劇場公開日 2024年9月13日

「三谷版(500)日のサマー:なぜ監督作で脚本を作り込まないのか?」スオミの話をしよう LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5三谷版(500)日のサマー:なぜ監督作で脚本を作り込まないのか?

2024年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

1. プロモーションでネタバレし過ぎ
 本作を観て後悔したのが、番宣を見すぎた事。特に序盤は、この人もこの人も前夫!?と、登場人物と同時に気づけたら、もっとスリリングだった気がする。三谷監督自身が様々な番組で、制作意図や主要な設定をベラ喋りしてたので、映画を観て新たに知る要素が少なかった。あからさまに言えば、番宣以上に面白い部分は少なかった。ただ圧巻だったのは、長澤まさみの歌唱力。ミュージカルパートがあるのも番宣でネタバレ済みだが、くだらない歌詞を朗々と謳いあげた彼女はカッコよすぎた。「メタルマクベス」(2018)以上に心に響いた。
 「ラストマイル」がShared universeだけで客寄せし、本編の内容を殆ど語らない番宣がいかに正しかったか思い知った。
🕿
2. 監督作では作り込まれない脚本
 三谷氏の脚本作には名作が多い。その要因の1つが、巧みに計算された展開。古畑のようなミステリに限らず、序盤では予想できない展開が待つ終盤に観客は沸き立つ。三谷の舞台作品を中原俊が監督した「12人の優しい日本人」(1991)もその典型。序盤ではポンコツに見えた陪審員が終盤で突く確信。善意に見えた意見に潜んでいた小市民的悪意。脚本しか担当しない映像作品では、撮影過程に口出ししない三谷氏は、全ての企みを脚本に込めて校了する。
 しかし、三谷監督作品で展開自体が面白かったのは「ラヂオの時間」(1993)だけ。後の作品は、役者に突拍子もないシチュエーションを無茶振りして、彼等が必至に応えようとする演技を笑う作品が目立つ。三谷氏は監督をする際には、稽古や撮影で膨らます余地を残す為、敢えて脚本を作り込んでいない気がする。本作も、前夫それぞれに当てたキャラに面白味はあるが、全て出オチにも感じる。名言が評判の詩人なのに、清貧でないどころか金にがめつい。それ自体はいい設定だったとしても、その可笑しみは登場時点でオチてしまい、その後キャラが変化することも、隠された背景が明かされる事もない。終盤に多少種明かしはあるが、想定内すぎて刺激が少なすぎた。
💸
3. スオミをビッチとしてしか描けない男性視点
 本作はスオミが主役なようで、彼女の本心は殆ど明かされない。語られるのは前夫の思い込みと、消え難い恋慕の想いだけ。ラブラブだった彼女が何故自分を捨てたのか理解できずに過去を回想する「(500)日のサマー」。サマーをビッチと罵りつつ、愛しさが燻り続ける主人公が痛々しい。本作も、結局前夫はスオミに自分が望む女性の姿を投影し、スオミにとって何が幸せかを本気で理解しようとはしていない。人に合わせる事で生き抜いてきたスオミは、無理せず対応できている内は付き合うが、ストレスが閾値に達すると次の男に乗り換える。ただここら辺りの描写がどうして男性目線で、結局女性は理解しがたいと言いたげに見える。
 同じテーマで女性が監督/脚本したら、男性に対する怨念がもっと赤裸々に込められて深みが増しそうな気がする。男性にとってはホラーになってしまうかもしれないが。

コメントする
LittleTitan