胸騒ぎのレビュー・感想・評価
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身につまされるホラー
他人の態度に違和感や不快感などがあっても、曖昧な笑顔でやり過ごしているととんでもないことになるという、身につまされるホラーでした。
配慮とか礼儀も大切ですが、ハッキリと意思表示することもしなければ、ということでしょうか。
変な家族に関わってしまい運が悪い、というより、自業自得で罰を受けるというようなニュアンスがありますし。
色々な意味で気が滅入るお話ですが、日常的に想像できる状況が丁寧に積み重ねられ、あそこで断っていれば、あのタイミングで帰っていれば…、などと考えさせられます。
ビジュアル的には穏やかな場面であからさまに不安を煽りまくる重低音の音楽だったり、不穏すぎる場面で妙に穏やかな音楽だったり、音楽の使い方も面白かったです。
子供が辛い目に遭う場面は本当に気が滅入りますが、そういった場面を見ると、リアルな子役のメンタルは大丈夫か?メンタルケアとかきちんとしてるよな?、ということの方が気になってしまいます。
急にリアリティを失うラストの意味
お前、人にすすめたい映画じゃねぇよ
・・・オレ褒めてんだぜ? 分かるよな?
そんな談志師匠風の感想も言いたくなる一本
誰にもすすめたくない。でもそれは今作の持つパワーゆえ
それに他人にすすめられなくてもトリアーやハネケの映画が好きな人なら自然とたどり着くことだろう
設定はデンマークに住む主人公家族が旅行先の
イタリアで初対面の家族と意気投合する
「今度、家に遊びにきてくださいよ!」と誘われオランダの家まで泊まりにいく主人公たち
さて、どういう展開が待っているのか・・・
原題の『Speak No Evil』(悪口を言わない)を
『胸騒ぎ』とした翻訳にもセンスを感じるが、
作品理解を助けてくれるのは原題直訳の方だろう
違和感の積み重ねで紡がれた物語は、ラストに急にリアリティを失う
しかし、それはエンドロールの背景に映し出される宗教画と同じで、この作品の色を分かりやすく提示してくれる演出になっている
「デモなんかで一流の大学入学をムダにした」と米国の大学生を笑う人達の目に、この映画はどう映るだろうか?
Speak no evil
イタリア旅行で知り合ったオランダとデンマークの二組の夫婦。実際、オランダの俳優とデンマークの俳優の組み合わせ。
ホストのパトリックはオランダ人。
オランダの公用語はオランダ語
デンマークの公用語はデンマーク語。
共通の会話は英語なので、自然です。
隣国なのにオランダ語で話す夫婦の会話はデンマークの夫婦にはわからない設定。
確かに券売機式のラーメンチェーン店でアルバイト店員全員外国人で、お国言葉でずーっとヒソヒソ話されると、食べてる間、悪口を言われている気がして気分が最悪。
先天性無舌症ってあることはあるらしいがものすごく稀らしい。
予告編を観て予測はついてましたが、実際観てみるとショッキング。
舌噛むと死ぬって思ってるし、ウソついたら舌抜くぞなんてよく言われるし。
狙われる家族は子供が一人で、両親ともに人が良く、他人に対して従順な夫婦。
離れの沢山の家族写真を見てしまうシーン。次々と子供が取り替えられていることに気がついた。
ガソリン抜かれたね。
銃器やナイフを使わないのもちょっと新鮮。
パトリックとカリンは本当の夫婦なのか❓ベビーシッターの男との関係は❓
きっと食べさせられた肉は人肉でしょうね。
ジワジワ系のイヤミス
幸福度上位の国の作品
冒頭から不安を煽る音楽。しかし、ここでは何も起こらない。少し先に招待状が来る。
オランダ人夫婦(以降.男,女)は行動は不気味ではあるが決定的ではない。デンマーク人親子(以降.父夫,母妻,娘)もコミュニケーションは不足している。
娘がママと寝たいと言っているのに無視。夜の営み優先。他人の家でやるのか?
