「悪は存在した 地方発補助金映画のもたらす功罪」風の奏の君へ パングロスさんの映画レビュー(感想・評価)
悪は存在した 地方発補助金映画のもたらす功罪
とにかく目を覆いたくなるぐらい酷い作品です。
はじめは、そう言えば、津山城へは是非行きたいと思ったまま、高速道路を何度か通過しただけで、まだ美作には足を踏み入れたことないなぁ、‥
あれ? 宮本武蔵の里で売り出してる大原駅あたりの古い街並みも美作か。
だったら、そこだけは行ったな、ホントに宮本武蔵ゆかりかどうかは怪しかったけど、なんて思いながら、映し出される美しい山里の風景を観ていました。
そして、なかなか作品に恵まれなかった杉野遥亮も、いよいよ主演格か、‥‥
などと思いながら‥‥
【以下ネタバレ注意⚠️】
‥‥観てはいたんですが、
途中から、あんまりタルくて、眠くはなるし、どうやら杉野遥亮の兄さんでお茶屋やってるflumpoolの山村隆太と、ピアニストの松下奈緒が昔付き合っていたとからしいのに、兄さんの方は松下を避けるし、松下の方はストーカーのように弟を手なづけて家に居候までするしで、
ホント、登場人物たちが理解を絶する行動ばかりするので、呆れ果てました。
山村隆太は、東京も、好きだった松下もあきらめて地元に戻ってきて、実家の家業を堂々と継いだのだから、何恥じることなく、弟の前で松下に応対すれば良いのに、ひとりウダウダし始めて、弟杉野には、絶叫調に怒られるし(この行為も意味不明)、責められた兄山村は泣き出すしで、何だこりゃのビックリ破綻芝居。
大体、松下奈緒も急の美作逗留で、確かに一曲ぐらいは作曲できたとしても、そして、弟杉野や仲間たちの手を借りて、学校の体育館で披露公演を開くことが出来たにせよ、ピアノソロならともかく、岡山の田舎で急に弦楽器奏者呼べるんかい、ってな疑問も解消されずで‥‥
とにかく、悪口としての「地上波ドラマ仕草」どころの騒ぎではなく、下手なテレビドラマよりも出来が悪いです、これ。
そもそもドラマとして、成立してない。
で、確認してみると、案の定、これも製作委員会は「美作市」が全面協力する形で立ち上げられたという「地方発」型で製作された映画。
*1 美作市ホームページの下記ページ参照
オール美作・津山ロケ! 映画「風の奏の君へ
原案のあさのあつこも、監督の大谷健太郎も美作育ちとのことで、二人とも2011年から2016年まで開催されていた美作市映像大賞で審査員をつとめていたことが、本作の企画につながったという(映画公式サイトのプロダクションノート)。
で、当然のように、2024年6月7日からの全国公開、6月1日の新宿ピカデリーでの出演者・監督舞台挨拶付き完成披露上映会に先んじて、5月12日に津山文化センターで松下奈緒ピアノ演奏、松下・監督・エグゼクティブプロデューサー舞台挨拶付き特別上映会(以上、第2部。第1部は大谷監督の映画「推しが武道館にいってくれたら死ぬ」とオール津山ロケを謳った頃安祐良監督の映画「十六夜の月子」*2の上映会)が行われてます。
*2 津山国際環境映画祭 第2回
津山文化センターリニューアルオープン企画
「十六夜の月子」
話がズレるようですが、津山市での特別上映会第1部で上映される「十六夜の月子」は、上記サイトによると、
《観光庁の「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成」の公募を受けて、津山街デザイン研究所が応募した「人と自然にやさしい映像文化の創造−「津山環境国際映画祭」の開催によって、地域の歴史や環境文化を学び、文明と自然との共生を地方からめざしていく」という企画が、採択されました。》とあります。
要するに、映画「十六夜の月子」は、津山市≒津山街デザイン研究所が実施主体となって観光庁に応募した国の補助金事業に当選して、国の補助金を使って製作された映画作品らしいということが分かります。
おまけに、制作・配給は、あの吉本興業です。
ちょうど、最近、吉本興業が製作・配給した映画「遊撃 映画監督 中島貞夫」を観たので、レビューをFilmarks に投稿しました。
その文中で、
