コンセント 同意のレビュー・感想・評価
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おぞましい、恐ろしい…… が、性加害者(関係者も含む)への啓蒙として強制的に見せるのはありじゃないか?と思った作品
鑑賞前から気持ちよく観終えることは無いだろうと思っていたけれど、シーンが進むほどに肌が粟立ち寒気がしてくる、そんな作品でした。
役柄としてのヴァネッサは聡明で少しおませさんなのでしょう。そして演じた役者さんも素晴らしかった。
だけど作家のガブリエル、コイツ、最初は歯の浮くような愛の言葉を並べ立てているけれど、結局はまだ視野が開けていない幼子(敢えてそう呼びます)を篭絡するための詭弁に過ぎず、相手の女子に少しずつ自我が目覚めてくるともっともらしい御託を並べ上から押さえつけにかかる。結局調教ですよね。
そりゃあ成長するにしたがってトラウマを抱え、自己否定に走るのもやむを得ず、自我が崩壊するのも致し方無い。
征服する方には罪の意識など欠片も無くったって、される側は生きている間ずぅっと心に闇を抱え、フラッシュバックに苛まされるだろうなぁ。
事実に基づく作品だそうで、随分と年月はかかってしまったけれども、ヴァネッサが生き続けていて、前を向いてくれたのが救いに感じられました。
胸糞悪い作品でしたが、性加害者本人やそれを容認(黙認)する周囲の者に繰り返し繰り返し見せ続け意識を変えてやりたいと思ってしまいました。
グロテスクに生々しい
そんなにあからさまに生々しくみせなくても、と思ってしまったけれど、原作者ご本人がみせたかったもの知らしめたかったことは、このグロテスクな生々しさだったのかもしれない、とも思った。
先日『メイ・ディセンバー ゆれる真実』みたときにも思ったけれど、やはり未成年と性的につながりたがる大人はどうかしている。どこかが、なにかが確実にぶっこわれていて、それでもふつうに優雅に生活していて、そのバランスがとてもおそろしかった。
(30も40も年の離れた「運命の恋」も否定はしないけど、運命の恋の相手なら尚のこと、幼い相手との性的なつながりに固執せず、成長するまで待てるのでは?)
ともかくずっときもちわるい。
そして、マルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』の書き出し「私は18歳で年老いた」という一節をおもいだす。
作者は一見苦悩しているように見えるのだが・・
ガブリエル・マツネフは今も87歳でご顕在の様であるが、何故今更彼女は告発したのだろうか?
作者の年齢が50を迎えるような遅い時期に何故?
もっと早く告発していれば彼も少なからず社会的制裁を受けたかもしれないのに?
また、このような彼の悪趣味な数多の本を称賛し制裁どころか名誉を与えてしまったフランス社会にも個人的に少し疑問を感じた。
文化の違いと言えばそれまでだが・・・
フランス社会への批判的な映画としての制作なら合点がいくのですが・・
作者は一見苦悩しているように見えるのだが、本当のところはわからない。
観る人間による解釈に任せられる映画だろう。
余計なことだが、マツネフが許されるなら、ジャニーさんも許されてしまう気がするが
すさまじく怖かった
すさまじく怖かった。
子どもが、敬愛・尊敬する大人に認めてもらいたくって、背伸びして自分を大きく(可愛らしく、または性的に)見せるということは、決して「性的同意」ではないということを示していて。
ある意味では、とっても教育的な映画でもありました。
作中出てくる実在の小児性愛者作家、ガブリエル・マツネフが、未成年の心と身体と人生そのものを搾取する、本当のクソ野郎なんで、何度も観ている自分の中に湧き上がる殺意を抑えるのが大変なくらいでした。
あと、主人公バネッサの13~18歳を演じた女優さん、実年齢は22歳前後らしいんですが、15歳前後にしか見えなくて、女優さんって怖ーってなりました。
凄まじすぎて、語彙力が低下しちゃった(苦笑)
同意とは
タイトルの「同意」に違和感を感じました。
ストーリーを観る限り、母親との間にも同意はなく、世間的に同意を得られるものでもなく、いわゆる性加害が背景にあったように感じましたが、本人がタイトルを「同意」とした背景には、第三者には計り知れない二人の間の感情が存在したのかなと感じました。
たしかに、どこかの瞬間ではお互いに想い合えた時間もあったのかもしれませんが、ヴァネッサの過ごした時間を想像してみると、言葉では言い表せないものがありました。
終盤のテレビ画面に映った女性の言葉がすべてを言い表していましたね(正確な表現が頭から漏れてしまいました…)。
時間がかかってもヴァネッサが対処策を実行できたことが唯一の救いでした。
時代?
何とも後味の悪い作品である。
テーマがテーマだけに、重い気持ちになる。
"この国では文学と称せばどんな悪徳も許される" まさにこれ。
文学とか芸術というものは傑作か駄作か、紙一重。
谷崎潤一郎も文学として昇華出来たから、良いものの、でなければただの変態ジジイ。
この映画も、日本でいうところの文化勲章?まで受賞した国民的作家の実話を基に作られている。
大人の男女ならともかく、これ、対象が少女であり、既にこの時点で犯罪。
そのような実体験から生まれた文学を大衆は享受した訳で、そういう時代だったとはいえ、さすがにフランスでも問題となっているよう。
しかし、妖怪人間ベムと有村架純のお姉ちゃん(before)の年の差カップルはキツい。
感情移入できない!
