「【"魔斬りの刃”今作は、二組の親子の関係性を描きながら観る側に”真の親子の絆とは何であるか。”を考えさせられる作品である。再後半の裁判シーンは、琴線を激しく揺さぶられる作品でもある。】」かくしごと NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【"魔斬りの刃”今作は、二組の親子の関係性を描きながら観る側に”真の親子の絆とは何であるか。”を考えさせられる作品である。再後半の裁判シーンは、琴線を激しく揺さぶられる作品でもある。】
■ある事が切っ掛けで絶縁状態だった父(奥田瑛二)が認知症になり、介護認定を受けるまで山奥の実家で同居することになった作家のチサコ(杏)。友人(佐津川愛美)と呑んだ後に、その友人が運転する車で、見知らぬ少年(中須翔真)を撥ねてしまう。
友人が飲酒運転だった事と、自宅に連れ帰ったその少年の身体中の痣を見て、親に虐待されていると思ったチサコは、記憶を失っていた少年を自宅に匿う。
◆感想<特に印象的だったシーンを記す。>
・今作では、複数の親子関係が描かれているが、メインは下記二組である。
1.厳格だった、今や認知症を患う父と、娘のチサコ
2.虐待を繰り返していたと思われる父(安藤政信)と息子の犬飼洋一(中須翔真)
・厳格だった、今や認知症を患う父を演じた奥田瑛二さんの”自分の正しさ”を本能的に貫く姿と、トイレの場所が分からなくなり、失禁を繰り返し、チサコを亡き妻と思い、泣きながら詫びる姿を演じ分ける演技の凄さである。
そして、チサコはそんな父の姿を見て、且つての厳格さを失った姿を見て言葉を失うのである。
・チサコが保護した少年、犬飼洋一が”記憶がない”ことを知り、少年に”貴方の名前はタクミよ。”と嘘を付き、少年もチサコに懐いて行く姿。
少年を演じた中須翔真君の”聡明そうな顔”が印象的である。
この際の中須翔真君の演技が、最後半の裁判のシーンで効いてくるのである。
・チサコが、洋一が川に流され、捜索中にも関わらず東京に帰った洋一の両親を訪ねるシーン。母(木竜麻生)はオドオドしながら、チサコが偽って説明する話を聞くが、中から出て来た父親に追い返されるシーン。チサコは夫婦の姿を見て虐待は間違いないと思うが、父親も又、チサコの顔を焼き付けるのである。
■チサコの幼い息子が海水浴に連れて行った時に溺死したシーンや、チサコがその後、父と絶縁した理由が彼女自身の口から語られるシーン。
だが、このシーンがチサコを追い出した事を後悔する認知症に罹った父の”あの子を帰らせてしまった・・。”という言葉の哀しさを増幅させる。
厳格であり過ぎるが故に、学生時代に妊娠をし、子を持ちながらも死なせてしまった娘を痛罵する言葉により疎遠になった娘への本心が出たシーンでもある。
・タクミとチサコの父が、一緒に木彫りの佛を彫っていたり粘土で造形している時に、チサコの父が唐突に鞘入りの短刀を渡し、”それは魔斬りの刃だ。”と語るシーンも単語の印象が強烈であったが、鑑賞後に、もしかしたら認知症になりながらもタクミとチサコを”祖父、父として”守ろうとしたのだろうか、と思ったシーンでもある。。
そして、タクミの父が、雑誌に載ったチサコの顔写真を見て、突然訪ねて来て、止めようとするタクミを叩き飛ばし、チサコに対し、”一億円で譲ってやるよ。”と言った刹那、タクミは"魔斬りの刃"で父の背中を刺し、更に凄い形相のチサコが胸を刺して父を殺害するシーンも驚くとともに、切ない。
更に、安藤政信演じる父は、”俺も親父から逃げたかった・・。”と言い、事切れるのである。
<今作で、一番心に響くのはチサコの裁判シーンである。検察側は、チサコを殺人罪として立件し、弁護側はタクミヘの殺された父による虐待の事実を上げて情状酌量を求めるシーン。
チサコはあくまで、タクミが刺したのではなく自分が刺したと全ての罪を被ろうとするが、証人として証言台に立ったタクミは、”僕の名前は犬飼洋一です。僕が殺しました。”と前を向いてハッキリと言い、更にしどろもどろしながら証言した実母を一顧だにせずに、”僕のお母さんはあの人です!”と言って、チサコを見つめるのである。
その言葉を聞いたチサコは、涙を流しながら、”息子”の姿を見るのである。
洋一がチサコに匿われた時点から記憶があった事と、チサコ達に取っていた”かくしごと”が明らかになるシーンでもあり、観る側は少年の健気で立派な”新しき優しい母”を守ろうとする姿に、琴線が揺さぶられるのである。
今作は、二組の親子の関係性を描きながら観る側に”真の親子の絆とは何か”を考えさせられる作品なのである。>
共感&コメントありがとうございます。
確かに法廷でのタクミの言葉、つーっと流れる涙はいいエンディングでした。でも自分は全編(と言ってもいいかも)、杏さんの胸元に集中していたのです。