数分間のエールをのレビュー・感想・評価
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映画館で見てよかった
マウスパッドの上でマウスを滑らせる、サッ、サッ、という小さな音。静かな部屋で黙々と創作活動をしている感じが、まるで自分の部屋にいるような臨場感で伝わってくる。静寂の中に散りばめる、とても細やかな音使いだ。
セリフの「間」もナチュラルで、おそらく音声を先に収録していて、その後に映像をつけているのだろう。ラジオドラマのように、心静かに鑑賞できる。
オリエ先生が絶望したのは、「音楽で食っていけてない」ということではなく、自分はこんなに歌が好きで、ずっと歌っていて、魂を込めて歌っているのに、誰でもいつでも自由に聴けるサイトに音源を置いているのに、誰にも届いていないという現実に対してだ。長く歌い続けてきたけれど、自分の歌は誰にも届いていない。どんなに大きな声で叫び続けても、その声は誰にも届かない。
承認欲求を満たすために歌っているわけではない。本当に歌が好きなのだ。しかし、歌えば歌うほど孤独を感じる。この世には自分の歌の居場所がない。クリエイターとして、とてつもない孤独感だ。
何度も諦めようとしたが、本当に諦めた最後の瞬間に運命的な出会いがあった。カナタ君が全力で叫ぶ。「あなたの歌が好きです!」と。
カナタ君は少し違っていて、中学時代、絵のコンクールで親友の外崎の絵が県知事賞を受賞した時には深く絶望したが、その絶望を引きずることなく、MV作りという新しい道を見つけてポジティブに取り組んでいる。MVのできがよかったおかげでヒットした作品も多く、カナタ君は自分の技術に十分に手応えを感じている。
二人に共通しているのは、自分の創作物で人を感動させたい、感動を分かち合いたいということだ。だからオリエ先生は初心を思い出し、心の扉を少し開いた。
カナタ君がオリエ先生のために最初に作ったMVは、素晴らしい出来栄えだった。塔のようにそそり立つ雲、健気に前を向いて突き進むヒロイン。エールは明るくあるべき。しかし、そのポジティブな描写が、オリエ先生にはとても眩しく、痛々しかった。自分の歌はカナタ君には届いていなかったと感じてしまった。分かってもらうことを期待していたわけではないが、いったん鎮まっていた絶望感が再び呼び起こされた。
歌には歌の命があり、それは生みの親であるクリエイターの命とは別だ。そのことに気づける才能がカナタ君にはある。彼は、彼女の歌が本当に好きだった。だからこそすごく悩んだ。
邂逅の後、作り直したMVも良かった。「オリエ先生の気持ちが分かる」という程度の慰めではなく、カナタ君自身の逡巡も投影された、お互いに傷つきながらも最後まで強く共鳴しながら寄り添う演出だった。「諦めずに歌い続けてほしい」という思いを数分間、一旦置いて、作品の世界観に没入し、自由に強く描きつけた。オリエ先生が見たことのない景色を引き出したのだ。
ヒントを与えたのは中川さん。気づいた瞬間、カナタ君は全力で走り出した。彼は仲間に恵まれていた。
才能とは何か、それは描かずにはいられない、歌わずにはいられないということだ。外崎君もそうだったから、オリエ先生の気持ちを理解していた。理解はしていたが、どうすればいいのか分からず苦悩していて、カナタ君には問いかけ半分の中途半端な言葉しかかけられなかった。その問いかけ半分の言葉が、「君には分からないだろうね」とも聞こえてしまうことがある。それがカナタ君には「上から目線」に感じられた。こういうことは現実にもよくあることだと思う。自分も、言う側としても言われる側としても気をつけたい。
天才と呼ばれる多くのクリエイターは、何度も絶望を繰り返してきた人が多いと思うが、カナタ君はオリエ先生や外崎君の存在のおかげで、絶望を味わうことなくクリエイターを目指していけそうだ。深い絶望を体験しなければ本物のクリエイターになれないというわけではない。うまくいかず、とりあえずサラリーマンになるかもしれないが、それでも日常を楽しみながらポジティブにMVを作り続けることができるだろう。
オリエ先生もカナタ君と出会って気づいた。自分の歌に深く感動してくれる人が、少なくとも一人は確かにここにいる。絶望しなくていいのだと。そして、また歌うことを再開した。
