【希望を持たない、
または、
希望を持つという事は、
パンドラの箱をあけるという事】
ということに抗った人たち。
1%でも確率を上げようとした人たちの実話、
その映画化。
人類史上初の偉業達成を描いた作品であり、
そのテーマのデリケートさと複雑さは、
視覚的にも感情的にも論理的にも、
様々なレイヤーと、
賛否の意見も観客の数だけあるだろう。
神秘の解明、尊厳や人権、技術革新、
そして医療従事者や当事者の人たちの、
献身的な努力が織りなす希望の物語である一方、
その裏側には計り知れない絶望や困難、
葛藤、相克が潜んでおり、
観客はその狭間で揺れ動く登場人物たちの心情に深く共鳴することだろう。
最初から本作を観ない人、途中で止める人も多数いるだろう。
登場人物たちが抱える内面的な葛藤は、
決して簡単には語り切れない。
科学の進歩とともに生じる人間ドラマの陰影を、
回避することなく正面から描いている。
この実話を基にした物語は、
そのテーマの重さゆえに、
シナリオ、演出、そして俳優たちの演技に高度な技巧を要求される。
高度な技巧とは、
神秘、尊厳、人権等を、
抽象的な言葉遊びにしないで、
実話の当事者たちの痛みを感じ、
その感じた事をシナリオ演出芝居という具体でアウトプットする、
そのアウトプットを、
観客に自分ごととして突きつける、
突きつける為には、
膨大な試行錯誤、
観客との距離感を詰めていく、
感じた事を具体に落とし込んでいく作業、
に支えられた姿勢、表情、視点の技巧とも言える。
音楽でのマインドチェンジも印象的で、
「Yes We Can Can」やピーター・ポール&マリーの楽曲が、
物語の転換点において、
観客を重苦しい空気から一転して希い望みへと誘う。
「希望」という言葉の意味は、
我々にとって、
喜びや期待だけでなく、
不確実性や不安を伴う、
パンドラの箱を開けるような、
『希望』そのものの意味が変化していく。
その厳しい変化に対峙しながら、
家族への愛や生命の尊さといった、
より普遍的な【希望】へと昇華させた、
ひとたちの実話でありその映画だ。