ルックバックのレビュー・感想・評価
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観たあと半日くらいは映画のこと考えてしまう
原作見ずに、映画見に行きました。手書き線を活かした作画と、こういう動きするよなあというリアリティのある動き、無駄なセリフがない感じがとても良かった。静寂と間の取り方も他アニメに比べて大胆で、作品世界を盛り立てていた。声優はとても自然で、無駄なノイズがなく作品世界に入っていけるためか、自然と自分の思い出とシンクロさせやすく、涙がわりと止まらなかった。中心となる展開については、受け手の経験や見方で様々な解釈も生むと思うが、それで良い。全体58分だが、1時間半くらいの体感。つまらない映画が冗長に感じる場合とは正反対で、丁寧に作られた世界が凝縮されていたから、体感が長かったという感じ。劇場で観ることをおすすめします。
「絵を描く」ことのリアリティを欠くのでは
原作を読んでいないので以下に書いた事は映画というよりも原作に対しての指摘になるかも知れないのですが...
以前美大を出て学校で美術の先生をしている友人に聞いた話。「漫画を目指していて描いた作品を出版社に持ち込んで見てもらったことがあったのだけど画力は問題無いけどストーリーがね...」と言われたらしい。
だから画力は漫画家になるのに一番重要な要素ではないし、画力にしても美大受験に必要な画力のようなものじゃないだろうし、画家になるような人は絵が上手くなるために描くのでなくてタダタダ絵が好きで、一つのテーマを突き詰めて描くのだろう。主人公の藤本や京本が絵が上手になりたくてたくさん練習して努力してというストーリーは見る人には分かりやすいが絵を描く人のリアリティからはかけ離れているように感じました。
ですから京本がもっと上手になりたくて美大に行きたいと言い出したときに「それって美大で身につけるものじゃないし、あなたは元々素晴らしい。自分はあなたの絵を見て漫画をまた描きたくなった。」って告白が必要だったし、最後の場面でも「私はあなたに自分の絵を褒めてもらってうれしかった。不登校だったあなたに対して世話をしてあげてるみたいな上から目線だったことゴメン。漫画を連載していると読者の人気ランキングなんてあるけど本当はそんなのどうでもいいの。あなたといっしょに漫画を描いていたい。だって私はあなたの絵の一番のファンなのだから」なんて台詞ほしかったなあ。
週刊少年ジャンプに連載されている藤本タツキ先生だからこそちょっととがった台詞書いてほしかったなあ、なんてかってなことを思いました。
いい映画だっただけに絵を描く人としてのリアリティが欠けたところと台詞でもう一押したたみこんで来てほしかったなあ残念と思い。5点満点中3.5点としました。
見届ける気持ちで鑑賞しました
原作を公開時に読み、今回映画を観てきました。
原作を読んだ時は、面白かったとか感動した…というよりは、「ああ、このことを描いておかねばならなかったんだな」という感想を持ちました。
なので今回の映画も、「アニメーションにしなければならなかったんだな」と思い、いち漫画・アニメファンとして見届ける気持ちで見に行きました。素晴らしかったです。
絵を描く仕事をする人は、絵を描くのが好きな子供だった全ての人たちのヒーローだと思います。そんなヒーローたちも、始まりは同じ「絵を描くのが好きな子供」だったことを感じさせてくれる作品だと思いましたし、その姿のきらめきがとても愛おしかったです。
であればこそ、起こってしまった出来事に対するこのやり場のない気持ちを、言葉ではなく絵で残されたことに、深い尊敬の念を抱きました。
よ、良かった!