自分も思い出すことがあって、胸が詰まった。すぐに映画館を出られなくて困った。
「CGっぽい動きが気持ち悪い」
「私は好き」
匿名の視聴者の飾らない一言がエールになる。
ルックは素晴らしい
●映像に関して
各カットイメージボードのような綺麗な色使いをしていて、とても画は綺麗だった。
ただし、アニメーション表現に関しては難あり。ストーリーが求めているギャグ感をアニメーションで表現しきれてない。キャラクターが所々、手描き?のパカパカアニメに切り替わりギャグ的な表現はカバーしていた。しかし、あまりにもパカパカすぎて、それ以外のヌルヌルアニメと合っていなかった。しかし、ギャグ表現で欲しいのはこの動きや表情でありそれを3DCGで表現しきれてないのは非常に残念。
雨の雫など所々にコマを抜いたリミテッド表現を感じるのに、肝心のメインキャラクターはほぼフルアニメで動いて見えて違和感を感じた。
髪が揺れてるのに顔にかかる髪の影が揺れてない。頭しか見えないところでシルエット的に人間の頭だと認識できない。
など違和感を感じるカットもチラホラ。
ただし、MV制作途中のコンピュータ内で映像を作り上げていく一連の描写は非常に良かった。
●ストーリーに関して
非常に単純明快なストーリーで話の流れも良い。ただあまりにも安直すぎるなと思った。
主人公が気づくべき大切なことを全て他のキャラクターが口で教えてくれるのだ。
例えば、先生のために1回目のMVが何故ダメだったのか。これをご丁寧に親友が口で説明してくれる。同じ境遇だから気づけたっていうのは分かるけど、意見を衝突させ喧嘩して、苦しみの中で主人公が自分で見つけないとダメなのではと思った。
主人公の長所は同級生?の女の子のために作ったMVに対しての評価をきっかけに、これまた口頭で教えてくれる。「応援されてるみたい」なMVなのが良いところとのこと。それは話の流れ的にも自然だし良いと思うけど、女の子に教えてもらうんじゃなくて、女の子のためにMVを作る中で自分でキッカケを掴んでいたほうが自然だったと思う。
実際は1回目の先生のMVが不発だったショックの最中に作られてるので、劇中では制作途中の描写が省かれ、気の抜いた状態で作った様に見えてしまう。それなのに高評価だったということは、「応援」という要素は主人公の根本にあるもので1回目のMVにも含まれていたのではないか。
だとしたらこの自分の良さへの気づきは何のためにあるのかなぁとかツッコミどころではある。結局完成した映像は、親友から教えてもらった内容を親友自身の状況と照らし合わせる形になった。ダメとは言わないが、あまりにもそのままそのままだなぁとは思った。
ストーリーライン自体に大きな違和感を感じたわけではないが、単純明快にしすぎて端折った部分に大切なものが隠れていた気がしてならない。
うにょうにょ動く3DCGがどうも苦手
でしたが、PV制作以外何も出来ない主人公が雨の日にたまたま見た路上ミュージシャンに惚れこんでPVを作る為に紛争する話。
その路上ミュージシャンが偶然にも自分のクラスの担任...副担任だったっけ?偶然が過ぎるかと思ったけど、主人公が「 こんな偶然無いよ! 」 ってメタ発言してたからそれはいいや。
また、先生の歌声がいいんだよねー!ごくたまに歌がテーマなのに肝心の歌がうまくないという作品があるけど、喋る役者と歌う役者は別にクレジットされていました。
惜しいのは1番のキモの先生のPVなんだけど、繰り返しの演出だって、もぉ、ちょっと色々なシーンを見たかったなと思いました。自分の人生を歌にかける人達って素晴らしいですね。ポップすぎる絵で敬遠する人もいるかもしれませんが、よく出来た青春映画でした。
何かがきっかけとなって、人の心に残るモノがあります。この作品は、路上ライブで出会った男女の創作活動に向き合う姿が描かれます。
最初は観る予定していなかったのですが、モノ造りに関する
お話なのと、脚本の担当が「宇宙(そら)よりも遠い場所」
の人と知って興味がわき鑑賞することに。 ・_・シマシタ
音楽。そしてMV(ミュージックビデオ)。
音と映像の違いはあれど、モノを創り出す仕事です。
その創作の世界にハマった二人が主役のお話です。
#一人は朝屋彼方くん。高校生。MV作成に励んでいる。
#一人は織重夕さん。 音楽家。出会った翌日は英語教師。えっ?
