「望外の傑作!「作画演出による心理描写」に全てを懸けるスタッフの心意気に胸が震える。」劇場版「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
望外の傑作!「作画演出による心理描写」に全てを懸けるスタッフの心意気に胸が震える。
本当はあまり観るつもりがなかったのだが、20時からの映画に間に合わず、せっかくの水曜サービスデーなので何か観て帰ろうと、ウマ娘を選んだ次第。
率直にいって、想像以上の完成度でびっくり。
すげえ面白かった!!
テレビシリーズは1~3期とも視聴済み。アニメとしてはいずれも良い出来だったと思う(とくに一期)。
ただし競馬には1ミクロンも関心なし(調布に15年住んでいるのに府中競馬場にも行ったことがない)。ゲームもやったことがない。馬の名前も活躍した時代もまったくわからない。
要するに、美少女スポコンアニメとしては愉しんで観ているが、正史がどうだったかとか、各キャラへの思い入れとかはまったく無い、筋金入りの「ニワカ」のしがない感想です。
何が良かったかというと、とにかく「作画」と「演出」で全てを表現したいという姿勢が、全編を通じて貫かれていたこと。これに尽きる。
意地でも、台詞では説明しない。
心の声でああだこうだとしゃべらせない。
込み入ったストーリーやキャラ立てを用意しない。
ただ、ヒロインの姿を映す。動かす。それだけ。
そこに込められた視覚情報だけで、
心理描写を丹念に彫り込んでゆく。
監督には、「演出」で全てを語らせようとする覚悟がある。
表情の細やかな変化、瞳孔の開け閉め。
しぐさ(とくに指)、足の震え、口元のおののき。
立ち位置の演出、カメラアングルの演出。
横からか撮るか、前からか撮るか、後ろから撮るかで、場面の意味合いが劇的に変わる。
光と影、順光と逆光、空模様、ターフの重さ。
感情の変化と背景描写が常に密接にリンクしている。
そういった映画的なギミックと手管と情報を徹底的に練り込むことで、ヒロインのその時その時の感情を、「視覚的に」表現しようとする強固な意志が感じとれる。
おそらく、ジャングルポケット自身も、自分がどうして「ダービーに勝ったのに」いつしかダウナーな思考に絡めとられて、どんどんと追い詰められることになってしまったのかは、正直よくわかっていないはずだ。この精神的な不調は、言語化不能、論理化不能のあいまいな何かによって引き起こされているからだ。
結局、アグネスタキオンに直接対決で勝てなかった現実。
目の前でタキオンに仕掛けられたスパートによって、自分が気圧されて心が折れてしまったという自覚。自分が「負け犬(負けウマ)」になってしまったという屈服感。
勝ち逃げのように、自分には理解の出来ないロジックでタキオンが目の前から消えてしまった巨大な喪失感。
その後、人生で一度しか巡ってこないダービーでの勝利によってもたらされた、突き抜けた歓喜の感情と、しばらく続くふわふわとした昂揚感。トレーナーと先輩の期待に応えられた安堵と充足。そんな達成感のすきまに忍び寄って来る、曰く言い難い目標を見失ったような空虚な感覚。しだいに出過ぎたアドレナリンとドーパミンは、脳をめぐりめぐってダウナーな鬱感情を引き起こす。自分は結局タキオンには勝てていないではないか。どれだけ頑張っても、タキオンが残した戦慄の光芒を超克することはできないのではないか。次第に追い詰められていくなか、速く走る訓練よりも、自分に負荷をかけるようなウェイトとローラー牽きの特訓に明け暮れ、ひたすら身体を苛め抜くポッケ。それでも、マイナス思考の連鎖はとめどなく、調子はどんどん落ちてきて、レースでも勝てなくなってくる。
