「初めて見る時は、料理として例えると独特な味で面白いなのかなんかいい...」走れない人の走り方 Tzuyiさんの映画レビュー(感想・評価)
初めて見る時は、料理として例えると独特な味で面白いなのかなんかいい...
初めて見る時は、料理として例えると独特な味で面白いなのかなんかいいなーとか思うけど、2回目は染みてきて味を楽しめて覚えてしまう味になるというような感じだった。
2回目に観て、映画手法の構造が分かっているからか、全体的に観やすくなったというか、キャラクターの心境や、構造の面白さがより実感できる。違う人たちの目線からの生活や断片もそうだし、映画を撮ろうとしてるキリコのやっていることもわかってきて、映画中の映画のシーンと現実、フィクションとフィクションの現実こそ自分の現実を思い出せる。何かを伝いたくて映画を撮っているわけではないとキリコが言った。詩を書くように映画を撮っているのでしょうか。わからなくてわかるような気持ちだった。多分描きたいことがあるんだと思う、それが言葉みたいにはっきりとして可能性を制限する形としてではなく、映画というものを通してだと思った。すごく不器用だと思いながらキリコの気持ちも分かる。だって自分も「何かを探している」人間だから。キリコもそうなんのだろうか。
作品を制作する人になると、この映画の面白さがすごくわかるようになると思う。フィクションと現実が混ざり合ってるところが良くて、自分の人生そのものの一部ががこの映画で見れるようになる。戸惑いながら少しずつ進んだり転んだりする。やっていくことだけを信じてやっていく。
キリコが、優柔不断で口数が少ないほうの人間なのに、立体的に見えたのが何故だろう。不思議だ。それは名前もなく一瞬だけ出た人物のおかげなのか、この映画の立体感自然とが主人公キリコに作り上げたのだろうか。
映画の始まり方と終り方も面白く、「ただの映画だったよ」ということも提示しながら「ただの映画じゃなかったよ」ということも提示される。