正義の行方のレビュー・感想・評価
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面白い
警察側の話を聞いて、そうだそうだクマが犯人だと思っていると弁護側からの話で、やっぱり違う裁判は公平じゃない、と非常に気持ちがあっちに行ったりこっちに来たりする。警察関係は、自宅にやたらと床の間があって掛け軸とガラスケースの置物がある。それなりに慎重ではあったと思うけど、決めつけも否定できない。オウムの時に狙撃された国松長官まで出てくる。クマさんはクマさんで怪しさもある。目撃証言と言っても犯人を直で見たわけはないし、ほとんど車のことばかりだ。それも本当に犯人の車なのか確定しているわけではない。シートの繊維とか血痕とか言うけど、DNAの資料がひどく杜撰だったことも考えると怪しい。一方で車を徹底洗浄して慌てて売るのも怪しい。
疑わしきは罰せずの原則が守られていないのは確かだ。
面白かったけど長い。休憩入れて欲しい。新聞社の人が気持ちを込めてすごくいい話をしている時に寝ているおじいさんのいびきがごうごうと響いていた。
「真実」と「正義」が激しく対立・・その先に何が見えるのか
少し前に、NHK・BSで放送した警察・検察側の主張を2時間と弁護側2時間の4時間と言う長編ドキュメンタリー番組「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を劇場版にした作品。TVで見た時には凄い番組を作ったものと、そしてこの事件を過去の話にしてしまってはいけないと言う番組関係者の執念を感じながら観たことを思い出す。警察・検察側も弁護側も決して嘘偽りの証言をしていると決して受け取ることは出来なかった。残念なことに犯人とされた久間さんは最高裁で死刑判決が出て2年後と言う早いうちに死刑執行されてこの世にはもういない。本当の「真実」はいったいどうだったのか?謎のまま今に至り、なお弁護側は無罪で有ると再審請求を申し立てている。当時、警察発表をそのまま報道した地元紙の担当者や関係者の報道に対しての反省や回顧は、今現在のメディア・マスコミの有り様にも通づるものが有ると思ってしまう。 TV番組で放送された内容で1点映画に無かった事 「久間さんとは全く別人物の男性が運転するワゴン車に小学生女児2人が乗っていた。その子たちが心細げな悲しげな表情で隣を走る自分の運転する車の方を見ていたと。そのことを警察に告げるが取り合ってくれることは無かった」・・と言う箇所が抜けていた。 劇中での弁護士の言葉で「剣と天秤を持つ正義の女神の姿は、ヨーロッパでは目隠ししている。白人、黒人で有っても、どんな状況の中でも真実を見なければいけないと。かたや日本の女神は目を覆われては居ない。これは何を意味しているのか・・」日本国内での様々な判決では、権力に阿って判決が揺らいでしまい真実とは遠いことを支持し判決を下しているのではないか?と思はされることも有る。法の番人と呼ばれる裁判官があっちこっちと視線が定まらない・・日本の女神にも目隠しが必要なのではないか。 TVと映画の両方見て私個人としては久間さんは無実、冤罪事件だったのではないかと言う思いを持った。そして、権力を持つ組織の手にかかると無かった事も有ったことにされてしまう恐ろしさも同時に感じた。
恐ろしい現実なのに楽しんでしまう
1992年に二人の女児を殺害した容疑により逮捕された男が、終始犯行を否認し続けたまま死刑判決が確定し、2008年に執行されました。本作は、彼が本当に犯人だったのかを徹底した取材により洗い直したドキュメンタリーです。こんな言い方は無責任な野次馬的なのですが、一流の法廷劇を観る様なドキドキに満ちた作品でした。 まず、前半部では事件のあらましが述べられます。警察の捜査に幾分の強引さは感じられるものの、一つ一つ積み上げられる証拠に「なるほど、この人がやはり犯人だな」との心証が強まります。 ところが後半。彼の弁護士団、更に事件当時に本件を報道した新聞社の検証報道による見直しで、その証拠に疑問が次々と突き付けられるのです。