず嫌いに絵を描いてた
事を思い出し、
一緒に漫画を描き始めた時は羨ましく感じたし
二人がとてもイキイキして二人じゃないとダメな感じが
グッと来た。
どこまでが半生でどこからがフィクションなのかは
分からないけど、
藤本タツキさんは今日も前へ前へと進みながら
過去と一緒に原稿に向かってペンを走らせてるのだと
思います。
ひねくれ者の表現がすごい
観てよかった短編アニメ映画
先日(2024年11月9日)観ました。
アマプラ独占配信という事で、前々から少し気になりつつも、出来るだけ予備知識なしで臨もうと、関連記事などから目を逸らしていました。
今回観て知ったのは、チェンソーマンの作者の作品である点や、中学生の女の子2人の漫画に関する物語であり、最先端のデジタル技術ではなくアナログの手書きにこだわった作風などです。
基本的に学生ものの作品は食指が伸びにくい所がありますが、本作は再生から5分とかからず引き込まれました。
クラスで漫画がうまい藤野。ちょっといい気になっている所に登場する京本のずば抜けた景色たち。クラスメイトの関心は京本の画力に移り、居場所を失いそうになった藤野が一念発揮。交友関係すら断ち、絵の稽古に没頭していく…と言った展開です。
60分を切るとっかかりやすい尺と手書きならではの温かみのある絵のタッチ、ジャンル分けするのに難儀してしまう物語の変化に、気がついたら画面にかじりつかんばかりに観入っていました。
同じ場面が繰り返されるシーンがあり、どういう状況か分からなくなってしまった箇所がありましたが、エンドロールの余韻までお腹いっぱい堪能することができました。
5年前の夏に起こった凄惨な放火殺人事件を思い出すシーンがあり、当事者でなくとも胸が締め付けられました。
藤野と京本は出会えてよかったと、個人的には思っています。
この作品は家族で観てもらって、鑑賞後に家族みんなで話をしてほしいです。色んな意見が出てきそうですね☺️
追記
咲夜(2024/11/24)に妻と一緒に観ました。
やっぱり考えさせられますね😞
前を向いて頑張ろう!って単純な話じゃない気がする
ルックバックというワードから連想できそうな事柄は全て盛り込まれており
全編が 背後や背景、背中、過去、回想や回帰などに関連付けられている見事なショートショート。綺麗なコンセプト作品でした。
本質的には北野たけしの
あの夏1番静かな海 にも、近いテーマ性も感じました
ストーリー全体の枠はおそらく作者のパーソナルな体験や事情を強く含んでいるように感じるが
泣かせる 感動させる というのは短編ストーリーとして成立させるための装飾またはサービスであり
核となる部分はクリエイターが抱える業と呪いと希望の作品だったように思える。
小説や詞や絵、作曲など物を創作する作家を志す人の99%は陽の目を浴びることはない。
そもそも、そういった創作活動は基本的に誰にも求められていない行為だ。
ある日『あなたに漫画を描いてほしい』と知らない人に言われて漫画を描き始めた人なんて1人もいないだろう。
誰にも求められていないのに作家はある日から絵や漫画や歌の創作を始めるのだ。
『では何故、作家は作品を作るのか』
という部分を掘り下げた作品です。
ルックバックの主人公フジノは終盤で
自分が描いていなければ友人は死ななかった
のに、と絶望し過去を思い出す。
『こんな面倒な事やるなんてバカがやること』だと言うが、それならなぜ自分は(自分たちは)描きつづけたのか?という核心に気付く。
もちろん、それはフジノの第一のファンであり決別後にも裏で献身的に支えてくれていたキョウモトのため でもあるのだが
さらに突き詰めれば 自分のためなのだ。
フジノもキョウモトも自分のために描いていた。
その証拠にフジノが漫画を描かなかった世界線のキョウモトは自らの意思で美大に通っている。
キョウモトはキョウモトで自分の絵を突き詰めたい人間なのだ。
つまりフジノがいなかったとしたもキョウモトは絵を描き続けるし
逆にキョウモトが死んだとしてもフジノは漫画を描くことはやめたりしない。
これは少し無常で冷淡な人間関係にも見えるが、実際はその逆で
君がいなくなっても描く
僕が消えても描いてくれ
という真剣な作家同士の強靭な連帯感や信頼関係がそこにある。
ルックバックの解釈として
辛い過去があっても前向きに生きていこうね!という映画だ。という解釈もあるが
それはそれで間違っていないと思うのだが
私の解釈としては
作家性のある人間が作った作品には
その作家の積み上げてきた努力や研鑽、趣味嗜好などが、その作品の背景として見えてくる。
ルックバックは
そういった作家達の本音。声を出しては言えない部分
『自分の存在を見てほしい』という創作の業と願望をテーマにした物に思えた。
万人向けの作品というよりかは
作者が志す作家感を全肯定するための剥き出しのポエムのような作品。