ミュージックビデオ作成の魅力にどハマり真っ最中。
とにかく色々なものを題材にMVを創りたい男子高校生。 と
何年も音楽制作を続けてきたものの、自分の才能に限界を感
じて活動を止めることにした女性。
二人の出会いは、雨の夜。
町を歩いていた彼方の耳に聞こえてきたのは、女声の歌声。
雨の中、一人で路上ライブの演奏をしていた。
心を掴まれるものを感じ、思わずスマホで録画する麻屋彼方。
演奏終了後、演奏者の女性に思わず声をかけてしまうが
逃げられてしまう。 (” ナンパじゃないのに… ”)
次の日の学校。
新たにクラス副担任となった新任教師が教室に入ってきた。
副担任と英語の授業を担当するというその女性は誰あろう
昨夜の路上ライブの女性だった。
放課後に職員室を尋ねるが、帰ったと言われてしまう。
何としても、昨夜のこと(=演奏に感激したコト)を伝えたい。
どこにいけば会えるだろうか…
思い立って出かけた公園に、織重夕は居た。
昨晩のコトを説明し、あの曲でMVを創りたいとの想いを伝える。
だが、彼女は良い返事をしない。
というのも、昨日の路上ライブを最後に
彼女は音楽活動を止めるつもりだったからだ。
自分がどんなMVを創れるのかを観て欲しい とアピールする彼方。
説得の末、夕の曲でMVを創ることを認めて貰えた。
どんな映像を創ろうか。
歌詞から連想されるイメージをキーワードにしてみる。
ああでもない。こうならどうだ?
あれこれと、思い悩みながらも制作は進む。
ようやく感性したMVを彼女に送り、どうだったかを知りたくて
再び公園に向かう彼方。彼女はいた。
” 自信作が出来た。きっと彼女の心にも届いたハズ… ”
MVを観たかと聞くと、「見た」という。
安堵の表情を浮かべる彼方に織重夕が尋ねる。
” 彼方君は、私の曲を本当に聴いたの? ”
もちろんそうだと応える彼方に、織重夕が告げる。
” このMV 公開を認めることは出来ない ” と。
理由を訊いても応えてくれない。
果たして彼方は、閉じてしまった彼女の心を再び開くことが
出来るだろうか。
…
…と
こんな感じのお話でお話が進みます。
この作品、
創作活動のゴールに辿り着いた女性と
創作活動のスタート地点にいる少年との
創作活動にかける想いや情熱が交錯し、
作品に込めた気持ちがすれ違いながらも
ひとつの方向を向いていく。
そのひとコマを切り取って描いた作品です。
MV制作の過程が見られたのは新鮮な感動。
悪くはない。…のですが
もう少し、エンディングに至る展開に納得感が欲しかった
と言うのが正直なところです。
( ※ という気持ち、鑑賞後から時間が経つに連れて強くなってます)
◇あれこれ
■絵柄について
輪郭線の無い、淡い色彩の絵柄。
冒頭数分観た時点では、わたせせいぞうさんの絵柄が頭に
浮かんでおりました。
もっとも、キャラクターのデザインは全く似ていませんので
あくまでも色塗りについてのみの感想です。・_・
■石川県が舞台
…との事だったのですが、特に石川県を思わせる風景等は
見当たらなかった気がします。(見落として無ければ)
制作スタッフのどなたかが石川県出身とかなのでしょうか?