娘が裸の男の隣で寝ているのを見て、逃げようと言うが夫に逃げたい理由を言わない。娘がぬいぐるみを忘れたと泣くので引き返す。
男は息子に虐待的な振る舞いをする。夜、父は男の確定的な写真を発見する。連続殺人魔あるいは児童誘拐魔。逃げる決心をするがガソリンがない。ここでも妻に理由を言わない。ガス欠。そして、いよいよ………。
娘に対する直接的な描写。夫妻には服を脱がせる。見せてはいけないものを見せる描写。尊厳の剥奪なのだろうけど、むかつく描写。次の標的か、遊ぶ少女は上半身裸。少女の裸描写、今の時代これはOUTでしょ。
クレジットでは天使の様な絵と宗教的な音楽。映画全体にキリスト教に関したメッセージが有るのか?
鑑賞後の、この胸糞悪い感じ。本当は無茶評価を低くしたいが、この感想こそ この映画が存在する意義でも有る。だから高いのか低いのか分からない評価、評価3.0とします。
ホラーの仮衣を着た…
ホラーや胸糞というジャンルでは語れない、宗教的(または哲学的)な映画。もちろん奥歯を噛み締めてないと見てられないシーン、心理的に追い詰められるシーンもありますが、それだけでは語れません。あの絶望的なラストシーンを観てまず思ったのは「罪とは」ということでした。「君が差し出したんだ」というセリフがとても印象深いです。いろんなことを考えさせられました。
子供がなぁ
映画でも子供が酷い目に遭うのを見るのはキツイ。
被害者家族にも問題はあるかもしれないけど殺されても当然な事は何一つなく、むしろいい人すぎてそこにつけ込まれた。
現実にも確実に悪魔のような人間はいる。
そのような人間に出会った時には速攻で関わりをたつ、相手の顔色なんて伺う必要なし。
映画のお父さん、いい人なんだけど家族を守るって言ってたのだから命懸けで悪に立ち向かって欲しかった。
相手を殺してでも家族を守るぐらいの気概を見せて欲しかった。
まぁでもそうしたら胸糞ラストがなくなるけど。
こんな恐怖ちょっとない程
まあ、怖い! 本当に恐い、ラストに至っては観た事を後悔しかねない程の衝撃に言葉もない。
デンマークとオランダなんて、貧困政治の日本と違って北欧の先進国。国ごとに言語は異なるかも知れませんが、地理的に近く民族も入り乱れ、習慣も似かより、数か国語を操って普通かしらんと思ってました。よくある米国と英国のカルチャーショックなんて映画にもありますよね、同じ言語でもこの有様ですから両国の相違は私達の思う以上なのでしょう。まずは、その辺りに驚きました。とは言え、車で行けられるのですね、フェリーに乗って。言葉もフツーに母国語の他に英語が喋られるのが当然で、だから成り立つお話でもある。
基本はごくフツーの人々なのに何か変? その積み重ねで違和感が増大した時には時すでに遅し。古くは「ローズマリーの赤ちゃん」1968年、「ゲット・アウト」2017年、「ミッドサマー」2019年、など結構あるけれど、後味の悪さで行ったら、際立ちますね本作は。
イタリア敢行旅行中に知り合ったデンマークの一家とオランダの一家、是非ウチに遊びにいらっしゃいよ、で映画が始まる。こちらは女の子を連れて、先方には男の子がいる、けれど男の子は「生まれつき舌が無いから喋られない」なんて奇妙な説明が入る。これがラストのおぞましさに繋がるとは露知らず。
ところ変われば習慣も異なる、を言い訳に些細な食い違いも飲み込んで、飲み込んで。しかし次々と疑念が重なり不審に変わる。一旦は無断で帰国しかけたにも関わらず、女の子のぬいぐるみの置忘れで戻る羽目に。熱心かつ執拗な説得に屈し、もう一晩が最悪の事態に繋がってしまう。
結果的にこの悪魔の夫婦の目的も、どうして捕まらないのかも含め、一切の説明もない。そもそもこんなに手間暇かけて悪事を繰り返すメリットは何? こいつらの収入源は何? ラスト近くの別棟には多数のトランクが並び、びっしりと幾多の家族の写真が並ぶ、すべて幼い子供のいる家族ばかりが。運河のオランダであり、山が一切なく、ひたすら平原のような光景で、こんな悪魔の住みつく場所があるのかしらとも思う。
