「何故、最初に殺さなかったのか」チェンソーマン レゼ篇 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
何故、最初に殺さなかったのか
正直、原作を知らないと厳しい映画だと思います。キャラの設定がどうなっているのか、目まぐるしくて初見では理解が追いつかないのではないでしょうか。泳ぎ回るサメ頭のビームとか、天使に触れると寿命が縮むって設定とか。私は予習済みだったので判らないのですが、キャラのぶっ飛んだ性格、複雑な世界観を、知らない人がどこまで類推できるものか。その私の予習はこの映画の結末まで済ませてしまったので、今回の鑑賞は映像化の確認になってしまいました。
そもそも漫画は「動」か「静」かと言えば、非常に静的な印象で、むしろ淡泊といっても良いくらいな印象。なので、このぶっ飛んだ漫画がどこまでぶっ飛んでるのか、この劇場版で嫌というほど味わった次第。クライマックスのバトルが超絶スケールで素晴らしく、ミサイルの飛び交う板野サーカスまで見れるとは思わなかった(ほんの少しだけど)。
キャラ設定やお話自体も、善悪の概念もあったものではないほど悪そうな奴ばっかりで、それがガシガシ戦うのだからストレスなくて気持ちが良い。デンジのバカッぷりは素晴らしいし、サメ頭ビームも楽しすぎる。天使君もなかなかだけど、謝りながら被害者の血を拝借するのは必要だったかな。そこは「自分は悪魔だ。人間は苦しんで死ぬべきだと思っている」という台詞は建前なんだよって設定なのか。この壮絶バトル兼恋物語のサイドエピソードとして興味深い。唯一、誠実でお堅いアキ君の苦悩も然り。
そして恋物語といえば、タイトルにも上げた締めの台詞、「何故、最初に殺さなかったのか」についてなんですが、それは「レゼが本当に恋していたから」と言いたい所なんですが、マキマもからめて考えて見たいです。
それは、「どうしてマキマは最後の最後に介入したのか?」。つまり、「どうして(最初というより)途中で介入してレゼを始末しなかったのか」ということ。あのアッサリと始末した手際を見る限り、街にあれだけの被害と死者を出す前に始末してしまえばよかったのに。あんな壮絶バトルですら、部下の成長を促すにはもってこいの珍事、もしくは、内閣官房長官直属という高い地位の大鉈を振るうには些末時に過ぎなかったのか。
恐らくはまあ、「そこまでならデンジを奪われる恐れは(殺されたとしても)無かった。最後は本気でデンジが心から逃げようとしていたから、本気でレゼに奪われる瞬間だった」というのが私の結論です。あのバトルですら、デンジが「死んでも負けるもんか」と頑張っているうちは例え負けても奪われる恐れはない。一緒に逃げられたら、失うどころか「敵のもの」「敵の持ち駒」になってしまう。それだけは避けなければならない事態だと思う。
でも、恋物語として美しい理解をしておきたい。「レゼも本気でデンジと逃げようと思っていたから」「本気で恋をしていたから」と。直前の「電車に乗ろうとして思いとどまった」「柄にもなく?寄付をして花を貰った」というカットがその心情を物語っているのではないか、と思うのですが如何でしょうか。
映像は勿論、サウンドも素晴らしかった。米津玄師氏のオープニング曲、そしてエンディングは宇多田ヒカルとのデュエット。今回、恋物語のエピソードであるだけに嬉しいペアリングです。そして、マキシマム ザ ホルモンも参加してるんですね。バトル中のサウンドだったのかな。改めて聞き直したい。あと、非常に細かいことですが、最後のマキマさんの登場時の、劇場に響く重低音。あの重低音を聞くために、劇場で鑑賞しておいてよかったと思いました。いやー、怖いよマキマさん。
(追記)
鑑賞中に書こうと思っていたことを忘れていました。デンジ君の胸に下がるチェンソーのスロットル。レゼのクビにある手榴弾のピン。なんか似たもの同士と思いました。レゼも学校行ったことなかったのも同じだとか。喫茶店で勉強道具のノートや教科書は、人格を見せ掛ける演出のために用意したりするのだろうか。きっとマスターと二人きりの時も勉強していたに違いない。そこにレゼの人生を感じる。
手榴弾のピンといえば、有名な映画と似たカットがありましたね。抜いた手榴弾のピンを相手に手渡すっていう。映画「レオン」の最後と、この映画の冒頭辺りに。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