多分作者は20代とか若い人なのだろうと思うが、作家として貫きたい物を両手いっぱいに抱えてるのだな、という事は分かりました。
Look back
藤本タツキ作品は、チェーンソーマンをはじめとして、その他短編集も読んでいる。私はファンのひとりである。本作品は、2年ほど前、寝つきの悪い日曜日の夜に一気読みし、感動と切なさで余計に眠れなくなってしまったことを覚えている。
これは、鑑賞後にタイトルの真の意味がわかるタイプの映画である。なぜ漫画の表紙に描かれた主人公が窓際でひとりで絵を描いているところなのか。
主人公(藤野)は絵を描くのが得意で、学級新聞の四コマ漫画を担当し、絵を周りから褒めれることが大好き。あるとき、不登校の生徒(京本)が描いた四コマ漫画を見て、あまりのレベルの高さにショックを受ける。それでも藤野は、絵を勉強し、よりうまく描けるように努力を続ける。それでも差は埋まらず、一度は諦めてしまうが、たまたま会った京本に「先生」と言われ、気持ちよくなり、猛勉強を再開する。そこからは2人の漫画共作が始まっていく。
物語は高校生までは順調に進むが、2人の進路は漫画家と美大進学で完全に分かれてしまう。大学内で起こった事件により、京本は亡くなってしまう。そのとき藤野は回想し、京本の人生の分岐点に、自分が大きく関与したことに気付いてしまう。そこからは藤野らしい明るく爽快な妄想と思われるシーンが繰り広げられる。そして新たな四コマ漫画を窓に貼って再び仕事に戻る。
ストーリーはほぼ原作通りで、色が入ることで、漫画を描いているときの窓の外の景色や背景の美しさが際立っていた。58分という短い上映時間であるが、これ以上ない濃密さでストーリーは進んでいく。
辞書では、「look back=回想する」であるが、最後のシーンや京本と漫画を描いているシーン、藤野の性格からして、タイトルがその意味を表してしていないことは明らかだろう。
よくみるお涙頂戴アニメ映画とは完全に一線を画する。やはり藤本先生おそるべしである。
凄かった
またね
初対面の二人の去り際の言葉が圧倒的期待感を持たせてくれて最高。
58分だけで映画として超傑作を作れるんだということを提示してくれる意欲作。映画内におけるダイジェストシーンって「君の名は」とかで象徴されるように演出的にも凝っていて面白いことが多いんで、「それだけで完成させればいいんじゃね」という狙いかどうかはわからないけど、メインに据えることで上手くハマって成功している。
初対面で尊敬しすぎて同級生を先生と呼んじゃう場面が序盤の名場面。後半の名場面はブラックコメディな4コマを実は相方も制作しており、それがけっこうクオリティ高いところ。オチの背中を見ろ=タイトルにもリンクするという構成が綺麗。個人的な心情だけど、あの4コマ切り取りが時空を越え、空手少女の主人公が正史になる終わりかたでも良かった気がするんだけどなー。
タツキはおそれている。
自身の出世作第二章を前に、今一度過去を振り返る様な自伝的漫画(だと勝手に思っている)。
とにかく病的に描く描く描く、その喜びと苦しみのループは、そっくりそのまま作者の頭の中なのだろう。突然挿入されるあの事件の描写は、漫画的に都合良く成敗する結末を選ばず、現実を突き付けて終わる。死んだ人は帰って来ない。
漫画から感じたそんな想いが全く表現されていない映画。
描き続ける丸めた背中がレクイエム
人気漫画家藤本タツキの自伝的漫画をアニメ化した作品で、1時間程度の中編ながらクリエイター達の苦悩と解放を凝縮した作品でした。漫画を描くのが大好きな小学生の女の子が、抜群の画力を持つ引きこもり少女と出会い、二人して漫画家を目指すお話しです。ところが、単なる予定調和的なストーリーではなく、二人のクリエイターの喜びや苦悩,悔恨、慟哭など怒涛の展開に呆然としながらも作品世界にのめり込んでしまいました。京本の部屋の机に置いたままの少年ジャンプの今週分の人気アンケートハガキには、京本の藤野への変わらぬ想いが感じられて思わず泣けてきました。全編通じて、黙々と原稿を描き続ける主人公の背中が映し出されるのは、何があっても何が起こっても真摯に地道にひたすら描き続けるのが、クリエイターとしての真実の姿でありスタンスだからだと思います。原作を映画ならではの演出を活かして映像にした、押山清高監督のタッチも素晴らしかったと思います。役者では、河合優美、吉田美月喜ともに、感情たっぷりの吹き替えがキャラを生き生きさせていましたね。
皆んなが憧れた世界の舞台裏。
内容は、週刊少年ジャンプの人気連載作家藤本たつきの読切単行本を忠実に映画化した作品。
当時の社会的背景を漫画家世界に落とし込んだ自伝的見方のできる作品。この作品で、藤本先生が作家とはこんな一面があるんだと叙事詩的に語った物語。
印象的な台詞は、『でも!絵もっと上手くなりたい!』京本の言葉。2人の決別のシーンであると同時に、その次の言葉を聞きたくなく生唾を飲む藤野の口元が号泣を誘う。この場面、言葉と裏腹な強気な藤野の台詞も非常に泣ける。