しかし、ラストに向かっての多数の「ひっかかり」の積み重ねが映画としては良く出来ているのも確かなのです。その辺りを邦題「胸騒ぎ」で表現したのでしょう、原題は「Speak No Evil」なんですね、こっちの方がなんとなくラストを暗示してますよね。
81
ポスターや予告から不穏な雰囲気を感じて、恐る恐る劇場へIN。特典はポストカードでした。
よくもまぁこんな残酷な話を作れたもんだ…と唸るばかりでした。
居心地の悪さ、不快の積み重ね、臆病と優しさは紙一重、とんでもない物量で殴られっぱなしで、これに巻き込まれたビャアン夫婦はもう不幸としか…。
ベジタリアンのルイーセに肉を食べさせることを強要したり、子供にアホみたいに怒鳴り散らかしたり、子供を置いて食事に行ったり、側から見ても不自然な行動を繰り返すパトリック夫婦に対して観客とビャアン夫婦が怪しみながらも、どこかフランクな面を見せられるとまぁいいかってなってしまう感覚を共有してしまってるもんですからもうすでに恐ろしいです。
パトリック夫婦の息子のアビルがビュアンの後ろに立って口を大きく開けるシーン、めっちゃ不気味でここで何か口から手とか出てきたら笑えたのに…。口を開けたら舌が切れて一部無い…。ポストカードのデザインここかよ、しかも絶対これ後々の展開に活きてくるやつじゃんと俄然目が離せなくなりました。
この家から抜け出そうってタイミングで確実に抜け出せるのに、何かしらトラブルが起こって、多少登場人物たちが抜けているというのもありますが、基本的にはバカ行動ではなく巻き込まれて大惨事という形がストレスにならず(ある種のストレスではあった笑)観れたのはかなりデカかったです。
まぁ事故るシーンとかはなんでやねんとツッコミなりたくなりましたが、あの状況だと判断も鈍るわなと合点いきました。
娘がウサギのぬいぐるみさえ無くさなければこんな事には…このガキんちょめ、ちったぁ痛い目見なさいよ!と思っていたけれど、誰もそこまでやれとは言ってないレベルで酷い目に合わせるのでもうゾゾっとしっぱなしてした。
ビャアン夫婦にも多少なり問題があるのというのも面白く、ビャアン自身は気が小さすぎるのか判断が遅く、どうしても笑顔で色々乗り越えようとする姿は、それはダメだろ…と思いつつも、でも自分もこういう形になっちゃうよなというのがあって直視できなかったです。
夫婦で盛り上がってしまって、娘の声を遠ざけてしまった時も、パトリック夫妻の部屋に招き入れた事に対して文句を言っていましたが、それに対するカリンの言い分が真っ当すぎて、どちらも過ちを犯しているのに冷静に正論で捩じ伏せてきたので観ているこちらもキューってなってしまいました。
もうラストシーンなんか希望が全く無い、ビュアン夫婦なんとかして抗えないものかと思いましたが、娘が痛めつけられて連れ去られてなんて後に怒りも何も湧かず、こちらも辱められながら痛めつけながらの最期…。
何度も逃げるチャンスはあったし、何度も反撃できる隙はあったはず、でも何もできずあぁなってしまうラストは今作ほどでは無いにしろ、日常生活近しい経験をして困ったことが過去あったので、映画としてのエンタメ性よりもそのリアルさに相槌打ちっぱなしでした。
パトリック夫婦の目的が全く分からずじまいで終わったのも恐ろしすぎて、宗教文化のメタファーなのか、カニバリズムなのか、それともただの快楽殺人夫婦+協力者なのか、なんにしろここが全く明かされなかった作りが最悪の余韻を残していて最高でした。
根が優しすぎると他人の意見にNOが言えず、ちょっとした事でも我慢しちゃう、その最終形が今作のパトリック夫婦のような怪物を生み出してしまうのかななんて思ってしまいました。
でもこれは現実でもあり得なくは無い話なので、ヒューマンホラーの中でもかなり身近なテーマだったからこそより恐怖が増築されていた気がします。