■入場者特典
ピックでした。ギターの弦を弾くヤツ。
最近の入場者特典、小型軽量化してますね。ハガキとか。
何の作品だったか忘れましたが、手ぶらで観に行った作品の
特典が” A4サイズのクリアフォルダ ” だった事があります。
嬉しいというより、持て余した記憶が… @-@
※「碁盤斬り」の特典は小判でした。 小判 …の写真・∇・
◇最後に
夕の、創作活動を止める決断は重かっただろうと想像します。
創作活動を再開する決断は、もっと重かったろうとも思います。
” また会いましょう。 次は創作の現場で ”
教職を止め、学校を立ち去る際の、夕の最後のセリフ。
一人の高校生に掛ける言葉としては、重すぎな気がします。
一人の高校生の行動をきっかけに職を辞す というのも同様。
彼方がこのセリフの重みを本当に受け止めきれるのだろうか と
心配でなりません。(老婆心以外の何者でもないです)
その辺りに現実感を加えるエピソードがもう一つ欲しかったかも
と、そんな気がしています。たとえば
「彼方クンが高校を卒業したら、私の101曲目にMV創ってくれる?」
こんな展開があっても良かったかも。 …はい、妄想です。・-・
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
解釈違いのエールを
正直、作画はビミョーです。
キャラはまだいいのですが、車やら岩やらの無機物が本当に無機質なんですよね…
話の起点となる野外での歌唱も、絵が歌に負けていた。
彼方の短絡的で猪突猛進な性格は、高校生の若さを鑑みてなんとか許容。
しかし、友人からの先約そっちのけ(並行はしてたけど)で作業するのはどうなのか。
などと色々思ってはいたが、慣れもあって後半に向けてよくなっていった。
手元の描写が多かったこともあり、ライブハウスでの演奏シーンは素晴らしいの一言。
どう見ても“勝ち確”演出からのMV全ボツは意外。
(ここ、演出も花江くんの早口長台詞も凄かった)
そして、完成版のMVは非常に熱量を感じるもので、内容はベタながら絵の力に惹き込まれた。
ただ、解釈違いを突きつけられてたハズが、萠美に「解釈が違うのもいい」と言われ再起するのは疑問。
最終的には意図を汲んだ上で更に背中を押す内容?
説明ないなら、そのへん考察しやすいように歌詞出してほしかった。(逆にライブシーンでは不要)
先生の即日退職も無責任の極みだが、今までダメだったのに覚悟決まり過ぎでは。
ご都合主義でも、MVが軽くバズるくらい入れるべきだったと思う。
外崎も萠美も面白くなりそうなキャラなのに、尺の関係で掘り下げがないのが勿体なかった。
とまぁ粗は少なくないけど、創り手の熱量を感じる作風は嫌いじゃないし、応援したい。
あ、ギブソンのセミアコ(?)を5,000円で買おうとした不届き者は後で職員室まで来るように。
それぞれの
モノづくりを始めて間もなくて燃えている少年と、やり切ったと思い込もうとして別の道を進もうとする女性。それぞれの思いや置かれた環境は全然違うから理解できなかった。けど、何とか最後には少年が女性に勇気を与えるエールが出せて良かったです。個人的感想では、最後のMVも少し違う気がしましたが。
創作者あるあるで心に響くシーンが多い!
イラストが非常に可愛くて惹かれて観ました。
3Dなんですが、2Dアニメ調らしくて映像が綺麗でした。
流れもテンポ良く、ストーリーのメリハリもかなり良いです。
内容も創作者が一度は感じた事があるなぁというシーンが多いと思います。
どこまでやっても他人に見てもらえない。
自分より上手い人が沢山いる。
辛辣な評価。
創作中で苦しいと思える時に観たので、より感動しました。
お友達の外崎君の前にも、いつか主人公の朝屋君みたいな人物が表れて欲しいです。
コアなファンの真心を踏み躙ってはいけない!
