「震えました。」ルックバック まゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
震えました。
原作未読。
「死と和解できるのは創造の中だけだ」。
藤本タツキはインタビューで、たまたま読んだ本の中に出てきた上記のセリフに触発されて今作品を制作した、と言っている。
それを聞いて、ふと思い出した。(これはずいぶん前にテレビ番組で見た話だ)
かの有名なサグラダファミリアのロザリオの間に、爆弾魔の彫刻があるのをご存知だろうか。1893年にバルセロナの劇場で爆弾を投げ込まれる事件が実際にあり、20人程が犠牲になっている。この時アントニオガウディの血縁者?が巻き込まれて亡くなっているらしく、この爆弾魔の彫刻はガウディ自身の作と言われている。
注目すべきは、この彫刻の爆弾魔の青年の手元。
当時のオルシーニ爆弾と呼ばれる球形の爆弾を悪魔が背後から差し出しており、それを今まさに受け取ろうとしている瞬間の姿が彫られているのだが、その爆弾魔の男の手元は、爆弾を握ってはおらず、手はふんわりと、爆弾から少し浮かせて彫ってあるのだ。
外尾悦郎という日本人がサグラダファミリアの修復に携わっており、彼が言うには「自分も彫刻家だから分かるが、偶然そうなった、ということは絶対あり得ない。意図してそう彫ったとしか考えられない」とNHKのインタビューで答えていた。青年の顔は聖母マリアに向けられており、スペインの内戦と経年劣化で顔の部分がはっきりと残っていないため、どんな表情で彫られていたのか不明だったそうだ。
ガウディは、なぜ手を浮かせて彫ったのか。
もしかすると、青年は、爆弾を投げる事を一瞬ためらったのではないか。そしてその一瞬は、まだ引き返せる一瞬だったのではないか。
…if世界。ルックバック。
ガウディもまた、創造の中で死と和解しようとしたのだろうか。
亡くなった方は二度と戻らない。その現実に納得なんて誰もが出来ないだろう。京アニ事件の犯人のした事は決して許されることではないし、この事件に限らず、現実世界には受け入れ難い苦しみや目を背けたくなるような残酷な事がたくさんある。その時、クリエイターは、やっぱり創造するのだ。創作への情熱と喜びと、怒りや悲しみ、孤独を一身に背負って。机に向かってシャークヘッドを描き続ける主人公の後ろ姿に、胸が張り裂けそうになるエンディングであった。涙が止まらなかった。
(藤本タツキは1993年秋田県の生まれ。2011年東日本大震災の時は18才、2019年京アニ事件の時26才、その後コロナ禍へ。)
ものを創るヒトたちというのは、因果な生き物だ。裏を返せば現実に起きた他人の不幸を種に飯を食っているようなものだが、身を削りながら格闘して世に作品を送り出し、それを我々が受け取った時、絡まってぐちゃぐちゃになって訳がわからない塊を一つ一つきれいに解いて見せてもらっているような、何とも言えない不思議な気持ちになる。めちゃくちゃカッコいいし、尊敬する。
アニメーションの絵が素晴らしく美しく、胸を打たれました。そしてこの短さでここまで見せるのには大変驚きました。映画製作陣に脱帽。映画館に観に行ってほんとに良かったです。
個人的に好きのは、主人公が嬉しさのあまり飛び跳ねながら帰宅するシーン。右足と右腕、左足と左腕が同時に動いてとても印象的な名場面になっています。
あと、なんていうんですかね、最初に描いた下絵?をそのまま生かすようなタッチというか、勢いを残してる感じがまた良かった。キャラクターの気持ちが線に乗って生き生きしてました。手で筆記具を使って描くというアナログな動作と作品そのものがフィットした感じがあり、一体感がありました。
後ろを振り返った時。映画タイトルを反芻した時。悲しみだけじゃなくて京本のキラキラした笑顔が鮮やかによみがえります。鑑賞後しっかりそれが残るのが素晴らしいです。自分の作品を読んだ京本の、ファン達の、あの笑顔があるから、描き続けていくんですね。