ビニールハウス : 映画評論・批評
2024年3月12日更新
2024年3月15日よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、 ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほかにてロードショー
行間の話法で描かれる、隔絶された人々の声なき叫び。
この映画の鍵となる人物は5人、傍らには4人の重要人物がいる。周辺の人々を加えて出演者は約20人という、低予算で作られたインディペンデント作品である。台詞は少なく、説明を省いた映像に劇伴も最小限に抑えられ、本編の端々にまで監督の目が行き届く。特筆すべきは、ひとつひとつの細やかなエピソードの行間に想像の余白が残されていることだ。
行間の話法とでも呼べば良いのか。主人公が動く時間の流れに沿って映画は語られる。少年院にいる息子との面会で幕を開けると、認知症の妻を持て余す盲目の主の家、自傷行為を防ぐために開かれている無料のセミナー会場、彼女が暮らすビニールハウス。この三つの場所を軸として、いくつかの場面がインサートされていく構成だ。
世の中につき放たれたかのように孤独に暮らす訪問看護師ムンジョンを寡黙に演じたキム・ソヒョンは、韓国の主要な映画賞で《主演女優賞》を総ナメする6冠に輝いた。入院中の母をウォン・ミウォン、彼女の唯一の仕事場の主人、盲目の元大学教授テガンにはヤン・ジェソン、認知症の妻フォアクをシン・ヨンスク。セミナーで知りあうスンナムに扮した若き女優、アン・ソヨが醸しだす心穏やかではない所作と言動がざわつかせる。核となるこの5人と彼らの周辺にいる人物たちとの日常が綴られていく。
自らの脚本でメガホンを握り、編集までこなしたのは29歳の監督イ・ソルヒ。新人とは思えぬその手腕が高評価される注目の演出家だ。場面転換の“間”が生み出す効果について彼女は、「編集に特に方針は設けなかったが、場面を突然終わらせる事で生まれる“間”によって、次の場面を想像して完成させる準備ができていない観客の心に強烈な印象が残せたとすれば、監督としてなすべき仕事ができたのではないか」と、謙虚な言葉を述べている。
ビニールハウスで暮らす女の日常の先に、認知症や高齢化に伴う介護、経済格差、隔絶された現代人の孤独と自傷願望など、韓国だけに留まらない世界が抱えるテーマを呈示し、それでも自分でなんとかするしかない現実の不条理を浮かび上がらせる。だが監督は至ってニュートラルだ。「誰もが登場人物たちを社会に追いやられた存在だと思うのかも知れない。彼らは私にとって身近な存在で、私の生活とかけ離れてはいない」と言う。
行間を敢えて語らず、むしろ省く。その“間”に交わされたはずの会話や行為を想像し、観客は自分だけの物語を紡いでいく。見せないことによって想像力をかき立てる。抑制が効いた無駄のない描写と、行間を効かせた編集力が生み出す省略の技が、その後を喚起させる100分間。ラストシーンに続く更なる物語は、観る者の心の中にだけ湧き上がる。
(髙橋直樹)