特に、決定的と思えた死体遺棄現場にあった犯人のDNAデータに、警察の捏造が窺われるという実物を見せての決定的な証拠には唖然とさせられます。 彼が犯人ではないという決定的な証拠もないのですが、「疑わしきは被告人の利益に」という裁判の大原則は踏みにじられている様に映ります。そして、弁護団による「死刑執行後の再審請求」は、最高裁でも棄却されます。そこには、「事実の再検証の結果」と言うより、「死刑執行後の今更になって再審など認めては、日本の裁判制度そのもののへの信頼を損なう」と言う政治判断があったのではないかという疑いをどうしても抱いてしまいます。 こうして、犯行動機も、犯行過程も、殺害手段も何もわからぬままの犯罪が疑惑を残したまま葬られようとしているのです。これが「法廷劇」ではなく、裁判の現実である事に背筋が凍ります。
この映画に足りないもの、それはインタビューする人が奥崎謙三じゃなかったところ
自分が信じる正義の為なら天皇陛下に向かってパチンコ撃ったり、かつての上官をピストルで撃ったり( 原一男監督が拳銃を調達したという噂は笑った) と正義感の塊のような漢なら、DNA検査を間違った技師や、その検査結果をうっかり捨ててしまった職員の自宅まで突撃して、何かしてくれる筈( おい )
いや、本当に許せない事件で国を訴えても棄却されたりと久間元死刑囚さんが気の毒でしょうがない。
でも、奥崎謙三が生きていたら裁判官の家に突撃して何かしてくれる筈( しつこい)
これが、原一男監督だったらもっとぶっ込んだ質問が出来るんだけど、いかんせんNHKの人なので質問がいちいちスマートでしたね。
いや、色々書いたけど誰にもお勧めできる社会派映画で学生の教材にもなる良い映画でしたよ?
フォローしなきゃ....
木寺監督の前作「 樹木希林を生きる」初っ端から樹木希林に 「この映画のギャラ、声優やった時よりも安い!」 とか言われつつも映画の最後には樹木希林本人から、「 嫌だ、この映像面白いわねぇ!」 と言わせた、
「 樹木希林を生きる 」 お勧めです!
桂馬さん…
ちょうど、朝ドラ「虎に翼」で桂馬が「司法の独立を守ること。そして二度と権力好きのジジイどもに好き勝手にさせないこと。法の秩序で守られた平等な社会を守る!」と司法の理想を語った回の日に観たので、最高裁で再審棄却されたところで涙が出た。 桂馬さん、70年以上経ってもまだこんなだよ…。 当たり前だが、それぞれに正義があるのだなと改めて思う。特に警察。あんなにも信じて疑わないもんなんだ。警察が弁護士に対して思っている事も新鮮だった。 当時の記事を書いた記者の方、ずっと苦しいんだな。辛いな…。 久間さんの奥様が、「警察が真実を解明してくれることを信じている。だって警察は市民の味方でしょう?」と言っていたのがグサっと胸に残った。
地道な、地道な。
バイアスは極力かけていない作品だと思う、 真相はわからない でもこの国の警察権力、マスコミ、司法は、理性的でなく実証的でなく、あまりに無責任な感情やあるべき論などによって成り立ってしまっているのだな、ということを、いけすかない警察、どっちつかずで曖昧な新聞記者やその上司のインタビューから感じた。 力作だと思う、粘り強さ。正義感 正義の行方もなにも、正義の概念すらご都合主義なこの国ならでは、とも思う。 テレビや新聞などでもっとこのような作品を取り上げ多くの人が見るべきだと思う。深い森が口を閉ざすように愚かな人間を阻む。 死刑制度や、警察による長期勾留や、人権を侵害する捜査や取り調べはいつ日本からなくなるのか。
警察の不正