原作読破済みです。 いやー心配性すぎて、レビューが絶賛で溢れてきてから観に行きました。 間違いなくルックバックの要素が漏れなく詰まってました。 丁寧に作ってあるなぁという感じです。 声優も初挑戦が主演に据えられていましたが思ったより良かったです。僕はジブリが古い作品ほど好きな懐古厨なので、アニメ声優に関してはやはりプロがやるべきという考えがどこかにあるので不安要素になってたんですが、今回は大丈夫でした。 1時間という短さですが、伝えるべき主題はきっちり収められてて良いと思います。価格に文句言ってる層が一部いるようですが、ちょっと理解に苦しみます。
見事な映像化
原作の良さを十二分に再現した映画。 藤野が生意気なんだけど、口だけじゃなくて天才なのが腹が立つ(笑) 藤野は自分の絵が京本に及ばないと感じるけど、京本は藤野のマンガのファン。 そのことを知って有頂天になる藤野がかわいい。 藤野がどこまで自覚していたのか分からないけど、漫画家って絵が描けるより話が書ける方が大事。 二人が互いに補いあって漫画を描いていく話。 原作通りでも十分面白いけど、もうちょっと藤野の成長が見れたらよかったかな。
もう少し二人を見ていたかった。
上映時間は58分と短かったけど、短いとは感じなかった、ただ2人に感情移入ができてもう少し2人をみたかったと正直思った。 アニメだけど登場人物が少ない、ほぼ2人の話し、個人的に登場人物が少ない映画は好みだけどほぼ最小人数の2名、2人の話しがギュッと詰まっていてついほろりとしてしまいました。 作画も音楽も素晴らしい、見やすいかもしれません。 藤野と京本の関係はすごく共感ができた。どこかでもう一度みたい良作。
一本の映画作品てして傑出したものに
ルックバック・・・振り返ってみる、回顧する、追憶する、後退する、うまくいかなくなる・・という意味からも藤野と京本の関係性の状態と変遷を表したタイトルですね。
たまに時間が空くと映画でも・・とジャンル問わず時折映画館に足を運ぶくらいで、今回も観に行こうと思ったキッカケは「1700円定額・58分・結構話題になっている」くらいなもので原作はおろか「チェンソーマン」も読んでいない状態での鑑賞。・・・結果、心を鷲掴みにされ・涙が溢れ・寂寥感の様な切ない気持ちになり・なかなか余韻が抜けない状態になりました(余韻の継続時間が自分基準での作品の出来を決めている様なところこがあります)。
何でこんな不意打ちを食らった様な状態になったかとルックバックすると、2人のキャラクターが魅力的で、絵が綺麗、人間が皆持ちあわせている厄介(妬み、嫉み、素直になれない)な感情の危うい取扱方、タイムリープが出来たなら京本は今でも・・という切なる空想、相当に効果的だった音楽等々色々練って作り込まれた事が相乗効果を産み、傑出した1つの映画作品となった・・と自分なりに結論付けました。
蛇足ですが、作中の京本が通う大学が映画館から車で10分くらいのところにあったので鑑賞後正門前まで行って(休みなので勿論閑散としてました)みました。原作者が在籍していた事も先程知ったばかりという感じで何の前情報も無い中での鑑賞でした。
最後にこれも蛇足で細かい事ですが、京本の東北訛りは地元民からすれば「近い所まで迫っているものの、土着のものではない綺麗になぞった訛り」という感じでしたが作品に影響をあたえるものでは勿論ありませんでした。
心から行って良かったと思えた映画でした。
ルックバック
Don't Look Backがまず頭をよぎるので、じゃあ何を振り返れと言っているのかよくわからなかった。 その後、こうかと思い至って震えた。 Look 見ろ、Back 背中を 自分は創作者ではないので創作は内から湧き出る意欲が全てかと思っていたが、誰かに見てもらいたい、後ろに背中をみてくれている誰かがいるというのも創作者たり得る原動力になるのだと理解した。
原作は何度も読みましたが...
