「失ってなお、何して生きるのか」チェンソーマン レゼ篇 M.Nさんの映画レビュー(感想・評価)
失ってなお、何して生きるのか
原作未読ながら、チェンソーマンのおおまかな世界観と設定は何となく知っている程度の人間です。なので、あくまでこの映画だけのことを書きます。そういう人間の文章でも良ければありがたいです。
当然、全体の中の一部を映画にしているので、物語はこれからも続いていくわけです。なので、物語が途中であることは当然であり、特に書くこともありません。同様に、マキマを中心とした、今後明かされていく「実は」の部分も特に言及しません。
まず映像について、後半のアクションシーンが放つ疾走感は1級品であり、それまでの日常場面との乖離が激しい分だけ溜め込んだエネルギーを解き放った気持ちよさがありましたし、カメラワークもちゃんと目に映る程度にグルグル動いて刺激的でした。日常場面も、鮮やかでしなやかで、瑞々しく、情緒に溢れた演出となっていたと思います。
また、音響も迫力があってオープニングや挿入歌なども含めて、ソリッドでドライで殺伐としていて、個人的にこの物語の世界観を表現していて好きでした。
ここからは、個人的に思ったことを書いていきます。
始めに、わたしは、この話が原作者の藤本先生の著作ある「ルックバック」と似ている印象を持ちました。ルックバックは、漫画という媒体をとおして出会った二人の少女が掛け替えのない時間を過ごし、その後、死別によって永遠の別れを迎えるというものだったと思うのですが、今回のレゼ編の流れも大きく見ると同じ導線を辿っていると思いました。レゼとの鮮烈な出会いからデンジの思春期じみた恋心をギャグタッチで描きつつ、青春の輝きを綺麗に描き、学校と祭りでそれらをすべて裏切ってからの大虐殺を一気に展開させ、最後はデンジの知らぬところでレゼは死んでいくというハードな流れとなっており、ルックバックと似た印象を受けました。
原作者の藤本先生の作品は、この二つしか認知していないので細かいことはあまり言えないのですが、何となく、「取り返しのつかない喪失を経て主人公が「ある印象的な行動」をすることで生きていくことを示す」という話(テレビシリーズ1期もデンジとポチタとの融合や、姫野先輩の死を受けてのアキなど)が多いように思いました。
例えばルックバックは、主人公が親友の死を受けて、静かに漫画を描き続けるという終わりを迎えている訳ですが、これはつまり、「生きる=漫画を描き続ける」という行動に出ているのだと思いました。今回のデンジでいうと、最後、喫茶店でレゼが来ないことを悟ったデンジは花を食べていました。食べるという行為は、他の命を奪うことで自分が生きるためのエネルギーを貰うという行為であるとともに、ある種、色々なものを「飲み込む」という意味も持っており、デンジが思春期の失恋を経て少しだけ大人になった印象を受けました。
少しだけ登場人物のことを書くと、デンジは酷い幼少期を過ごしてきたせいで一般的な社会性がなく、自分の感情にすら疎い人物なので、マキマへの気持ちも信仰と恋慕と性欲が混じったようなものになっています。なので、レゼとの出会いによって、デンジは16歳にして初恋を知ったのだと思いました。個人的に切ないのは、デンジがそういう自分の感情の流れすら自覚できていないまま、この初恋が終わっていったことでした。
加えて、実は、ソ連で学校にも行けずに訓練だけ受けていたレゼも、あまり自分の気持ちを育てていなかったことがうかがえます。だからこそ、死に際の台詞が「わたしも学校に行ったことなかったんだよ」という、遠回しな同情を示すような言葉だったんだろうな、と思いました。つまり、レゼもイマイチ自分の感情というものについて無頓着かつ無自覚に生きてきたと思えたということです。だからこそ、デンジを最初の時点で殺せなかったのだろうな、とも思いました。それだけ自分の気持ちに鈍感で、「国の使命を果たす」という理性の一方で、「同じ年ごろの男子との関わりが楽しい」という欲求が無意識的にせめぎ合っていたのかも知れません。デンジを騙しているだけのように見えて、実はレゼも学校に行ったり祭りを見ている時に意外と青春していたのかも知れないですね。
あと、話は逸れますが、個人的に何か似ているな、と思った映画として、北野武監督の「キッズリターン」が浮かびました。物語は、二人の不良がボクシングやヤクザ稼業の中で青春を費やし、最終的には社会のシステムやそれらを動かす大人たちの厳しさと恐ろしさに打ちのめされ、元いた学校の校庭に戻ることになり、もう自分たちは終わってしまうのだろうか、という不透明感を残して終わりを迎える話だったように思います。わたしは、マキマという登場人物は上記の大人や社会のメタファーだと思っており、マキマという冷徹で絶対に動かないシステムに敗北した結果、子供であったレゼは敗北した(死んだ)、という話のようにも思えました。それでもデンジは(レぜの死は知らないけれども)生きるために喪失の悲しみを乗り越えるために、二人の想いでの始まりともいえる花を食らうことで吸収し、飲み込んでいったのかも知れないと考えると、個人的に納得がいきました。
最後に、個人的に刺さらなかったところを書いてみます。
まず、①エンディングテーマがちょっと本編と合わない印象を持ちました。楽曲自体はとてもしっとりした大人のバラードという印象で素晴らしいのですが、個人的にレゼ編はしっとりとした大人の愛情の物語ではなく、子供同士の拙い初恋とその終わりの話のような印象だったので、ちょっとわたし的に食い合わせが良くありませんでした。実際、物語もたった数日間の話なので、この楽曲が成立するほどの月日をこの二人が過ごしていたら、もう少ししっくりきたのかも知れません。
また、②終わりへの余韻が少ないというのも、個人的には「もっと欲しい」と思ったところでした。最初に書いたとおり、原作はこのまま続いていくので仕方ないのですが、①にもあるとおり、今回のような、とてもしっとりとしたバラードをエンディングに持っていくのなら、もう少し情感を持った終わりをオリジナルでも描いてもらった方が感情移入できたな、と思った次第です。
他にも、序盤の映画鑑賞の場面なども思うことはあるのですが、雑多ものばかりなので、これで終わります。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。