「「あの名作と半世紀を超えて響き合う、人間と悪魔の思想」」チェンソーマン レゼ篇 leoさんの映画レビュー(感想・評価)
「あの名作と半世紀を超えて響き合う、人間と悪魔の思想」
日本のアニメは素晴らしい。
「劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来」にしても、本作にしても物語が面白い。アニメ版「チェンソーマン」第1シーズン12話。最終回「日本刀VSチェンソー」の最後に登場した〝あの娘〟がレゼやったんや。。。
そして映画を一か月遅れで鑑賞。
単刀直入な意見。
「レゼに惚れてまうやろ!」(いとも簡単にデンジがハニトラに掛かるのも分かる(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪)
思わせ、こじらせ系のレゼ。野郎は早々にトラップに掛かるのが世の常。
「田舎のネズミと都会のネズミどっちが好き?」って聞かれたら。
「地方都市のネズミ」って答える(^^♪
で、幼少期からアニメ(マンガ)に慣れ親しんだ。
本作を鑑賞しながら「うん?」って思った。
今回はそんな感想でまとめる。
『デビルマン』と『チェンソーマン』──半世紀を超えて響き合う、人間と悪魔の思想
永井豪の『デビルマン』(1972)と藤本タツキの『チェンソーマン』(2018〜)は、時代も文脈も異なる作品。しかし、どちらも「人間とは何か」「善悪とは何か」という根源的な問いを抱えている。
今回は、両作の共通点を5つのテーマに分けて整理する。
※「デビルマン」
永井豪の『デビルマン』は、1972年に発表された日本の代表的なダークヒーロー漫画であり、人間と悪魔、善と悪、愛と憎しみといった根源的テーマを壮絶に描いた作品。
主人公・不動明は、ごく普通の少年であったが、古代から眠っていた悪魔族〈デーモン〉が現代に復活し、人類を滅ぼそうとする中、その運命に巻き込まれていく。
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① 人外と人間の“融合”が生むアイデンティティの葛藤
『デビルマン』の不動明は、悪魔アモンと融合して「人でも悪魔でもない存在」、
『チェンソーマン』のデンジも、悪魔ポチタと一体化し、同じく人間と悪魔の狭間で生きる存在に。
両者は、力を得る代わりに「自分が何者なのか」を失う。
この“境界的存在”としての苦悩こそ、両作の根幹をなすテーマ。
戦いとは外敵との闘争であると同時に、自分自身との闘いでもある。
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② 愛と暴力の共存──矛盾する人間の本質
両作の主人公は「愛のために暴力をふるう」矛盾を抱えている。
明は愛する人を守るために同族を殺し、デンジも仲間やマキマへの愛憎の中で血を流す。
ここで描かれるのは、“暴力は悪”という単純な図式ではない。
むしろ、愛が暴力に変わり、暴力の中に愛が宿る――人間の感情の二重性そのものが描かれている。この矛盾の中でこそ、人間の真の姿が浮かび上がると感じる。
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③ 人間社会への不信──怪物よりも恐ろしいのは人間
『デビルマン』の最終章では、人類はデーモンへの恐怖から互いを殺し合い、滅亡する。
『チェンソーマン』でも、公安組織や社会構造は冷酷で、悪魔以上に非人間的。
両作は、暴力や悪意の根源を「外の怪物」ではなく、「人間社会の内部」に見出している。
つまり、怪物とは社会の鏡像であり、人間の愚かさを可視化する装置と思われる。
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④ 愛する者の喪失と、救いなき世界
どちらの物語も、愛の果てに“喪失”が待っている。
明は牧村美樹を人間の手で失い、デンジも仲間を次々と喪い、マキマを愛しながら殺す。
それでも彼らは立ち上がり、再び戦う。
そこにあるのは、希望ではなく、「絶望の中でそれでも生きようとする意志」。
この“救いなき人間の強さ”が、両作品の最も人間的な輝きであろう。
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⑤ 善悪を超える“混沌の倫理”
『デビルマン』も『チェンソーマン』も、善悪の境界を意図的に曖昧にしている。
ヒーローが必ずしも善ではなく、悪魔が必ずしも悪ではない。
正義のために戦う者が、もっとも血にまみれていく。
それでも彼らは、誰かを守りたいという想いだけで立ち上がる。
この「倫理の混沌」こそ、現代社会における“リアルな人間像”として響くと感じる。
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まとめ
『デビルマン』が1970年代の社会不安と人間不信を描いたように、『チェンソーマン』は21世紀の虚無と孤独を背景に、人間の感情と暴力の関係を描き直している。
半世紀を越えて、両作が問うのは同じこと――
「人間は、愛することによってどこまで怪物になれるのか。」
その問いの鋭さこそ、『デビルマン』と『チェンソーマン』をつなぐ魂の共鳴点。
そして今もなお、人類はその問いに答えを見いだせずにいるのかもしれない。
※あとがき
ずっと「チェーンソーマン」やと思っていたら〝チェン〟ソーマンなんやね♬
これは映画「悪魔のいけにえ」の「テキサス・チェーンソー・マサカー」のトラウマだと思った。((((;゚Д゚))))
以上
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