藤野が初めて京本の漫画を見た時、クラスメイトから「京本の絵と並ぶと、藤野の絵は普通だな」
と言われるシーンがありましたが、まさしく私も小学生のとき、クラスで一番絵が上手かった人と一緒に絵を描いてるときに、同じような事を友達から言われたことを思い出しました。それがキッカケの一つとなり、段々絵を描くのをやめてしまった私とは違い、反骨心を持って漫画に打ち込んだ藤野を見て、過去の自分に対する後悔と、努力を惜しまない彼女に対する尊敬の念が湧いてきて、思わず泣いてしまいました。
タイトルにもある通り、このシーン自体は漫画で何度も読んだことがありますが、映像化されたことによって、藤野の書き殴るような必死な表情や動作を見ることができ、より彼女の熱い思いが伝わってきました。
Don't look back in anger
漫画で読んで分かりにくかった部分、描かれていなかった部分も58分尺ということで映画では細めに描かれていた。
なにかにチャレンジするという意味では、私たち他の人間にも藤野と京本に共通する点があるのではないか。違う才能を持った2人(特に京本)の藤野に追いつきたい。並びたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。
いつかは超作画の漫画を藤野と一緒に連載するために大学で絵の勉強をしながらも、影ではシャークキックを応援していたところに気づく藤野のシーンには涙。
今もこれからも藤野は京本の為に漫画を描き続けるだろう。
藤本タツキ先生のバックグラウンドを知ると、より楽しめると思う。
運命の出会いと別れ
人は一人では頑張れないし、変われない。自分より絵の上手い不登校の同級生に触発され、絵に真剣に向き合うようになった主人公。一方、不登校の同級生も主人公の漫画に触発されていた。2人が出会い、化学反応が起こるも、ずっと一緒にはいられない。別れの痛み、そして…。キッズリターンズ的な展開を予想していたが、大いに裏切られた。1時間とは思えない濃密な映画だった。
心が揺さぶられて‼️❓肌が泡立ち‼️❓感動に咽せた‼️❓
はるばる観てきました。 ああ、前半、その魅力に吸い寄せられ。 二人の出逢いとその個性に打ちのめされた。 結末が、京アニを彷彿させられて、意気消沈したけど、近所だし、子供も漫画描いてるし、どんでん返しの、また、どんでん返しで、ああ、キツクで終わりならば、なんて、なんて運命なんでしょう。 でも、引きこもりから、抜け脱させたからじゃないよ、死んだのは、君のせいじゃない。 ああ、なんて深い、深い物語なんでしょう。 ああ、バイオレット観て以来ですよ、アニメ観て泣いたのは。 あゝ、凄い映画でした🎞️🎟️🎬ありがとうございました😭
一生懸命生きたいな
何かを選ぶということは、何かをやめたり、置き去りにしたり、あきらめたりするということ。彼女たちのようにあれほどの情熱を持って、何かを選び取れたなら…。わたしはこの映画を観て、一生懸命生きようと思いました。
「絵描きの才能」をめぐるクセの強い友情物語に、アニメーターたちがガチンコ作画で挑む!
基本的には、王道のバディものであり、シスターフッドもの。
泣けるかといえば、ちゃんと少しだけ、ラストで涙がちょちょぎれた。
でも、結構くせのある話だよね、これ(笑)。
くせがある分、心に残る良いアニメ、ということだろうけど。
何が一番くせがあるかというと、ヒロイン・藤野の性格設定。
というか、この性格設定でヒロインに「挫折させない」のは、結構「斬新」だと思う。
いや、精確にいえば、彼女だって挫折していないわけじゃないし、相応にダメージもくらってるんだけど、物語として、こういうタイプのヒロインが「断罪されないままのさばって、そのまま終わる」話って、意外と少ないと思うんですよ。
とにかく偉そうで、高慢で、マウントを取りたがるタイプ。
お調子のりで、努力家ではあるけど、融通がきかない。
頑張った結果が伴わなければ、自尊心が折れて逃亡する。
