「少なくとも久間さんは、なんにもしゃべっていないんですよね。」正義の行方 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
少なくとも久間さんは、なんにもしゃべっていないんですよね。
女児二人の殺人容疑で逮捕され、本人が殺害を否認したまま死刑を求刑、執行された事件。弁護側は、犯人とされた久間死刑囚の冤罪を晴らすべく、いまだ再審請求中という。事件の真実を追った地元紙の検証特集を含めて、硬質なドキュメンタリでありながら、どこかエンタメの要素さえ感じてしまう。けして面白がってるわけではないが、ときどき、ドラマか?と思うほどの偶然性や、展開の読めない焦燥感に駆られたりとか、とにかく釘付けになるのだ。
事件を担当した元捜査員や、地元紙の元記者や、死刑囚の妻や、弁護士や、それぞれの主張も、どうやら事実らしい。当人たちにとって感じたことを嘘偽りなくの発言しているように思える。だけど、それがまるで羅生門。誰かの主張に肩入れしてみても、次の誰かの主張でまたころっとそっちの味方になっていく。誰が「真実」を言っているのか?久間死刑囚は本当に二人を殺したのか?証拠資料は捏造なのか?目撃証言は人違いではないのか?ほかに真犯人がいたのではないか?結局久間は冤罪で事件に蓋をするべく死刑執行をはやめたのか?だれが嘘を言っているのか?どんどん藪の中の引きずり込まれ行くのだ。
そしてずっと付きまとっていたちょっとした違和感に気が付いた。久間の人となりは紹介していても、彼が獄中でなんと主張していたがほとんど出てこないことに。そして、被害者遺族の姿が一切ない。つまり、当事者といえる人の登場がなくて、事件の輪郭に存在する人たちだけでドキュメンタリは構成されていることに。ある意味で客観性を重視しているとも言えなくもないが、そこに「真実」にたどり着けないもどかしさの理由があるように思えた。
そもそも、「疑わしきは被告人の利益に、の基準に照らせば久間被告は無罪」。