「極端に人を選びそう。ポップコーン等は食べないほうがよさそう。」オーメン ザ・ファースト yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
極端に人を選びそう。ポップコーン等は食べないほうがよさそう。
今年128本目(合計1,220本目/今月(2024年4月度)2本目)。
(前の作品 「流星(1999・香港)」→この作品「オーメン ザ・ファースト」→次の作品「猫と私と、もう1人のネコ」)
教会を舞台にしたホラー(一部謎解き要素もある)もの。
多くの方が書かれている通り、かなり直視が難しいシーンもあるし(出産シーンなど。モザイクがかかる。なお、虫表現などもあるので注意)、出産シーンがあるということは手術シーンもあるわけで光の点滅もあり、こうした色々な事情が重なって、この映画を2時間ほど直視できる方はかなり限られるんじゃないのかな…というところです。
極端にグロいシーンも出てくるところ、「一応ストーリー性はあるが、グロ系で攻めてくる」映画を俗に「エクスプロイテーション映画」といいますが(exploit = 搾取する、程度の意味の動詞の名詞形)、その亜種の「ナンスプロイテーション映画」(教会や修道女などをテーマにして陰謀論や悪魔論などを展開する類型を言う。テーマとしては「教会」が出ることがカギになる)に属すると思われるところ、日本ではキリスト教文化について深く学習する機会が(当事者および、ミッション系学校ほかを除けば)存在せず、一部には確かに教養になるところもあるのはあるのですが、この映画を2時間直視して感想を語るのはかなり難しいんじゃないのかな…といったところです。
極端に人を選ぶ…というか、ポップコーンも何も持ち込まないのが正解で、かつ後方の席(シアタス心斎橋は寝そべりシート等が前方にあるが、そこで見ると地獄を見た…)で見るのが正解だろうといったところです。
ただ、趣旨的にどうしても(作者も観客側も了知した意味での)「低俗もの」(ここでは非難の意味より、お互いに了知しているという前提で、そういう映画のジャンル、という一つの意味)になる点は理解できるし予告編やここの紹介などから推知可能なので、あとはその推知できる範囲からどれだけ超えているところに「耐えられるか」という、一種の「お化け屋敷」状態になっているのが厳しいといったところです。
※ こういった特殊な事情があるので、2時間直視してストーリーを全部追える方はかなり少ないんじゃないか(吐くとかでは済まないほど正直厳しい)といったところです。
採点に関しては以下まで考慮しました。
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(減点0.4/極端に描写が厳しく2時間見るのが厳しい)
ただ、それも含めて映画だし、「ジャンルだまし」の類ではないので、ここでは大きくはひけません。
(減点0.2/レーティングの一つ違いに思える) ※この点は固定0.2扱い
PG12のようですが、R15でも文句は言えないのでは…といったところです(というより、R18でも文句は言えない…)。
(減点0.2/イタリア語の字幕がないなど、理解に妨げが出る部分がある)
もちろん、ストーリー上必要になる部分は、英語字幕と一緒に日本語字幕も出ますが(この映画は、英語8割イタリア語2割といったところ)、上述の事情で「画面を直視するのがつらい」部分もあり、ややきついです。
※ イタリア語の字幕の「アンバランス」も気になったところで、Romeで「ローマ」が出るかと思えば(Romeと出てナポリだという解釈は誰もしない)他の部分は出てこなかったりとバラバラです。
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(減点なし/参考/イタリア語にある2つの「be動詞」について)
この映画、実は、イタリア語文法にちらっと深く触れている部分があります(主人公が教会でイタリア語を子供から教わるシーンほか)。
日本語でいう「ある、いる」に相当する英語は be動詞で、一つだけですが、これらが2つ以上ある言語もあります。スペイン語(serとestar)がそれにあたります。一方、イタリア・スペイン両方と接するフランス語では一つだけです(etre)。
映画がはじまって最初の出迎えシーンの「お元気?」という部分の come stai? の stai は このbe動詞系のひとつ、 stare の2人称単数(の、直説法現在。以下かっこ書き省略)です。
一方、もう少しして「私は教師です。アメリカから来ました」を子供から教わるシーンの Io sono.... の sono は、もう一つのbe動詞 essere の1人称単数の活用形です。
このように「~である」という動詞(英語ではbe動詞)の類を2つ持つ言語(スペイン語、イタリア語ほか)と、1つだけの言語(英語、ドイツ語、フランス語等)があり、「子供からイタリア語を教わるシーン」はまさにそこに直結する話ですが、字幕上の配慮はなし(ただ、この点は言語一般として知っていれば他言語から類推が効く)。
※ 重ねて書くように、この映画は「直視が難しい」タイプの作品で、イタリア語によるシーンも出る割にそこまで早口ではないので(なお、お祈りシーンほかはラテン語の模様で、そこまでくると類推には限界が出る)、こうした「ちょっとだけでも知っている」だけでもかなり差は出ます。