印象的な場面は、『出てこないで!』と4コマ漫画の、一場面が時を超えて妄想として蘇った場面。
もし?!の世界を描く漫画家にとって良くある妄想が、作家本人を勇気づける場面も号泣に値する。ありえない虚実の世界に生きる楽しさと辛さと息苦しさが伝わってくる様だ。
印象的な立場は、2人の対照的な性格と色合いだ。藤野と京本の才能の違いと性格の違いは、映画アマデウスのモーツァルトとサリエリを彷彿とさせる様で非常に息苦しかった。
才能と努力の狭間で苦悩する2人の関係性は、非常に対照的で、美しく感動的な其々の心象風景が映像で伝わり良かった。
自分的に一番好きな場面は、小学校の卒業式後、京本宅を訪問する藤野を追いかける、引きこもり京本の発する言葉。
『藤野先生サイン下さい!』
ここの場面から雨が降り始め、藤野の今まで誰にも本当に!認められてなかった!思いが満たされる様に、感動の涙となって降り注ぎ、雨の中踊りながら走る藤本の場面が好きだ。
鬱屈した思いが1人のファンの言葉によって報われる『絆』が深まるシーンは一番の見どころ。
何とも言えない誰しもが抱いて挫折したであろう様々な好きなことへの贖罪と諦観が後悔を呼び、もう一つの未来を予感させ感動させる。
藤本たつきの漫画は、難解でわかりにくいとは言われる。
しかし、この『ルックバック』単体だと分かりにくくても、『さよなら絵梨』と対になっている漫画なので、楽しみたい人にはオススメしたい。二つを読むと世界観が、よりよく分かりもう一度『ルックバック』してしまいそうな素晴らしい作品です。
京アニ事件を題材ではなくテーマとして捉えなければ駄作になる気がします。
コミックス版は、京アニ事件に対するクリエータとしての気持ち、自分事というか創作に携わるものとしてあの事件の消化という意味が感じられたし、そこに共感できたので評価しました。そこが重要であってクリエータ論としてはそれほど目新しくはないと思います。漫画表現としては見るべきものはありましたけど。
背景がすさまじく上手いという絵の才能と、漫画の内容・アイデアが面白いという才能がお互い認め合った。ちょっとしたハプニングが原因であきらめていた漫画の道に戻った。そのときクリエータの道に相手も引っ張り込んだ。それがかなり間接的な要因だけれど一人の命を奪った。それでも創作は続けざるを得ない。なぜなら創作者だから…ですね。
そこまでならいいですけど、明確な京アニ事件を題材とした出来事が含まれます。これが単なる創作論なら論外です。交通事故でも火事でも他の事故ならなんでもいいですけど、京アニ事件を取り上げるのは他の何かを描くためだとしたら内容的にはアウトだと思います。
藤野と京本ですからね。2人合わせて「藤本」の他に「京」の文字が入っています。つまり、そこにテーマがあるのは意図的なんだと読んでいました。
京アニの犠牲者を自分事として捉えた漫画家が自分の気持ちを消化しつつ、犠牲者を鎮魂する。そういう意味においてのみ許される描写かなと思いました。それ以外の意味性をこの映画に見るにはまだまだ時間の経過が足りないし、単なる才能やその道を進まざるを得ない的な創作論だけではあの事件を取り上げる必然性が弱すぎる気がしました。
その点でいえば2019年の事件に対して2021年の1巻で完結する漫画版だからこそ、その意味を感じられましたが、2024年の映画は演出過多だし尺として水膨れだし、意味として京アニ事件の消化のマインドが見当たらなくなっており、かなり意味も品も落ちたかなという気がします。
結論としてはコミックスとほぼ同じ内容ですが、その時期や商業的製作意図として映画は駄作と言える気がします。原作既読だから感じたことかもしれませんが、映画は京アニ事件に対する気持ちが漫画版に比べてかなり薄くなっている気がしたので、あまり評価できませんでした。
意味のある・なのか
面白かったです。
登場人物が亡くなる演出はあまり好きではなくて、なんというか、死なさずに感動させてくださいと思ってしまう。特にこの話ならその必要ある?と思ってしまうのですが。
犯人の動機がそのままあの事件と同じということは、ここにもこの映画のメッセージの一つがあるのでしょうね。ここでの死は突拍子のない出来事ではなくて、描かなくてはならないものだったということなのか。
結局、主人公は背中を見ることで前を向くことが出来た。
誰もが出来るとは限らないけど、利用出来そうなものがあればなんでも利用して、それを燃料にして進んでいけたらいいのですけどね。
とか感じました。
終盤の助けれるストーリーの方に変わったらよかったのに。
と、どんなに思っても現実は変わらない。
その厳しさも受け入れないといけないんだろうな。
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