役者陣も抜群に上手いのがさらに今作の君の悪さを際立たせていて、カリン役のカリーナ・スムルダースさんの早口で淡々と言い放つ所とか仕草とか、別に暴力的な事なんてしてないのに、かつてない恐怖が襲ってきました。この方の出る作品は追いかけなければならない…。
公開前にリメイクされる事が大々的に取り上げられていた事にはかなり疑問に思っていましたが、ホスト側の視点でのリメイクというのは斬新だし良いなと思いました。
でもホスト側の真相は分からないままでも良かったのになと思ってしまう自分もいるくらいこの作品に取り憑かれているみたいです。
ジャンプスケアに頼らず、しっとりとした演出でビビらせてくれる傑作怪作でした。
普段外国人観光客とよく接する仕事(職場が観光地でよく観光客が彷徨ってくる)なもんで、何を言ってるか分からんし、日本語喋ってくれよと思いながら仕事してるもんで、もしかしたらめっちゃ悪口言われてんのかもなぁと怪訝な目で今後見てしまいそうです。
しっかし今作を観る前に「ミッシング」を観て心抉られてからの今作のハシゴでさらに致命傷を負うとは…。大変な1日でした笑
鑑賞日 5/17
鑑賞時間 20:35〜22:20
座席 B-12
「分断」される世界の戯画としての、「捕食者に蹂躙される獲物」を描く容赦のない物語。
ごめんなさい、悪いけど意外と面白かったわ、この映画(笑)。
いろいろと「ひどい」映画であることは間違いないが、
まあ世の中、こういうもんだよね。
確かに、僕たちが思ってる「予定調和」のエンディングではなかったかもしれないけど、これはこれで、「予定調和」を超えた「予定調和」なのだと僕は思う。
弱者必滅。弱者は常に強者に蹂躙される。
鹿はライオンには勝てない。スズメは鷹には勝てない。
蛇ににらまれた蛙は、どうひっくり返っても蛇には勝てない。
可哀想だけど、仕方がない。
それが本当の「予定調和」というものだ。
一番弱いのは子供。しょせん、子供は大人に勝てない。
子供にとって、ぬいぐるみを拾ってきてくれるお父さんはヒーローかもしれない。だが殺人鬼の標的にされたとき、元SEALsでも元モサドでもないただのお父さんは、ぶっちゃけクソの役にも立たない。
映画でお母さんは、たいがい子供に「私が必ずあなたを守る」と口にする。
でも、お母さんが子供を守れるのは、常識の範囲内で事態が推移しているときだけだ。
殺意と悪意を持って迫って来る相手の前で、母親はただの狩られる獲物でしかない。
この映画は、そういう「当たり前の世のことわり」に、ごく自然に従うように出来ている。
映画だからといって、弱いはずの両親が生き延びたりもしないし、
映画だからといって、蹂躙されるはずの子どもが助かったりもしない。
だから、僕にとって『胸騒ぎ』は大筋のところでとても素直で、腑に落ちる映画だったのだ。
同じテーマで、同じような結末に向けてひた走ったミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』と比べると、だいぶメタ度は抑え目といってよい。
「ごくふつうの凡庸なサスペンス・スリラー」の枠組みのまま、やりたいことをやり切ったという印象で、逆に監督はキモが座っているのではないかと思わされた。
下卑たスカム・ホラーでもなく、グロテスクな文芸作でもなく、まっすぐテーマと向き合って、淡々とふつうのサスペンスとして撮り切ったというのは、ある種の職人としての矜持だと思うからだ。
本当のことを言えば、
前半の「なんだかおかしい」という違和感。
これをテーマに、そのまま最後まで押し切ったほうが、よほど良い映画になったのではないかともしょうじき思う。
ちょっとした主義主張や教育方針の違い。
対人的な距離感の取り方のズレ。
赤の他人とノリを合わせるのは、なかなかに難しい。
たとえひととき旅先で意気投合できたとしても、その後付き合いを続けるうちにどこかで違和感が生じて、ギクシャクしてしまうというのはままあることだ。