でも、褒められたら有頂天になって、今度は大望を抱く。
相手との関係性を、「あたしについてこい」で規定して平気な人間。
相手の有り余る才能を自分の夢のために搾取して、なんとも思わない人間。
相手の善意と友情をナチュラルに「主従関係」にすり替えて、恬として恥じない人間。
こういうヒロインはいていいと思うし、
むしろ嫌いじゃない。
人間くさいし、生々しいし、意外に悪いヤツじゃない。
表面に出さないだけで猛烈に葛藤しているあたり、可愛いところもある。
でも、この手のヒロインって、たいがい物語のなかで「鼻をへし折られる」し、隷属させていた相手に反逆されたり、才能の逆転を見せつけられたり、周囲に性格の問題を指摘されたりして、「自分の分を知る」展開が待っていることがほとんどだと思う。
でも、このお話では、そういう「罰」がヒロインに与えられない。
そこは、本当に「珍しい」というか、「くせがある」と思う。
彼女は、たしかに「後悔」する。
取り返しがつかない現実が起きたあとで。
自分が京本に対して相応に遇してこなかったことを。
素直に、相手の才能への賞賛を与えてこなかったことを。
あなたが一緒にいてくれてよかったと伝えてこなかったことを。
だが、物語上の流れからいうと、
藤野はやはり、厚遇されている。間違いなく。
どんなに藤野が上から京本に当たろうと、
どんなに同い年なのにマウントをとろうと、
藤野は京本に嫌われない。
京本にとって、藤野はつねに「先生」で「ヒーロー」で「恩人」だ。
京本の藤野「愛」は猛烈で、尽きることがなく、盲目的。
京本も最後は「自分の夢」に目覚めて、共同作業者としては藤野と袂を分かつことになるけれど、別段、藤野のことが嫌いになったわけではない。藤野への悪感情はないまま、「外に連れ出してもらって、成長させてもらったおかげで生まれた自分なりの夢」の実現のために「巣だっていった」というのが、正しい認識だろう。
「私についてくればさっ、全部上手くいくんだよ?」
「まあ、この子は背景を描いてるだけなんですけど」
こういう言いぐさを平気で出来るキャラでありながら、
藤野は最後まで「罰せられる」ことがない。
彼女は、引きこもりだった絵の天才を自分の「まんが道」に巧みに取り込み、才能を搾取し、友達面でさんざんこき使ったうえ、なんと最初の持ち込みチャレンジで、佳作を勝ち取ってしまう。
そこからもとんとん拍子で、中高を通じて読み切り7本を重ね、ついには連載をゲット。
彼女は結局、漫画家としては一度も「挫折」していない。
で、京本が美大進学のために共同作業から離れたら、とたんに画力が落ちて、人気がなくなり、泥を舐めるはめになるかというと(凡百の作品だとついやりがちだよね?)、まるでそんなことにはならない(笑)。
たしかにジャンプの人気投票システムは過酷だし、順位は上がったり下がったりで大変だが、彼女は持ち前の根性とたゆまない努力で、苛烈な漫画家間の競争を勝ち抜き、連載の巻数を重ね、ついにはアニメ化にまでたどり着く。
要するに、彼女には「本当に才能があった」のだ。
小学4年生のときに京本が信じ、ほれ込んだ才能が。
僕たち「外野」の人間(観客)から見ると、ヘタウマにしか見えない絵で(しかもあれだけ教本を買って練習し倒してもたいして成長しているようには見えなかった画力で)、4コマとしてもたいして面白いとはいいがたい内容だったとしても、「京本が見出した藤野の才能」は、本当の本当に、ホンモノだったのだ。
藤野は、なんにつけ偉そうだ。
藤野は、それでも断罪されない。
藤野は、成功する。
藤野は、それでも愛されキャラのままだ。
藤野は、許される。
藤野には、才能があるから。
このへんが、僕が「くせがある作品」と感じた中核だ。
「もしかして原作者の藤本タツキは、藤野と京本の関係性を、素で肯定的にとらえているんじゃないのか???」
「もしかして絵描きの世界では、本当に物語を作る才能を持った一握りの人間を支えるためなら、絵の巧いだけの有象無象はアシとして奴隷のように仕えてそれで良しという思想が当たり前だということなのか???」