冒頭からポップなアニメキャラが活躍するゲームの仮想現実空間に迷いこんだんじゃないかという映像が彩り鮮やかに展開していく様は、最初正直違和感がありましたがだんだん慣れていきました。
空間のチリまで描写(他のアニメ作品でもあったなあ)する精細さと、興味のない標識などは記号化して文字崩すあたり、非常にデジタル的感覚化遠近法(名称適当!:笑)を駆使していて背景含めて癖の強い作画になっています。私は好きでないですが、今風で若い人には刺さるのですかね?
上記の映像の違和感はそんなに批判するまでもないのですが、ストーリー上ではそれを遥かに上回る「えっ?あんたこれ本気で言ってる?」というのがありまして・・・それが最後本作ではまるで当然の様にすんなりと「正当化」までされちゃったのでネタバレまでして、猛烈に抗議(笑)する次第です。
その信じられない発言、行為は以下です。
おそらく今、一番の熱烈な織重夕ファンである彼方くんが試行錯誤を繰り返し寝る暇も惜しんで彼女のために最初に作ったMVを「歌詞の意味が分かってない、私の気持ちに寄り添ってない」とダメ出しし、しかも公開を禁止したことです。
愚行以外のなにものでもない、と思いました。こっからストーリー上の違和感の方が映像のソレより悪い意味で目立つ様になりました。
彼方くんが自分の感覚頼りで表面だけ取り繕ってサラッと綺麗に作ったMVだったらまあ、そんな流れもアリかもしれません。だけど彼のMVの制作過程、歌詞のひとつひとつの意味を細やかに検証、拾って映像化、イメージ化してる部分を詳細に見せられてるわけですから、その拒絶理由に疑問符しか出てこないわけです。
感情的にも、コアなファン(下手したら最初のファン)が側に居て協力してくれるという意識が彼女には希薄、もしくは無くて、だから一番のファンの真心を踏み躙った感覚も無いんだろうな、と彼女に対して反感をもちました。
逆にコアなファンにさえ的確に伝わらない歌詞の意味、今まさに夢を捨てようとしている人しか共感できないピンポイントな表現?しか出来ないのは、作り手側の表現能力の低さを露呈しているのではなかろうか。
私も公開されている「未明」の歌詞を検証しましたが、場面が急に飛んだりして難解で彼女の意図する「夢を諦めて終わりにするイメージ」は全く想起できませんでした。
この初見殺し無理ゲーを、最終的に超絶技巧でクリアする彼方くんには脱帽なんですけど、出来たMVフルがこれまた正直、好きになれない描写のオンパレードでして・・・初稿の塔を登るやつ見せてって思わず心の中で叫んじゃぃした(笑)。
つらつら書きましたが今回、評価が厳しめになってしまったのは「ルックバック」という同じくクリエイターの苦悩、葛藤を描いたアニメ映画の大傑作を直前に鑑賞していたからだと思います。
その中では全く逆のストーリー展開「自分の近くに熱烈かつ最も偉大なファンが居たことに気づき、至高の幸福に満たされて奮起し過酷極まる創作活動を再開する話」でした。
比べたらどちらにも失礼になっちゃいますが、扱う題材は類似していても映像、ストーリー、演出、すべてにおいてレベルの差は歴然でしたね。
では。
根底の澱みを避けた上澄のような爽やか青春劇
ものづくりは楽しい。楽しいが故に没頭し、恋のように人を惑わせ、叶えば天国だが気づけば地獄。
今作では応援される側に共感の軸が置かれており、応援する側は芯はあるが未熟で寄り添う性格にデザインされている。
「夢」を為す思いは、ものづくりで食べていくこと、とは劇中で語られていないのに、「子どもにのみ配役を割り当てられた劇中」だからこそ無垢に漠然と、応援されたヒロインは音楽で食べることを夢見る世界線へ戻っていく。
ファンに対して「分かってない」と思わざる得ない気持ちも分かる。
じゃああなたは、原点の感動において「分かっていた」のか?