とくに近隣住人との関係性やPTA仲間との交流は、こちらも逃げられない部分もあっていろいろと気を遣うところだ。犬の散歩で会う人達なども、犬を介して話している間はいいんだけど、いざ親密になってくると「なんか思ったより面倒な人だな」「え? 家まであがってきちゃうの?」みたいなことは往々にして起きる。
その対人関係の怖さ、ストレス、危険性「だけ」に焦点を当てて、ホラー的なギミックを使わないままに話を終わらせても、心理劇としては十分面白かったと思うし、話のキモはむしろ伝わりやすかったのではないか。かなり終盤まで僕はそう思っていたのだった。
でもまあ、ちょっとあのラストは想像の埒外というか、思っていたより相当に強烈だったので(笑)、これはこれで衝撃的だったのかな。
なんで●●●にするのか。なんで●●を投げるのか。
理屈はよくわからないけど、なんだかとても怖いやり口だ。
(パンフには、旧約聖書レビ記20章に「モレクに自分の子どもをささげる」大罪を犯した者がこの罰を受けると書かれているとあって、おおお!なるほど!と)
最後の最後で「ただのホラー」になってしまった点はもったいない気もするが、十分に「嫌な気分」にはさせてくれるエンディングだった。
― ― ―
犯人側の視点で言えば、この映画は良く出来ているとは思い難い部分もある。
犠牲者に何度も脱出のチャンスを与えてしまっているし、出だしから相手に警戒心を与えるような動きを何度もかましていて、お前らチャンとヤる気あるのかよ、という気がだんだんしてくる。
相手が夜中に起きだしてうろうろすることが多いのに、見られて困るようなものをあちこち出しっぱなしにしているし、振り返ればいくらでも計画は失敗した可能性があると思う。
だいたい異国オランダだとはいえ、警察に英語で電話されて踏み込まれたら(あんな写真山ほど貼った部屋とか放置してるわけだし)こいつらはどう言い訳するつもりなのだろうか。
そもそも、こういう「子とろ鬼」みたいな犯行を繰り返して、この夫婦は一体何を得たいというのか?? たしかに真相としてはショッキングだけど、犯罪としてのロジックがあやふやすぎる。
それに彼らのやり口だと、相手の財産を銀行口座ごと奪ったり土地まで収奪したりはできないだろうから、きわめて非効率な感じがするし、口がきけないからって子供がどこにも連絡できないのも若干不自然な気がする(完全に精神的に支配されてるということなのだろうが)。
犯罪者夫婦に「悪意」が満ちあふれていることはしっかり伝わって来るが、何を考えているかも、どれくらい意識的に「ずさんな」ままで犯罪計画を実行しているのかも、今一つよくわからない。まあ、そのへんのあやふやでルーズな部分もひっくるめて「得体が知れない」ことで、「絶対悪」としての恐怖感を増幅させようという意図なのかもしれないが。
あるいは、彼らにとっては、これが犠牲者を「試す」儀式なのかも。
途中で逃げ出して帰ってもらっても一向に構わない。むしろチャンスを何度も与えている。それで「帰らずに敢えて残った」というのなら、それは自分からモレク神に子どもを捧げたということになるのだ――そういう理屈の「試練」の儀式。結局のところ、デンマーク人夫婦は、悪神の仕掛けたこのゲームに「負けた」ということになるのだろう。
一方で、犠牲者側の描き方のほうは、実に堂に入っている。
まず、お父さん。この手の善人ってたしかにいるよね。バランサーで、気を遣うタイプで、なるべく相手に合わせて「場」を取り繕うタイプ……って、ああ、僕だ。
そう、お父さんは僕そっくりだ。怒るのが苦手で、弱い男。
要するに、摩擦が怖い。相手を怒らせるのが面倒くさい。人とトラブルになるくらいなら自分がひっかぶったほうが楽だ。で、偶然、それで今までは楽しくやってこられた。
でも……もし、こういう悪意剥き出しの人間にロックオンされたらどうする?
