「令和のヒィッツカラルドさまの美しくも悲しい物語」チェンソーマン レゼ篇 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
令和のヒィッツカラルドさまの美しくも悲しい物語
タイトルは、まぁ、切り裂く訳では無いのですがw
1本の映画としてとても素晴らしいものでした
続きものの宿命なので、ある程度キャラクターや物語を分かったうえで鑑賞するものなのですが
此れがもしも前半に、少しでも主人公の生い立ちやバックボーンが示されていたら
1本の映画として、もっとこの主人公とヒロインが惹かれ合い、すれ違い、引き裂かれる悲劇性が際立つのになぁと思いましたが、まぁ続きものの宿命で、そこは仕方ない
このヒロインがとても良く出来ており、悪魔である事と某ソ連のスパイ、暗殺者であるという2面性
更に彼女自身の3面性が複雑に、立体的に描かれており、そりゃもう、誰もが彼女の事を好きになるに決まっていますよねw
チェンソーマンという物語は、主人公視点のミニマムスタートの成長物語と、
ラスボス視点の俯瞰的な、最終目的から逆算するような精巧なふたつの視点を
あえて描いたり描かなかったりしてミスリードさせてゆく構造的な上手さがあるのですが、
ミスリードでいうと、今回のプールのシーンの前後に挟まれる、蜘蛛に囚われる蝶が象徴的で
これは普通に見ると、主人公がヒロインの罠に掛かる描写に見えるのですが、
実はその逆でもあり、ヒロインの方が主人公との愛に絡め取られ、死へ集約されてゆく事を仄めかしているのですね
勿論、彼女は爆弾の悪魔ですから、水が最大の弱点であるにも拘らず、いちばん無防備な姿で主人公と接することを選びます
そして其のことが最終決戦の決め手になるという構成が美しくも悲しい、それでいてこの時点では思春期男子が身悶えするような
気恥ずかしい青春物語とも見えるように出来ています、素晴らしいですよね
花火のシーンでヒロインは主人公に一緒に逃げようと告げますが
ふたりを分かつのは、仕事と生活という、最初は持たざるものであった主人公が
これまでの物語のなかで成長し、手に入れ、いつの間にか持つ者になってしまっており、
本当は未だ持たざるものである彼女は追い詰められ、愛が憎に、そして殺になります
拒絶された人間としての彼女に残されたものは、暗殺者として与えられた任務しかないため、
またヒロインが主人公を手に入れる為には、もう殺して永遠に自分のものにするしかないのですね
これは究極の愛として安吾はじめ様々な作品で取上げられている概念ですよね、切なく胸が締め付けられます
その決別が、美しい口づけからの、グロテスクでエロティック、フェティッシュな舌の噛み切りとなり、(もうほとんど阿部定案件ですよね!)
そこから物語は直滑降的に戦闘パートへと移行します
爆弾の悪魔としての彼女の能力とアニメーションはとても親和性が高く、
これぞ漫画でなく、アニメーション!という動きの素晴らしさ
しかも爆弾の悪魔は自分の能力を使うことに覚醒していて
手以外から、かめはめ波や光牙を出せるようになった覚醒後の主人公のレベル
そこに鮫と覚醒してゆく主人公の(やや力技的な)能力と、とても映画的に興奮を覚えます
鮫と台風の絵画的な絵の表現も、とても素晴らしかったですね
クライマックスで主人公とヒロインは一つになって水没しますが、これはもう完全に心中もののメソッドで、
古くは曽根崎心中や失楽園にある、コミュニティを追われた悲劇的な男女が
心身を同一化しながら昇華する(=死ぬ)という、普遍的な悲劇性の強い終劇を迎えるのです
此れでヒロインの魂は救われたという物語で締めても、じゅうぶん1本の映画として美しいのですが、
この映画では更に、エピローグとも言えるもう一捻りがあり、
助かった後のふたりが描かれており、今度は主人公が愛の告白をして、一緒に逃げようと告げます
主人公はここで、心だけでなく、性欲根拠ではない、本当の愛を手に入れたからの言葉だと思います
その後の展開として、主人公は全てを捨てる決意をして待つのだが、彼女は、現れなかった…此れでもじゅうぶん完成された映画ですよね?
この映画の更なる凄味は、心変わりしたヒロインが、あと一歩のところで呆気なくラスボスに始末されるという
もう1段構えの悲劇性まで描いてしまいます、構造的にもうこれが凄くて鳥肌が立ちました
ここで、ネズミのエピソードをラスボスの口から語られるのですが、
どこから知っていた??いやそれ以前に、この話をヒロインに吹き込んだのは、そもそも此奴なのか?だとするとそれは何時からか?何処から何処までかラスボスの策略なのか!?
このチェンソーマンの世界では、格下は格上を察知できないというルールがあり、
台風と爆弾もそうでしたし、鮫と爆弾、ヒロインとラスボス、主人公とラスボスもそうで
このチェンソーマンという物語は終始、ラスボスが自分の最終目的のために主人公を育てるという
そのために「与えては奪う」を繰り返す物語であり、映画以前では仕事や金や普通の生活を、
そして冒頭の映画デートでは、人としての心を、愛を教えて、奪い取るのですね
(こういう形の冷酷で残忍なラスボスの姿は、なかなか他にない造形で、魅力的!)
(ラストシーンで傷心の主人公のもとにパワーが帰還する形で、一見、主人公は救われた様に見えるのですが、其れすらも…)
従って、ヒロインの存在自体が、ラスボスに依って主人公に与え奪うために用意された存在でしかないと言うことが描かれます
其れが提示される事で、余計にヒロインの儚さ、悲劇性、そしてラスボスの怖ろしさが強調されますよね
最近の少年漫画はとても複雑で高度な描写と構成をしているのだと驚きました
ここまで複雑に人間の心を描いたものは芸術であり、
同時に商業的にエンタメとしても成立させています
とても凄いことだと思いますし、レゼ篇は元々、原作のなかでも抜きん出たエピソードなのですが、
漫画の映像化に留まらない、1本の映画として素晴らしい作品だと思いました
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