劇場公開日 2025年6月13日

「リスペクトの欠如と、詰めの甘さ」ラ・コシーナ 厨房 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0リスペクトの欠如と、詰めの甘さ

2025年6月19日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

ルーニー・マーラが割と好きな女優なので楽しみにして観たが、彼女が演じたウェイトレスのジュリアは残念ながら魅力的なキャラクターとは言い難い。20世紀半ばに英国で書かれた戯曲を翻案した映画化というのは鑑賞前に知っていたので、時代設定はいつごろに変えたのか、モノクロ映像は時代感をあいまいにする意図からか、などと考えながら観ていた。オフィスにあるデスクトップPCのモニターがブラウン管なのと、携帯電話が使われる描写がない(何人かは公衆電話で家族に連絡する)ことから、1980年代後半か90年代前半頃だろうかと思ったり。

だが、小型プリンタが印刷する注文のレシートが大写しになったとき、日付が2022/05/02になっていて、えっ!と驚く。もしも今から30年か40年も前の話なら、厨房でくわえ煙草のスタッフがいて、髪の混入を防ぐ帽子やバンダナ等を着用している者もわずか、マスク着用は皆無なのに食材や皿の前で大声で叫びまくりというのも、まああったかもしれない。でも、いくら多数の移民を不法就労させているブラックな職場だとはいえ、2020年代の食品衛生や公衆衛生の常識にてらして、このキッチンの働きぶりはひどすぎないか。これだけ大勢のスタッフがいるのだから、料理を作って客に提供する仕事に誇りを持っていたり喜びを感じているキャラクターを1人か2人でも描いたらまだよかったのに。料理人という職業、そして調理する行為へのリスペクトや愛情が、映画の作り手に欠けている気がして残念に思う。

なお、劇中にこの日が金曜という台詞がある(それゆえ観光客相手の店のランチタイムは激混みで注文が殺到する)が、鑑賞後2022年5月2日の曜日を調べたら月曜だった。ここにも詰めの甘さが出ている。別にレシートを大写しにしなければ、時代をあいまいなままにできたのに。2020年代の話なら、ジュリアが妊娠を自覚しているのに煙草を吸いまくっているのもどうかと思う。どうせ中絶するつもりだから胎児への影響なんて気にしないのだとしたら、それはそれでキャラクターに一層共感しづらい。

格差社会の底辺で働く移民たち(とくに不法就労者)の劣悪な労働環境を風刺することを優先したのはわかる。ただ、以前に邦画の「FUNNY BUNNY」のレビューでも書いたことだが、舞台劇を映像化する場合、舞台で成立していた抽象や誇張を、実写の具体やリアルさにうまく調整しないと、嘘くさい話になったり、共感しづらいキャラクターだらけになったりする。舞台劇と劇映画のリアリティラインの違いから生まれる違和感とも言える。

ホールスタッフたちがトレイに料理を載せて厨房から次々に客席へ向かう動きをダンスのコレオグラフィのようにとらえた長回し撮影など、印象的なシーンもあっただけに、もったいないと感じた。

高森 郁哉
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