僕は似たタイプだから、このお父さんの考えていることはよくわかる。
一挙手一投足が理解できる。
逃げたほうが良いと、あれだけ感性が訴えているのに、理性の訴えに負けてウサギのぬいぐるみを取りに戻ってしまう。
明らかにおかしい空気なのに、楽しませ上手のホストになんとなくほだされて、ずるずると長居をするうちに、脱出するきっかけを失ってしまう。
最初のうちは、ささいなことでも脱出をはかっていたのに、終盤戦になると「逃げること」すら忘れて、あれだけ子供のことで口論になっても普通に夜はベッドで寝ている。
そう、このお父さんは「ゆでガエル」だ。
じわじわとやられると、押しに弱いから順応してしまう。
だんだんと、おかしさがおかしさだと認識できなくなる。
そして、突然の暴力に遭遇すると思考が停止して言いなりになる。
よくわかる。きっと僕でもそうなるからだ。
お母さんも、よく造形されたキャラクターだ。
基本は良い人なのだが、絶妙なバランスで「微妙に感じが悪い」。
ヴェジタリアンで、自己主張が強く、不正義が許せず、子供への他人の干渉を嫌う。
神経質で、うるさいときはうるさいと怒鳴り、いざとなったら無断で帰ることも辞さない。
いかにも「ポリティカリー・コレクト」な「まともな人物」。
人当たりは良いし社交的だが、どこか「上流市民」感、「見下してる」感を漂わせている。
おそらく保守的な田舎の人間にとっては、いちばん「鼻に付く」タイプの人間だ。
娘も娘で、巧い具合にひっかかりを残す演出が成されている。
ウサギのぬいぐるみをなくしたと娘が言い出して、逃げてきた家に引き返すことになった、あの運命の分かれ道。少女は、後からぬいぐるみが車のシートの下から出てきたといって、母親に満面の笑みを見せる。
あれはないよね(笑)。
お父さんに悪いことしたって思えないんだ、この子。
ある程度のわがままが「聞いてもらえるもの」と安心しきって育ってる。
僕自身のなかでは、このお父さんは自分によく似ているという思いはあるものの、一方でいかにも「正しくあろう」とするこの今どきの家族に対する、そこはかとない違和感、抵抗感も感じざるをえない。
要するに、まともだけど、いけすかない連中なわけだ。
そんなこんなで、終盤の悪夢のような展開が始まったとき、僕のなかでは「なんてひどいことを!」成分85%、「ちょっとイラっとしてたから溜飲が下がるわ」成分15%といった感じで、実は全力で犠牲者家族に肩入れ出来ていたわけではなかったのでした(笑)。
どんなホラーでも、殺される犠牲者にはなんらかの「罰されるわけ」があることが一般的だ。キャンプ場で飲んで騒いでセックスをしたら片端から殺されていく、アレだ。いわゆる「悪事」を働いたわけではないが、羽目を外したり、調子に乗ったり、図に乗った行動を取ったものは、比較的ターゲットにされやすい傾向にある。
本作の場合、それは「正しさ」であるのがポイントだ。人当たりの良さ。喧嘩をしない丁重さ。子供を怒らない冷静さ。環境への配慮で肉を食べない正しさ。そういった、「しもじもをいらつかせるまっとうさ」が、悪の攻撃性を倍加させるトリガーになっている。
これは、まさに今、世界中で起きている「分断」の戯画でもある。
守旧的な田舎者と、進歩派の都会人の乗り越えられない深い溝。
本作におけるオランダ人夫婦とデンマーク人夫婦の価値観の相違は、欧州に実際に存在する「分断」の一要素ではあるが、アメリカにおけるトランプ主義者と民主党支持者の価値観の違いとも相似する部分が大きい。
粗野で、性的にあけすけで、気性が荒く、他人との距離感が近く、平気でウソをつき、子供を従属的に扱う、いかにもな「底辺のオランダ野郎」の在り方は、そのままアメリカのレッドネック(白人貧困層)の生態とも被っている。
こういう連中にとって、北のほうでぬくぬくと文化的な生活を送っている、善良で正しくて知的で愛に満ちた上流市民は、吐き気がするほどムカつく、壊してやりたい対象に他ならない。本作で二つの家族が示す激しいコンフリクトは、世界で起きている二つの潮流のぶつかり合いの縮図に他ならない。
パンフをつらつら読んでいると、監督が面白いことを言っていた。
「僕たちはスカンジナビアの問題を描いたつもりでしたが、アメリカでは『まさにアメリカの問題だ』と言われ、韓国では『これぞ韓国の問題』と言われました。きっと、これは世界に共通する“人間の問題”なのでしょう。文化圏にかかわらず、世界中の皆さんに共感してもらえればと思います」
あと、パンフつながりでいうと、「イタリアは天国、デンマークは辺獄、オランダは地獄」として舞台を構想していたという監督の発言も紹介されている。おお、要はこれも「地獄めぐり」の映画だったというわけか!
