顔を捨てた男のレビュー・感想・評価
全80件中、61~80件目を表示
男が捨てたものは「顔」だけじゃない
これは凄い!
目先の「美醜」に囚われて嫌悪感を抱く人もいるでしょうが、観ないで終わらせてしまうのは勿体無いです。
「顔」だけではなく「過去」そのものまで捨ててしまい、「人生」までも死に追いやってしまう主人公。
自分が捨てた顔と同じく「歪んだ顔をした男」オズワルドの登場で主人公は自分の人生を奪われたと思い始めます。
ですが、原題が指し示す通り、オズワルドは「A Different Man(違う男)」。
凡そ自分では決断する事も、選ぶ事もない「これからの人生」を語るオズワルドを前にして、漸く違う事に気付いた主人公が見せるラストの表情がなんとも言えませんでした。
LGBTが産んだ現代の寓話
他人が声を上げて怯える様な容姿でもお金持ちで前向きな陽キャなら普通のイケメンは太刀打ちできない、と言う少し極端でとても現実的とは思えない設定。
また、こういう場合の相手役は純粋で男性の中身や本質を見ることが出来る、例えるなら犬神家の一族の珠代さんの様な心が美しく賢い女性になるのだが、本作は奔放で向上心の塊の様な女性と言うところがポイント。
このとんでも女性のイングリッドと悪気はないが知らぬ間にガイを傷つけていく社交性オバケみたいなオズワルドが後半になってガイを怒涛の様に追込む流れは見どころで、高級日本料理店での注文シーンのトドメにはもはや笑うしかなかった。
正直言って、長い事自分を悩ましていた顔がイケメンに変わったにもかかわらず、あの役は自分しかできないというしょーもない考えに固執するガイにはとても共感ができず、新しい人生を歩めばいいのになあと思いながら終始観ていた。
オズワルド役の方は実際にあの様な容姿の役者さんだそうで、さらに彼以外にも何人か出演されており、英米のエンタメへの理解度や許容範囲の広さを改めて感じた。
25-088
オズワルドへの嫉妬
顔に特異な特徴を持ちながら俳優を目指すエドワードは、アパートの隣に引っ越してきた劇作家を目指すイングリッドにひかれながらも、自分の気持ちを伝えられずにいた。ある日、彼は外見を劇的に変える画期的な治療を受け、手術せず蛇や昆虫の脱皮の様にして新しい顔を手に入れた。過去の自分を死んだ事にして、別人として新たに就職し、営業成績を上げ、順風満帆な人生を歩みだした。しかし、かつての自分の顔にそっくりな男オズワルドが現れ、明るく何でもチャレンジし、イングリッドにも好意を持たれた彼にエドワードの歯車が狂いはじめた。さてどうなる!という話。
中身のないイケメンより知識も金もあり、明るく面白いオズワルドにイングリッドが惹かれたのもわかる。そして、せっかくイケメンの顔を手に入れたのに、過去の自分を殺してしまったエドワードは何で?って思った。新しい治療を受けたってみんなに言えば良いのに、そうしてたらイングリッドともうまく行った気がする。
壊れたエドワードがリハビリ手伝ってくれてた男をナイフで刺したところが良くわからなかった。
狂ってたのかなぁ?誰でも良かった?
エドワード役のセバスチャン・スタンはなるほど素顔はイケメンだな、と思った。
イングリッド役のレナーテ・レインスベはスタイル抜群で美しかった。
人を見た目でなく、経済力と内面で判断しましょう
フリークと呼ばれる容貌から、イケメンに変われば人生も変わる。そこで、めでたしめでたしとならない寓話。
「見た目よりも内面だよね」なんて、綺麗事を信じるほど自分はウブではない。結婚ともなれば、見た目・性格・経済力の総合点で勝負は決まる。
経済力が突出していて、ユーモアに溢れるオズワルドが高い総合点になるという理屈は成り立つが、自分の感覚では、見た目のマイナス点が大きすぎて無理がある。
新たな人生で調子に乗って転落するストーリーだと、既視感がありありの物語になってしまう。そこで、過去の自分と同じ容貌をしていながら、人生を謳歌しているオズワルドを登場させることを考えついたと思う。
若さを取り戻した『サブスタンス』とは異なり、見栄えの良さを獲得したエドワード。こちらの話は、どうも説教されているようで、居心地が悪い。
消化不良って感じ
成田悠輔
リンチの「エレファント・マン」は外見醜悪な主人公が誇りを取り戻す話で、本作監督も多少は意識してるのかもしれないが、内容は正反対で、ハンディ解消で人生大逆転の筈が同じハンディ背負った奴に出し抜かれるという苦々しい展開。
「美人(イケメン)は飽きるがブス(醜男)は慣れる」のだそうで、劇中その通りになるのだが、劣等感を克服するためにその元を消すかそれを踏み台にするかの選択を迫られるような人物は、それをモノともしない才人に勝てない、という身も蓋も無い話にも見える。
醜さに対する恐怖は自己保存本能に根ざしたいわば反射みたいなものだと作中語られるが、醜顔ゆえの劣等感を持ち、天井の穴(←醜悪だ)に腹を立てるエドワードがイケメン変身後もマグカップの虫に対する嫌悪感から自由になれない様は、底無しの負のスパイラルに落ちていくようで恐ろしい。
作品内容とは関係ないが、本編始まったら扇子パタパタやめれ。
ケネス・ブラナーは?