もがいても、もがいても、前に進めない、抑制のかかった重くて身動きのとれない感覚。
彼女を押しとどめ、リミッターをかけているのは、実は彼女自身の心に他ならない。
一流のアスリートたちは誰しも、常に「調子」と「メンタル」という、自分の意志だけではコントロール出来ない変動パラメータに振り回されている。
努力したからといって、すべてがうまくいくわけではないし、勝ったからといって、調子が持続するわけでもない。プロとアマが対決すれば九分九厘プロが勝つくらいの力量差はあるけれど、プロ対プロの戦いでは、常にそこの数パーセントの「調子」と「メンタル」で、勝ち負けが大きく左右される。
野球のピッチャーにしても、140キロの球をだいたい狙ったところに投げることは「毎回出来る」が、それ以上の細かなコントロールや球威は「その日に投げてみないとわからない」。そのくらいぎりぎりのところで戦っている。
ウマ娘も、「訓練」や「戦略」だけで勝敗が決まっているわけでない。
とにかく難しいのは、「勝った後のモチベーションの持続」と、「負けた時に身体に染みついた負け犬感覚の払拭」であり、勝てる状態にまでメンタルを持っていくそのイメージの醸成方法であり、メンタルの良い状態を身体の神経と筋肉に伝えて高い能力を発揮させるためのメカニズムの整備である。
今回のウマ娘は、そういったアスリートの繊細であいまいな心の揺れと、心と身体の関係性、直結して左右される調子の上がり下がりを、とにかく丹念に追いかけて、映像的に実体化させようとしている。そこの粘っこいアプローチが実に良い。
この方法論は、「見せ方」に違いはあるにせよ、京アニ出身者、とりわけ山田尚子監督の演出方針にとても近しいところがあって、個人的には大変好ましく感じる。
キャラクターの一挙手一投足、1ショット1ショットのアングル設定、各シーンごとのレイアウトに何らかの「意味」をもたせようとするコンテワークこそが、僕はアニメの醍醐味だと思うし、そのあたりをいろいろと考えながら観るのがたまらなく愉しい。
アニメは実写と違って「描き込まれているものは、すべてわざと描き込まれている」以上、惰性やお約束ではなく「意図」をもって本気で描き込めば、実は実写以上の「演出」を仕掛けることが可能だ。
二人の並ばせ方、動きのシンクロ度合い、目線の交錯ぶり。これだけの作画演出で、アニメは100の心情が描写できる。今回のウマ娘は、とにかく日常描写(特にポッケを曇らせる描写)において、アニメならではの表現方法を必死で模索しているのがしっかり伝わってきた。
だから僕にとっては、とても愉しいアニメ体験だった。
そういうわけだ。
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「ウマ娘」コンテンツの最初の「映画化」として、作画や演出の方面では本当によく頑張っていたと思う一方で、この手の「黒目部分が小さめで瞳孔が縦に開いている」タイプのアマゾネス系の外観&口調のヒロインを主役にもってきたのは、ずいぶんと冒険だった気もする(少なくとも通常のアニメやゲームだと、サブキャラにはいても主役を張ることは絶対にないタイプ)。
敵役のタキオンも、目がいっちゃってる完全な厨二キャラのサイコ系で、ぜんぜん可愛くないし。で、ふたりともいっちゃった顔で、妄言を吐いたり叫んだりし合ってて、ずっとガチャガチャやり合っているので、まあまあ絵柄が汚い(笑)。狂暴系クレイジーサイコ●ズ同人みたいな……。
萌えアニメのWヒロインとしては、かなりとっつきの悪いキャラだったのでは?