はじめて恋を知り大人になる
13歳の初々しいあどけなさを見せつつもマツネフとの出会いを機に愛を知り、少女から女性へと成長していくヴァネッサが印象的だった。
マツネフは無垢なものほど、人としてではなく何も知らぬからこそ愛でることができたのだとしたら、いくら母親からその愛は利用されているに過ぎないと諭されても、関わるにつれ大人としての魅力を知ってしまった以上、後戻りができず、ヴァネッサは社会人になった。
ヴァネッサの母親は母親として厳格とは言わないが、小児性愛者を具体的に説明していたら違っていたのだろうか。
仮にもしヴァネッサが母親の訴えを理解したとしても、マツネフへの思いは消えるのか?
結局は失敗をしなければ、ヴァネッサも若さのまま突き進んでしまったがゆえに見落としがあったことを後になって知り、自らと同じ過ちをおかしてほしくないから告発本を出版したのではないだろうか。
そう考えてみたら自ずと、単なる告発することが目論見ではなく、若いからこそ盲目になりすぎていないかを啓発しているようにも思えた。
他の視点で見たときのこと
今年284本目(合計1,376本目/今月(2024年8月度)9本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「時々、私は考える」→この作品「コンセント 同意」→次の作品「風の吹くとき」)
さて、こちらの映画です。
ストーリーについてはPROレビューアや他の方が書かれているのでそこはばっさりとカットです。
個人的には他の方とは異なる考えでみました。
一つは「愚行権」、もう一つは「わいせつな文章の扱い」というところです。
愚行権というのは、ある行為が「自分にとって」明確に損であることがわかっていても本人の自主性を尊重し国なり地方自治体に関与されない権利をいいます。例えば成年者のたばこ、アルコールの摂取がそれにあたります(アルコールはまぁ量によりましょうが…)。しかしこれも当然絶対無制限のものではなく、未成年者では一部制限されますし、愚行権の行使の「王様」と言える「自死行為」については当然警察がやってくることになります。
この映画の主人公のヴァネッサは映画内では14歳から18歳くらいにまで描かれますが、この年齢というと、何の分別もつかない6歳7歳とは当然違い、できることは自分でやらせる、結果に責任を持たせることで自主性も尊重するというように少しずつ親離れしていくような時期にあたります。また、この映画が述べる「性的な行為」もまたこの権利に当たるものですが、一方でその性質上、「誰とやろうとどうこう言われる筋合いはない」のも確かです(明らかに不衛生である等は除く)。一方で母体保護等の観点なども考えれば特に女性は「ある程度合理的な」制約に服しえます。この点について映画でもう少し掘り下げた考察が良かったです。
二つ目は「わいせつな文章の扱い」です。映画内ではさも有名人のごとく(まぁ、有名になればなるほどアンチもでるわけですが。映画の描写参照のこと)出てきてあの本がどうだのといった話になりますが、日本では「悪徳の栄え事件」というのがあり、「たとえ芸術的・文学的な作品であってもそれを理由にわいせつ性に関して免責されるものではなく、それを打ち消すほどのものでなければわいせつ性を問われうる」という最高裁判例が有名です。この判例ほかによって一定の自主的な制限がかかるようになりました。
しかし後者に関しては判例は現在(令和6年)でも有効ですが、現在においては例えばコミケやインターネット上での発表、あるいはお金はかかっても自己出版…というように、「本は限られた才能が認められたものだけが発表できる媒体」ではなくなっています。しかしこれらを全て取り締まるのは事実上も何も無理なので、あまりに悪質なものについては当然検挙はされますが、現在令和6年においては、かなり抑制的になっています。フランスでもかかる趣旨(フランスにもコミケのようなものはあると思います)が妥当するかどうかは不明ですが、いずれにせよ「本は限られた人しか書けないし出版もできない」時代ではもはやないので、「どこまで取り締まるか」という問題は変わってきているはずです。この点についてももう少し掘り下げが欲しかったです。
採点については以下のようにしました。
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(減点0.2/上記の点について掘り下げた描写が欲しかった)
もっとも、この映画についてはその趣旨から扱う範囲を広げすぎると長くなる為論点をある程度絞ったのだろうと思われるし(ほか、フェミニズム思想、マンスプレイニング(男性が女性よりも優れているという思想のもとに、男性が女性にああしろこうしろと指示する類型を言う)等も映画では論じられるべき)、仕方がないかなというところですので、採点幅においては調整しています。
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いや〜文字にするのは難しいな💦
こーゆー思うところがあり過ぎる映画を見たときほど自分が映画のレビューを書くのを生業としていなくてよかった〜と心底感じることは無いね😅
