「黒人としてのスピッツが感じられない。意図的?」アメリカン・フィクション アンドロイド爺さん♥️さんの映画レビュー(感想・評価)
黒人としてのスピッツが感じられない。意図的?
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黒人らしさ。
と言いながら「セロニアス」だから「モンク」
つまり、ステレオタイプって事なんだけど。
流れる曲は正に「フュージョン」とか「クロスオーバー」
正に、黒人としてのアイデンティティが全く無い。
そして、留めがキャノンボール・アダレイの「枯葉」しかも、キャノンボール・アダレイのサックスのソロが出てくる手前のマイルス・デイヴィスのミュート付けた全くスピリットが無い「JAZZ」つまり、モード進行とか言って、マイルス・デイヴィスが白人からもてはやされた時代の作品。
さて、どう評価したら良いものやら。
そもそも、流れるピアノはセロニアス・モンクとは全く異なる演奏。
セロニアスモンクのピアノは打楽器のように叩きつける、若しくは同じ音を繰り返すモールス信号のような火が吐く様な力強さがあった。
さて、逆のステレオタイプなのか。
だって、アメリカの出鱈目話なんでしょ。
計算してデフォルメしたって事なんだろうね。
でも、インテリ高学歴の有産階級の話。
「ブルジョワジー」なんでしょ?
だから、日本映画の原作は漫画やライトノベルなんですね。アシスタントが要約しなくても良いんですから。
アメリカの路上で生活する人は何故か白人の男性だね。だって、黒人は一人で路上生活出来ない。何されるか分からない。路上生活する女性が少ないのと一緒。
黒人のほうが貧困なんだろうけど、黒人としてのソサエティがしっかりあるのだと思う。
ここに登場する黒人の方達とは全く異なると思う。ユダヤ人に対するヘイトと全く同じ。
さて。
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