20分ぐらい重要なシーンをカットして、単発的な商業的成功に向けて調整した映画に見えてしまうのが残念。
この映画に感動した方々が、無垢に漠然と、迷い道を進むことにならないことを願うばかりです。
ちなみに冒頭を過ぎた後の映像表現やテンポなど、気持ちよく鑑賞できるシーンが多いのは良かったです。
最後の内輪ネタMVは賛否両論な気がしますが、ライブシーンを見応えがあり、本質から目を逸らせば気持ち良く観れる映画だと思います。
エールをもらった
初めて映画にレビューを書きます。
ストーリー自体はあらすじが全て、といった内容ですが、
10年以上趣味で創作をしてる私にとって、人生で1,2を争うほど響く作品でした。
劇中MVが本当に良かったので、全ての創作者に見てほしい。
オチが現実味に欠ける、という意見は私も感じたのですが、一緒に観に行った人に、
「『"モノづくりの世界で"会いましょう』だから、いきなりシンガーソングライターで再挑戦するんじゃなくて、音楽業界に転職して、チャンスを探すって解釈もできる」と言われ納得しました。教職だと趣味バンドもやりづらいですしね。
その辺り、補足があると納得感も高まったのかなと思いました。あと親友があのMVにどんな反応したかも知りたい。
ラストの尺が足りなかった感があるのが今一歩ですが、CG表現や、タイトルからブレないテーマを感じられました。エールをありがとう。
劇場アニオリではここ数年でも出色の出来!
今季、というか過去数年レベルで遡ってもポンポさん以来と言っていいくらい劇場オリアニでも抜群の出来、多分この半年はオススメは?と問われればこれを推す。
ハイコントラスト調の独特の絵柄で毛嫌いしてたら勿体ない(ポスターの絵柄が終始キープされる)。
クリエイター/モノ作りとは、作るモチベーションは?という映画そのものの存在価値を内包したテーマでどストレートに見てるひと(恐らく何かしら作ることに携わったヒト)にぶっ刺さるようになつている。
どれだけ魂を込めた作品でも売れない物は売れない、というジレンマと戦う理由は?この映画ではたった一人でいいから作品が誰かの心を動かせれば!と言い切るがそれがあくまで正解の一つでしかないことはクリエイターに少しでも関わった人には明らか。
MVを作る映画、だけに全体がいい意味で長い尺(68分だが濃密)のミュージック・ビデオをみているよう。
シーンそれぞれに表の意味とおそらく裏の意味があり、それを説明する伏線が計算高く散りばめられている。
車で自転車を追いかけるシーンはその最たる場面。
惜しむらくは花江さんのせいではないのだが真っ直ぐな性格の主人公の言動がどうしても炭治郎と被さってしまい活劇シーンが思い浮かんでしまう。
タイトルロゴが、作品の最初と最後に使い回す、初見と二回目で視聴者の読み取り方が変わってることを期待してるんだろうな。
恋愛要素含め、余計な描写を削ぎ落としているところも好感。
多分たまたまだろうが、教室の俯瞰映像が「古見さんは、コミュ症です」の二期エンディング映像FantasticYouthにそっくりで脳内再生された。
違和感がある
MVを作るのが好きな主人公が、ストリートで聴いた曲に感動して、そしたら歌ってたのが新しく来た英語の先生でって話なのね。
主人公も先生も「自分の創ったもので誰かの心を動かしたい」が創作の動機なの。
だから先生はね「私の創った曲で主人公が心を動かしてくれた」で大満足のはずなんだけど、どうも、そうではないのね。
主人公も軽音部のMV頼まれてて創るんだよね。それを観た軽音部の子は感動して泣いたりするんだけど「僕の創ったもので、こんなに心を動かしてくれた」って喜ぶんじゃなくて「そうだ、先生のMVは」みたいになって駆け出してくんだよね。
おかしくない。
主人公と先生のモチベーションは「誰かの心を動かしたい」だけではなく、「不特定多数の人の心を動かして認められたい」「自分の創作物で生活していけるようになりたい」なんだよね。
真剣に創ったら誰かの心は動く。それだけで済まないから創作の難しさがあるのでは。
ラスト、先生は先生を辞めて創作の世界に戻るの。それで『次はモノづくりの世界で会いましょ』になるんだけど、先生、そこ目指してやってきて駄目だったから先生になったんだよね。戻ったからって大丈夫なの。どこかの塾で主人公と再開して「創作がんばってみたけど駄目だったのよ」と言いそうだね。
初期衝動で突っ走れたら簡単だよね。そうじゃないから難しいんだよ。そこを避けて何を語るのかと思ったね。
諦めなければ夢はかなう?