なんか、1期も2期も3期も特別編もやって、可愛い系きれい系はやり尽くしたからじゃあ今度はワイルド系でってことなのだろうが、一本のアニメ映画としては、どうもW主演させるにはクセが強すぎるコンビである気はしないでもない。
話の組み立てとしても、完全にジャングルポケットVs.アグネスタキオンという図式が全編にわたって徹底されているがゆえに、他のウマ娘が添え物のような扱いになっている感は否めない。
ダンツフレームは、異形の主演二人が毒気をまき散らすなかで、「オーソドックスなウマ娘」像を差しはさむ一服の清涼剤のような役割を果たしていて良いと思うが、マンハッタンカフェとテイエムオペラオーに関しては、若干扱いを持て余している感じがある。
結局、最も意識し合っているふたりは、前半で交錯するだけ。
後半のジャングルポケットはずっと、マンハッタンカフェと走った菊花賞も、オペラオーと走ったジャパンカップも、実際のところは「タキオンの幻影」と戦い続けている。
たった一度目にした「タキオンの光芒」だけを追いかけ続けている。
彼女が意識しているのは、ずっとタキオンだけなのだ。
そこはわかって観ているつもりではあるのだが、やはり「なんで最強を目指しているはずのジャングルポケットが、現役最強で最多記録を更新している最大の敵テイエムオペラオーに対して、超どうでもよさそうな塩対応なのだろう?」というのは、素朴な疑問として残ってしまう。
「刃を交えはしたがそのまま眼前から消えた幻のライバル」
「戦えないがゆえにどんどん肥大していくライバルの幻影」
「最大の敵は影におびえてセーブをかけてしまう自身の心」
というマニアックな設定のせいで、最初に見せ場が来たあとは、ずっと鬱々とした展開が続き、残る二度のレースでも他のライバルキャラが目立たない。
このへんは、痛し痒しといったところか。
あと、個人的に残念だったのがライブの演出。
全体にヒキのアングルで、あまり熱がこもっていない。
せっかくいくらでもグルグル視点は動かせるんだから、
もっとヨセで、アップで、ガンガン煽っていこうよ。
どうしても前例としてトウカイテイオーとナイスネイチャの神ライブがあるので、今回の醒めた演出は若干拍子抜けだった。
シリアスな内容に合わせて、途中にもライブは差しはさめず(あれだけギスギスさせると、戦ったあとのライブはたしかに入れづらい)、最後の最後だけ入れてはみたが演出は出来るだけ抑えたってことなんだろうけど……せっかくの映画版なのにライブにリソース全振りで盛り上げないでどうする??ってつい思っちゃうな。
とはいえ、総体で見ると充分に愉しめる素晴らしい映画でした。
改めてレビューコメントをいくつか遡って見ると、褒めるにせよ叩くにせよ、いつになく暑苦しい空気感で、そのくらい濃ゆいファンがしっかり付いているコンテンツなんだなあ、と(笑)。
叩くレビューにしても、それだけ「ウマ娘」に対して「理想」があって「期待」があることの裏返しなわけで、どこまでも真摯で、はらわたから声が出ていてほほえましい。
こんなにガチのファンがいるのなら、当分コンテンツは安泰なんだろうな。
以下、備忘録。
●フジキセキの勝負コスが変態紳士すぎる。
●緒方賢一はさすがにちょっと老け込んできたな……。
●タキオンがほとんどウソしかしゃべってないってのはミソだよね。
●パンフで監督が「ジャングルポケットは矢吹丈でタキオンは力石徹」みたいなこといってて笑う。ジャングルポケットのキャラ付けは江戸前で、下町のヤンキーらしい(笑)。
●ジャングルポケットがレース中やレース後に「吠える」のって、史実どおりなんだな。こういう正史の活かし方って、「ウマ娘」のコンテンツってホントうまい。
●タキオンとフジキセキの復帰エピは、個人的には別にやらなくてもよかったかなと。
●レース演出が期を重ねるごとに激しく過剰になってくのって、アニメーターの負けん気ってのもあるんだろうなあ。「誰だれの描いたアレには負けたくない」みたいな。
●作画スタッフに、昔懐かしい吉成鋼や恩田尚之の名前が。
●やっぱり、テレビやノーパソで観るのと違って、映画館の大スクリーン(しかもシネスコ。シネスコですよ!皆さん!!)で観るウマ娘は、迫力が違う。マジで全然違う。
横長の画面で、巨大なウマ娘たちがコンマ一秒を競い合う様は圧巻。
ぜひ皆様も映画館でお楽しみください。
返信ありがとうございます。
RTTTは、短いので2期には負けますが、密度は本作以上かと。
主題歌『Glorious Moment!』も最高です。
実写とアニメは似て非なるものとしてそれぞれ楽しんでます。
教養がないので、洋画や芸術系は苦手なんですけどね。(でも観る)
ポッケが囚われているのはタキオンではなく自分自身、って演出はよかったですよね。
個人的に『ウマ娘』は毎回違うことをやってると思ってます。
ライバル関係でも、憧れを伴う1期、時に反目しながら認め合う2期、幼馴染という立場での3期…
今回も今までと違う描き方をする意思を感じて、個人的には好きでした。