腫瘍が顔を多い肥大していく病気を持つ男が、新薬により腫瘍が無くなり新たな人生を歩む話。
教材映像の俳優をしていた主人公の隣室に、作家志望の女性が引っ越してきて、顔のことを気にせず接してくる隣人に好意を抱く中、主治医から新薬の話しを持ちかけられて…という流れだけれど、そんなに効いちゃうの!?
訪ねてきた主治医へのリアクションとか、なんで?と思ったけれど、その後のストーキングからのオーディションと、昔の自分と同じ顔の男とのやりとりをみるに、これは不条理じゃなくて、なるべくしてという感じ。
ヤケになってからの展開は最早クソ野郎だし、大ケガからの展開はやり過ぎで最早コメディだし、ラストはちょっとボヤけてた感じだしで、つまらなくはなかったけれど物足りなかった。
心の在り方ひとつで。
美醜や劣等感を扱った良作ブラックコメディだがすごく嫌い!
「顔を捨てた男」HTC有楽町で鑑賞。セバスチャン・スタンの主演による不条理スリラーというより寧ろ、美醜や劣等感を扱った現代の寓話であり胸糞ブラックコメディだった。
原題の“A Different Man”はDavid Lynch監督の名作「エレファント・マン」に寄せたと思われる。
全編16mmフィルムでの撮影、4:3比の狭い画角はどことなく窮屈な印象もある。
主人公が新薬を使い、手術を経て劇的にルックスが良くなり、波乱の人生を送る姿、憐れさは「サブスタンス」のようでもあるが、本作の後味は非常に苦い…。
ドストエフスキーの「分身」を彷彿させるストーリーや「美女と野獣」「オペラ座の怪人」等々、美醜&ルッキズムに対する作品を次々と連想させられる。言ってしまえば傑作「サブスタンス」の一歩先を行った胸糞作品であり、映画としてよく出来てるがもう二度と観たくない(←褒めてます)
セバスチャン・スタン演じる、顔に特異な特徴を持つエドワードの醜さ故に世間から差別され、劣等感に苛まれ悩む姿には同情してしまう。
一方で、アパートの隣の部屋に引っ越してくる劇作家を目指すイングリッド(レテーナ・レインスベ)の分け隔てなく接してくる優しさは好感だが、
小劇場のプロデューサーとして出世してから、エドワードを利用・搾取する姿は嫌悪感しかない。
加えて、オーディションに突然現れる、顔に特異な特徴を持つ男オズワルドの振舞い、言動には苛つくが、あの醜い容貌で他人を魅了する不思議な魅力がある。劣等感一杯のエドワードと比べ、前向きで饒舌で、演技が上手くてヒトタラシなキャラクター描写は巧みだが故の憎たらしさがある。簡単に言えばこの2人が嫌い😠でも、日常生活の中こんなズルい人、知ってる知ってる🤢
ラスト、日本レストランでの再会&食事シーンは短くも印象に残るシーケンスだった。年老いたセバスチャン・スタンのあの愛想笑いのカットは、力の無い弱き者が、狡賢い人間たちに搾取・利用された果ての姿。哀しくて哀しくてやりきれない気持ちになった。
★見た目が変化すれば周囲の視線も環境も一変して物事が上手く進んで行く一方で、自分と同じように醜い容姿なのに自分とは真逆のように生きるオズワルド。エドワードも彼のように生きれなかったのだろうか?人間の生き方は外見だけでなく元々の性格が大きく影響するもの。人生は難しい…
(備忘録)
・そう言えば、セバスチャン・スタンは「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」でも不動産屋だし、おまけに改造手術するのも同じ(笑)
・レテーナ・レインスベさんは「わたしは最悪。」での演技とは異なり、分け隔てなく優しくて、顔面フェチで、オーディションでイケメンのセバスタを発見したら直ぐにモノにしたり、自分のやりたい放題。嫌悪感しかない(←褒めてます)
・オズワルド役のアダム・ピアソンは、神経線維腫症1型(NF1)という遺伝性の病気を患っている英国俳優で、実生活でもあの御顔との事。凄い!