夢を諦めた人を、応援(本人も気付いていない魅力を提示)して再起させる、ある意味良くある話。
周りの明かりで見えない星、でも光っている。そんな感じで、話は解るし感動的でもある。
とはいえ、誰でも成功できないのも事実、才能の差はやはりある。
(無責任な)応援が本当に人のためなのか、ちょっと考えてしまった。
ストーリーとは関係ないが、CGによるライブ表現は良い。
全力少年のポジティブ劇場
最初は、この時代にこの映像で映画化かぁとか思ってたけど、最後まで見終わるとこれでも良かった感はある。
あとは、何よりストーリーと歌が良い。すごい良い。
夢や目標に向け、ポジティブに全力で向かっていく主人公と夢や目標に向け走り続けた結果、挫折し諦めた友達や先生との絡み合うストーリー的な?
自分の目標に全力な主人公が、自分の価値観が崩され落ち込むがそれでもいいと後押しされ、自分の今できることをひたすらに走り続ける。それに影響された先生もまた、ものづくりの世界へと戻っていく、、、!
引き込まれるストーリーで、共感が得られるところも多くとても綺麗なストーリー。ただ、もうちょい映像が違うといいなぁとかアニメでもいいなとかは思った。
ただ、ほんとに引き込まれメッセージ性もあるストーリーに心に響く音楽、最後のPV(心にグッときてウルっとしてしまった)と完成度は高い映画。非難もしたけれど映画館で見れてよかった!
CYAN
かなり期待していた1本。
MV制作にのめり込む少年と、夢を諦めた教師が偶然出会って生まれるクリエイターの悩みや葛藤をぶつけまくる花田先生脚本の色全開の勢い十分な作品で、上映時間も相まってその加速っぷりは凄まじく、全身ゾクゾクしながら観ていました。特典は後日譚の漫画です。
雨の中で弾き語る大人の女性の歌に惹かれた朝屋彼方が、赴任してきた織重夕の歌のMVを作りたいという衝動的なものから始まるこの作品は、今までには観たこと感じたことのないものが随時あって、映像表現も声優さんの表現もどのシーンも儚さと強さがそこにあって、そういうものを好んで観ているので、ターゲットど真ん中だったんだなと思いました。
自分自身もスマホではありますが、MV制作をやっていて、今でも時間があればMAD動画を作ったりするくらいには映像作りは好きなんですが、今作の彼方の機材を揃えてからは多くの作品を作り上げていき、想像の世界をあの手この手で育てていく様子がこれまた面白く、塔の高さの表現だったり澄んだ空の色だったりと、こだわりが多く詰め込まれていて、制作の段階でとても引き込まれました。
夢から一歩退くという決断の難しさを夕と友達の外崎の行動からビシバシ伝わってきて、賞を取ったから才能がある、誰かに響くと思って作っている、という違った角度からの苦しみには共感するポイントが多くて、観ていて胸が苦しくなる場面も多々ありました。
夕の思いを汲み取って、自分が何を作りたいのかの限界を突破して彼方が作った「未明」のMVは、希望よりも絶望が多く描かれていて、夢を諦めていく周りの人と諦めきれずにいる自分の対比、そこからの殻を被る様子と、5分はない音楽と映像の中にクリエイター讃歌と取れるものをギュッと詰め込んでいて感情が爆発しそうになりました。凄すぎた…。
ラストシーン、いやーこれまた良かった。
夢を諦めたはずの夕が学校を辞めて、再び音楽の道へとカムバックし、クリエイターとしての再会を彼方と誓うシーン。
んんー好きすぎるー!ってなりました。中編アニメーションとは思えない破壊力をこれでもかってくらい食らって、花田先生脚本の切れ味が炸裂していました。
