「全然普通に面白い」かくしごと R41さんの映画レビュー(感想・評価)
全然普通に面白い
北國浩二さんの小説「嘘」
その映画のタイトルが「かくしごと」
小説はタクミの嘘に対するその後を描いたものに対し、映画では隠された真実を描いた点が大きく違っているからだろう。
ここだけで小説と映画とには物語性が大きく違っていることが伺える。
主人公に対する共感
おかれた立場と境遇などの下敷きと起きた出来事による思考と行動
どうしてもここに重点が置かれることが多いが、主人公こそ落ち度のある普通の人である方が共感する。
そして反感
主人公の行動に対する違和感やあり得ないとするジャッジメント
面白さでもある。
さて、
平成初期のセドリックバン
何故、この車だったのだろう?
チサコはこの車で海に行き、子供を亡くしている。
スマホを使っているので時代背景は現在
チサコが生まれたころの車のように思える。
父からもらったのだろうか?
あの車には里谷家の想い出と、その後のチサコの想い出が詰まっているように思った。
つまり彼女自身の象徴だろうか。
主な登場人物である父 主人公 タクミ
それぞれが心の傷があり痛みがある。
頑固者の父に寄り添うことができないチサコの気持ちはよく理解できる。
その父が認知症で介護認定を受けるために嫌々帰省したが、父の本音を知ることになる。
タクミの存在が、父の閉ざされた心の扉を開けたようにも思えた。
ここがこの作品の素晴らしかったポイントだ。
認知症でも憶えていることはある。
だから娘を邪険にした。
ところが、孫が登場した。
父の後悔 孫を抱こうとしなかったこと。
抱かないまま、死んでしまったこと。
その頑なな思考と妻の限界 おそらく父にとっての痛みは、そこにあったのだろう。
自分がしてしまったことからの解放や救いが、この認知症だと医者は言う。
タクミがいなければ、この部分が活きない。
さて、、
物語そのもののプロットもよかった。
犬養が登場するタイミングに仕込んだ伏線もよかった。
ただし、
NPOを名乗って訪問したことと、グラビア写真と彼女の住所…
これだけで息子がそこで生きているというのを想定するには無理があるだろう。
また、
最後のシーンは、二人で海へ行ったのだろう。
海とはタクミが行きたかった場所だが、チサコは行きたくない場所だ。
その伏線を「今度海に釣りに行こう」という場面に描かれている。
あのシーンはチサコもタクミも過去を昇華したことを描いている。
2時間でひとつの物語を完結させている点もよかった。
ただ、
割と平凡のようにも感じる。
小説では洋一は証言しないことで、彼を守ってくれたチサコの不在と自分のしたことが何を招いたのかを葛藤する。
ここに焦点があるので新しさがあった。
アニメも小説も、スケールや時間の長さや複雑さが織り込まれるようになった。
その一部分だけでも物語としては面白い。
しかし、そこに新しさが伴わなければ、やはり腕組みしながら唸ってしまう。
キリトリの難しさを垣間見た気がした。