こういった「違和感」を、藤本タツキは巧みな語り口と自然なキャラクター描写で、力業でねじ伏せてくる。僕たち観客にも、いつしか藤野というクセモノキャラを肯定的にとらえ、寄り添って応援し、ろくでなしだけど嫌えない友人であるかのように扱うよう強要してくる。
そこが「よくできているけど、くせがある」。
そういうことだ。
この「価値観」――端的にいえば「才能のある人間はマウントをとって良い」「主従関係で規定されてもなお女子の友情は成立する」――をふりかざして、漫画描きでもない読み手に同意を求めるというのは、結構無謀だし、あぶなっかしいやり口だと思う。
でも、藤本タツキはそれをちゃんとやり遂げた。
やり遂げているからこそ、「このマンガがすごい!」2022オトコ編で一位を獲得したわけだし、このアニメ化においても4点を超える高評価を見事に勝ち得ているわけだ。
僕も、観ながらいつしか「こういう友情もありかもなあ」と妙に「説得」されてしまった(笑)。
『チェンソーマン』のアニメ(僕は未見)を視聴したうちの妻曰く、そっちのヒロインも似たり寄ったりのキャラらしいし、主人公はそういう女にこき使われることになんの疑念も抱かないタイプらしい。そうなってくると、藤野と京本のキャラ設定は藤本タツキの作家的個性そのものと繫がっているということかもしれないが……。
― ― ―
もう一点、クセがあると思ったのが、終盤の展開。
みんなは、唐突に訪れる京本のアレって、違和感なかったのかな?
申しわけないけど、僕は大ありだった。
いや、突然死んでもいいんだよ?
でも、なんでいきなり青葉ってんの??
『君の膵臓をたべたい』で似たような展開が起きたときも、さすがに怒っていいのか笑っていいのかわからないくらい呆れたけど……。
というか、観ながら思ったんだよね。
「なんで、震災で亡くなったことにしないんだろう?」って。時代設定的に。
そっちのほうが、話としてはよほど自然じゃないのかな、と。
で、帰ってからパンフを見たら、まさに東日本大震災を契機に生まれた作品だというではないか。そうだとすると、逆に藤本タツキにとっては、震災というネタは「あまりに生々しすぎて、作品に取り入れ難いファクター」だったのかもしれない……。
でも、この物語の流れのなかで、罪のない京本が、才能のないルサンチマンの犠牲となる展開は、作品のテーマとあまりうまくフィットしているようにはどうしても思えず、いやな夾雑物というか、ちょっと何かが本質からズレてしまったような、「うまくいっていない」感じがしてならなかった。
それ以外は、多少強引なヒロインの性格や物語の展開も含めて大いに説得力があっただけに、気になったってところかなあ。
― ― ―
で、ここまでが未読だった「原作」由来の感想だが、アニメ化としてはもう文句なしだったのではないでしょうか。
なんか、「絵を描くこと」と「才能」と「共同作業」と「友情」をメインテーマとする、ある意味「まさに自分たちの物語」に、監督とアニメーターがガチのがっぷり四つで挑戦して、死に物狂いで「自分たちも巧く描ける側の人間」であることを証明しようとしているかのような、そういうリアルなバトル感があって素晴らしかった。
冒頭の、手描き作画の夜空を満月を中心にぐるりと水平回転させたあと、今度は天地をぐるりと縦に回してみせる珍しい試みからして、「俺たちは今回手描きで勝負するんだ」という意気込みがビンビンに伝わって来る(笑)。
場面変わって、藤野の部屋。動かない画面と時間に、漫画を描くことに必要な「根気」と「身体性」がにじみ出る。貧乏ゆすりと床の紙ごみにはヒロインの煩悶があらわれる。鏡の映り込みを使って、表情だけ抜いてくるやり口は実に映画的だ。
動かない画面に退屈して、つい画面のすみずみにまで目をやってしまった観客は、そこに散りばめられた様々な前提となる要素に気付くことだろう。
