走れない人の走り方のレビュー・感想・評価
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実験精神の溢れ
蘇鈺淳監督・団塚唯我出演作品。
日常を移動しているだけでロードムービーは完成できることを軽やかに語ってみせる本作。それも物語世界における虚構/現実の完成度の高さと往復が巧みだからであろう。
グリーンバックやコインランドリー(ぐるぐる回転運動)、撮影現場や映画の制作過程など一見すると虚構/現実を攪乱させる常套手段が駆使されている気がする。だがカメラワークがあまりにも絶妙だから「俗にいうつまらない邦画一般」には成り下がらない。例えば桐子らが打ち合わせをする室内から、別の組が行うオーディション会場への移行をアシスタントの動きにフォローする形で行うのは鮮やかだ。さらにオーディションでは俳優に自分を表現する1から10の数え方をさせるなどアクションとしても見応えがあるし、その数えをアシスタントもやることで虚構と現実の往来をしているのだから素晴らしい。
ただ物語の大筋で特異なことがあるかと言えばよく分からない。「走れない」で語られる不可能は、主演女優のキャスティングが難航しているといった映画制作における困難に収束している。飼い猫の失踪や同居人の出産といった「偶然」も導入されているが、そのディティールも特異だと判断はつかない。また「走り方」も監督が主演をやることであり、それもありきたりでは?と思ってしまった。
しかしやっぱりショットそれ自体の実験精神は面白い。ランティモスみたいな魚眼レンズが採用されていたり、桐子がはじめて自室で過ごすシーンでは、音声イメージと照明で電車が横切ることが表現されている。それが後の洗濯物を干すシーンでみえる電車の横切りと反復し、彼女らが路線沿いの部屋に住んでいることを準備しているのだから凄い。
占いやジョナス・メカスのポスターが貼られているなど興味深い細部もある本作。蘇鈺淳監督のPFF入選作品『豚とふたりのコインランドリー』はみれていないから、私の「ロードムービー」はまだ終わらない。
延滞10年のレンタルビデオ
2024年劇場鑑賞30本目 佳作 55点
主演が今波に乗る猫は逃げたの山本奈衣瑠で、タイトルといい予告の感じといいミニシアター系良作の匂いを嗅ぎつけて、猫は逃げた監督の今泉力哉との登壇であった舞台挨拶にて鑑賞
正直、期待外れだったかな〜
テアトル新宿の階段を上がり退場時にサインと写真を求めるファンと監督との会話で『卒業制作の域を超えていました!』との絶賛の声を尻目に、『そ、そうかぁ』と余計我に帰って駅に向かった記憶で、勿論観客それぞれの気づきの多さやその深み、もっといえば見る日の体調や気分によっても変わってくるのが芸術というものというのは重々承知の上で、自分は作品として全体としての面白みに欠けていたというのが1番の感想
映画人は制作の苦悩や葛藤を共感できるのだろうけど、観客にとってのそれは置いてけぼりにされか感も否めない
それをより一層顕著にさせたのは、皮肉にも登壇した今泉力哉さんの言葉で、映画人としてと一観客としてもどちらともの視点で今鑑賞させて頂きましたが、ここがこうでどうのこうので〜〜みたいな、何を話されたか忘れてしまいましたが、それで深く共感と彼への登壇する上での仕事ぶりと、あれだけの人間模様を描ける視点の持ち主ということ、また決してうまく短文でまとめられてないけど、それでも長々と言葉を紡いで我々観客に中立の立場から歩み寄ってくれたこと、再度深く尊敬の念が増しました
まぁタイトルにもある意味は、個人で完全完結できない分野で、尚更総合芸術にあたる映画制作は多くの人を巻き込んで、やっとの思いで一つの作品としての残る過程で、それを統率する立場にいる人が、それに適さない人間性であったり許容量の低さが故に、いい種も芽が出ずに苦悩を抱え、でも走り出した自転車を転ばせない様に自らの足で漕ぎ続けないといけない、、みたいな意味なんだろう
不必要な抜けの電車の乗客へのショットや、血迷った様な映画中映画で自らが演者になり明日に向かって走っている様な演出に渋る始末や、監督が映画内で通行人にカメラを向けていたり、延滞10年してるレンタルビデオを返却したりと、遊びと締まりの部分がどうも洗礼さや卓越さを感じなかった
映画を愛する全ての人へ
PFFアワード2021で『豚とふたりのコインランドリー』を見せていただきました。
固定カメラの長回しなのに全く飽きさせない。むしろ2人の関係に惹きつけられました。
そして今回の『走れない人の走り方』もタイトルが秀逸
なんと、卒業制作がそのまま劇場公開!
ものすごいことですが、見て納得。
まるで自分が映画の一部になったかのような没入感!
撮影のシーンには胸が熱くなりました。
映画を作る人、映画を観る人、映画を上映する人…どれが欠けても映画は“完成”しない。
映画を愛する全ての人へ。
ユーモアのセンスも大好き。
次回作も楽しみです。
ちょうど同時期にテアトル新宿で
石川泰地監督特集『一部屋、二人、三次元のその先』が上映されていて
PFFアワード2021のBプログラムで上映された監督同士が、新作でも連続して上映されてました。
テアトル新宿エモすぎ
初めて見る時は、料理として例えると独特な味で面白いなのかなんかいい...