最近、沖縄国際映画祭や京都国際映画祭から吉本興業が撤退を表明したことで、映画祭そのものが消滅してしまったことが報道された事実に触れ、吉本の映画事業と地域文化振興の関わり方について、大きな疑問を感じざるを得ないと述べました。
一部の報道では、沖縄国際映画祭を吉本が始めた理由は、松本人志の映画熱にあったとの報道もなされています。
‥‥以下長くなりますが原文を引用します‥‥
しかし、一度始めた、それも誇りある地域の名前と「国際」を冠に謳った文化事業を、一企業の収支の辻褄合わせを理由に撤退し、せっかく育ちつつあった地域の映画祭そのものの命脈を絶ってしまうことが果たして許されるのだろうか。
少なくとも「地域」に「国際」レベルでの映画文化を根付かせることが目的だとしたら、一時の芸人の気まぐれや年次収支のみから勝手に始めたり辞めたりすることは、とても責任ある文化団体のすることではないだろう。
濱口竜介監督の『悪は存在しない』が話題を呼んでいる。豊かな自然のなかで絶妙なバランスを保ちながら自然と共存する生活を営んでいた村に、突然、コロナ禍対策の補助金目当てで、東京の芸能プロダクションがグランピング施設建設計画を打ち出し説明会を開く。
ところが、実際には建設地の水脈の動線すら把握していない杜撰な計画だということが明らかになって、地元住民から総スカンを食うという名シーンがある。
吉本のしていることは、地元民からしたら、このグランピング計画と同じ杜撰さではなかろうか。
手負いの鹿に蹴殺されても知らんぞ、とさえ思う。
だから、吉本の映画事業には、常に疑いの目を持ち続けたいと強く思っていたところではある。
‥‥引用以上‥‥
岡山県津山市の「津山環境国際映画祭」にも吉本興業が関与していることから、まさしく吉本が国の予算たる地域振興策としての映像文化に対する補助金がらみの事業に積極的に関与している構図がハッキリと見えてきたように思います。
さて、本作『風の奏の君へ』に戻ります。
こちらは、津山市ではなく、近隣ですが美作市。
そして、関与しているプロダクションは、吉本興業ではなく、TBSでしょうか。
本作製作の資金に、どれだけ美作市や県ないし国などの補助金・助成金が投入されているかは、おそらく事業報告書を見れば明記されているでしょうが、少なくとも美作市が出資していることは確実でしょう。
国や地方公共団体に国民が納入した税金を原資とする補助金事業の特徴として、費用の支出が3月末締切の年度単位で区切られ、その時点での決算報告が義務化されるところにあります。
『悪は存在しない』で、芸能プロダクション側が住民側から疑義が出されたにも関わらず予定通りグランピング施設建設を進めようとするのは年度末までに事業に区切りを付けないと補助金が支給されないどころか場合によってはペナルティを課されてしまうからです。
おそらく映画関係の行政による補助金も同じで、不測の事態が多いはずの映画製作の現場事情とは関係なしに年度で区切った予算の執行が求められてしまうのです。
このため、「良い映画を作るために必要なスケジュールを組む」のではなく、「はじめにスケジュールありき」の仕事の進め方にどうしてもなりがちです。
全ての「地方発」映画ないし公的補助金を受けて製作された映画がそうだとは言いませんが、多くの「地方発」映画の失敗、作品としての不出来の原因の一つはここにあると考えられます。
「悪は存在しない」のではなく、「補助金」頼みの構造自体が(例えば濱口監督の映画で言う微妙なバランスを保っていた地域住民と自然とのバランスを破壊するなどの)「悪」を招いてしまうのです。
だから、補助金事業だからと言って、せっかく出来た「地方発」映画だからと言って、その出来栄えについての批判を封じるのではなく、きちんと作品自体の出来不出来について批評が行われることが、まず大切だと考えます。
税金を原資とする貴重な財源である補助金が有効に使われたかを検証する意味も持つからです。
そういう観点から、私は、本作は、あまりにも不出来だと、あえて断言したいと思います。
*そうは言っても、映画に映し出された美作の自然や風景が美しいことと、エンドクレジットを見るまで出演に気が付かなかった池上季実子のなりきりぶりには敬意を表したいと思います。