ちなみに監督のクリスチャン・タフドルップは、「キリスト教ペンテコステ派で育った(現在はその信仰から離れている)」らしい(ついこのあいだ『プリシラ』の感想でペンテコステ派については触れたばかり)。トランプ支持の母胎でもあるプロテスタントの保守的な精神風土で育った監督が、主人公たちのような「良識的な文化人」に育って、この映画をわざわざ撮ったのだと思うと、いろいろと考えさせられるものがあるよね。
最後に。タブロイド新聞を模したパンフって、アイディアは面白いけど、猛烈に持ち帰りづらいし、保管しづらいし、マジでやめてほしい……(笑)
ターニングポイントはたくさんあった
この夫婦は善良であろうとしすぎなんですよね。いい人であろうとするあまり、夫婦ふたりのときにすら「あの人達のこういうところが変じゃない?」という話ができない。夫婦どちらかが「なんかおかしい」と気付いても、その違和感を共有できない。どちらかが警戒心MAXになってももう一方がそれに寄り添えず、むしろ台無しにしてしまう。
いやいや、さっさと帰りなよ!!と何度突っ込んだことか。きっと、そういうターニングポイントでスパッと帰れている家族もたくさんいて、その人達はまさかここまでのことが行われているとは気づかないから通報することもなく、野放しになってるんでしょうね。
最後あまりにもあっさりやられたのは娘が連れて行かれて戦意喪失したんだろうけど、諦めないで欲しかった。無理かな。無理な夫婦だからああいうことになったのだけど、それにしても、子どもたちが可哀想すぎて。
鑑賞動機:何か瘴気のようなものがポスターやスチールから感じられて胸騒ぎがしてしょうがない9割、ごく一部の評判1割。
3ヶ国語が飛び交うがすぐに気にならなくなるし、使い所を心得ている感じ。
ハァ、こんなの観ちゃうと、やっぱり声をかけてくる知らない人は、金か命か尊厳を奪おうとしてくる人なんだって思わないといけないのかね。
ひとつひとつはデリカシーがないね、ですむかもしれないが、徐々にじわじわきてまた引き際もうまかったりするからタチ悪い。
途中のアレで、児童売買組織かなんかかと思ったら、いや違うはこれ、ペットかアクセサリーなんだと思い至る。余計にやばいわ。
終盤はもっと死に物狂いで抵抗しても良かったんじゃないか、とも思うが、直前に暴力ふるわれているからか。何かこう手慣れた感じがするんだよね。服脱がせたりとか、恐怖による支配の実効力を知っているんだわ。毒気に当てられて精神的に消耗する。
教訓。忘れ物を取りに帰ってはいけない。
なんかね
『セブン』、『ミスト』に比肩する、すなわちもう二度と観ないけどまごうことなき傑作
デンマークから家族と共にイタリアの閑静な田舎のヴィラを訪ねたビャアンは同じく家族連れで宿泊していたオランダ人のパトリックと意気投合。数週間後ビャアン達のもとにパトリックから自宅に泊まりにこないかと誘う招待状が届き、快諾したビャアン達はカーフェリーでオランダに渡り人里離れた家を訪れるがそこでふと感じた胸騒ぎがじわじわとビャアン達の神経を蝕んでいく。
旅先では違和感を感じなかったパトリック達の人懐っこさに潜む強引な押し付けがましさや無作法にイラッとさせられながらも何とか受け流しているうちに侵されたくない領域にまで土足で踏み込まれることになりジリジリと神経をすり減らしていく様は人間関係あるあるに満ちていて観ているこちらもイライラが募り、不愉快さを回避するための二者択一を何度も何度も試されその度に間違った方を選択をするビャアンがパトリック達の正体に気づくカットにゾッとし、その後目を背けたくなることしか起こらないクライマックスに絶望しエンドロールを眺めている心中にはこの言葉しか残りません。