初めて見る時は、料理として例えると独特な味で面白いなのかなんかいいなーとか思うけど、2回目は染みてきて味を楽しめて覚えてしまう味になるというような感じだった。
2回目に観て、映画手法の構造が分かっているからか、全体的に観やすくなったというか、キャラクターの心境や、構造の面白さがより実感できる。違う人たちの目線からの生活や断片もそうだし、映画を撮ろうとしてるキリコのやっていることもわかってきて、映画中の映画のシーンと現実、フィクションとフィクションの現実こそ自分の現実を思い出せる。何かを伝いたくて映画を撮っているわけではないとキリコが言った。詩を書くように映画を撮っているのでしょうか。わからなくてわかるような気持ちだった。多分描きたいことがあるんだと思う、それが言葉みたいにはっきりとして可能性を制限する形としてではなく、映画というものを通してだと思った。すごく不器用だと思いながらキリコの気持ちも分かる。だって自分も「何かを探している」人間だから。キリコもそうなんのだろうか。
作品を制作する人になると、この映画の面白さがすごくわかるようになると思う。フィクションと現実が混ざり合ってるところが良くて、自分の人生そのものの一部ががこの映画で見れるようになる。戸惑いながら少しずつ進んだり転んだりする。やっていくことだけを信じてやっていく。
キリコが、優柔不断で口数が少ないほうの人間なのに、立体的に見えたのが何故だろう。不思議だ。それは名前もなく一瞬だけ出た人物のおかげなのか、この映画の立体感自然とが主人公キリコに作り上げたのだろうか。
映画の始まり方と終り方も面白く、「ただの映画だったよ」ということも提示しながら「ただの映画じゃなかったよ」ということも提示される。
ラッキー・アイテムは焼そば
始めの方の、制作意図が明らかなら撮る意味がない、みたいな台詞が多くを語っているのではないか。
何にしろ、情熱はあるがアイデアや才能があるかどうかわからず、適性の無い人がチームを統率して創造活動するのは無理、ということかな。
私の頭の中のフイルム
冒頭のシーンの意味は分かるのだが、あの糞マナー男の意図が分からない。
中盤の10年延滞したDVDやシネマリンのシーンなど、必要性を感じないカットも多かった。
とりあえず、桐子の監督としての立場が不鮮明で、そこが掴めないから出来事の重さも測れない。
途中で賞に入選までしたと語られるが、スタッフ同士が下の名前で呼び合うなど学生映画の延長にも見えてしまう。
会話のリアリティ、特に実家での親子の会話は非常によかった。
予算やキャスティング、スケジュールなどの悩みもリアルなのだろう。
しかし“現実”の垂れ流しでは映画としての深みは出ない。
「ロードムービーを撮りたい」と桐子は言う。
しかし、それ以外の明確な意思が見えず、撮りたい“画”だけが募っているように感じた。
それはこの映画そのもののように見える。
序盤の「制約の中でいいものを撮る」という話でタイトルを連想したが、それ以上には感じなかった。
卒制でここまで出来れば上出来でしょ。
東京芸大大学院、映像科の卒制という事でちょいと気になり、たまたま新宿の最終回に滑り込んだ。
芸大というと佐藤雅彦氏の教え子達の「宮松と山下」と比較するとかわいそうだが完成度はかなり落ちる。
しかし卒制としては素晴らしい出来だと思うし、インディーズだとしても将来性は感じた。
山本ナイルは「猫逃げ」で知ってる存在感のある役者さんで、悩む監督をいい感じで演じている。
素敵プロデューサーの早織もなんかよかったな。
あ、あと黒くて丸い怪物を考える助監督も好き。
映画制作に突入する監督の悩みやプライベートのゴタゴタ、そして何の関係もない人達との偶然のすれ違いを細かく拾って膨らませている。そんな一見緩い話が、天秤座で時間にルーズで色々悩む監督を深刻に描かず、やんわりと受け止めて、映画撮ってもいいんだよ、、と優しく肩を押している、、、そんなスー監督自身が、自分を励ましてる様に感じる映画だった。
見終わって自分が映画を監督するならどんな映画を撮るんだろう?ちょっとやってみたいなぁ、、そんな事考えながらテアトル新宿の階段を上がった。
映画を作ろうとしている女性の話。 理想ばかり追いかけて、予算も演者...
映画を作ろうとしている女性の話。
理想ばかり追いかけて、予算も演者さんも不十分、
遅刻してばかりで、人望も薄く、
途方にくれそうなお話。
ひたすら考えて、妥協しないでイイものを作ろうとするところからは、
元気を授かりました。
猫が逃げた。
撮影に悩むアラサー女性映画監督の話。
劇場でマジ勘弁な行動をする観客に始まり…スクリーンの中の話しってこと?
自分が何を取りたいのかすら見えていない映画監督をみせていくけれど、途中の撮影してる人とかシネマリンはどういうこと?
何をみせたいのか迷走してます?
タイトルの意味はわかったけれど、これってもしかしてタイトルありきで作られた訳ではないですよね?
なんかどうでも良かったり投げっぱなしだったりが結構多くて何をみせられているのか…中編ぐらいで良かったんじゃないっすかね。
ちなみに、着替える時間は労働時間に含まれますよ。
猫が主役?
ラスト近くになって『走れない人の走り方』というタイトルの意味が浮き上がってくる。そして、キリコが撮っていた映像がエンドロールとして流れる。
絶対、続きが見たくなるやつだよね。
ただ、そこまでが退屈。やたらと間を意識した会話劇だったり、これから起こるハプニングが見え見え。
河崎実監督がモデル? みたいなB級特撮映画の撮影シーンは面白かったけど。
アフタートークで、映画へ愛する人達によって製作された作品ということは理解できたが、熱量が伝わってこない。
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