「京本は裸足で飛び出してくる」ルックバック studiofplusさんの映画レビュー(感想・評価)
京本は裸足で飛び出してくる
藤本タツキ氏の同名原作漫画がよくできているため
アニメ映画版「ルックバック」はその原作を
絵コンテとしてそのまま使用して描いたように見える
しかし原作漫画にはない演出が映画版には随所にあり
私が一番感動したシーンは、初めて京本が藤野に会う
シーンである
漫画では京本はサンダルを履いて藤野を追いかけるのだが
映画では京本は裸足のまま飛び出してくるのだ
この演出の違いが、映画版の素晴らしいところである
また藤野に手を引かれていく京本の手が
だんだんと藤野の手から離れていく様は
その後の藤野と京本の関係性を見事に映像として
表現している
最近の日本のアニメは心の動きや感情、動作までも
漫画のセリフのように「言葉」で表現するものが多く
幼稚園児や小学生を対象にしているのか?と
その表現の幼稚さに呆れ果てていた
漫画やアニメなら「言葉」や「セリフ」ではなく
「画」で表現すべきだと思っていたところ
今回の映画版「ルックバック」の演出方法をみて
「画」や「映像」で、登場人物の「心」の動きを
見事に表現していて、当たり前ながら驚いた
私は原作漫画を読まずに映画版を先に観たので
その感動や驚きは言葉に言い表せないくらいだった
おそらく、原作を先に観てしまっていたら
こんなに感動することはなかったのだろうと思う
それは映画版は
ほとんど原作漫画そのまんまであるからだ
本当は5点満点をつけたいところだが
個人的にどうしても納得いかないシーンが
一つだけある
それはラスト近くのシーンで
藤野が京本の部屋で、自作の「シャークキック」
第11巻のラストを見ながら泣いているシーンである
このシーンは、原作漫画、劇場で限定配布された
オリジナルストーリーボードでも確認したが
漫画のタイトルは異なっていたものの
(ネームの段階では「ラックラット」とある)
藤野が泣いているのは自分で描いた漫画を
読みながら京本との思い出を振り返る
(ルックバック)しているのである
このシーンは藤野が再び、京本のためにも
漫画を描き続けようと思わせる意図を
表現するため「シャークキック」11巻の
ラストで涙するような仕掛けなのだろうが
藤野が京本との思い出を振り返りながら
涙するのであれば、藤野と京本がまだ
合作をした作品を読みながら涙する方が
自然ではないだろうか?
このシーンは
個人的にとっても残念に思えて仕方がない
漫画、アニメ映画版ともに
その後、藤野が立ち上がり京本のはんてんに
書いた自分のサインを見つめるシーンがあるので
(映画版の方が、藤野は長くそれを見ている)
藤野の心に漫画を書き続けるという意思を
見出すことができるのだが
藤野が漫画を書き続ける理由それは
ライバルでもあり、尊敬もしている
京本に読ませたいためである
藤野と京本の二人の「漫画」を通じての
友情と切磋琢磨した日々を静止画ではなく
動くアニメでもっと見たかったというのが
本音ではあるが
近年稀に見る
「画」と「映像表現」で感動させてくれる
映画版「ルックバック」は地味な内容ながら
実写映画では表せないアニメーション映画だと思う
素晴らしい作品でした