1992年に福岡で起きた2人の女児が殺害された飯塚事件、DNA鑑定などにより犯人とされ逮捕された久間さん、口封じの如く異例のスピード死刑執行… 死刑執行後、冤罪を訴える再審請求がなされ… 『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』を読み、飯塚事件を知りました。 桶川ストーカー殺人事件で警察の腐敗を暴いた清水潔さんの著書で、 冤罪で無実の菅家利和さんを刑務所に入れた足利事件を中心に、北関東で発生した類似の幼女誘拐殺人事件を扱ったノンフィクションです。 この本が北関東から遠く離れた福岡の飯塚事件にも触れている理由は、 足利事件と飯塚事件は同じタイプのDNA鑑定が使われているのですが、このDNA鑑定MCT118法は証拠として使うには無理がある不正確なDNA鑑定なのです。 足利事件は再審によりMCT118法とは別の新しいDNA鑑定で再鑑定を行い、冤罪だった事が明らかになり無実の菅家利和さんは晴れて釈放。 当然ながら、飯塚事件も正確なDNA鑑定で再鑑定されるべきなのだが… 前述した本には、もっと詳しい事が書いてあります。 その本を読み、警察の不正で冤罪を確信していて、その目線で観賞したのですが、すごい見応えで期待以上のモノを観せてくれた。 犠牲者を弔う双子地蔵が立つ死体遺棄現場、その上の犯人らしき人物が目撃された峠の道、女児が連れ去られた三差路… カメラの前でインタビューに答える、犯人とされ死刑執行された久間さんの奥さん… 分かっていたけど、やっぱり警察の不正で冤罪だと、より強く思いました。 気になったら観て頂きたいのですが、事件の概要は詳しく語られないので、飯塚事件を知らない方は、ネットで調べてから観た方がいいと思います。 あまりにも興味深い内容で、僕は2回観ました。 最後、強く印象に残ったのは、事件当時1992年に死体遺棄現場に駆けつけた新聞記者が語った、飯塚事件との出会い… 「あの夜の雪と、ご遺族の慟哭…」 『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』も読んで下さい。 より、このドキュメンタリーが興味深くなります。
正義の行方というタイトルが深い
どの立場で見るかを考えながら、様々な仮説を立てつつ観ると、実に興味深いというか 本事件に限らず、他の事件でも同じような問題を抱えることがあるのではないかと感じました。 と言いますのも、現在放映中の日曜劇場「アンチヒーロー」ではまさに冤罪の描写がされていますし、 実行犯が無罪になったりという描写もなされます。 つまり人間の判断に完璧なんてないんだなと思う次第です。 ただ、ラスト近くで西日本新聞の方もおっしゃっていましたが、 今の防犯カメラ数を駆使すると、事実を把握することはできたのでしょうね。 また、この事件を機に、同様の犯罪は起きていないとおっしゃっている元警察官がいましたが、 そういうことではなく、上述した通り、犯罪が起きにくい環境になってきているということが 防止あるいは犯人逮捕の精度が上がっていることに他ならないと私は思いました。 それにしても、後半に出てきた西日本新聞による検証記事は素晴らしいです。 経営者からの圧力にも屈せず、真実を報道たらしめんとした本物の記者たちに敬意を表します。 「己の立場」=「正義」ではないのだけれど、どうもそうなっていないか!?は 多くの人が客観的に自分を見つめることができれば、凡そ間違えた判断はしづらくなっていくものと 思いますが、今だに戦争をしている人類ですから、到底その域に達することはできないのでしょう。 自戒の念を込めて。
神様しか分からない
警察官二人がインタビューで喋り過ぎ。かえって怪しいw でも、最後の感想は同感なんだよね。久間さんが捕まってから同様の事件が付近で起きてないから犯人だと言うところ。通り魔的な犯行を行うには難しい。遺体やランドセルなどを遺棄するには土地勘も必要だし、余所者がいると割と目立つ土地とも思うと地元民かなと思う。 色々、色々思うところのあるドキュメントでした。 追記 ここもすごく気になった点。 ラストあたりで三叉路で女児二人が(久間さんと思しき人の)紺色のワゴン車に乗せられて連れ去られた風になっていたが、もしもそうなら久間さんと女児達は顔見知りなのか?女児一人なら容易く車に引き込めるが、二人ならどちらか片方もしくは二人共が顔見知りじゃないと無理があるでしょう。七歳ともなれば、ホイホイ知らない人の車に乗らないって。 力づくで乗せるにしても二人を乗せるのに3分以内は難しいよ。 供述に矛盾を感じるのよねぇ
