「私的考える、この映画に終始つきまとう気持ち悪さの正体とは」コンセント 同意 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
私的考える、この映画に終始つきまとう気持ち悪さの正体とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
一般的には、男女の恋愛において、共感する部分で共鳴し合い、相容れない部分は互いに尊重したり相互理解するのが、まともな恋愛関係だと思われます。
私的もこの映画を観る前は、互いに共感しあえる部分で共鳴し、相容れない部分で相互理解する関係であって、しかしながらそうであっても、15歳に満たない(実際は14歳)の少女に対して(36歳の年が離れた)50歳の大人が、大人の男女関係を持つのは、大人の側がブレーキを掛けなければならない、そんな映画になっていると想像していました。
ところが、この映画『コンセント 同意』は、そのような一般的な相互理解ある恋愛とは真逆の関係を映画の初めの方から描いていて、映画全体に気持ち悪さを覆わせていました。
その気持ち悪さの正体は、私的考えるに、相手を自分色に染め上げる(染め上げたい)/自分が相手色に染め上がる(染め上がりたい)、関係性にあったと思われます。
50歳を超えたフランスの作家ガブリエル・マツネフ(ジャン=ポール・ルーブさん)は、14歳のヴァネッサ(キム・イジュランさん)と男女の関係になるのですが、マツネフはヴァネッサに彼女の発言や思考の隙間を与えないように行間を自分の言葉で埋めていきます。
この事は、ヴァネッサに彼女自身の本当の気持ちや思考が出来る時間を与えないように作用していたと思われます。
もちろんヴァネッサにも、自身のあやふやな弱い気持ちや思考に取り替わるように、マツネフに染まりたいという隙があったとは思われます。
しかしながらその責任は、15歳に満たないあるいは未成年の子供には問うことは出来ません。
あくまで大人の側がそれに対するブレーキを踏むのは当たり前だと思われるからです。
この、相手を自分色に染め上げる(染め上げたい)/自分が相手色に染め上がる(染め上がりたい)という恋愛における関係性は、実は大人になった男女の関係でも見ることが出来る関係性だとは思われます。
しかしながら、染め上げる(染め上げたい)/染め上がる(染め上がりたい)恋愛関係であっても、双方が大人であれば、それぞれ大人としての自分の基盤が日常では確立していて、染め上げる(染め上げたい)/染め上がる(染め上がりたい)恋愛関係の時間帯以外は、それぞれ自分本来の基盤に戻ることが可能です。
もちろん、染め上げる(染め上げたい)/染め上がる(染め上がりたい)恋愛関係は、相互理解ある恋愛関係と違って、常に破綻が目に見えているので、多くの(私を含めた)一般の人々は内心「辞めておけ」と思ってはいると思われます。
ただ、それぞれ大人な基盤を持っている限り、その選択は自由ではあるとは一方で思われます。
しかしながら今作で描かれている、染め上げる(染め上げたい)/染め上がる(染め上がりたい)恋愛関係は、一方の側が15歳に満たない(あるいは未成年の子供)の基盤の弱いあやふやでまだ空っぽな存在であれば問題は大きくなります。
なぜなら、そんなまだ空っぽな自分のままで全面的に相手に対して染め上がりたいと望めば、関係が破綻してもその関係性自体がその人の基盤になってしまっていて、その関係を解消するのが難くなるからです。
これが、この映画を終始覆う気持ち悪さの正体だったと私には思われました。
ただ、本当に彼と彼女が相互理解のない関係性だったのかは疑念がないわけではありません。
仮に相互理解のある関係性もあったなら、それをも描いた上で、それでもなお15歳に満たないあるいは未成年の子供に対してこのような関係を持ってはいけない、という映画にする必要はあったのではとは思われました。
しかしながら、実際もこのような相互理解のない関係性であったのかもしれませんし、マツネフに対する罪を問う映画であるのであれば、今作の映画の描き方に正当性はあったとは一方では思われました。
それにしても、小児性愛を公言しながらテレビ出演も可能だった1970年代~80年代のフランス社会の今から考える異様さの理由は知りたいとは思われました。
さらにこの映画の原作が出版される2020年より前には全くこれらの経緯について大きな批判もなかったことにも驚きはありました。
当時の社会の15歳前後や未成年の子供は、現在と違い様々な場面に遭遇し今以上に精神が成熟していたから特に当時は問題とならなかったのか、そうではなく、当時は様々な問題が解明されず裏側に放置されていた事柄がようやく最近解明されるようになり今問題になっているのか‥
その謎についても解かれる必要はある映画にも感じました。
点数に関しては、この映画に終始まとわりつく気持ち悪さから今回の点数になりました。
ただ、出演者たちの深さある演技含めて内容がある、描かれる必要があった現在の重要作品だとは、一方で思われました。