★劣等感に苛まれた男性と近寄ってくる優しき女ともう1人の魅力的な男性という3人の座組は、98年、X JAPAN ToshIの洗脳騒動の構図に偶然にも似ている事に気がついた。破滅に追い込まれた男性は全てを失い、愛する女性まで奪われてしまう哀しさを思い出した。
色々と惜しい
またA24がニヤニヤ笑いかけてくる
好演を引き出すような演出なのでしょう
粗く何となく視野が狭い印象の映像がめっちゃ気になりましたが、それが見事なパフォーマンスを引き出していたような印象の作品でした。
とはいえ、決して楽しい内容ではないし、展開も唐突感や違和感は物凄いです。しかし、その突如とした出来事も何となく納得できる作りでしたし、言わんとしていることがかなり明確だったような気がしたので、かなり引き込まれた気がします。
個人的に、この作品の予告を見て、かなり安部公房の「他人の顔」を連想して多分引きずりながら見るんだろうなぁと思ったのですけど、あの難解な話と比べるとかなり分かりやすかったためか、外部の雑音とか気にならないくらい見入りました。
最後の最後まで落とし込むような徹底した内容でしたが、分かりやすかったぶん、それがかえって表面的な要素と内容が見事なくらいとけ合ったような作品だったなぁという印象です。なんか言っててよく分かんないんですけど、そんな感じの作品です。
良いか悪いか
変わった素材を変わった味付けで。
自分を愛してこそ輝く自分!
自分の中での一番の外見コンプレックスを魔法のように変えられたら、人は幸せになるのか。
死ぬほど辛い思いをして外見も中身も変わったはずだった。なのに昔の自分と見た目はそっくりなのに、キラキラに輝いて皆の人気者なオズワルドに嫉妬が止まらないエドワード。
なんかね。私にはいかに自分を愛して自信を持つか、という話にみえたわ。
自分が愛せない自分を誰が愛してくれるのか、ってこと!
整形は努力と言う人がいるけど、これを観たらそうかもしれん。。とちょっと思ったわ。痛くて苦しいと引き換えに自分にとっての美しいを手に入れるのね。
自分に極端に自信がないと、他人に対してノーが言い辛くとにかく他人に対してナイスな対応をすることで自分を守ろうとしてしまう。
その自信のなさが他人からヘルプももらうけど、同時に蔑まれる原因も生む。
難しいねぇ。
人間は、、というか、生き物である以上どうしても相手を上にも下にも見てしまうものね。
彼としては、自信のなさと問題は顔の病気からくる造形の問題だと思っていたので、そこに逆に内面の輝きが外見のそれとはまるで違って光り輝いてる対極にある人が現れたら、そりゃ自分の中での価値観がぐらぐらしておかしくなるよな。
色々自分の中の価値観もぐらぐらしながら、いやでも本当、自分のことをどれだけ愛せるかで人生の幸せ度はまるっきり違うよなぁ、うんうん、と思いながら観ました。
面白かった!!
外見かアイデンティティか
《試写会にて鑑賞》
16㎜フィルムが映し出す映像と
A24×セバスチャン・スタンが最高。
外見と内面を掘り下げている作品で
共感と感情移入の連続でした。
新しい顔を手にし、これから明るい未来が!
…からの転落人生。
理想と現実が反転していく不条理劇に
思わず声が出そうになりました。
自信と自己愛は、なによりも最強の武器
だということに気付かされます。
終盤、エドワードの感情が爆発するシーンと
陰と陽の差に痛く刺さりました。
まるで自分の内部を見ている感覚に…。
個人的に主人公のエドワードに共感しまくりでしたが
これは内向的な人と外交的な人で意見が分かれそう。
オズワルドの前向きな考え方は
素晴らしいし、尊敬の域。
ですが!
ズカズカとパーソナルスペースに
入り込んでくるところはちょっと拒絶反応がでました。
陽気なキャラだけどブラックなところも見え隠れ。
ルッキズムをテーマに
『サブスタンス』とはまた違った観点があり
心に残る作品となりました。
こんなにも刺さる映画は久しぶり。
本日はありがとうございました。
奥底にあるルッキズムを暴かれる
顔が変形した男エドワードが、新たな人生を歩もうと過激な治療で新しい顔を手に入れるも、かつての自分にそっくりな男オズワルドが現われ…
顔にコンプレックスを抱える男が整形でイケメンになるというお話といえば、ミッキー・ロークの『ジョニー・ハンサム』が思い出深い。でもこちらはかつての自分とソックリな男が登場し、それもドッペルゲンガーや妄想でなく実在の人物として現れるというのがミソ。監督のアーロン・シンバーグ自身が両唇⼝蓋裂の矯正治療を受けた経験に基づいているとの事だが、観る者に誰しもが奥底に持っているであろうルッキズムを突きつけ、「多様性が叫ばれる昨今だけど、はたして本当にそうなのか?」と問いかけられた気分になる。
とにかくオズワルド役のアダム・ピアソンが本作全てを持っていってしまっている。エドワードを演じたセバスチャン・スタンがゴールデングローブ賞を獲得したけど、ここはアダムが受賞すべきだったのでは(セバスチャンの演技自体に文句はないけど)。アダムは『エレファント・マン』の再映画化に主演が決まっているが、これは期待せずにはいられない。ちなみに、本作の原題『A Different Man』は『The Elephant Man(エレファント・マン)』のもじり。
終盤で登場する某俳優が本人役でカメオ出演しているが、いかにもなキャスティングで笑ってしまった。
全80件中、61~80件目を表示

