映画自体のCGもソフトウェアで作られているらしく、普段見るCGアニメとはまた違うタッチで描かれており、色合いやキャラの造形もとても好みでしたし、今後の作品が楽しみになりました。
楽曲も素晴らしく、今作のMVの曲として流れる「未明」は菅原圭さんの力強い声とサウンドも相まって思わず拳を掲げたくなるくらいには興奮しました。
全力投球の青春、真っ直ぐすぎる彼方に強く感情移入して、より強く行動したくなる作品でした。
自分もクリエイターになりたい、止まっちゃダメだなと再確認させられました。
アニメって素晴らしい。
鑑賞日 6/14
鑑賞時間 9:00〜10:20
座席 O-12
3Dアニメが苦手な人は予告見てから行ったほうがいいかも
どうしても3DのVチューバー?のような味気ない動きの違和感が拭えず、これは純粋に私があんまり見慣れてないからということも大きいのだろうか。
でも、カナタのMVのコメントで「CGキモっ」という文言が書き込まれてる描写をみて、これを作った人達はそういう人がいてもこの表現で足掻きたいんだろうなという覚悟を感じて、少しドキッとした。
ストーリーはまっすぐ過ぎて、眩しすぎて、良くも悪くも青臭くて私には刺さらなかった。
しかし、色味はすごく綺麗。雨のなか夜の街灯りが雫にキラキラ七色に反射しながら、傘につたっていく描写が印象的だった。切りとれば爽やかオシャレなポスターになりそうな情景が続く。主線のないキャラクターや背景が動く様子はとても新鮮で面白かった。
主題歌目当てでキービジュアルしか見ずに行ったけど、観に行ってよかったと思う。
少しでもモノづくりしたことがある人の背中を無差別に押す映画
登場人物が作品を作り上げていく、その姿に自分ををめちゃくちゃ重ねて、めちゃくちゃ共感して、めちゃくちゃ泣きまくった映画でした。
巷に溢れる露骨な感動映画では涙腺がカラッカラの私ですが、この映画では制御も効かず、前半10分ぐらいですでにうるっときてしまいました…
【以下ネタバレ注意】
映画の中で、主人公の朝屋彼方は彼自身の作ったMVを、その曲を作った織重夕に否定されてしまいます。
「あなたは何もわかっていない、この曲は作ることをやめる自分に向けての曲だから。そんな明るい作品を乗せないで、汚さないで」と
映画を見ていたわたしはこの時点で少し不安が走ります。
「「私、作品を否定された経験、作ることを挫折した経験がほとんどない」」
ここまで順調に登場人物に自分を重ねれてきた私に、「この映画を心から楽しめないんじゃないか、浅い浅い共感しかできずに終わってしまうんじゃないか、自分の挫折の経験が浅すぎるがために、この作品を心から楽しめないんじゃないか」という不安が襲ってきたのです。
でも、そんな心配は必要ありませんでした。
不安がる私をよそに、主人公は挫折の気持ちを理解できないでいます。作品を否定されたり、挫折したことがない朝屋彼方はまさに自分とおんなじ。
そこからの主人公の展開には言うまでもなく共感の嵐でした。
映画を見終わって、最近モノを作れていない自分に気付けました。
そして、モノを作る楽しさ、達成感、そして鼓動の高鳴り…そんなモノづくりの楽しさをありありと擬似体験させてくれる、そんな映画でした。
幸せな1時間でした。
ありがとうございました。
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