少なくとも久間さんは、なんにもしゃべっていないんですよね。
女児二人の殺人容疑で逮捕され、本人が殺害を否認したまま死刑を求刑、執行された事件。弁護側は、犯人とされた久間死刑囚の冤罪を晴らすべく、いまだ再審請求中という。事件の真実を追った地元紙の検証特集を含めて、硬質なドキュメンタリでありながら、どこかエンタメの要素さえ感じてしまう。けして面白がってるわけではないが、ときどき、ドラマか?と思うほどの偶然性や、展開の読めない焦燥感に駆られたりとか、とにかく釘付けになるのだ。 事件を担当した元捜査員や、地元紙の元記者や、死刑囚の妻や、弁護士や、それぞれの主張も、どうやら事実らしい。当人たちにとって感じたことを嘘偽りなくの発言しているように思える。だけど、それがまるで羅生門。誰かの主張に肩入れしてみても、次の誰かの主張でまたころっとそっちの味方になっていく。誰が「真実」を言っているのか?久間死刑囚は本当に二人を殺したのか?証拠資料は捏造なのか?目撃証言は人違いではないのか?ほかに真犯人がいたのではないか?結局久間は冤罪で事件に蓋をするべく死刑執行をはやめたのか?だれが嘘を言っているのか?どんどん藪の中の引きずり込まれ行くのだ。 そしてずっと付きまとっていたちょっとした違和感に気が付いた。久間の人となりは紹介していても、彼が獄中でなんと主張していたがほとんど出てこないことに。そして、被害者遺族の姿が一切ない。つまり、当事者といえる人の登場がなくて、事件の輪郭に存在する人たちだけでドキュメンタリは構成されていることに。ある意味で客観性を重視しているとも言えなくもないが、そこに「真実」にたどり着けないもどかしさの理由があるように思えた。 そもそも、「疑わしきは被告人の利益に、の基準に照らせば久間被告は無罪」。
なぜ急いで
執行する必要があったのか🤔💭 私は近代文明(先進国文明?)以前の、人の裁かれ方による、犠牲者に対して無念と憤りと虚しさを覚えるからして、人並み以上の裕福贅沢にある種の虚しさを感じる人間だが、犠牲者の根絶を願うと同時に弱肉強食の根絶がイコールであるという大いなる力の前に、ただただひれ伏している状況である…
色々考えさせられました。
それぞれの正義。「正義」などというのは歴史上目的のためにはいかなる行動も許されるとの正当化の弁明として使われてきた感じがします。 この映画の方たちはひたすら真実がどこにあるのかを解明したいと願ってるのみではと。 いづれにしても再審請求の行方がどうなるのか…複雑な思いです。
事後的に検証することの大切さ
1992年に福岡県で発生した女児2名に対する殺人事件の容疑者として、事件発生から2年後に逮捕された久間三千年元死刑囚は、終始犯行を否認していたものの、DNA鑑定の結果や目撃証言などにより死刑判決が下り、最終的に2006年に最高裁で死刑が確定、その2年後に異例の速さで刑が執行されました。本作は、30年以上前に発生したこの「飯塚事件」と呼ばれる事件に再びスポットを当て、当時事件を担当した福岡県警の刑事や、事件報道をリードした地元紙・西日本新聞の記者、そして被告人の久間を弁護した弁護士らへの取材を通じて、事件の真相や日本の司法制度、特に死刑制度について考えさせる極めて濃密なドキュメンタリー作品でした。 ポイントとなったのは、事件当時新時代の捜査方法として脚光を浴びつつあったDNA鑑定の信憑性でした。犯人の動機や犯行の手段と言った、通常の刑事裁判なら重要な論点となる点の解明がなされぬ中、容疑者逮捕の大きな決め手となったのは、MCT118法と呼ばれるDNA鑑定の結果でした。現に地裁から最高裁まで、このDNA鑑定の有効性などを認めて一貫して死刑判決を出した訳ですが、死刑執行された1年後の2009年に始められた再審請求では、驚くことにDNA鑑定の結果が否定されることになります。 