「無事これ名馬?」アイアンクロー ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
無事これ名馬?
昔のプロレスラーは
今にも増してキャラが立っていたなと思う。
例えば「吸血鬼」と呼ばれた『フレッド・ブラッシー』は
歯をやすりで研ぎながらの入場。
勿論、実際に歯に当てていないだろうし、
「噛みつき」そのものも反則技、とは言え
カウント4までなら許されるとのルール(?)を逆手に取った
一種のギミック。
それを斟酌せず、幼い頃は随分と興奮したもの。
また、技の名前とレスラーの名前が紐づいているのもお約束。
『ブル・ロビンソン』なら「人間風車(ダブルアーム・スープレックス)」、
『ブルーノ・サンマルチノ』なら「人間発電所」で「カナディアン・バックブリーカー」と、言うように。
で、今回のタイトルにもなっている「アイアン・クロー」。
本来なら「ブレーン・クロー」が正式名称も、
「アイアン・クロー」と呼称されれば、
第一の使い手『フリッツ・フォン・エリック』と一体化。
1960~70年代は『馬場』や『猪木』と抗争を繰り広げ、
利き手の右手首に左手を添え、大仰にこめかみを掴むシーンを今でも覚えている。
もっともその対抗措置として、
手を鉄柱に打ち付ける等を、やはり芝居っ気たっぷりに行うのだが(笑)。
本作は彼が引退しプロモーターになり、
四人の子供(実際子供は六人。長男は夭逝、六男はいないことになっている)を
プロレスラーとして育て上げることから始まる。
父親として『フリッツ』は「プロレス界で最強の一家」になることを目指すも、
不思議なことにプロレスラーになることを表立って強制はしない。
寧ろ息子たちが自発的にそうなるようにソフトに誘導。
とは言えそのスタンスが、後々息子たちを苦しめ、過剰なプレッシャーを与え、
悲劇の連鎖を生む要因に。
アドバイスやいたわりの言葉を求めても
「そんなことは兄弟間で解決しろ!」と言い放つ、
ある種の責任逃れ。
レスラーやプロモーターとしては優秀も
家族の長としてみた時には首を傾げざるを得ない。
そこが〔ドリームプラン(2021年)〕で描かれた父親像とは
かなり違っているのだが、どちらも
近付きにはなりたくないタイプ。
が、主人公はあくまでも「フォン・エリック・ファミリー」の長男としての(実際は次男)
『ケビン(ザック・エフロン)』。
一番最初にデビューしたものの、弟の『デビッド』ほど口も達者ではないし、
『ケリー』のように華もない。
ピンでは輝けずに「エリック兄弟」の構成員としての価値しかなく、
チャンピオンベルトへの挑戦権もままならず。
弟の二人ほど、自分の記憶にも残っていない。
もっとも自分がプロレスをよく見ていたのは
『デビッド』が日本で客死し、
『ケリー』が「狂乱の貴公子」こと『リック・フレアー』を破り
「NWA世界ヘビー級王者」戴冠の頃までで、
その後の「呪われた一家」となった背景も
この映画で初めて知ったくらい。
太く短く生きるのと
細く長く生きることはどちらが幸せとの命題は、
ここでは後者を是としているよう。
弟たちを思いやりつつ、
父親の頸木を断ち切った者は今でも存命、
大家族の長となっている。
ただ、自身の子供の何人かは
やはりレスラーになっており、血は争えない、か。
劇中「ショー」との表現が頻出し、
『ブルーザー・ブロディ』が試合前に「アングル」を段取りするシーンも挿入される。
じゃあ、まるっきり筋書きのあるドラマかと言えば、
リング上での怪我は日常茶飯時で、時として死者さえ出る現実。
当の『ブロディ』もロッカールームで同僚に刺殺される等の
事件も頻発。
有名な一家に仮託し、プロレス界の典型的な裏面史を語るのが目的なのか、
それとも心優しい男の半生を描くことが目的なのか、
焦点がぼやけてしまっているのはどうにも不満。