低山を前方に臨む田舎の風景。一戸建ての二階に住むそれなりの家庭環境。前方の赤いランドセルからわかるヒロインの年齢と時代設定。机の上の4コマ漫画のネタ帳。棚にならんだ漫画誌。あとでパンフで確認したら「りぼん」「ジャンプ」「ふれんど」とある。「Salut」は「ちゃお」のフランス読みってことでよろしいか?(笑)。良く観たら時計は5時。要するにこの子は締め切りに間に合わなくて、「朝まで四コマ漫画を推敲しつづけていた」のだ。
アニメーターとしての押山清高監督の「勝利」を確信したのは、京本に認められた喜びを爆発させながら、雨のなかで藤野が奇怪なステップを踏みながら帰っていく描写を観たときだった。あれはマジで、アニメ史に残るくらいの名シーンではないだろうか。
あそこに、作り手は「セリフとしては語られない」藤野のさまざまな思いをすべてぶちこまねばならなかった。そして、それをガチで成功させた。
たかが引きこもりの京本に画力で負けたという挫折感。
いくら努力しても追いつけない、埋められない能力差。
命を懸けていた漫画から、距離を置くくらいの絶望感。
そんな凄い相手に自分が認められていたという望外の喜び。
自分には「本物のファン一号がいた」という矜持と自信。
やっぱり自分は漫画を描いていいんだ、という解放感。
そういったルサンチマンの解放が、雨のなか有頂天になって踊り歩く少女の「アニメーション/アクション」という形で、見事に結実している。
この「ロケットスタート」が、そのまま彼女を天下のジャンプ連載漫画家にまで導く原動力にもなっているわけで、そんな物語上の「重み」に負けないだけの「凄い作画&動画」に仕上がっている。これを観られただけでも、映画館に足を運んだ甲斐はあったと思う。
あと、持込漫画がいかにも手塚賞応募作っぽい外観をしていたり、そのあと徐々に画力があがるなかで、星野之宣や楳図かずおの初期作みたいな作風を示してたり、いろいろ細かいネタを投下してあって楽しい。ときどき挿入される湖上に遊び空を駆ける白鳥も、現地感と季節感を出している。
一番びっくりしたのが、京本が別れを切り出す場面。
後ろを向いた藤野の顔に、初めて「漫符」としての「汗」が描き込まれるのにも、どきっとさせられるのだが、そのあと一瞬、藤野がとにかくまあ凄い顔をするんだよね。
衝撃と反撥と危機感と焦りと怒りと悲しみと懇願がひしめき合っているような。
描き手が心から観客に自慢したくなるような、神作画。
でも、監督はそれを1秒で、さくっと流してしまう。
敢えて、強調しない。止めて、誇らない。
それは、藤野が誰にも見られたくない表情だから。
この辺に、監督の度量というか、本気度が伝わって来て本当に良かった。
あとは、IF分岐とも藤野の妄想ともいえそうな終盤の展開の解釈とか、河合優実の話とかをぜひしたかったのだが、残念、紙幅が尽きました(笑)。
まずは、ほんとに良いアニメでした!
ストーリーについて
原作は未読でしたがレビューの高さに惹かれて鑑賞しました。
前半宮本が外に出られるようになって一緒に制作活動をする楽しさも描かれていてよかったのですが、後半唐突に京アニ事件を想起させる事件が起こります。
まさかそのようなことが起こるとは思っていなかったので、その後のストーリーも当時のことが甦ってしまい、引きずられるようにストーリーもあまり頭に入らず話が終わってしまいました。
制作活動にひたむきな青春物語なのかなと思って見に行ったので、できれば事件を連想させる描写があることをポスターやホームページに記載してほしかったのと、正直この事件を元に描かれる必要が本当にあったのか初見だと謎に感じ、見る側としてはただただ当時の感情を思い出して重たい気持ちになりました。それがゆえにこの事件を取り入れた理由も明確に知りたいと感じましたし、軽く扱われてしまっていると捉えられても仕方がないと思います。
この映画が流行っていることは個人的に複雑で、言葉を選ばなければ残念に思います。
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