再審請求を行った弁護側が、警察庁科学警察研究所が行ったDNA鑑定で使った写真を検証した結果、裁判資料として提出された写真が都合よく切り取られており、また補助点を書き入れていることで証拠能力を補強というか、”でっち上げ”を行っていることを解明し、裁判所もそれを認めることになりました。 普通なら再審請求が認められそうなところですが、現実は逆で、目撃証言や久間の自家用車のシートの繊維が、被害者の衣服に付着していた繊維と一致していたことなどを理由に、再審請求は悉く退けられる結果となってしまいました。因みに目撃証言に関しては、警察の誘導が疑われる経緯も判明しており、少なくとも本作を観た者としては、この裁判結果が極めて不当だったのではないかと感じることになりました。 実際の事件と創作をないまぜにして語る不謹慎を顧みずに言えば、本作で思い出したのは「落下の解剖学」でした。夫の死は妻による殺人だったのか、自殺だったのか、はたまた事故だったのか、真相は明確に解明されずにお話は終わりましたが、最終的に妻は無罪。同作を観て思ったことは、結局裁判と言うのは、事件の真実を神の如く完璧に解明するというよりは、証拠や証言にどれだけ真実相当性があるのかを争うゲームであると言うことでした。 本作で取り扱った「飯塚事件」にしても、久間が本当に真犯人なのか、別の真犯人がいるのかは、正直誰にも分かりません。分かっているのは、最高裁判決が確定し、それに基づいて死刑が執行されたことだけです。重要なのは、一人の人間の命を奪ってしまう死刑と言う刑を確定する最大の論拠となったDNA鑑定が、その後の再審請求では否定されたこと。勿論前述の通り、この鑑定結果がなくとも被告人が真犯人であるという結論は揺るがないというのが裁判所の決定な訳ですが、第三者的には全く釈然としない結果でした。 また、個人的に死刑制度にはどちらかと言えば賛成の立場でしたが、本作を観るとかなりその思いに疑問を持ったことも事実でした。勿論明々白々たる証拠がある凶悪犯を極刑にすべきだという思いも残るものの、技術的に完全に確立されたとは言えないような方法で鑑定された結果を論拠に死刑判決を出すというのは、どう考えても危険なように思えます。 なお、現在ではMCT118法によるDNA鑑定は行われていないそうです。 最後に作品としての総合的な感想ですが、まずは四半世紀も前の「飯塚事件」の自らの報道について、自ら検証を行って記事にした西日本新聞の英断に拍手を送りたいと思います。とかく事件発生時には多くのメディアが繰り返し繰り返し熱心に報道する事件も、年月とともに忘れられがちになります。勿論忘れてしまっても良い事件もあるでしょうが、この事件のように、司法制度とか死刑制度そのものに疑問を投げかけるような事件については、事件そのものやその報道を検証することが必要な場合もあるかと思います。これはメディアだけの問題ではないかも知れませんが、日本ではとかくこの検証作業が疎かにされがちで、そのために問題の本質的な解決が出来ないことが往々にしてあります。 昨今話題の自民党の裏金問題も、事件の解明がきちんとされぬままに政治資金規正法改正の話が先行しています。問題の検証もしないのに、法律を変えたって意味はない訳ですが、実際はそういう方向に進みつつあります。まあ裏金問題に関しては、メディアや野党が全容解明までしつこく粘り強く追及出来るかに掛かっており、またそうした姿勢を有権者が支持できるかにも掛かっている訳ですが・・・ いずれにしても、久間容疑者逮捕という方向を世論形成と言う点で補強する形となった西日本新聞が、自らの報道を顧みる行動を取ったのは、称賛すべきところだと思います。 また、当時の捜査関係者が取材に応じたことについても、一定の賛辞を送りたいと思います。題名にもあるように、彼らは警察官としての”正義”を追求した結果容疑者逮捕に至った訳です。しかしながら、再審請求においてDNA鑑定が裁判所からも否定されるなど、当時とは前提条件が異なる状況になってすら、きちんと取材対応したのは立派と言えると思います。惜しむらくは、DNA鑑定を行った科警研の関係者に対する取材結果がなかったこと。取材を申し込んだのか申し込んでいないのか、申し込んだけど断れられたのか、作品では触れられていなかったので実際のところは判然としませんでしたが、DNA鑑定こそが本件最大のポイントだっただけに、鑑定当事者の話は是非聞きたかったところでした。 2時間半を超える超大作でしたが、実に見ごたえのあるドキュメンタリーであり、そんな本作の評価は★4.5とします。
