「袖もアイドルとしてのカルナイもなくなった」劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ TABOO NIGHT XXXX れいさんの映画レビュー(感想・評価)
袖もアイドルとしてのカルナイもなくなった
2回見ました。
カルナイファン歴10年、ゲームもアニメも見ていて、2015年以降ライブと名のつくイベントには全て行っています。
全体の感想としては、”アイドル”のライブをみたい方にはおすすめできないです。
以下、本編のネタバレを含みます。
■よかったところ
曲、歌:ソロも強いが、やっぱり4人揃った時の無敵感がやっぱりいいなと思いました。
■気になったところ
①ライブにストーリーがあり、カルナイ4人が役を演じていること
→役を演じているということは、彼らはアイドルではなく”俳優としてライブを行っている”状況になってしまっている。(アンコール以外の全てで)
ライブではアイドルとしてのカルナイが見たかったため、残念でした。
また、役を演じていることで必然的にキャラクターの個性もなくなっています。カルナイとしてのMCもなく、ファンサや煽りもありません。新たな一面が見れることもありません。ステージにいるのは常に”何かの役を演じている”カルナイなので。
→ストーリーがあることで、その説明が入りテンポが悪くなる。
具体的には、M1前:怪盗の名前紹介/ソロ前:宝石
の前の持ち主の話〜の説明/デュエット曲前:みんなの愛が必要〜の説明/グループ曲前:マイクが生まれるところ
いちいち止まることで、流れを失い、いまいち盛り上がりに欠けるなと感じた。
②公式コーレスが矛盾している
ソロ曲では過去の宝石の持ち主を演じているのに、公式のコーレスはカルナイ個人の内容(名前、過去曲の歌詞など)となっていて矛盾しているなと感じました。特に、寿嶺二ソロのコーレスは曲に合っておらず、邪魔でしかない。なんでもコーレス付ければいいというものではない。
③(上記を犠牲にしてまで生まれたのが)個人の過去エピソードの盛り込み。
ライブってそのライブをみている人をパフォーマンスで楽しませるものではないのでしょうか。
その中には(過去のエピソードを知らない)最近カルナイを知って好きになってくれた方、何も知らないけど興味を持って見てくれた方もいると思います。一部の人が楽しめない(分からない)過去のことを盛り込むぐらいなら、”アイドル”QUARTET NIGHTのパフォーマンスを見たかったし、いろいろ説明している尺があるなら、一番大事なクライマックスのグループ曲をフルにしてほしかったです。
カルナイは「言葉はいらない、歌があればいい」とエボリューション・イヴで歌っていますが、本作は言葉どころか、ストーリーも役も付き、結果”アイドルとしてのカルナイ”及びキャラクターの個性も消え、肝心のグループ曲の尺は削られ、カルナイの強みはほぼなくなったなと感じました。
一ファンとしてとても残念です。
うたプリとしては劇場版3作目なので、新しい挑戦をしたいのはわかりますが、カルナイのファンにとっては最初(そして最後になるかもしれない)の単独ソロライブです。新しい挑戦がアイドルのライブに合っていて、カルナイがより魅力的になるものなのか、もう少し視野を広げて、引き算もしながら考えてほしかったなと思いました。
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