難しいな~
今の自分がこの映画を観て率直に感じた虫唾が走る感覚での気持ちの悪さは間違いなく本物。でも自分にも14歳のときにとっても年上の人に惹かれた経験があるから、あのときの自分の気持ちを全くそんな経験のない人から『14歳なんて何が愛かもわからない年齢』と勝手に本気ではなかったと決め付けられるのもモヤモヤするものがあるのよね。
もちろん今、相手が14歳と知りながら自分から近付いたり恋愛感情を持つことは無い。大人としての責任を自覚し、健全な若者を導くべき立場だと心得てる。でもそう頭でわかっていてもカラダは別の形で反応してしまうペドフィリアの人はとっても困った性癖の持ち主なんではないかと感じた(もちろんだからといってそれを正当化するのは許されないことだけど)。
ただの性的指向であって、病気ではない。それはわかってるけど、現実世界において個々の性的指向による欲求に従うことで被害を被る人がいるのだから、それはペドフィリアになるカラクリを医学的にとか解明すべきではないのかな??知らんけど。
(ただのボヤキ)
はじめは洗脳では全くないんだよ。
周りにはいない大人の魅力にクラクラする感じと、同じ年齢の子達とは一線を画してる自分が少し特別な存在になったような優越感。一方でその道をこのまま突き進んではいけないと本能が感じ取って知らせるアラート。だからヴァネッサもはじめのバス乗車に戸惑いを隠せなかったのよね。
子供だから、知らないから、わからないから、『大人』がやることをすべきだと思ってしまう。それは『洗脳』ではない。ただの『背伸び』。でも大人側は子供側が『大人のマネをしている』ことや『背伸び』していることには気が付かず、度重なる『背伸び』にある種の強制力か知らず知らずのうちに帯び始める。それでも大人はそれを『相手も喜んで。お互い合意の上で』おこなってるものだと勘違いしてしまう。結果として『したくもないのに洗脳されてた』という表現で一括りにされてしまう、のかな。
年の差がどうとか、モラル的にどうとか、それ以前に『無理』することが前提の恋愛は『愛』とは呼べないんぢゃないかな??
アレコレいろいろ考えて書きたくなるけど、纏まらないからコレくらいで離脱。
キム
スパイスの小道
14歳の時に36歳歳上の小児性愛者と言われる作家に恋愛感情を抱き性的関係を持っていた女性の話。
手紙のやりとりから始まって、真実の愛だと言って聞かないヴァネッサが、ガブリエルの人間性をみるようになっていく話しで、最初はまるで何も知らない少女を洗脳しているかの様な不快感。
厳しい言い方だけど、母親がもっとちゃんとお前は何も知らずまともな判断が出来ないガキだと教えてあげないとね…。
しかしながら16になってからのそれは自分の選択だし、この原作はこれで自分も一儲けならわかるけれど、ガブリエルにとって痛くも痒くもないのでは?
胸くそ悪さは堪らない物があるけれど、どこまで行っても自分を賢いと勘違いしたヴァネッサが痛々しく感じてしまうばかりの作品だった。
自由や芸術をこよなく愛する大人の国フランス万歳
マセた文学少女にとって人気作家からひとりの大人として扱われ、詩的で耽美な甘い褒め言葉を湧水の如く浴びせられたら皆ああなってしまうのだろう・・・きっと。
「またか」と呆れられながらも平然と人前に連れて行き、普通の彼氏と同じように母親と3人で食事をするなどの厚顔無恥ぶりには驚くが、ちゃんと大人扱いしてあげることでこども心をくすぐり、また我々は何も悪いことをしていないんだよという暗黙のアピールによって少女の疑念を払拭するなど巧みな手口で洗脳して行く。
母親はガブリエルが悪質な小児性愛者だと知っていたにもかかわらす2人を後部シートに座らせたのは何か意図があるのかと思った。
あの小説を読んでガブリエル・マツネフの大ファンだったというミッテランって大丈夫かと思うが、それも時代なのだろう。
久しぶりに観た胸糞映画だがそれだけ演出と演者が上手かったという事だろう。
ヴァネッサ役のキム・イジュランはちゃんとミドルティーンに見えたし大人の恋を始めてから堕ちて行く過程を体当たりで表現し、鑑賞者にイラつきと哀れみの感情をしっかりと植え付けた。
ガブリエル役のジャン=ポール・ルーヴは最後にはヴァネッサを捨てる事がわかりきった状態であっても終始純粋な愛情表現をし続け、自らのチ◯コを露出しながら怪人ぶりを熱演した。
実際のガブリエル・マツネフの画像をネットで見たところ、スキンヘッドではあるがもっと線の細い優男でルーヴのような逞しさや威圧感はなく、イメージする小児性愛者そのものだった。
そしてあの指輪と両手を突っ込むジャケットもまんまだった。
ガブリエル・マツネフはまだ存命らしいが、相応の厳罰を求められる事はあるのだろうか。
フランス司法には先進国として告発したヴァネッサの勇気に答え、正しい判断をして欲しいと思う。
お隣の座席はご夫婦でのご鑑賞のようだったが、何かの罰ゲームなのかと余計な心配をしてしまった。
事実のみをつまびらかにして見せた
ダーク青春映画
愛ではなく洗脳
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