「延滞10年のレンタルビデオ」走れない人の走り方 サスペンス西島さんの映画レビュー(感想・評価)
延滞10年のレンタルビデオ
2024年劇場鑑賞30本目 佳作 55点
主演が今波に乗る猫は逃げたの山本奈衣瑠で、タイトルといい予告の感じといいミニシアター系良作の匂いを嗅ぎつけて、猫は逃げた監督の今泉力哉との登壇であった舞台挨拶にて鑑賞
正直、期待外れだったかな〜
テアトル新宿の階段を上がり退場時にサインと写真を求めるファンと監督との会話で『卒業制作の域を超えていました!』との絶賛の声を尻目に、『そ、そうかぁ』と余計我に帰って駅に向かった記憶で、勿論観客それぞれの気づきの多さやその深み、もっといえば見る日の体調や気分によっても変わってくるのが芸術というものというのは重々承知の上で、自分は作品として全体としての面白みに欠けていたというのが1番の感想
映画人は制作の苦悩や葛藤を共感できるのだろうけど、観客にとってのそれは置いてけぼりにされか感も否めない
それをより一層顕著にさせたのは、皮肉にも登壇した今泉力哉さんの言葉で、映画人としてと一観客としてもどちらともの視点で今鑑賞させて頂きましたが、ここがこうでどうのこうので〜〜みたいな、何を話されたか忘れてしまいましたが、それで深く共感と彼への登壇する上での仕事ぶりと、あれだけの人間模様を描ける視点の持ち主ということ、また決してうまく短文でまとめられてないけど、それでも長々と言葉を紡いで我々観客に中立の立場から歩み寄ってくれたこと、再度深く尊敬の念が増しました
まぁタイトルにもある意味は、個人で完全完結できない分野で、尚更総合芸術にあたる映画制作は多くの人を巻き込んで、やっとの思いで一つの作品としての残る過程で、それを統率する立場にいる人が、それに適さない人間性であったり許容量の低さが故に、いい種も芽が出ずに苦悩を抱え、でも走り出した自転車を転ばせない様に自らの足で漕ぎ続けないといけない、、みたいな意味なんだろう
不必要な抜けの電車の乗客へのショットや、血迷った様な映画中映画で自らが演者になり明日に向かって走っている様な演出に渋る始末や、監督が映画内で通行人にカメラを向けていたり、延滞10年してるレンタルビデオを返却したりと、遊びと締まりの部分がどうも洗礼さや卓越さを感じなかった