犠牲の想いを背負う正義と闇深い非を認めない権力
2024年劇場鑑賞29本目 優秀作 72点 各映画評論サイトで軒並み高評価を受けユーロスペースまで足を運んで鑑賞した作品 当作品は2時間半近くあり、映画としての絵の変わり様は少ないものの、丁寧に取材を重ねて、次第に観客の天秤の揺さぶられ様は見事でした こういった実在の冤罪(?)事件のドキュメンタリーはどうしても、対警察検察の構図になってしまうけどそれでも事件当時の最善(?)の鑑定技術や状況証拠判断で容疑をかけられたわけだが、後にシャミレーションであったり様々な証言で証拠不十分であったり不一致が発覚し、それにも関わらずあまりにも早くの死刑判決は警察側の唯ならぬ引け目からの隠蔽工作ともとれる動向で、そんなわけなんで、再審請求しても警察の過ちを認めるわけないんだからこの先もずっと通るわけがないし、それは年月を重ねれば重ねるだけ一層力が強まるわなあ 弁護士も自身の性格や身分のためにも勝ちたいし証拠を作ってでっち上げて説得力作りたいし、警察だって表向きは近隣住民や騒がせてしまった世間を安心させて早くに風化させるのに手段を選ばない、犠牲はつきものみたいな考えですもんね 果たしてそれが市民が世間が求めている回答なのかしらねぇ、日本上層部の自慰行為をみさせられているような気持ちになりますわ 渋谷はユーロスペースにイメージフォーラムと各国のドキュメンタリーを目の当たりにできて、大変有り難いです 配信あるのかなあ、またゆっくりと見入りたい
利害関係の板挟み
序盤は、容疑者が良い人物と受け取られる一方で、スクープしようとする地元紙記者によって、警察でさえ立件に慎重だったにもかかわらず、決めつけ報道に流れて行き、死刑判決が出て、安心するという、趣旨を疑うような展開であった。
死刑執行後の弁護団の出直しとともに、当該記者の上司による検証取材の開始の決意から、徐々に決めつけ捜査と取材の過ちが明らかにされていく。地元紙連載記事には気づいていたけれども、読者の立場からは、その意義が掴み難かった。
初めにスクープしようとした地元紙記者は、ジャーナリストとしての自らの過ちを認める一方で、捜査に当たった警官たちは、見込み捜査であったことを認めつつも、その後同様の事件が起きていないことで、自分たちの捜査の正当性の主張を止めていない。そこは板挟みである。
制作は NHK が担当しているが、関連テレビ局であるテレビ西日本であれば、なお良かったのではないか。
私の友人が医療事故で亡くなったものの、その家族が勤める病院でもあったため、訴訟は断念していた。利害関係によっても「正義」は異なってくるものだ。
各々が正義を貫いた結果
事件の細部って警察あまり公表しないので、おそらく他にもいろいろ事件の物証を把握しているんだろうとは思った 精神鑑定なんかもしてるだろうし...警察、検察、司法各方面これ以上やることはもう無いという結論なんだろう 出演してる元警察の人達も堂々としていて自信が有るようだった 例のカルト事件で狙撃された長官出て来てビビった どうやら映画を見ている側には先入観を与えない為か被疑者の人となりは全く有りませんでしたが、Wikiで調べると犯人に目星をつけられても無理は無いかなといった感じでした しかしDNA鑑定も万能では無いのですね 目撃証言ってアテにならないというのも聞いたことがあるので其の辺をハッキリさせて貰いたいと思いました ただ気になるのはその後同様の事件が起こっていないことと(保護者気をつけるようになったのかな?)冬の飯塚とか路面凍結しょっちゅうなので他所者の犯罪とは考えにくいのではないかと しかし見れば見る程分からなくなった どうでもいいけどお膝元の飯塚の映画館で演ってないのはなぜ(?_?)
