劇場公開日 2025年6月13日

「「沸騰」のような快作を期待して出かけたが。」ラ・コシーナ 厨房 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5「沸騰」のような快作を期待して出かけたが。

2025年6月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

時代背景がはっきりしなかった。1959年英国で初演された戯曲が元のようだが、ニューヨークに舞台を移していた。PCはあり、携帯・スマホはなく、会話にはベトナム戦争のことが出てくる。あいまいさを補うためにモノクロ(一部カラーフィルター)が採用されたのだろう。

つかみはよかった。メキシコ系の小柄の若い女性、エステラがアポなしに、マンハッタンのタイムズ・スクエアにあるレストラン「ザ・グリル」に押しかける。レストランの料理人の一人、メキシコ移民のペドロを知っていたこともあり、無事、調理助手として採用される。ただ、この話の主人公は、ペドロとその恋人、白人アメリカ女性のジュリアだった。

時分時になると、観光客の「お上りさん」や、家族連れでごった返す、このレストランでは、グループ客たちは高級食材の(劇中では揶揄される)オマール海老、チキン、ピザ、サンドイッチ、サラダに、アイスクリーム、飲み物などを、思い思いに頼む。接客するのは、伝統のコスチュームに身を包んだアメリカ人のウェイトレスたち、ジュリアのような白人も多い。厨房では、オーダーの種類別に、移民しかもラテンアメリカからの不法移民が調理を担当していた。これだとウェイトレスたちと厨房のメンバーが、上手くいくはずがない。移民たちの楽しみは昼休みに建物の裏通りに出て、自分たちの思いや夢を語り合うこと。そのときペドロは、自分の言葉で夢を語ることはなく、それを行動で示す筋書きか。

昔の日本のデパートの食堂のような膨大な仕事をこなす調理場で一番大切なことは食材の発注と管理で、それはトップ・シェフの仕事のはず。ところが、それが全く出てこなかった。結局のところ、ペドロが本当に何をしたかったのか、ペドロとジュリアは、何をしたのか、お金の出所を含めてはっきりしなかったことが、1番の問題。

一番良かったのは、ウェイトレスたちが受け取った注文を調理場に伝えるのに、1台の小さな印刷機能の付いた機器が使われていたこと、形状から見て日本製かなと思った。これが調理場で一番最後まで、健気に働いていた、緑色の光線を発しながら。そうなのだ。この調理場に、一人でも、言葉はできないが、陰日向なく働き抜く、東洋系の人間がいたらな。撮影場所がメキシコでは、無理な注文だったのだろう。いくら不法移民たちの爆発的な熱狂がうずまいていたとしても、「沸騰」や「花椒の味」を見た時のような、魂が解放されるカタルシス得ることはできなかった。残念!

詠み人知らず
ノーキッキングさんのコメント
2025年6月25日

民度の違い⁉ たしかに残念でしたね。

ノーキッキング