・・・観なきゃよかった。
『落下の解剖学』では家族内での断絶の象徴だった言語の違いが、本作では二つの家族の間に横たわる断ち難い断絶を象徴していて、お互いに何を話しているか判らない疑心暗鬼が終始不協和音として劇中に響いている感じももうとにかく不快。オランダの歌姫トレインチャ・オーステルハウスの美しい歌声も挿入されたりしているのですがそれも全然耳に入ってこない。嫌なものしか映っていないし嫌なことしか起こらない居心地の悪さに耐え切れなくなってうっかり笑ってしまうことにも我ながらビックリするわけですが、その方向感覚を失った条件反射が本作の肝であることにクライマックスで気付かされてしまうストーリーテリングの巧みさにタコ殴りにされて、監督・脚本を手掛けるクリスチャン・タフドルップに対して殺意すら覚えます。ホンマ北欧映画ってエグってくるなぁ、もう!
ちなみに英題タイトルはSpeak No Evil、悪口を言っちゃいけないという良識がズタボロに引き裂かれる悪趣味に血の気が失せました。
『セブン』、『ミスト』に比肩する、すなわちもう二度と観ないけどまごうことなき傑作。とにかく不快なので興行成績でも25位にも入ってないくらい人が入ってないことに胸を撫で下ろしています。
ということでこれっぽっちもオススメしませんよ、物凄い傑作ですけど。
なんて理不尽な・・・
期待度○鑑賞後の満足度○ 邦題よりも原題の“Gæsterne=「客」”よりも英題の “Speak No Evil”が一番ピッタリくるホラー。怖いシーンは殆ど無いのにゾッとするこれぞホラー。
①コミュニケーションをするための共通語である英語では無難な事を言ってるのに、各々の母国語で交わす夫婦の会話では本音が出てるというのが妙にリアル。
②饒舌な映画ではない。勿論、会話もふんだんにあるのだが、殆ど日常会話の域で恐怖を煽るような台詞は無い。
それでも不穏さや薄気味悪さを感じさせるのは殆ど映像である。
そういう点ではこれ又映画らしい映画。
③隣に引っ越してきた人が実は殺人鬼だった、引っ越したら隣の人が異常人格者だった、ルームメイトを募集したら怖い人だった、突き会ったらヤバい人だった等々といった出会い系、或いはシチュエーションホラーは数々あって、これもその変奏曲の一つだから、とれだけアイデア・プロット・構成・演出が他の有象無象のホラーと差別化されているかがミソ。
④冒頭、曇りガラスを通して何とか見える林の中の舗装されていない道を走っているシーンから不穏。
と、一転陽光眩しいイタリアのリゾートへ。
お互い旅先で知り合い意気投合た一組の夫婦。
オランダ人夫婦の夫の方はやや押しが強くてウザそうだか悪い人ではないみたい。
しかし、
胸クソ悪い系?
タイトルは「胸クソ悪い」にしてほしかった。
中盤までの、他人の家に呼ばれて感じた居心地の悪さとか、他の家族が躾と称して子供に暴力をふるう様への嫌悪感とか、誰もが感じたことがある「いやー」なことの連続は、なかなか堪えるものでした。
後半、悪意の塊の前には、善意や良識を持った人間は無力で、浸食されてしまう恐怖を描いていて。
ただ、ラストはありきたりでつまらない展開になったなと。
見て得た情報を奥さん子どもに共有しない夫の無能ぶりや、嬲られても抵抗しない夫婦の姿に「?」マーク。
連続殺人鬼の前では、助けてと懇願するだけまったく無駄なので、そこらへんにある石でぶん殴り返せ、やられる前に殺れ!どうせやられるなら無駄な足掻きくらいしろよ!
とイライラしっぱなしでありました。
人の家でセックスすな
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