飯塚事件
構成が上手いなと思います。 ドキュメンタリーですが、下手なドラマよりよっぽど面白いですね。 裁判所はいつの時代も言葉足らずで不誠実 検察はいつの時代も悪を勝手に創りだす メディアはいつの時代も権力の犬、言いなり 警察はいつの時代も思い込みでしか人を見ない
ジャーナリズムはまだ死んでなかった。(追記あり)
(5/2 追記) 鑑賞後にユーチューブにあるこの事件の冤罪説を否定する動画をいくつか観た。 その動画内では、今回の映画では語られなかった出来事や解釈などを知ることが出来た。 冤罪かそうでないかを考えるには異なる意見双方に耳を傾けることが必要だと改めて思わされた。 (5/1) コロナ騒動やワクチンの話題では、酷い偏向報道や言論統制に近い事が各報道機関で行われていて、(現在の日本のジャーナリズムは死んだな)と感じていたが、この映画では真実を追求し続ける記者達の姿が描かれていて、自分の仕事に対する矜持を捨てない男がまだまだ沢山いることを知って胸が熱くなった。 映画自体も丁寧に作られており、長編作品ながらも中だるみ無くハラハラドキドキして観れる内容であったのもよかった!
寄りすぎず引きすぎず
ドキュメンタリーとしての距離感に抑制のきいた潔さを感じました。重奏低音のBGMのみで恣意的なナレーションはありません。
インタビューでは30年の時間が明らかに当事者たちの毒気を消しているため、逆に浮かび上がるものがあるように思えます。
ただ、肝心要の元死刑囚の人間像、他に真犯人がいる可能性については全く語られません。見る側も犯人について自分なりの推理を働かせることは難しいです。犯行と犯人についての具体的な手がかりになる情報はゼロです。
この作品はそれらを削り、淡々と事件に関わる当事者たちを照らしていきます。地元の警官に始まり、捜査を担当した刑事、地元の新聞記者、弁護士、DNAの専門家、元死刑囚の妻。
検事と、実際に当時出始めたばかりのDNA鑑定を行った教授周辺、裁判官側の人間は登場しません。かろうじて当時DNA鑑定の捜査への導入を推進していたと言われる有名な警察庁長官へ取材した印象は語られています。
それは結果的に、出てこなかったところに闇があるのではないかと感じさせます。
西日本新聞の元記者のインタビューに最初は少しイライラしました。あまりにも遠回しで他人事の語りに思えて。しかし最後に「自分はペンを持ったお巡りさんになっていた」という述懐で印象が変わりました。
反省のあまり主体的に当時の自分を語れなかったのではないかと。この方とその上司の率直さに胸を打たれました。当時を知らない別の記者に調査報道を頼み込むなど、我欲を捨てた姿勢に驚きます。スクープに先走った過去を恥じ、心底事実を知りたいと願っているのが見て取れました。
元死刑囚が犯人で間違いないと、こちらは何の迷いのない元刑事たちも嘘をついているようには見えません。
同時にその信念を利用しようと思う人が当時もしいたのなら、それは容易であったろうと思いました。
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